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第一章 始まり 第四部 リュシアの街編
リュシアの街 ゼオン編
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リュシアの街は、小さいながらも活気に溢れていた。
その一つ一つは小さいが、様々な店舗が軒を連ねている。皇都フェリダンに比べれば当然その品揃えは悪く数も少なかったが、それでも最低限必要な物は全てここで手に入れられる、といったふうだった。
目を向ければ、その家屋のほとんどはひび割れ、まともな佇まいのものは一つとしてない。だが、それでもそこに住まう者たちの心は真っすぐでむしろ清々しい。そう思えるような活気ぶりに、ミルリミナはすっかり舞い上がっていた。
ミルリミナが命を落とし、そして聖女の力で再び命を吹き返してからふた月あまり。その間、皇宮内や教会内など限られた空間で過ごす事の多かったミルリミナにとって、街を自由に歩くのは、ひどく心が躍った。
「リュシアの街にはお店がたくさんあるんですね!」
「これを作ったのもユルンとダリウスなのよ」
はしゃぐミルリミナにそう答えたのは、モニタだった。
「…お二人が?」
「フェリダンに行くとどうしても私たちは虐遇の対象になるでしょ?昔は怪我をして帰ってくる者も少なくなかったわ。だったらリュシアの街の中で全てが揃うようにって、店をたくさん作ったのよ」
街に関わる話をすると、必ずと言っていいほどこの二人の名前が挙がる。そのほとんどはここに住まう者たちを慮った革新ばかりで、街の根底を作り上げた英雄さながらに慕われているのだろう。それはモニタや工房の職人たちの言葉の端々から見て取れた。
「それにしても…」
わずかに言い淀んで、モニタはミルリミナの全身を見定めるように見回す。
男装を、と言われたのでモニタはミルリミナに合いそうな服をとりあえず拵えてみた。無地の白いシャツに、膝上の左右に大きなポケットがつけられた茶色のカーゴパンツ。そしてそれをサスペンダーで吊って、長い黒髪を結わえさせ大き目のキャスケットに入れて被らせた時は、いかにも男装した少女という印象だったが、今目の前にいるのは紛う方なき少年だ。
「…ミルの面影は何一つないわねぇ」
感嘆して、モニタは何度も頷く。
「そんなに違うんですか?」
聞いたのは、自分では全く認識できなかったからだ。首飾りを付けて鏡の前に立ってみたが、そこに映ったのは杖をついた男装した自分の姿だけだった。どうやらこれは、自分では変化した姿を見る事はできないらしい。
「違うも何も、全くの別人だもの。声まで違って聞こえるから不思議だわ」
「どんな少年なんですか?」
問われてモニタは、適した言葉を探すように視線を右上に流す。
「そうねぇ。髪色はユルンの髪を少し明るくしたような黒髪かしら。体躯はきっとミルの体が元になっているのね。少し華奢だけど適度に日焼けしてとても健康そうよ。顔立ちは目鼻口がはっきりとした活発な少年って感じかしら。でもとても綺麗な顔立ちね────少しユルンに似てる」
訊いてはみたものの、どうも自分と外見がかけ離れ過ぎて、いかにも想像しがたい。だがどうやら完璧なまでに少年のようなので、女言葉が出ないように注意を払った方がいいだろう。こういう時は敬語であった事がひどく救われた気分だった。
「名前を決めなくちゃね」
唐突に言われて、ミルリミナは一瞬、意を得ずきょとんとする。
「名前よ、名前。ミルじゃ女の子だもの。少年の名前を決めなくちゃ。何かつけたい名前はある?」
訊かれたミルリミナは、真っ先にある名前が浮かんだ。
「…ユーリ」
「え?」
「ユーリがいい…」
頬をわずかに紅潮させ、気恥ずかしそうに告げたミルリミナの姿を、モニタは微笑ましそうに見つめる。誰から取った名前かは、あえて聞くまでもない。
「いい名前じゃない」
モニタは、はにかむミルリミナの背中を軽く叩いた。
**
「もう諦めたみたいですねえ」
低魔力者の街を歩きながら、そう暢気な声を上げたのは、ゼオンの従者アルデリオだった。
数日前まで皇国の諜者らしき人物が数人、ずっと纏わりついてひどく落ち着かない気分だった。それが十日を過ぎた辺りでぴたりと止んだ。何度もここ低魔力者の街に誘導したが、結局手掛かりが掴めず諦めたのだろう、というのがアルデリオの見解だった。
「…まあ、あれだけ敵意むき出しじゃあ、見つけられんだろうな」
ゼオンはくつくつと嘲笑する。
彼に誤認誘導する気は一切なかった。聖女がここにいるという情報に嘘はないし、むしろ親切に教えてやったという気分だ。だが、決して見つかることはないという事を、ゼオンには判っていた。
「統括もお人が悪いですよ。わざわざあんな挑発までなさって」
いかにもどうでもよさそうに、アルデリオは言い放つ。斜に構えたゼオンのこと、いちいち反応していたら彼の従者など務まらない。なので、とりあえず通り一遍の言葉だけは伝えてみた。
「ようやくあの皇太子の弱点が判ったんだぞ?突かなくてどうする」
困った性癖だと、アルデリオはため息を落とす。
ゼオンは特別ユーリシアを嫌っているわけではない。気に入らない、と口にしてはいるが本心ではない事をアルデリオは承知している。有能な人間を好むゼオンのこと、むしろユーリシア本人は甚く気に入っているのだろう。
気に入らないのはフェリシアーナ皇国の皇太子という立場だ。ゼオンはこの国をひどく嫌悪していた。自身も低魔力者である為、魔力至上主義の考え方が癪に障るのだろう。
有能な人間として好む感情と、毛嫌いする皇国の皇太子という立場。相反する感情が一人の人間に集中しているからひどく厄介なのだ。ただ毛嫌いしているだけなら避ければいい。ひたすら無視して、いない者だと思えば済む話だ。だが気に入っている手前、どうしても無視できない。何かあるたびに気を引こうと無駄に干渉したがる。だが、ただ干渉するだけでは忌々しい。結果、ああいう態度に繋がるのだろう。
(…ユーリシア殿下にはお気の毒な話だな)
ユーリシアが悪いわけではない。ただ有能な人間である事と、皇国の皇太子という立場が重なったのが不運なのだ。あるいはどちらか一方であれば、これほど苦労しなかっただろうと思う。
心底同情する、とアルデリオは小さく息を吐いた。
「…それで?もう諜者はいないようですし、今日は彼らに会うおつもりですか?」
「そうだな。聖女にも一度会ってみたい」
言ったところで、ふとゼオンの踵に何かが当たる感触があった。目線を足元に向けると、どこから来たのか林檎が一つ、ゼオンの踵で丁度止まったところだった。
「…林檎……?」
「すみません!」
怪訝に思って林檎を拾い上げたと同時にそう声をかけられ、ゼオンは声の主を振り返る。そこには杖をついてはいるが、快活そうな少年がしきりに手を振って駆け寄ってくる姿があった。
「申し訳ありません!林檎を落としてしまって…」
「随分たくさん買ったんだな」
笑いながら、ゼオンは手に持っている林檎を少年が持っている大きな紙袋に入れてやる。大きなキャスケットから見える、無垢な瞳が印象的な少年だった。
少年はそれを見届けてから見た目通りの明るい謝意を伝えると、わずかばかり逡巡しながら何かを伝えたそうな仕草を見せた。
「…どうした?」
「あ、あの…この街にはお詳しいですか?」
質問の意を推察できず、ゼオンは首を傾げる。
「…まあ、それなりには判るが」
「…実は連れとはぐれてしまって…。申し訳ありませんが『フォーラ・ジュール』という店を探しているのですがご存じですか?」
そういうことか、とゼオンは頷く。
「ああ、判る。送ってやろう」
「い、いえ!道を教えていただければ自分で行けます!」
「あの店はここから遠い。おまけにかなり入り組んだ所にある。また迷うぞ」
それでも申し訳なさそうに困惑する少年の手から、紙袋を半ば無理やり奪う。
「遠慮するな。杖をつきながらこの荷物は難儀だろう。人の厚意は素直に受け取れ」
にやりと笑って先を促すように進むゼオンに、少年は困惑しながらも謝意を伝えて慌てて後を追った。
「悪いね。この人の親切心は少々強引で」
アルデリオは、とりあえず主の強引さを詫びる。
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
「少年はこの街には住んでいないのか?」
「…あ、いえ。越してきたばかりで…」
少年の返答は妙に歯切れが悪い。わずかばかり怪訝に思ったが、この国の低魔力者への強い風当たりを考えれば、何かしらの事情があるのだろう。おそらくは、杖をついている事情もそれと同じなのかもしれないと、アルデリオは思った。
「…その足、高魔力者とやらにやられたのか?」
同じ事を思ったのか、そう不躾に尋ねるゼオンに、さすがのアルデリオも慌てて窘める。
「統括!それは露骨すぎですよ!…もう少し言い方を改めてください」
「…統括……?」
アルデリオの口から漏れた呼称をさも不思議そうに、少年は口の中で小さくそう呟いて小首を傾げた。
ラジアート帝国の人間は、ゼオンを決して『殿下』とは呼ばない。ゼオンは間違いなく現皇帝の弟だったが、その敬称は『殿下』ではなく、役職の『統括』だった。それはゼオンがすでに皇位継承権を放棄したからに他ならない。現皇帝に子がいなかった頃は、それでも有事の際は次期皇帝の座が待っていたが、子がいる今その可能性は皆無だ。そして、それはゼオンが望んで手放した事も、アルデリオは承知していた。
「統括ってのはこの人の役職。便宜上そう呼んでるんだけど、まあ気にしないで」
よく判らない、といったふうだったが、それでも少年は意を汲んで頷くと、返答を待っているゼオンに視線を向けた。
「この足は…生まれつきです」
その返答に、ゼオンは満足げに頷くと、そうか、と短く返事をする。
「『フォーラ・ジュール』といえば工房の職人たちが扱う工具なんかを卸している店だったな。少年も工房で働いているのか?」
「…え?そう、なんですか?…すみません、連れが迷ったらここにって教えてもらった店なので……でも、はい。工房で働いています」
「…そうか。あの工房ができてこの街は劇的に変わったからな。あのお人よしのおかげで、暮らし向きはあまり良くならないようだが、それでも活気は出てきた。…悪くない変化だ」
毛嫌いする皇国の中でも、ゼオンはこの低魔力者の街だけは気に入っているようだった。いや、正確には昔の陰気な雰囲気だった頃は、やはり同じように毛嫌いしていたようだったが、それでもわずかばかり気にしている様子ではあった。それが変わったのは一人の少年と金髪の青年が現れた八年前の事だったと、アルデリオは記憶している。少しずつ変わっていくこの街の変化をゼオンは嬉々として眺め、皇国に来れば必ずここに通うようになった。おかげでこの街のことは誰よりも詳しい。
「…ユルンさんをご存じなんですか?」
「…少年も知っているのか?」
少し怪訝そうに、ゼオンは訊き返す。『お人よし』という単語だけでユルングルを彷彿するという事は、それなりに親しい証拠だ。だが少年は越してきたばかりだと言った。あの警戒心の強いユルングルが、おいそれと心を開くとは思えなかった。
「…まあ、あの男は工房が好きだからな」
ひとりごちたゼオンの言葉に、少年は反応する。
「はい、毎日のように工房に通ってきます。よくご存じなんですね」
どうやらゼオンの言葉を、親しい、と判断したようだ。今までは少し警戒して遠慮がちだった少年は、ひどく安堵しているように見える。その純粋なまでに素直なところが、ユルングルの警戒心を解いたのだろう、とゼオンはひとまずそう解釈する事にした。
「ほら。ここが『フォーラ・ジュール』だ」
言って、手に持っていた紙袋を少年に返す。少年はそれを受け取ってから深々と頭を下げた。その瞬間、胸元でわずかに光った何かを、ゼオンは見逃さなかった。
「ありがとうございます!…あの、よかったらこれ…」
言って少年は紙袋から林檎を二つ差し出した。
「こんな事ぐらいしかお礼ができなくて…」
「いいのか?なけなしの金で買ったんだろう?」
「統括。だから言い方!」
ゼオンを肘でつつくアルデリオを、くすくすと笑いながら少年は満面の笑みを向ける。
「ぜひ受け取ってください。お二人は恩人ですから」
元気に手を振って見送る少年を背に受けて、アルデリオは小さく手を振り返しながら言葉を落とした。
「可愛らしい少年でしたね」
「少女だ」
「…え?」
「あれは少女だ。諜報員ならもう少し目聡くなれ、アル」
「え…でも…?」
困惑しながら、もう小さくなった少年とゼオンの顔を、アルデリオは何度も互替わりに見た。彼はどう見ても少年にしか見えない。確かに体躯は華奢ではあったが、男特有の角ばった体の線は決して少女にはないものだ。彼が少女など誰が想像できるだろう。
だがゼオンには確信があった。
先ほどわずかに見えたオパールの首飾り。あれはラジアート帝国の皇族にのみ伝わる変化の宝珠にひどく酷似していた。あれの構造を教えたのも、それを己の魔力で作れるのもゼオンが知る限り一人しかいない。
ゼオンは一人小さく不敵な笑みをこぼす。
「やはり生きていたか。シスカ」
その一つ一つは小さいが、様々な店舗が軒を連ねている。皇都フェリダンに比べれば当然その品揃えは悪く数も少なかったが、それでも最低限必要な物は全てここで手に入れられる、といったふうだった。
目を向ければ、その家屋のほとんどはひび割れ、まともな佇まいのものは一つとしてない。だが、それでもそこに住まう者たちの心は真っすぐでむしろ清々しい。そう思えるような活気ぶりに、ミルリミナはすっかり舞い上がっていた。
ミルリミナが命を落とし、そして聖女の力で再び命を吹き返してからふた月あまり。その間、皇宮内や教会内など限られた空間で過ごす事の多かったミルリミナにとって、街を自由に歩くのは、ひどく心が躍った。
「リュシアの街にはお店がたくさんあるんですね!」
「これを作ったのもユルンとダリウスなのよ」
はしゃぐミルリミナにそう答えたのは、モニタだった。
「…お二人が?」
「フェリダンに行くとどうしても私たちは虐遇の対象になるでしょ?昔は怪我をして帰ってくる者も少なくなかったわ。だったらリュシアの街の中で全てが揃うようにって、店をたくさん作ったのよ」
街に関わる話をすると、必ずと言っていいほどこの二人の名前が挙がる。そのほとんどはここに住まう者たちを慮った革新ばかりで、街の根底を作り上げた英雄さながらに慕われているのだろう。それはモニタや工房の職人たちの言葉の端々から見て取れた。
「それにしても…」
わずかに言い淀んで、モニタはミルリミナの全身を見定めるように見回す。
男装を、と言われたのでモニタはミルリミナに合いそうな服をとりあえず拵えてみた。無地の白いシャツに、膝上の左右に大きなポケットがつけられた茶色のカーゴパンツ。そしてそれをサスペンダーで吊って、長い黒髪を結わえさせ大き目のキャスケットに入れて被らせた時は、いかにも男装した少女という印象だったが、今目の前にいるのは紛う方なき少年だ。
「…ミルの面影は何一つないわねぇ」
感嘆して、モニタは何度も頷く。
「そんなに違うんですか?」
聞いたのは、自分では全く認識できなかったからだ。首飾りを付けて鏡の前に立ってみたが、そこに映ったのは杖をついた男装した自分の姿だけだった。どうやらこれは、自分では変化した姿を見る事はできないらしい。
「違うも何も、全くの別人だもの。声まで違って聞こえるから不思議だわ」
「どんな少年なんですか?」
問われてモニタは、適した言葉を探すように視線を右上に流す。
「そうねぇ。髪色はユルンの髪を少し明るくしたような黒髪かしら。体躯はきっとミルの体が元になっているのね。少し華奢だけど適度に日焼けしてとても健康そうよ。顔立ちは目鼻口がはっきりとした活発な少年って感じかしら。でもとても綺麗な顔立ちね────少しユルンに似てる」
訊いてはみたものの、どうも自分と外見がかけ離れ過ぎて、いかにも想像しがたい。だがどうやら完璧なまでに少年のようなので、女言葉が出ないように注意を払った方がいいだろう。こういう時は敬語であった事がひどく救われた気分だった。
「名前を決めなくちゃね」
唐突に言われて、ミルリミナは一瞬、意を得ずきょとんとする。
「名前よ、名前。ミルじゃ女の子だもの。少年の名前を決めなくちゃ。何かつけたい名前はある?」
訊かれたミルリミナは、真っ先にある名前が浮かんだ。
「…ユーリ」
「え?」
「ユーリがいい…」
頬をわずかに紅潮させ、気恥ずかしそうに告げたミルリミナの姿を、モニタは微笑ましそうに見つめる。誰から取った名前かは、あえて聞くまでもない。
「いい名前じゃない」
モニタは、はにかむミルリミナの背中を軽く叩いた。
**
「もう諦めたみたいですねえ」
低魔力者の街を歩きながら、そう暢気な声を上げたのは、ゼオンの従者アルデリオだった。
数日前まで皇国の諜者らしき人物が数人、ずっと纏わりついてひどく落ち着かない気分だった。それが十日を過ぎた辺りでぴたりと止んだ。何度もここ低魔力者の街に誘導したが、結局手掛かりが掴めず諦めたのだろう、というのがアルデリオの見解だった。
「…まあ、あれだけ敵意むき出しじゃあ、見つけられんだろうな」
ゼオンはくつくつと嘲笑する。
彼に誤認誘導する気は一切なかった。聖女がここにいるという情報に嘘はないし、むしろ親切に教えてやったという気分だ。だが、決して見つかることはないという事を、ゼオンには判っていた。
「統括もお人が悪いですよ。わざわざあんな挑発までなさって」
いかにもどうでもよさそうに、アルデリオは言い放つ。斜に構えたゼオンのこと、いちいち反応していたら彼の従者など務まらない。なので、とりあえず通り一遍の言葉だけは伝えてみた。
「ようやくあの皇太子の弱点が判ったんだぞ?突かなくてどうする」
困った性癖だと、アルデリオはため息を落とす。
ゼオンは特別ユーリシアを嫌っているわけではない。気に入らない、と口にしてはいるが本心ではない事をアルデリオは承知している。有能な人間を好むゼオンのこと、むしろユーリシア本人は甚く気に入っているのだろう。
気に入らないのはフェリシアーナ皇国の皇太子という立場だ。ゼオンはこの国をひどく嫌悪していた。自身も低魔力者である為、魔力至上主義の考え方が癪に障るのだろう。
有能な人間として好む感情と、毛嫌いする皇国の皇太子という立場。相反する感情が一人の人間に集中しているからひどく厄介なのだ。ただ毛嫌いしているだけなら避ければいい。ひたすら無視して、いない者だと思えば済む話だ。だが気に入っている手前、どうしても無視できない。何かあるたびに気を引こうと無駄に干渉したがる。だが、ただ干渉するだけでは忌々しい。結果、ああいう態度に繋がるのだろう。
(…ユーリシア殿下にはお気の毒な話だな)
ユーリシアが悪いわけではない。ただ有能な人間である事と、皇国の皇太子という立場が重なったのが不運なのだ。あるいはどちらか一方であれば、これほど苦労しなかっただろうと思う。
心底同情する、とアルデリオは小さく息を吐いた。
「…それで?もう諜者はいないようですし、今日は彼らに会うおつもりですか?」
「そうだな。聖女にも一度会ってみたい」
言ったところで、ふとゼオンの踵に何かが当たる感触があった。目線を足元に向けると、どこから来たのか林檎が一つ、ゼオンの踵で丁度止まったところだった。
「…林檎……?」
「すみません!」
怪訝に思って林檎を拾い上げたと同時にそう声をかけられ、ゼオンは声の主を振り返る。そこには杖をついてはいるが、快活そうな少年がしきりに手を振って駆け寄ってくる姿があった。
「申し訳ありません!林檎を落としてしまって…」
「随分たくさん買ったんだな」
笑いながら、ゼオンは手に持っている林檎を少年が持っている大きな紙袋に入れてやる。大きなキャスケットから見える、無垢な瞳が印象的な少年だった。
少年はそれを見届けてから見た目通りの明るい謝意を伝えると、わずかばかり逡巡しながら何かを伝えたそうな仕草を見せた。
「…どうした?」
「あ、あの…この街にはお詳しいですか?」
質問の意を推察できず、ゼオンは首を傾げる。
「…まあ、それなりには判るが」
「…実は連れとはぐれてしまって…。申し訳ありませんが『フォーラ・ジュール』という店を探しているのですがご存じですか?」
そういうことか、とゼオンは頷く。
「ああ、判る。送ってやろう」
「い、いえ!道を教えていただければ自分で行けます!」
「あの店はここから遠い。おまけにかなり入り組んだ所にある。また迷うぞ」
それでも申し訳なさそうに困惑する少年の手から、紙袋を半ば無理やり奪う。
「遠慮するな。杖をつきながらこの荷物は難儀だろう。人の厚意は素直に受け取れ」
にやりと笑って先を促すように進むゼオンに、少年は困惑しながらも謝意を伝えて慌てて後を追った。
「悪いね。この人の親切心は少々強引で」
アルデリオは、とりあえず主の強引さを詫びる。
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
「少年はこの街には住んでいないのか?」
「…あ、いえ。越してきたばかりで…」
少年の返答は妙に歯切れが悪い。わずかばかり怪訝に思ったが、この国の低魔力者への強い風当たりを考えれば、何かしらの事情があるのだろう。おそらくは、杖をついている事情もそれと同じなのかもしれないと、アルデリオは思った。
「…その足、高魔力者とやらにやられたのか?」
同じ事を思ったのか、そう不躾に尋ねるゼオンに、さすがのアルデリオも慌てて窘める。
「統括!それは露骨すぎですよ!…もう少し言い方を改めてください」
「…統括……?」
アルデリオの口から漏れた呼称をさも不思議そうに、少年は口の中で小さくそう呟いて小首を傾げた。
ラジアート帝国の人間は、ゼオンを決して『殿下』とは呼ばない。ゼオンは間違いなく現皇帝の弟だったが、その敬称は『殿下』ではなく、役職の『統括』だった。それはゼオンがすでに皇位継承権を放棄したからに他ならない。現皇帝に子がいなかった頃は、それでも有事の際は次期皇帝の座が待っていたが、子がいる今その可能性は皆無だ。そして、それはゼオンが望んで手放した事も、アルデリオは承知していた。
「統括ってのはこの人の役職。便宜上そう呼んでるんだけど、まあ気にしないで」
よく判らない、といったふうだったが、それでも少年は意を汲んで頷くと、返答を待っているゼオンに視線を向けた。
「この足は…生まれつきです」
その返答に、ゼオンは満足げに頷くと、そうか、と短く返事をする。
「『フォーラ・ジュール』といえば工房の職人たちが扱う工具なんかを卸している店だったな。少年も工房で働いているのか?」
「…え?そう、なんですか?…すみません、連れが迷ったらここにって教えてもらった店なので……でも、はい。工房で働いています」
「…そうか。あの工房ができてこの街は劇的に変わったからな。あのお人よしのおかげで、暮らし向きはあまり良くならないようだが、それでも活気は出てきた。…悪くない変化だ」
毛嫌いする皇国の中でも、ゼオンはこの低魔力者の街だけは気に入っているようだった。いや、正確には昔の陰気な雰囲気だった頃は、やはり同じように毛嫌いしていたようだったが、それでもわずかばかり気にしている様子ではあった。それが変わったのは一人の少年と金髪の青年が現れた八年前の事だったと、アルデリオは記憶している。少しずつ変わっていくこの街の変化をゼオンは嬉々として眺め、皇国に来れば必ずここに通うようになった。おかげでこの街のことは誰よりも詳しい。
「…ユルンさんをご存じなんですか?」
「…少年も知っているのか?」
少し怪訝そうに、ゼオンは訊き返す。『お人よし』という単語だけでユルングルを彷彿するという事は、それなりに親しい証拠だ。だが少年は越してきたばかりだと言った。あの警戒心の強いユルングルが、おいそれと心を開くとは思えなかった。
「…まあ、あの男は工房が好きだからな」
ひとりごちたゼオンの言葉に、少年は反応する。
「はい、毎日のように工房に通ってきます。よくご存じなんですね」
どうやらゼオンの言葉を、親しい、と判断したようだ。今までは少し警戒して遠慮がちだった少年は、ひどく安堵しているように見える。その純粋なまでに素直なところが、ユルングルの警戒心を解いたのだろう、とゼオンはひとまずそう解釈する事にした。
「ほら。ここが『フォーラ・ジュール』だ」
言って、手に持っていた紙袋を少年に返す。少年はそれを受け取ってから深々と頭を下げた。その瞬間、胸元でわずかに光った何かを、ゼオンは見逃さなかった。
「ありがとうございます!…あの、よかったらこれ…」
言って少年は紙袋から林檎を二つ差し出した。
「こんな事ぐらいしかお礼ができなくて…」
「いいのか?なけなしの金で買ったんだろう?」
「統括。だから言い方!」
ゼオンを肘でつつくアルデリオを、くすくすと笑いながら少年は満面の笑みを向ける。
「ぜひ受け取ってください。お二人は恩人ですから」
元気に手を振って見送る少年を背に受けて、アルデリオは小さく手を振り返しながら言葉を落とした。
「可愛らしい少年でしたね」
「少女だ」
「…え?」
「あれは少女だ。諜報員ならもう少し目聡くなれ、アル」
「え…でも…?」
困惑しながら、もう小さくなった少年とゼオンの顔を、アルデリオは何度も互替わりに見た。彼はどう見ても少年にしか見えない。確かに体躯は華奢ではあったが、男特有の角ばった体の線は決して少女にはないものだ。彼が少女など誰が想像できるだろう。
だがゼオンには確信があった。
先ほどわずかに見えたオパールの首飾り。あれはラジアート帝国の皇族にのみ伝わる変化の宝珠にひどく酷似していた。あれの構造を教えたのも、それを己の魔力で作れるのもゼオンが知る限り一人しかいない。
ゼオンは一人小さく不敵な笑みをこぼす。
「やはり生きていたか。シスカ」
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