銀の皇太子と漆黒の聖女と

枢氷みをか

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第一章 始まり 第二部 中央教会編

討議会

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「一体どうなっているんだ!なぜ未だに何も判らない!?」

 しんと静まり返った聖堂の中を、一人の怒声と卓子たくしを叩く音が響き渡っていた。
 声の主は南の辺境に位置するカルディア群島国家の王弟ガルーダ。恰幅のいい体つきで、いつも不平不満を怒鳴り散らすユーリシアの最も苦手とする人物だ。

 今日も討議会が開始されて早々ずっと一人で怒鳴り続けるものだから、他の出席者はまたかと辟易していた。

 このような会議では基本的に顔触れが変わる事はない。他国との交流の場としての意味もあるため王族や統治者が出席を義務付けられているが、当然同じ出席者の方が効率がいいため暗黙の了解となっている。
 一番最近で顔触れが変わったのは三年前。フェリシアーナ皇国とその隣に位置するアトラス公国だ。共に皇王、大公の跡継ぎである皇太子、王子がその任に就いた。

 その時から変わらず不平不満を口にするので、比較的新参者である二人にとってもお馴染みの光景だった。

「神官たちはちゃんと調査しているのか!まさかわざと見過ごしているんじゃないだろうな!」

 次第に怒声が不平不満から罵詈雑言に変わり誰もが不快に思ったその時、すかさず誰かが卓子を思いきり叩く音が鳴り響いた。皆が一様に驚き、あれだけ怒声を上げていたガルーダも面食らって閉口してしまった。

「…ガルーダ殿。それは教会に対する侮辱と捉えるが構わないかね?」

 威圧的な態度でそう告げる大司教筆頭の手には、先ほど卓子に打ち付けたであろう分厚い冊子が握られていた。あまりの形相にしものガルーダも畏縮し無言で椅子に腰を下ろす。
 それを見届けて大司教筆頭は小さくため息を落とした。

「…皆が不安に思うのも仕方がない。魔力の枯渇はゆっくりだが確実に進んでいる」
「そうだ!一番被害を被っているのは我々辺境国だぞ!」

 またしても怒声を上げるガルーダを、大司教筆頭は目線で黙らせる。

 ガルーダが怒鳴りたくなる気持ちも判らなくはないと、その場にいた誰もが思っていた。
 魔力の枯渇は辺境の土地に多い。
 それは各国の都市や人里から離れた僻地という意味だが、群島諸国であるカルデディアや、国のほとんどが極寒の地で形成されている北に位置するリリース公国などはそれが顕著だった。

「…神官たちも調査を進めているのだが、何も判らないのが現状だ」
「枯渇が進む土地の神殿はきちんと機能しているのですか?」

 そう問うたのは東に位置するヒギリ共和国の最高議長の娘イオリだ。独特な民族衣装に身を包み、若いながらも常に凛とした態度で臨むその姿勢には誰もが一目置いていた。

「…機能はしている。だがそこから排出されている魔力の量は極端に少ない事が確認された。あれでは役目を果たしているとは到底言えないだろう」
「!やはり神殿が悪いのではないか!」

 すかさず罵声を浴びせるガルーダを、イオリは鋭い眼差しで睨みつけた。

「少しは黙って会議を聞く事もできないのですか!今は責任を誰かに押し付ける場ではないでしょう!」
「………くっ」

 あまりに正論でガルーダは返す言葉もなく押し黙る。
 そんな二人のやり取りを見て、くつくつと笑う声が聞こえた。

「…ああ、すまない。続けてくれ」

 笑いながら悪びれる事もなくそう言い放ったのは、国力で言えばフェリシアーナ皇国と並ぶ大国のラジアート帝国皇弟ゼオンだ。

 ユーリシアはこのゼオンという男が初見から気に入らなかった。
 年はユーリシアよりもはるかに上だったが、いつも飄々としていて会議に出席しているにもかかわらず、いつでも我関せずな態度がユーリシアの嫌悪感をひどく刺激した。それが判って何かとユーリシアに絡んでくるものだから、なおさら不愉快極まりなかった。

「皆、静粛に!…確かに神殿からの魔力供給が滞っているのは確かだ。だが神殿に不備がない事も確認している。その原因を調査しているが未だ判ってはいない」

 そこまで告げた後、ひと呼吸あけて大司教筆頭は意を決したように言葉を続ける。

「…教皇様のお話だと、聖女様にはもう魔力を創造する事がお出来にならないのではとおっしゃられていた」
「……!?」

 あまりの事態に誰もが驚き言葉を失った。
 これは笑い事ではない。土地のみならず人でさえ魔力がなければ生きてはいけないのだ。これから先、魔力が供給されなければこの世界は確実に滅ぶだろう。

 誰もがいずれは解決すると思っていただけに、大司教筆頭の言葉はあまりに衝撃的で事の重大さを、まざまざと思い知らされた。

(……やはりまだ伝えるべきではなかったか)

 皆の顔色を窺い、ため息を落として大司教筆頭は己の失策に頭を抱えた。
 この事態は自国がどうだと言っている場合ではない。すべての国が協力して当たらねば文字通り滅びを待つだけだろう。だからこそ告げたのだが、誰もが言葉を失い発言する気力もないように見受けられた。これでは会議が進まない。

 何とか議会を進行させようと口を開きかけた大司教筆頭を尻目に、そんな静寂を一人の男が打ち破った。

「…聖女様に直接尋ねたらどうだ?確かどこぞの国で聖女様がご降臨なさったと聞いたが…はて?どの国だったか…」
「……!」

 そう言ってあからさまにユーリシアに目線を向けたのはゼオンだった。

(……この男…っ!)

 途端に周りがざわつき始める。

「…一体何の話だ?」
「聖女様がご降臨された…?」

 ミルリミナに聖女が宿った事は自国のみの公然の秘密とし、他国には一切情報がいかないよう箝口令かんこうれいを敷いていた。それはユーリシアの独断ではない。今はまだ伝えるべきではないという教会の判断によるものだったが、このような形での暴露はフェリシアーナ皇国が故意に聖女の存在を隠していたと疑われても仕方のない状況だった。

 この男は全て知っていたのだ。知っていて暴露する好機を窺っていたのだと悟って、ユーリシアはゼオンをねめつけた。

「どの国だったが存じ上げないか?ユーリシア殿」

 ゼオンの好戦的な態度に、周りに人間が次第に気付き始める。

「ユーリシア殿!ご説明いただきたい!聖女を故意に隠していたのか!?」

 当然最初に怒声を上げたのはガルーダだった。続いて同じように声を荒げる者や、イオリのようにただ静かに成り行きを見守っている者もいたが、皆一様に答えを待っているのだけは見て取れた。

 その現状に頭を抱え、助け舟を出したのは大司教筆頭だった。

「皆、静粛に!誤解のないように言っておくが、聖女様がご降臨された事を伝えないよう判断を下したのは我々教会だ。ユーリシア殿を非難するのはやめていただきたい。そして聖女様の身柄は今、ここ中央教会にある。その点だけは重々心に留め置いてもらいたい」

 聖女の保護は完了し、フェリシアーナ皇国に聖女を隠す意図はない事を強調する。聖女であるミルリミナの詳細を伏せたのは、余計な混乱を避けるための大司教筆頭の判断だった。

「大司教筆頭。よろしいですか?」

 手を上げ発言の許可を乞うたのは、西に位置するトランティス王国の王マクリアンだ。瘦身な男で、アクの強いこの面子の中にあって唯一常識人ともいえる人物だった。

「できればユーリシア殿から直接詳細をお聞き願いたい。ご本人の口から説明いただかない事には彼らも納得しないでしょう」
「…その通りでしょうね」

 真っ先に賛同したのは、他でもない当事者であるユーリシアだった。
 皆が見守る中、動揺する事もなくゆっくりと目線を大司教筆頭に向ける。

「大司教筆頭。お心遣い感謝いたします。ですがマクリアン殿のおっしゃるとおり私の口から説明したほうがよろしいでしょう」

 その毅然としたユーリシアの態度に内心面白くない男が一人いた。
 ゼオンだ。

(……つまらんな)

 ゼオンはただ、皆に責められて慌てふためくユーリシアの姿が見たかった。
 いつも表情を変える事なく冷静で堂々たる風格を決して崩さないユーリシアが、ゼオンは気に食わなかった。

 いつかあの涼しげな表情を崩してやりたい。そう画策していたところに聖女降臨という爆弾が手に入った。これを使えばあの皇太子に一泡吹かせられるだろう。そう思って最高の時宜じぎを見計らって降下させたが、忌々しい事に不発に終わった。

 皆に責められても眉一つ動かさず、じっと前を見据えてたじろぐ事すらなかった。正直この男の精神は鉄でできているのではないかと馬鹿な考えがよぎる。
 そしてそう思えば思うほど、より一層ユーリシアを動揺させたいと思ってしまうのだ。

(…まあいい。もう一つ爆弾はある)

 だがそれも同じく不発に終わる。

「…ゼオン殿がおっしゃったとおり、我が国に聖女リシテアがご降臨されました。今は我が婚約者ミルリミナ=ウォーレン公爵令嬢の体に宿っております」
「……!婚約者…!?」

 再び議会がざわつき始めた。
 それも当然だろう。教会と国との癒着は絶対禁止事項だ。聖女との婚姻はその最たるものと言っても過言ではない。だからこそあえて伏せていたのに、と大司教筆頭は唖然とした。

「…何も今伝える事ではないだろうに……」

 大司教筆頭は頭を抱え、思わず本音が口をついて出る。

「隠せばまた誤解が生じましょう。……何より、ご存じの方もいるようですので」

 言ってユーリシアは、ゼオンに冷たい視線を送る。
 ゼオンはもう一つの爆弾も不発に終わって、忌々しそうに舌打ちした。

「もちろんその婚約は破棄したのだろうな!」
「破棄?なぜです?彼女は聖女になる前からの婚約者です。何も問題などないと存じますが」
「問題がないわけないだろう!聖女との婚姻など完全な癒着だろうが!」
「私は聖女と婚姻するわけではありません。ウォーレン公爵令嬢と婚姻するのです」
「それは詭弁です。婚約者の方に宿ってしまった事は不運だと存じますが、一つの国が聖女を独占してもいい理由にはなり得ません。決して犯してはならない領域です」

 ガルーダの意見にイオリも同調する。
 いや、イオリだけではない。おそらくここにいる誰もが同じ意見だろう。

「…婚約は解消すべきでしょう。特にこのような局面に立たされているのです。聖女のお力がどうしても必要になる。その時に一つの国に縛られては身動きも取れぬでしょう」
「そうだ!それとも自国だけ助かればいいとでも思っているんじゃないだろうな!」

(!……皆、勝手な事ばかり…っ)

 あまりの暴言にさしものユーリシアも平常心を保てなくなった。
 ガルーダだけではない。皆一様に婚約解消を口にすることが何より許せなかった。

 聖女を独占しようなどと微塵も思った事などない。ましてや聖女としての役割を制限するつもりもない。他国に必要であればいつでも聖女と共に向かう覚悟もある。

 どれほど望んだが知れない。それほど彼女を欲した。そしてようやく手に入れたのだ。彼女との唯一の繋がりである婚約を、何も知らない者たちが簡単に解消しろと口にする身勝手さがユーリシアにはたまらなく不愉快だった。

「おい!何とか言ったらどうなんだ!」

 ガルーダの怒声とほぼ同時に、ユーリシアは卓子を思いっきり叩いて見せた。

「ならば今すぐ聖女を引き剝がすすべを探してこい。それができれば聖女などいつでもくれてやる。だが、彼女だけは絶対に誰にも渡さない!」

 聖堂内がしー…んと静まり返る。おそらくその場にいた誰もが我が耳を疑っただろう。

 これがあの品行方正で決してその態度を崩さないと謳われた皇太子だろうか?
 いつもの穏やかな声音ではなく恐ろしいほど声は低い。その鋭い目の奥には異様なほどの憎しみが込められていた。そして勘のいい者であれば今この場に流れる魔力を感じて、恐れおののいただろう。

 これは殺気だ。

 ユーリシアの魔力が殺気となって聖堂全体を覆いつくしている。
 おそらくこの場にいる全員が束となってもユーリシアには敵わないだろう。それほどユーリシアの持つ魔力が甚大である事を誰もが痛感し、慄いた。

(……ほお、これは面白い)

 そんな中、ゼオンだけは一人ほくそ笑んでいた。

 できれば無様な姿を見たかったが、これはこれで愉快な光景だ。品行方正と言われた皇太子が、ここまで殺気を露わにしているこの光景がひどく滑稽で、それでもなお身震いするほど魅惑的だとゼオンは思った。

(…ぞくぞくするな)

 あの顔がもっと歪む姿を見てみたい。闇に落ちればもっと楽しいだろう。
 あの皇太子の鉄の心を唯一動かすミルリミナ=ウォーレンという存在に、ゼオンは強く興味を引かれた。

「…おやおや、どうやら殿下は彼女をとても大事に想われているようだね」

 まるで凍えた空気を一瞬で溶かすように、穏やかな声が聖堂内に響き渡る。見れば聖堂の入口に教皇ギーライルの姿があった。

「…教皇様…!」

 皆が一斉に立ち上がり、教皇ギーライルにこうべを垂れて礼を尽くす。

 各国の王族や統治者が即座に頭を下げるほど、教皇の地位は高い。
 いや、そもそもが同列に扱うべき存在ではないのだ。教皇という位は神に近しく、礼を尽くすのは神に対する崇拝に近い。

「ああ、構わんよ。楽にしておくれ。少し様子を見に来ただけだ」

 そう言って歩みを進める教皇に、大司教筆頭は己の席を明け渡す。

「さて…聖女様の宿ったくだんの少女だが、彼女には魔力を創造する力はない。大司教筆頭からも話はあったと思うが、そもそも聖女様にはもう魔力を生成するお力が残っておられないのだろう。…いや、そうではないな。そもそも聖女様は魔力など創造しておられないのやもしれんなあ」
「……!どういうことです!?」
「なに、ただの老いぼれの私見だよ」

 ざわつく聖堂内を教皇の笑い声が軽く受け流す。だが教皇の私見は私見ではない事を、この場にいる誰もが知っていた。明言を避けたのは何かしらの意図があるのだろう。

「彼女には確かに聖女様が宿っているが、聖女様ご本人ではない。ただ『聖女様が宿っている』という付加価値がついただけの、普通の心優しいご令嬢だ。よって教会は彼女を聖女と断定せず、婚約解消も必要なしと判断した」
「……!」
「今後彼女に何かしらの変化があればまたその判断も変わろう。だが、今は必要ない。…異議申し立てはあるかな?」
「………」

 皆一様に不満な顔や納得のいかない顔をしてはいたが、教皇の決定を覆せる者はいないに等しい。不服ながらも沈黙を持って承諾の意を表す。

 ユーリシアは教皇に視線を向け、軽く頭を下げ謝意を伝えた。それを見受けて教皇は笑顔で頷く。
 あれほど荒れていた議会が嘘のように静まり返り、また別の意味でいい緊張感が聖堂を支配した。それほど教皇の存在は影響力が強い。

「…ふむ。では、今後の事を話し合おうか」
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