姫は盤上に立つ

ねむるこ

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はるがすみ

第四十七話 嘘と真(1)

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(私が負けるなんて……有り得ない)

 山茶花さざんかは重たい腕を濡れ縁《ぶち》に膝を突く、帝に向かって伸ばした。

神官しんかんの手違いで忌々しい陰陽師の封印から抜け出すことができたのは天のお導きだと思っていたのに……!)

 九美きゅうび神社にふうじられていた化け物は数百年の時を超え、封印を抜け出していた。それは偶然か、それともそうなる運命だったのか……。
 神社で働いていた召使めしつかいが、片付けの際に化け物を封じていたつぼの封を解いてしまったのだ。古くなっていた上に、霊符れいふが剥がれかけていたせいだろう。
 化け物は若くて美しい女の姿に化けた。陰陽師に見破られない限りこの姿が役に立つことを長年の経験で熟知していたのだ。
 何百年ぶりかの目覚めのせいで化け物は完全ではなかった。術もそれほどうまく使いこなせず、近くに居るものを一人操るので精一杯だ。
 再び宮中に上がり、己の願望を成就させるのだと神社でその機会を伺った。

 自分が虐げられてきた世や権力者に対する深い憎悪。

 それだけが化け物の生きる糧だった。
 そこに現れたのが健康祈願のために神社を訪れた東宮とうぐうだったのだ。

(せめて私の手で……!私を虐げてきた汚い権力者をひとりでも多く消さねば……。誰そ近くに悪夢の術に掛かった者はいないのか……)

 宮中の気配を探り、山茶花はある異変を感じた。

(陰陽師と物語を利用して宮中に仕掛けたはずの結界が……かれている?)

 空を覆っていた薄暗い膜がいつの間にか無くなっている。まばゆいほどの青空が広がっていた。

きり様に頼んで、謹慎中の陰陽師たちと共に結界を解いて周ってもらっているのです」

 空を見上げて呆然としていた山茶花に霞が声をかける。見れば霞は素足で中庭に降り立って山茶花の側に近づいていた。手には弓矢が握られている。霞のすぐ横には楓が険しい表情で立っていた。

「たしか……陰陽頭おんみょうのかみの弟子か。あんな子供にまさかここまでの才があったなんて」
「化け物……お前の本当の目的を教えましょうか」

 山茶花は霞を睨みつける。

「……私の目的?何を訳の分からないことを。最初に話したでしょう。盤上の如く、この世を私の思いのままにするためだと……」
「それは表面上のもの……。お前が本当に欲していたものは……、でしょう」

 霞の言葉に山茶花の血走った目が大きく見開かれる。そのすぐ後で笑い声をあげた。体中が痛くて熱くて、とても笑えそうもない状況で。無理矢理高らかに声を上げて笑ってみせた。

「どこまで物語に影響されているんだ!人間どもは!愛なんてものを求めて国を崩すなんて……馬鹿げてる!」
「自覚すらしていなかったのね。哀れな……。お前が欲しかったのは権力でも、国でもない……。誰かを愛し誰かに愛されて心穏やかに暮らせる居場所だったのよ」
「……!」

 山茶花の心の奥深くにするりと何かが落ちた。表情が固まった山茶花に霞は表情を変えずに言葉を続ける。

「水葵様が言ってたわ。『物語は人の心。うつつを映す鏡』だと。だとすれば『ひめつばき物語』はお前の心、お前が見てきた世を描いている。……恐らくお前はかつて宮中の人間だったのでしょう。そこで女として人として酷い目に遭った……」
「黙れ!」
水葵みずあおい様が時代の犠牲者となったひとりの女の慟哭どうこくを作品に昇華しょうかさせた。記録にも記憶にも残ることのない、小さな悲鳴を記したのよ。水葵様はこうも言っていたわ……。『この物語は呪いがあって作品として完成する』と。
お前はおのれの心の内を誰かに理解してもらいたかったのではないの?」
「黙らぬか!小賢こざかしい女が!」

 山茶花の激しい口調に霞は口を閉じた。

「そんなはずないだろう!私がそんな下らない、ちっぽけなもののために……」
「さ……山茶花」

 苦しむ山茶花の前にか細い声が響く。それは、東宮のものだった。帝に支えながらゆっくりと濡れ縁から降りてくる。白い腕を伸ばし、心配そうに山茶花のことを眺めていた。

「なんだ本当に心配そうな顔をして。お前もどうせ私を憎んでいるんだろう……。騙されて、私を殺したくて仕方ないか。だったら今殺せばいい!」

 激しくまくし立てる山茶花に東宮は首を横に振る。

「そんな悲しいこと言わないでくれ……」 

 予想外に優しい言葉を聞いて山茶花は驚きで目を丸くさせる。霞は見計らったように再び口を開いた。

「はじめ、東宮様は術で操られていたそうだけれど……最近は操られていなかったそうよ。それにも関わらず、お前の指示に従っていたのは何故かだか分かる?」

 霞の視線に促されるように東宮は大きく頷くと答えた。

「それは……私がだよ」

 東宮の答えを聞いた山茶花の憎しみと怒りがにじみ出た険しい表情が変わる。

「訳の分からぬことを……。第一、私の術が簡単にけるはずがない。偽りを申すな!」
「本当のことだよ。山茶花。そうでなければ兄御前あにごぜが無傷でここにいるはずがない。……いつの間にか私の思いは偽りから真に変わったんだ」
「そうだ!私はお前に帝を殺すよう、術をかけたはずなのに。私のことを愛しているというのなら何故裏切ったんだ!」

 山茶花は中庭の土に視線を落とす。山茶花に掛けるべき言葉を見つけた東宮は顔を上げた。その表情は穏やかなようで苦しんでいるような……不思議な表情だった。

「これ以上、山茶花に人をあやめて欲しくなかったんだ……。だからふたりに山茶花のことを全て打ち明けたんだよ」

 帝を呼び出した後、東宮が手元に隠し持っていた小刀で帝を殺める手筈てはずだった。
 しかし山茶花の術が解けていた東宮は帝と楓の前。布団の上に静かに座してふたりを待ち受けていた。枕元には鞘に収まった小刀がある。
 驚くふたりに東宮は更に驚愕の真実を語ったのだ。

「化け物は……私の妻の山茶花だ」

 その告白により、楓は霞が向かった場所は山茶花の局であることを悟ったのだ。ふたりに正体を語った後、楓はある作戦を立案した。

「おふたりは敢えて化け物の目につく、濡れ縁に控えていてください。帝の襲撃失敗に勘づいた化け物は己の手で殺さんとそちらに向かうはずです。その化け物の背を狙います。
……私はこれから密かにここを抜け出し、霞と合流します。いいですね?殿下に東宮様」
「はい。どうか……山茶花を止めてください。もう遅すぎるかもしれないけれど……」

 東宮の告白のお陰で東宮殿を抜け出した楓は霞と共に化け物を射抜くことができたのだ。
 山茶花は唇を噛み締めると東宮に向かって叫ぶ。

「いつから私の正体に気が付いていた?」
「君を妻にしてひと月が経ったころかな。神社のいわれを調べてなんとなく感じ取っていたんだ。君は普通の女子おなごではないのかもしれないと。その時は術に掛かっていることが多かったから他の者に声を上げることはできなかったのだけれど」
「そんなに前から?だとしたら分かった時点で何故殺さない?かつて陰陽師がやったように宮中から追い出せばよかっただろう!」
「いや……そんなことできるはずがない」

 東宮は言葉を止め、それから慈愛に満ちた笑みを浮かべて答えた。
 
「どうして愛した人を追い出せる?その時にはもう私は君のことを思っていた」

 山茶花があきれたように息を吐きだす。

「まだ分からないか?お前への私の態度は全て偽りだというのに……」
「偽りがまことになることもある。それに私達はよく似ていた……。だから余計に愛おしく思ったんだよ」
「似てる?私とお前が?馬鹿なことを言うな!」

 東宮はくすりとはかなげに笑った。

「人をうらやんでうらやんで……ねたんでしまうところ。自分には届かぬことだと分かっていながらも望んでしまうところがね」

 霞は楓の側で静かに東宮と山茶花のやり取りを聞いていた。
 今すぐにでも化け物の止めを刺したいところだが、何故こんな悲劇が起こってしまったのか……。化け物の心を見定めたかったからだ。
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