「君はいらない」と捨てられた夜、天敵の冷徹社長に「なら、俺が貰う」と拾われました。――手を出さない約束でしたが、彼の理性が限界のようです

葉山 乃愛

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第6話 十カラットの「首輪」と、鼠たちの暴走

翌朝。
一条のマンションのリビングで、出勤の準備を整えた私は、彼から呼び止められた。

「相沢。手を」

「え?」

ソファに座り、タブレットで経済ニュースをチェックしていた彼が、顔も上げずに左手を差し出してきた。
私が恐る恐る近づき手を乗せると、彼はポケットから何かを取り出した。

カチリ、と小さな音がして、ベルベットのケースが開かれる。
その瞬間、朝の光を受けて、リビングの空気が変わった気がした。

「……っ!」

息を呑んだ。
そこに収まっていたのは、見たこともないほど巨大なダイヤモンドの指輪だった。
中央の石だけでも小指の爪ほどはある。その周りをさらに無数のメレダイヤが取り囲み、眩いばかりの光を放っている。ハリー・ウィンストンか、グラフか。少なくとも、家が一軒買える値段なのは間違いない。

「いち、一条……これ……」

「契約の一部だ。今日からこれを着けていろ」

彼はおどおどする私の左手を取り、薬指にその指輪を嵌めた。
ずしり、とした重みが指に伝わる。それはただの貴金属の重みではなく、一条蓮という男の「所有欲」の重みそのものだった。

「こ、こんな高価なもの、仕事中に着けられません! お客様がびっくりしてしまいます」

「なぜだ? 当ホテルの社長の婚約者が、安物を着けている方がよほど外聞が悪い」

彼は私の指輪を満足げに眺めると、ニヤリと笑った。

「それに、虫除けにもなる。……特に、質の悪い害虫には効果覿面(てきめん)だろう」

害虫。優斗のことだ。
彼は昨日の給湯室での一件を、すべて把握しているようだった。

「……分かりました。お借りします」

「借りるんじゃない。お前のものだ」

彼は私の手を引き寄せ、指輪ごしに、甲にキスを落とした。

「傷つけようが失くそうが構わない。……ただし、俺が外していいと言うまで、絶対に外すな」

「……っ」

それは、まるで美しい首輪をつけられたような気分だった。
逃げられない。でも、この重みが、今の私には何よりも心強い「盾」に思えた。


ブライダルサロンに出勤すると、すぐに空気が変わったのが分かった。
原因は、私の左手だ。

パソコンのキーボードを叩くたび、資料をめくるたび、指輪が照明の光を反射してキラキラと主張する。
周囲の女性スタッフたちが、ぎょっとした顔で私の手元を二度見しているのが視界の端に入った。

「……ちょっと、美月先輩」

案の定、梨花が飛んできた。
彼女は私のデスクに手を着くなり、引きつった声を出した。

「な、何なんですか、それ。……え? 嘘……そのデザイン」

梨花が私の左手を凝視し、顔を蒼白にさせた。
彼女の視線が、中央のダイヤと、台座に刻印されたブランドロゴに釘付けになっている。

「それ……先月のブライダル誌で特集されてた『一条家』御用達の……ハリー・ウィンストンの特注モデル……?」

彼女はブランド好きだ。おそらく社長の動向や、高級ジュエリーの情報を常にチェックしていたのだろう。
認めたくないけれど、知識がそれを否定させてくれない。
イミテーションなら、こんな深みのある輝きは出ない。

「まさか……本物? 社長が、先輩に……?」

声が震えている。
彼女自身の左手には、優斗から贈られた、私が返したはずの小ぶりなエンゲージリングが光っている。
けれど、私の指輪の圧倒的な「格」の前では、それは悲しいほど霞んで見えた。

「本物よ。……彼からの贈り物」

私は短く答えた。それだけで十分だった。
梨花の顔が、屈辱と恐怖で歪んでいく。

「……ありえない。なんで、先輩なんかが……」

彼女はよろめくように後ずさり、自分の席へと戻っていった。
その背中は小刻みに震えている。
「パパ活」や「嘘」で自分を慰める逃げ道すら塞がれ、彼女は今、突きつけられた現実に打ちのめされているのだ。

(効いてる……)

一条の言った通りだ。効果覿面すぎる。
私は胸のすく思いで、指輪をそっと撫でた。

しかし、これが逆効果だったのかもしれない。
恐怖と嫉妬に追い詰められた鼠は、逃げるのではなく、なりふり構わず牙を剥いてきたのだ。

午後、重要な顧客との打ち合わせの直前だった。

「え……? 時間変更のメール?」

担当しているお客様から、怒りの電話がかかってきた。
『さっき相沢さんから「打ち合わせを1時間遅らせてほしい」ってメールが来たから時間を潰していたのに、サロンに行ったら誰もいないじゃない! どういうこと!?』

寝耳に水だった。そんなメール、送った覚えはない。
慌てて送信履歴を確認するが、私のメールボックスには痕跡がない。

(まさか……)

背筋が凍る。
誰かが私のパソコンを操作して、偽のメールを送り、履歴を削除した?
そんなことができるのは、私のパスワードを知っている人物か、あるいは――システム管理者に近しい人物。

「どうしたんだ、騒がしい」

タイミングを見計らったように、営業から戻った優斗が現れた。
事態を説明すると、彼はわざとらしい溜息をついた。

「はあ……。お前、最近プライベートで浮かれてるから、そんな初歩的なミスするんだよ。お客様に迷惑かけて、責任取れんのか?」

「私じゃありません! 誰かが勝手に……」

「見苦しい言い訳すんなよ! 履歴がないってことは、お前が消したってことだろ!? 自分のミスを認めろ!」

優斗の大声に、サロンの視線が集まる。
梨花が遠くで、ニヤニヤと笑いながらこちらの様子をスマートフォンで撮影しているのが見えた。
その目は、先ほどの怯えを隠すかのように、歪んだ優越感に満ちていた。
『指輪がすごくても、仕事でミスをすれば終わり』。そう言いたげな顔だ。

嵌められた。
彼らは、プランナーとして一番大切な「信用」を、私から奪おうとしているのだ。
悔しさで唇を噛む。けれど、左手の薬指にある重みが、私に「屈するな」と告げていた。

私は優斗を無視し、ポケットから社用携帯を取り出した。

「おい、無視すんな!」

「静かにしてください。今、お客様に連絡を入れています」

「は?」

「犯人探しは後です。今は一刻も早く、お客様のフォローをするのが最優先です」

私は震える指で、けれど迷いなくお客様の番号をタップした。
優斗がポカンと口を開けている。
何かトラブルが起きた時、まず保身に走るか、顧客を思うか。
その一点において、私は絶対に彼らごときに負けない。

「……申し訳ありません、相沢です。大変な手違いがございまして……はい、すぐに謝罪に向かいます」

通話を終えた私は、優斗を睨みつけ、毅然と言い放った。

「原因については、私が戻るまでに徹底的に調査しておいてください。……ログを調べれば、誰がどの端末から操作したか、すぐに分かるはずですから」

「なっ……」

優斗が言葉に詰まる。
私はそのまま、お客様のもとへ謝罪に向かうべく、サロンを飛び出した。


その頃、社長室。

一条蓮は、タブレットに映し出されたサロンの監視カメラ映像を、氷のような瞳で見つめていた。
画面の中では、数分前、誰もいない美月のデスクで、梨花が何やら操作をしている様子がバッチリと映っている。

「……浅はかな」

蓮は鼻で笑い、インターフォンを押した。

「秘書室。……ああ、私だ。情報システム部の部長をすぐに呼べ。それから、サロンのネットワークのアクセスログを全て洗い出せ」

『は、はい! 直ちに!』

受話器を置いた蓮は、窓の外の景色に目を向けた。
その横顔は美しく、そして恐ろしいほど冷酷だった。

「いい気になっているようだが……。お前たちが今、踏み荒らしている場所が、誰の庭だと思っている?」

鼠たちは、餌に釣られて罠の深くまで入り込んでしまった。
あとは、檻を閉じて、徹底的に駆除するだけだ。
蓮の指先が、デスクの上の「契約書」を、ゆっくりと叩いた。
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