姫は盤上に立つ

ねむるこ

文字の大きさ
46 / 50
はるがすみ

第四十六話 姫は盤上に立つ

しおりを挟む
「化け物は……?」

 かすみは気を失った伊吹いぶきから体を離すと、破れた御簾の向こう側に目を凝らす。霞は目を瞬《またた》かせた。

「……逃げられ……た……?」

 霞は立ち上がって局の中を見渡す。中庭へと続く方角の御簾が微《かす》かに開いているのが見えた。床には化け物の血と思われる血痕けっこんが点々と残されている。

(あの方角って……東宮とうぐう様の……)

 東宮が控える部屋は庭を挟んで山茶花さざんかつぼねの向かいにある。
 すぐに山茶花の後を追わなければと思ったが、負傷した伊吹を置いていけない。霞が立ちすくんでいるところに部屋の出入口である襖が緩やかに開いた。

左近衛府さこのえふ様のことはわたし達にお任せください……」
「貴方は……水葵様の……」

 山茶花の局に入って来たのは水葵の局で見かけた少女だ。面を被ったような、表情のない少女は出入口に座っていた少女ふたりを引き連れてきた。

「左近衛府様を山茶花様の元へお連れしたのはわたしです……。わたしが責任をもって手当て致します」
「それは……ありがたいけれど……。どうして?」

 霞が驚いたように問いただすと少女は抑揚のない声で続けた。

「山茶花様は確かに化け物かもしれません。ですが……身寄りのない私達を助けてくださいました……。どうか寛大かんだいなご処断しょだんを……」
「……」

 か細く震える少女に霞は複雑な心を抱く。確かに山茶花は宮中の権力者を葬ってきた悪だ。霞の一族も山茶花の願望のために殺されている。その一方で身寄りのない女性や子供を救ってきたというのも事実だ。

「ごめんなさい。化け物を助けることはできないけど……山茶花様の心は救えるかもしれない」
「え……?」

 ここにきて少女は初めて表情を変える。
 霞の中で化け物に対する向き合い方が変わっていた。少し前まではひたすら一族の憎いかたきとして後を追っていたが今は違う。

(呪いの物語が書かれた経緯いきさつ……。水葵様が託した思い……全て分かったわ。なんとしても化け物を止めなくては……)
「伊吹のこと。どうかお願いね」

 霞は少女たちに念を押すと、化け物の後を追って御簾の外に出る。霞は頭の中の盤面を眺め、次の一手を考えた。

(恐らく東宮様の元に殿下を誘き寄せ、操った東宮様に殿下を襲わせる算段だったのね。確実に殿下をほうむるために……)

 痛む身体を誤魔化しながら霞は弓と矢を拾い上げる。山茶花が出て行った御簾みすくぐり抜け、目を見開いた。

「いた……!」

 中庭に身体を引きずりながら歩く山茶花の姿が見える。しかし、その姿は異様で……着物の裾からここのつの獣の尾が揺らめていたのだ。

(やっと本当の姿を見せたわね……!)

 九美きゅうび神社に封じられたのは狐のあやかしだった。あの尾はまさに狐の尾である。
 霞は化け物を狩るにあたり、文書殿ぶんしょどのに保管されていた書物に書かれていたことを頭の中で思い起こす。

(妖は陰陽師の霊符れいふと術《じゅつ》によって封じられたとあったけど……ここにきり様はいないし。私にそんなことできるわけが……)

 そこまで思考を巡らせて、霞はあることに気が付いた。

(桐様から貰った霊符!)

 霞は慌てて胸元から桐お手製の霊符を取り出した。子供の落書きのようなそれを弓矢の穂先の手前に結びつける。
 山茶花が向かっていたのは東宮殿にあるぶちだ。何故かそこには東宮と帝がいた。東宮は顔面蒼白で横たわり、上体を膝を突いた帝に支えられている。
 東宮の術は解かれ、帝は無事なようだ。安堵するのも束の間。帝の殺害計画が失敗した山茶花は自ら始末せんと向かっている。
 その動きは伊吹が投げた刀の傷のお陰か……にぶい。牛車ぎっしゃのごとく遅い歩みだった。見れば肩口に血が染みているのが分かる。

(あのまま化け物を向かわせたら……おふたりが危ない!)

 霞は呼吸を整えると弓矢を構えた。

「いっ……」

 引き延ばした左腕が痛んでうまく弓を引くことができない。伊吹いぶきと戦ったせいで体中が悲鳴を上げていた。

(ここで仕留しとめなければ!宮中も……今を生きる大切な人達も守れない!)
 
 何度も弓矢の構えを作ろうとするも力が上手く入らない。霞は自分の弱さに苛立った。焦りで息が荒くなり、顔色も悪くなる。
 再び霞が弓矢を構えようとした時だった。

 霞の震える左手を、突然伸びてきた一回り大きな手が掴む。

 手が伸びてきた先を見上げて、霞の瞳に光が差し込んだ。思わず声が上擦《うわず》ってしまう。

かえで様!」
「待たせたな。

 霞の元に現れたのは楓だった。口の端を上げて少年のような笑みを浮かべている。恋人の演技の時に呼び捨てにされるのに、いつもの演技じみた雰囲気は感じられない。霞は指摘することを忘れて、その自然な笑顔に瞬きを繰り返す。
 帝と行動を共にしているはずの楓が何故か山茶花の局に現れたのだ。そもそも霞は自分が向かう場所を伝えていない。

(楓様と伊吹に危険が及ばないためだったのに……。どうして……)

 嬉しいような悔しいような……霞が呆れたような表情を浮かべる。霞が何も語らずとも察した楓が言葉を繋いだ。

「どうしてこんな所に……という顔だな。全て東宮様から聞いたのだ。化け物の正体も、化け物が何をしようとしているかも……。だからこうして化け物の裏をかいくぐって霞の元に加勢しにきた」
「東宮様の術が解けたのですね……。良かった。殿下でんかを襲う前に事なきを得て……」

 楓は静かに首を振る。

「いや……。東宮様は術に掛かっていなかった」

 霞は楓の言葉に一瞬だけ驚いた表情を見せるが、すぐに納得したように頷いた。何かを察した霞は苦しそうな表情を浮かべる。

「……なるほど。……そういうことだったんですね……」
「詳しいことは後で。今は化け物を止める方が先だ。見たところ霞は体力の限界なのだろう?代わりに俺が化け物を射抜く」

 弓矢を奪おうとした楓の手を遮るようにして、霞は弓矢にしがみついた。

「いえ。私が射抜きます。……私がやらねばならないのです」

 鋭い光を宿した霞の目を見て、楓は深いため息を吐く。
 今まで霞が化け物狩りのために執念を燃やしてきたか。今日この時のために生きてきた霞の気持ちを楓は痛いほど理解していた。
 
(霞は今まで出会ってきた誰よりも意志の強い女子おなごだ。己の手で決着を付けさせるべきだろう……いや。決着を付けさせてやりたい。長きに及んだつらときを終わらせてやりたい……)

 楓は握りこぶしを作った後でそっと振りほどく。素早く霞の足元に片膝を突くと、弓を支えた。

「……俺が弓を支えているから。霞が化け物を射抜け」
「ありがとうございます。楓様」

 霞は楓に一礼すると左手を添え、右腕を思いきり引いた。

 狙うは長らく追い続けた一族のかたき。化け物の背。
 霞は長く息を吐いた。

(一族のため。今を生きる大切な者達のため……)

 一瞬だけ霞の目に炎がちらつく。

けっ!)

 迷うことはなかった。狙いを定めると霞は右手を離す。
 矢は美しい軌道を描くと、ドスッという鈍い音を立てて肉に突き刺さる。

 見事、矢は化け物の背に命中した。


 
「熱い……!体が……体が焼けるように熱い!」

 美しく整えられた中庭の真ん中で山茶花……化け物はのたうち回り絶叫する。身体は燃えていないの何故か体が炎に巻かれたように熱いのだ。更に足や手はおもりが付けられたように重くて動かすのが難しい。

(この矢、術がかけられている?それも強力な……!あの小娘が陰陽道に通じているはずがないのに!)

 山茶花……化け物は首を少しずつ真後ろに動かし、血走った目で霞の方を見た。その姿に美しく若い女人にょにんの面影はない。
 おぞましい光景にも関わらず、霞はただ冷たい目で化け物が苦しむさまを眺めていた。

「おのれ……!私の思うがままに動かされてきた、盤上ばんじょうこま分際ぶんざいで!」

 憎しみが籠った化け物の言葉に霞は動じることなく答えた。

「……その通り。私は盤面の前に座っていると勘違いしていた愚かな駒。しかしただの愚かな駒ではありません。みずから盤上に立って戦い、勝利を掴んだ駒です」
「はじめからとしてお前自身、私と戦うつもりであったか……!」

 確かに霞は化け物に近づくために宮中の者達を駒としか見ていなかった。しかしそれは己に対しても同じ。
 霞は自分も駒のひとつ。化け物を狩るための一手としか考えていなかった。

 霞は盤上の前に座って化け物と対峙していたのではない。自ら望んで盤上に立ち、化け物と戦う駒となったのだ。

 堂々たる霞の姿に化け物は悔しそうに顔を歪ませた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

処理中です...