銀の皇太子と漆黒の聖女と

枢氷みをか

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第二章 ユーリシア編 第二部 暗雲低迷

隠れ家と白宮と

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 何故またここにいるのだろう、とラン=ディアは不快気なまでに渋面を作ってため息を落とした。

 せっかく意を決してここをったはずなのに、それはわずか一日で終わりを告げた。ここを出立した翌日、思いもよらぬお迎えが来て、彼は不承不承と来た道を戻ったのだ。
 その原因をダリウスから聞かされて、ラン=ディアはさらに不機嫌になった。いや、呆れてものが言えなくなった、の間違いだろうか。

 シスカは昔から人のためなら見境がない。
 それは知人、他人関係なくそうなのだが、普段なら強くたしなめられれば一旦はとりあえず無茶が抑制されるはずだった。なのにまさかこのような暴挙に出ようとは。

 それは自分がシスカの無茶を承知で見て見ぬふりを決めたからだろうか。それとも、無茶の対象がユルングルだからだろうか。あるいはその両方かもしれなかったが、どちらにせよ事を急いた自分にも非があるだろう。

 それでも釈然としない気持ちで二日を過ごしたが、自分よりもなお機嫌を損ねている人物がいる事をラン=ディアは承知していた。

「…それほどお気に召さないのなら、迎えに行けばよろしいでしょうに……」

 定期健診でユルングルの部屋を訪れていたラン=ディアは、呆れたように息を一つ落とす。
 言われた相手はずっと眉間にしわを寄せながら、そっぽを向いて不機嫌な意を表していた。

「…俺が皇宮に行けると思うのか?」
「ダリウス殿下でも私でもお好きに使ったらよろしいでしょう」

 ラン=ディアの切り返しに、ユルングルは反論できず閉口する。

「クラレンス卿が一番適任かもしれませんね。今日で杖も取れましたし、練習がてら皇宮まで遣いに出されては?」
「…お前は案外、性格が悪いな」
「私も腹に据えかねているのですよ。どうしてたった一日でトンボ帰りしなければならないのです?」
「俺に言うな、ダスクに言え」
「シスカに言えないので貴方に申し上げているのです。図らずも貴方とシスカの間で板挟みになられたユーリシア殿下とユーリは気の毒ですね」

 それには返す言葉もなくただ黙して視線を逸らす。

「大体たった100だと仰るならシスカの好きにさせたらよろしいでしょうに」

 その台詞に、ユルングルはなおさら眉間のしわを増やしてラン=ディアを睨みつけた。

「あれほど顔色のよくない者からさらに血を取れと言うのか…!」
「100取れば満足してすぐに輸血を受けたはずです。彼の体をおもんばかるのなら、そちらの方が彼にとっても負担は少ないでしょう」
「それが神官の台詞か…!」
「仕方がないでしょう。シスカにとってユルングル様は何よりも大事なようですから」
「…………は…!?」

 思いがけないところで思いがけない言葉が降って来て、ユルングルは怒りを忘れて思わず頭が真っ白になる。
 ラン=ディアは呆れたようなため息と共に、そんなユルングルの姿を視界に入れた。

「…貴方は当然覚えておられないでしょうが、貴方が2歳になられるまでシスカが貴方を育てたのですよ」

 低魔力者の中でもかなり魔力の少ない状態で生まれたユルングルは、当初そう長くはもたないだろうと思われていた。
 実際体が弱く、生まれてたった一日でその心臓は二度も動きを止めた。それでも三度みたび心臓が動き出したのは、生まれたばかりの彼の、生きたいという気持ちが強かったからだろう、と力強くシスカの指を握る赤子を見つめながら言葉を落とした彼の姿を覚えている。

 その体の弱さゆえに何かあってもすぐに対処できるよう、当時皇宮医の補佐であったシスカはフォーレンス家の領地でユルングルにつきっきりとなったのだ。それは彼が2歳になり、状態が安定するまで続いたという。

「…そういえば初めて会った時に、俺のおむつも変えたことがあると言っていたな…」
「もうデレッデレでしたよ。何度可愛い、可愛いと聞かされたことか」
「やめろ…っ、恥ずかしい…!!」
「何を照れていらっしゃるのです?赤子が可愛いのは当然でしょう」
「………お前は本当にいい性格をしているな…!」

 軽く弄ばれているのだと悟って、ユルングルは面映ゆさと不愉快さで何とも言えない表情を作る。
 それで少しばかり溜飲が下がったラン=ディアはくすくすと笑いをこぼして、再びバツが悪そうなユルングルを視界に入れた。

「シスカにとって貴方は息子同然なのですよ。少しばかり無茶が過ぎるのも許して差し上げてください」
「むす…!…………息子、か……?」

 実年齢は四十過ぎなのだろうが正直あの見た目で言われてもピンとこない、と言わんばかりにユルングルは小首をかしげる。
 まあ、どう見てもせいぜい弟が関の山だろう、とラン=ディアも内心思ったが苦笑するに留めた。

「…あいつに借りばかりできるな」

 ややあってから、ユルングルはため息と共にぽつりと言葉を落とす。

 こうやって周りから聞かされるほどに、自分の人生にとってダスクがいかに大きな存在であったかを思い知らされる。暗殺者から命を救われただけではなく、神官としても何度もダスクに命を救われたのだろう。そして、この先一緒に行動する限り、これからもダスクに命を救われ続けるのだ。
 それを思うと情けないやら申し訳ないやらで、ダスクに頭が上がりそうにない、と思う。

 ラン=ディアはそんなユルングルの心情を察したのか、小さく息を落とした。

「…シスカはそもそも貸しだなどと思ってはおりませんよ」
「…それはそうだが……いや、むしろ恩着せがましくふんぞり返ってくれる方が、いっそ気が咎めなくて済むな」
「……貴方もたいがい厄介な性格をなさっておいでですね…」

 同じ穴のむじなだろうか。

 少しは機嫌が直った様子のユルングルを見止めて、ラン=ディアはやれやれ、と息を吐きながら小さく微笑んだ。

「…彼らを迎えに上がりましょうか?」

 控えめに、そう提案する。
 当然首を縦に振るだろうと思っていたラン=ディアのその提案に、ユルングルは何やら思案するように目線を落として顎に手をかけた。そうして、ややあって答える。

「……いや、いい」
「……?」

 今までのように意固地になっている様子ではないことに、ラン=ディアは訝しげな視線を向ける。

「…向こうにいてくれる方が何かと都合がいい」
「都合…ですか?」
「この時期に皇宮に潜り込めたのは悪くないな。それもラジアート帝国皇弟の連れなら、おいそれと手は出せないだろう」
「………?一体何の話をされているのです?」

 意を得ず小首を傾げるラン=ディアをよそに、ユルングルはにやりと笑う。

「…いや、こっちの話だ」

 時折、ユルングルが教皇のように感じるのは気のせいだろうか。
 こちらでは解する事の出来ない事を、時折口にすることがある。まるで彼には未来が見えているかのように。
 おそらく彼には、すべてを見通す教皇と同じものが見えているのだろう。だとすれば、自分がすることは一つしかない。

 ラン=ディアは威儀いぎを正して、おもむろに深くこうべを垂れた。

「ユルングル様の仰せのままに」

**

 仏頂面で眉間にしわを寄せているゼオンに、シスカは懇願するように笑みを落とした。

 白宮に到着してからゼオンに出会う前に意識を失って倒れたシスカは、丸二日眠ったままゼオンのベッドを占領した。もちろんゼオンが怒っているのは、そのことではない。
 何に対して怒っているかを重々承知しているから、なおさらシスカは愛想笑いをするしかなかった。

「…無理が通れば道理が引っ込むとでも思っているのか?」
「…いいえ、まさかそのようなことは……」
「お前は一体いくつになったら無茶をせずに落ち着いていられるんだ?」
「……それは……おれにも判りかねます…」
「俺ならラン=ディアのように説教しないと思ったか?」

 思った、とはさすがに言えない。

 バツが悪そうに視線を逸らすシスカを視界に入れながら、ゼオンはことさら盛大にため息をいて頭を掻いた。

「…いい加減、周りに心配をかけるな、シスカ」
「…判ってはいるのですが、今回ばかりは引くに引けないのですよ…」

 貴重な万有の血が、自分の中にあるのだ。たった一滴すら無駄にはできない。
 ゼオンは未だ蒼白な顔をしているシスカを見て取ると、呆れたのか諦めたのかどちらとも取れないため息を落とす。

「…今の時点で、どれだけ取った?」
「…約1100です」
「…あと100ほどだな?」

 シスカは黙したまま頷く。
 彼と話すときは余計な説明が省けるから正直楽だと思う。特に今のように話すことすら億劫な時は、助かる事この上ない。

 ゼオンはベッドに横たわったままのシスカの顔色をしばらく窺った後、おもむろに口を開いた。

「…正直に言え。今から取れるか?」
「……!」
「必ず期間内には採血してやる。だから無理なら必ず言え。…どうだ?」

 ゼオンのその問いかけに、シスカは蒼白な顔ににやりと笑みをこぼす。

「……いけます…!」

 ゼオンは頷くと、後ろに控えているアルデリオにちらりと視線を向けた。

「アル、すぐに採血と輸血の準備をしろ」
「……!輸血は判りますが…!この状態の先___ダスクさんから採血するんですかっ!?」
「たった100だ。さっさと採血を済ませて輸血する方が、こいつの体の負担も少ない。あのラン=ディアでもそう判断するだろう。…違うか?」

 問われたシスカは、何でもよく判るものだ、と半ば呆れたように笑みを落としながら頷く。それを見た後でもアルデリオは、なお不安げな、そしていかにも納得のいかない表情で二人を見据えた。

「アル、言われた通りにしろ」
「……!……承知いたしました…っ!」

 何か言いたそうに口を開きかけたが、結局口を噤んで、半ばやけくそに踵を返すアルデリオの背中に、ゼオンはやれやれ、と小さく息を吐いて物憂ものういそうな視線を向けた。

「…上手くやっているみたいですね」
「…普段は何でも意に介さないような飄々とした態度を取るくせに、お前が絡むとまるで駄々っ子だ」

 言って、ゼオンはアルデリオが去って行った扉を視界に入れながら、呆れたような困惑したような表情を取って頬杖をつく。その姿はまるで息子を心配する父親のように、シスカには映った。

 アルデリオはラジアート帝国のリカヴァリー侯爵家、長男として生まれた。
 だが嫡子ではない。庶子___いわゆる私生児だ。
 屋敷内でも外でも居場所のなかったアルデリオは、その苛立ちから素行が悪く、なおさら周りから孤立していった。なまじ高魔力者なだけに、周りの大人たちは手に余って匙を投げだし、放任と言う名の養育放棄をした。
 それを見かねて拾ったのがゼオンだった。

 拾ってくれたゼオンに恩義を感じたのかは定かではないが、アルデリオはゼオンの言う事には大人しく従った。従った結果、半ば強制的にシスカの元に約一年間、預けられたのだ。

「少し甘やかし過ぎたんじゃないのか?」
「…そんなことはありませんよ。少し厳し過ぎたくらいです……」

 シスカの元には、医学と貴族としての礼儀作法や立ち居振る舞いを学びに来た。
 体の弱い自分の侍従にするつもりだったゼオンは、アルデリオに医学の知識を求め、結果ゼオンが頼ったのはやはりシスカだった。
 何度も何度も断わりの文を寄越してくるシスカに業を煮やしたゼオンは、シスカの承諾を取らずにアルデリオを無理やりシスカの元に寄越したのだ。まさか13の子供を突っ返すわけにもいかず、シスカは不承不承と受け入れるしかなかった。
 以来、アルデリオは十四年経った今でもシスカを先生と呼んで人懐っこい笑顔を向けてくれている。

「……甘やかしたのはダリウスでしょうね…」
「…あれは誰でも甘やかすな」
「…そういう性分なのでしょう…」

 くすくすと笑ったところで勢いよく扉が開いて、アルデリオが両手いっぱいに採血と輸血の道具を持って現れる。

「取るなら早く取ってしまいましょう…!それが終わってすぐ輸血すれば、ダスクさんの顔色もよくなりますから…!」

 てきぱきと準備を進めるアルデリオを視界に入れて、ゼオンは、変わり身の早い奴だ、とくつくつと笑いを落とした。

**

「どうだ?気分は」

 採血と輸血が終わって、ずいぶんと顔色がよくなったシスカに、ゼオンは声をかける。

「…ええ、ずいぶん楽になりました。この分だと明日には動けそうです」
「馬鹿を言え。最低でも二日は休んでもらうぞ」
「おれはこれでも高魔力者ですよ?」
「関係あるか。休めと言ったら休め」

 体を起こそうとするシスカの体を、ゼオンは寝てろと言わんばかりに無理やり突き飛ばして横にさせる。
 輸血したことでかなり体が楽になったシスカは、この状態で寝たままなのは重病人になった気がして逆に落ち着かない、とせめてクッションに身を預けて座位を保持した。

「…おれの周りには心配性な方ばかりですね」

 ラン=ディアをはじめ、ダリウスにユルングル、そして今目の前にいるゼオンも例外ではない。
 ただ他と比べて、まだ無茶を容認してくれるだけ幾分ましだろうか。

「お前が無茶ばかりするからだろうが」

 それには聞こえないふりをする。
 ゼオンは呆れたようにため息を落とすと、つい先ほど採血した万有の血を手に取った。

「…で?これはどうするつもりだ?アルにでも届けさせるか?」
「いえ、陛下にお願いしますよ。どうせあの方の事だから、またユルングル様のところに行かれるおつもりでしょうし」

 まさかの提案に、さしものゼオンも目を丸くする。

「お前…!…仮にも皇王を小間使いに使うつもりか…?」
「人聞きの悪い…!ついでに持って行ってくださるようお願いするだけでしょう…!」

 シスカは心外だと言わんばかりに眉根を寄せて、ゼオンはそんなシスカに呆気を取られたように呆然とする。
 そう言えば昔もよく、シスカに頼まれた、と皇宮内を練り歩くシーファスの姿を幾度か見たことがある。あのシーファスを小間使いに使えるのは、ファラリスを除いてシスカただ一人だろう、とゼオンは感心を通り越して呆れた視線でシスカを視界に入れた。
 そんなゼオンの内心を知ってか知らずか、シスカは全く意に介さず、ふと思い出したように問いかけた。

「…そういえば、ユーリシア殿下とユーリはどうされていますか?」

 体が楽になって頭が働き始めたのか、シスカはようやく巻き込んでしまった二人の存在に思い至る。

 怒りと焦りで、つい二人を巻き込んでしまった。
 しかも巻き込んだ張本人のくせに、この二日意識を失って放置したままだ。
 意図して放置したわけではないが、さすがに申し訳ない、とシスカは小さく自嘲のため息を落とす。事情を知っているゼオンや皇王がついていてくれたことは、不幸中の幸いだろうか。

 その質問に、ゼオンは当然のようににやりと笑って答えた。

「…ああ、なかなか面白い事になってるぞ」

 状況を聞いたシスカが慌てて部屋を飛び出したのは、その数分後の事だった。



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