銀の皇太子と漆黒の聖女と

枢氷みをか

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第一章 始まり 第四部 リュシアの街編

リュシアの街 ユーリシア編

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 ユーリシアは息をひそめて好機を窺っていた。偶然にも低魔力者の集落でゼオンの姿を見つけたからだった。

 平民に変装し、目立つ銀髪を帽子の中に隠して低魔力者の街に着いたのは少しばかり前。ミルリミナの姿を求めて、くまなく捜索している最中に、最も会いたくはない、だが手掛かりに一番近いゼオンの姿を見つけた。

 ゼオンの動向を探らせていた十日間、ゼオンは従者と共に頻繁にこの街を訪れていた。だが、特に何をするわけでもなく街の中をひとしきり散策するとそのまま帰る、という意味ありげな行動に誤認誘導を疑ったが、それでも藁にも縋る思いでこの街を捜索させた。だが何度、捜索させてもわずかばかりの手がかりもなく、結局ゼオンの誤認誘導であったと認めざるを得なかった。

 そんなゼオンが今、目の前にいる。諜者を外して久しい。おそらく今のゼオンは油断しているだろう。

 そう思ってユーリシアは、息をひそめてゼオンの尾行を続けていた。わずかでもいい。ミルリミナに関する手掛かりが見つかれば___。それは祈りにも似た気持ちだった。

 しばらく監視を続けていると、杖をついた少年と楽しげに会話をする姿が見受けられた。知り合いだろうか、ゼオンの表情がひどく穏やかに見える。ユーリシアの前で見せる好戦的なそれとあまりにかけ離れていて、同一人物なのかと疑いたくなる、そう思えるほど親しげに見えた。

(…あの少年は何者だ?)

 一見して、杖をついている事を除けばごく普通の少年だ。年は16、7に見えるが、表情が目まぐるしく変わる様は体躯が華奢な事も相まって、それよりもわずかばかり幼く見える。その純朴さが不思議と警戒心を解かせる、そんな少年だった。

 十日間の諜報活動の中でゼオンがこの街の人間と会話をしたという報告は受けていない。必ず従者と二人この街に来て、誰とも話さず帰るのが常だった。そのゼオンが今、親しげに会話をしている。それがいかにも意味ありげに思えた。あるいは、少年が持つ純朴さがゼオンの警戒心を解いただけなのかもしれなかったが、ユーリシアがこの少年の存在をいぶかしむには十分だった。

 どれほど時間が経っただろうか。それなりの距離を少年と共に行動したのち、三人は裏道に入って行く。ユーリシアは後を追うかどうか、わずかばかり逡巡して見守っていた。あのゼオンのこと、もしかしたらユーリシアの存在に気付いて誘い込んでいるのかもしれない。
 そう、警戒したからだった。

 正直なところ、ゼオンが怖いわけではない。彼は低魔力者だ。荒事になれば負ける事はない。厄介なのはゼオンの従者だろう。彼の髪の色は軽く青みがかった淡い水色。誰が見てもかなりの高魔力者だ。

 濃い髪色の多いこの街にあって、己の髪色を隠す事なく飄々としている様は、いかにもゼオンの従者らしい。だが、その恬淡てんたんさとは裏腹に、常に気を張って周りを警戒しているのが見て取れた。おかげでこれ以上間合いを詰めるわけにはいかなくなった。不用意に近づけば勘付かれるだろう。

 彼はかなりの手練れだ。そして誘い込まれたその先に、彼のような人間が数人待機していたら___。そう思うと、後をつける事がひどく躊躇われた。

 そんなユーリシアの逡巡を嘲笑うかのように、ゼオンと従者は何事もなくその裏道を引き返してきた。ユーリシアはわずかばかり安堵して、小さく息を吐く。少年の姿がないという事は、ここで別れたのだろう。少年の存在もひどく気になったが、ユーリシアはゼオンの尾行を優先することに決めた。

 低魔力者の街中を少しも気に留めることなく、二人は街の奥へと進んでいく。それはいかにも目的のある行動のように見受けられた。この先に、二人が向かう何かがある。

 だが、ユーリシアの記憶に符合するものは何一つなかった。五年前に低魔力者の実情を探った時も、ミルリミナを探す為に数日前に訪れた時も、変わらずそこには何もなかった。あるのはただ森だけ。どれだけ奥に進んでもそこにあるのは生い茂った木々たちだけだった。

(…あの森に何かがあるのか…?)

 怪訝に思いながらもゼオンの後を追ったユーリシアは、やはり何もない森への入口に足を踏み入れる事になった。

 街の喧騒からわずかばかり離れた、開けた場所のその奥に森はある。ユーリシアは木の陰に隠れながら、ゼオンの動向を窺った。二人は立ち止まって何かしら話しているようだったが、ほどなくしてゼオンと従者は意に介さず森へと歩みを進める。やはり森の奥に何かあるのだろうか。そう思った瞬間だった。

「!」

 森に足を踏み入れた瞬間、二人の姿はまるで霧のように細かな粒子となって、何もない空間へと溶け込んだように見えた。

 そう、文字通り、消えたのだ。

 ユーリシアは慌てて二人が消えた場所に駆け寄ってみたが、わずかもその姿形を窺い知ることはできなかった。怪訝に思って、ユーリシアはゼオンが消えた辺りに手をかざしてみる。視界には決して入らなかったが、触れると何かに当たるような気がした。数日前には気が付かなかった何か。おそらく意識しなければ、触れたという感触すら判らないだろう。
 それほど繊細で、だが確固たる存在。

 これは魔力の壁だ。指定した人間だけを通す魔力の壁。『遁甲』というものが存在する事をユーリシアは聞いた事があったが、目にするのは初めてだった。いや、視界に入ってはいないので、触れる、がこの場合は正しい。

「…くそっ。あの男はこれが判っていたのか…っ!」

 ユーリシアは忌々しげに木の幹に拳を打ち当てる。

 どうりで探らせても何も出ないはずだ。遁甲に守られては決して手を出す事ができない。それほど詳しいわけではないが、触れた感じから察するに、よほど複雑でこの遁甲を消す事はひどく難しいだろう。

 そしておそらく、ゼオンを尾行していた事も彼は承知していたのだ。
 掻き消える直前、ユーリシアはゼオンと目が合った。それはミルリミナが攫われた日、馬車の前でゼオンがユーリシアに向けた視線と同じものだ。

 ___ついて来れるものならついて来い。そう告げる、挑戦的な目。

 この先にミルリミナがいる事は確実だ。だがここに入る術がない。ユーリシアはミルリミナを視界に捉えながら、それでも手を出す事ができないもどかしさに、途方に暮れるしかなかった。

**

「ミル!良かった、散々探したのよ!」

 フォーラ・ジュールの店内に入った瞬間、心配そうな声を上げてモニタはミルリミナに抱きついた。

「モニタさん、ごめんなさい」
「もう!どれほど心配したと思ってるのよ!」

 よほど憂慮していたのだろう。申し訳なさそうに詫びを入れても、モニタはミルリミナを抱きしめたまま一向に放す気配がない。その様子に気が咎めたミルリミナは、されるがままになっている。

「おいおい、それじゃあミルちゃんが息ができんだろうが。もう放してやれ」

 助け舟を出したのは、フォーラ・ジュールの主、キリだった。痩身の男で年の頃は60くらいだろうか。何度か工房で顔を合わせて、そのたびに人好きのする笑顔を向けてくれる穏やかな壮年の男だった。

 キリに言われてモニタは慌ててミルリミナを解放する。

「ああ、ごめんなさい。大丈夫?ミル」

 苦笑気味にミルリミナは頷く。

「ここってキリさんのお店だったんですね」

 視線をキリに向けてそう告げたが、どうやらキリの関心は別のところにあるようだ。返事もそこそこに、ミルリミナの姿を怪訝そうに眺めていた。

「…ああ、そうだが…。本当にミルちゃんかい?」
「だから言ったでしょ。今ミルは少年になってるって」

 そう説明するモニタが、いかにも得意げだった事にミルリミナは思わず笑みをこぼした。

「ダスクお兄様が魔装具を作ってくださったの。これを付けると少年に見えるのですって」

 魔力が込められた装身具を『魔装具』と呼称する事を、ミルリミナは工房の職人から教わっていた。そしてそれがいかに高価で貴重な物で、これを作るのにどれほどの労力と魔力を必要とするかも、ミルリミナは承知していた。

 ダスクはこれを、ままならぬ身体を抱えながら作ってくれたのだ。それを思うと嬉しさよりも申し訳なさでいっぱいになる。

「…ほう、これはこれは…」

 キリは胸元のシャツから取り出したオパールの首飾りを、微に入り細に入り観察しているようだった。

「大したもんだ。あの先生は神官にしとくのが勿体ないね」
「無理よ。もうリュシアの街の専属神官だもの。先生の部屋を見た?毎日患者が押し寄せてくるのよ。みんなから先生を取ったりしたら黙っていないわよ」

 モニタの言う通り、ダスクの部屋は立派な診療所と化している。毎日のように体調の悪い者が足を運び、ダスクもまたその現状に決して愚痴をこぼさず懇切丁寧に対応するので、今では敬愛を込めて『先生』と呼ばれるようになった。動けるようになったこれからは診療所に足を運べない者たちの往診まで考えているのだから、頭が下がる思いだろう。

 神官シスカの存在を消したにも関わらず、どこまでも神官であろうとするダスクの姿勢は、ミルリミナに誇らしい気持ちと幾ばくかの安心感を与えた。

「でもよくここに辿り着けたわね。結構迷ったんじゃない?」

 事も無げにそう告げるモニタを、キリは珍しく渋面を作ってたしなめる。

「おいおい。詳しい行き方も教えずにこの店を指定したのか?それはあんまりだろう」
「教える前にはぐれちゃったのよ。それに他の店だったら、まだミルの事を知らない人達ばかりでしょ?ここなら工房の人間しか来ないからミルも安心じゃない」

 確かにミルリミナの知り合いは工房の人間に限定されていた。ダスクの診療所で知らない顔触れも何度か見かけたが、軽く挨拶するだけで知り合いとまで呼べる間柄ではない。ましてや今は少年の姿だ。ミルリミナだと告げても信じる者は少ないだろう。

「ごめんなさいね。先に詳しい道順を教えていればよかったわね」

 申し訳なさそうに謝罪するモニタに、ミルリミナは笑ってかぶりを振った。

「いえ、大丈夫です。少し迷ったけど、親切な方がここまで送ってくださったんです」
「あら、知ってる人?」
「いえ、見た事のない方でしたが、ユルンさんのお知り合いのようでした」
「ユルンの知り合い?…誰かしら」
「赤黒い髪色の方で、お連れの方に『統括』と呼ばれていました。工房の事にもお詳しそうだったけど…モニタさんの知らない方ですか?」
「見覚えがないわね…」
「ならユルンの特別な客人って事だろうさ。そういう客は俺たちに見せたがらんからな」

 特別な客人、とミルリミナは口の中で小さく呟く。
 時折忘れそうになるが、ユルングルは反乱軍『リュシテア』の人間なのだ。首領は別にいるそうだがそれは名ばかりで、実質ユルングルが指揮している事をミルリミナもすでに承知していた。当然、ユルングルの客には不穏な人物も多い。

 では彼らもそういう人物なのだろうか。そんな考えが念頭に浮かんだが、ミルリミナにはどうしてもそうは思えなかった。わざわざ案内を買って出てくれた事だけではなく、足を慮おもんばかり荷物を持ち、道中不安にならぬよう、気遣ってもくれた。その行いは、そしてその心根もまた善に他ならない。そんな彼らが『不穏な人物』と評される事に、多少の違和感を抱かずにはいられなかった。

「何にせよ、ミルが無事でよかったわ!何かあったらユルンにどやされるところよ」
「本当にごめんなさい、モニタさん」

 大仰にため息をつくモニタを、ミルリミナはくすくすと笑いながら詫びを入れる。モニタもまた同じように笑ってひとしきり安心感を弄んだところで、ようやく外の喧騒に気が付いた。

 小さな子供の泣き声と、その子供に向かう怒鳴り声。

「モニタさん、これお願い!」

 ミルリミナは手に持っていた紙袋を強引にモニタに渡すと、止める二人の言葉も振り切って、足早に店を飛び出した。

**

 ユーリシアは悄然としながら、街に引き返していた。

 その足取りはひどく重い。何度か遁甲をすり抜けられないかと試してはみたが、その全てが徒労に終わった。ようやくミルリミナの居場所を突き止めたのに、そこへ行く手立てがない。指の隙間から砂が零れ落ちるように、ミルリミナの姿を捉えても決して掴めないもどかしさが、ユーリシアを苦しめた。

 だが、諦めたわけではない。居場所は突き止めた。そこに入るすべさえ判ればいいのだ。

(…とりあえず、あの少年を探そう)

 その近道が、あの少年にあるような気がした。なぜそう思ったかは判らない。確かにゼオンとの関係性も気になるところだが、それは要因の一つに過ぎないだろう。ただユーリシアの直感が、少年に近付けとしきりに告げるのだ。

 ユーリシアは重い足取りを奮起ふんきさせ、少年がゼオンと別れた裏道へと急ぐ。その道中、裏道に近づくほど、何やら喧騒が激しくなっている事に気が付いた。それは裏道へと入る広場の片隅で、小さな人だかりとなって現れた。

「そこをどけ、小僧!そのガキに謝罪させろ!」

 広場に男の怒号が響き渡る。ユーリシアは人だかりをかき分け、騒動の原因を視界に入れた。そこにいたのは体格のいい、比較的魔力が高いであろう男と、その男の背丈の半分にも満たない、うずくまったままの幼い子供、そしてその子供を庇うように立つ、杖をついたあの少年だった。

「謝罪すべきはあなたでしょう!」
「そのガキが俺にぶつかってきたんだ!見ろっ、服が汚れただろう!」
「どこが汚れているのです!…大体、自分からぶつかっておいて、こんな小さな子供に手を上げるなんて大人げない!恥ずかしくないのですか!」

 少年の声はどこまでも潔い。体格のいい男の前にあってなお、臆することなく非難する少年の姿は高潔に映ったが、同時に不安も駆り立てられた。

(…無茶をする…っ!)

 体格差は火を見るより明らかだ。荒事になれば少年が勝つ見込みは万が一にもない。何よりあの男の風体を見れば、このまま押し問答だけで終わるとは思えなかった。

「低魔力者が偉そうに!見た目は汚れていなくとも、お前ら低魔力者が触れた物など全て汚らわしいんだよ!」

 男の口汚い言葉に少年は義憤を駆り立てられ、無意識のうちに拳を強く握る。もうそこに、ゼオンと楽しげに話していた快活な少年の姿はない。眉間にしわを寄せ、男を強く見据えるその瞳の奥に、ユーリシアは誰かを彷彿したような気がした。

「低魔力者も高魔力者も関係ない…っ!他者を虐げる事でしか己の価値を見いだせないあなたの方が、よほど醜くて滑稽でしょう!恥を知りなさい!」

 毅然と言い放たれた少年の言葉に、男はひどく憤慨したのだろう。怒声を上げて、少年に拳を上げる。それでもなお、臆することなく男を見据える少年の態度が、なおさら癪に障った。
 男は上げた拳を遠慮なく少年へと振り下ろす。その拳と、少年の顔の間に割って入ったのは、一人の青年の手のひらだった。

「…少し大人げないんじゃないのか」

 告げる青年の声は、低い。少年は何がそんなに驚いたのか、青年の顔を目を丸くして見つめながら、動く事を忘れたようだった。

 青年は振り下ろされた男の拳を難なく受け止めると、その手に力を込める。握られた男の拳はミシミシと音を立て、今にも骨の折れる音が聞こえそうなほどだ。
 苦痛に顔を歪ませる男を尻目に、青年は視界の端で幼い子供を保護する女性と痩身の男の姿を確認すると、放心している少年に小さく呟いた。

「…逃げるぞ」

 言って青年は握っていた男の拳を突き放し、少年の右手を握ると、そのまま人垣をかき分け裏道とは別の小道の奥へとその姿をくらましたのだった。
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