「君はいらない」と捨てられた夜、天敵の冷徹社長に「なら、俺が貰う」と拾われました。――手を出さない約束でしたが、彼の理性が限界のようです

葉山 乃愛

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第37話 【舌戦】泥のスーツと、偽りの玉座

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広い会議室は、水を打ったように静まり返っていた。

数百人の株主たちの視線が、入り口に立つ私たちに釘付けになっている。

高級な絨毯の上に、ボタボタと泥が落ちる。

異臭すら漂うはずのその姿。

けれど、蓮の背筋は槍のように真っ直ぐで、その場にいる誰よりも気高かった。


「……何の真似かしら」


議長席の百合子会長が、マイク越しに冷たい声を響かせた。

その顔には、わずかに焦りの色が滲んでいる。


「ここは神聖な株主総会の場よ。……薄汚れた作業着で土足侵入なんて、警備員は何をしているの!」


「警備員なら、地下で寝ているよ」


蓮は泥だらけの髪をかき上げ、ゆっくりと演壇へと歩み寄った。

私はその半歩後ろを、胸を張ってついていく。


「遅刻したことは詫びよう。……だが、俺にはここに来る『権利』がある」


蓮は懐から、一冊の帳面を取り出し、百合子会長の目の前のテーブルに叩きつけた。


「大株主・源次郎翁からの『委任状』だ。……俺は今、彼の代理人としてここに立っている」


会場がざわめいた。


「源次郎翁だって!?」

「あのご意見番が、一条社長についたのか!」


百合子会長の目が吊り上がった。


「……あのお爺様も、ついに耄碌(もうろく)したようね。……犯罪者に代理権を渡すなんて」


彼女は冷笑を浮かべ、株主たちを見渡した。


「皆さん、騙されてはいけません。この男は、会社の金を横領し、新会社へ不正に流用した容疑者です。……そんな人間に、経営を語る資格がありますか?」


会場の空気が凍る。

そうだ。まだ「横領の疑い」というレッテルは、世間的には完全に晴れていない。


「……横領?」


蓮は鼻で笑った。


「その件なら、すでに検察が『不起訴』の判断を下したはずだが?」


「あら。……でも、道義的責任はあるでしょう? 私利私欲のために会社を私物化した事実は消えないわ」


百合子会長は、巧みに論点をすり替えてくる。

「私物化」という言葉に、株主たちが不安そうな顔を見合わせた。


蓮はため息をつき、マイクを奪い取った。


「……私物化、か」


蓮の声が、会場の隅々まで響き渡る。


「確かに、俺は金を使った。50億という大金をな。……だが、それは何のためだ?」


蓮は私の方を振り返り、手招きをした。

私は緊張しながら、彼の隣に立った。


「この女性……相沢美月を守るためだ」


会場がどよめく。

公私混同も甚だしい、という呆れた空気が流れる。

しかし、蓮は続けた。


「笑いたければ笑え。……だが、俺は問いたい」


蓮の眼光が鋭くなり、百合子会長を、そして役員たちを射抜いた。


「たった一人の愛する人間すら守れない人間に、数万人の社員と、その家族の生活を守れると思うか?」


会場の空気が変わった。


「利益のためなら社員を切り捨て、政略結婚のために子供の心を殺し、保身のために嘘をつく。……そんな『冷血な経営』が、これからの時代に通用すると本気で思っているのか!」


蓮の怒号が、ビリビリと空気を震わせた。


「俺は違う! 俺は泥水をすすってでも、守りたいものを守り抜く! 社員一人、顧客一人、そして愛する女一人! ……その全てに『誠実』であり続けることこそが、一条グループの本来の理念だったはずだ!」


「……ッ!」


百合子会長が言葉に詰まる。

その迫力に、株主たちが息を呑んだ。

泥だらけのスーツ。
けれど、その言葉には、飾られた言葉にはない「血の通った熱」があった。


「……ふん。口だけは達者ね」


百合子会長は扇子を開き、震える手を隠した。


「でも、現実は数字よ。……私の経営下で、株価は安定しているわ。あなたのその『青臭い理想論』で、株主の利益が守れる保証はどこにあるの?」


彼女は切り札を出した。

「過半数の支持」。

現体制派の株主と、委任状を合わせれば、彼女の支持率は約45%。
対する蓮は、源次郎翁の5%と、浮動票を合わせても勝ち目はないと思われている。


「採決を取りましょう。……現経営陣の続投か、解任か」


百合子会長が勝ち誇ったように微笑んだ。

「さあ、愚かな反乱劇はこれでおしまいよ、蓮」


数字の暴力。
どんなに正論を吐いても、株数が足りなければ負ける。

それが、株式会社のルールだ。


しかし。

蓮は不敵に笑っていた。


「……ああ、採決だ。今すぐやろう」


彼は泥だらけのポケットに手を突っ込んだ。


「だが、その前に……『真の筆頭株主』を紹介させてもらおうか」


「……は?」


蓮が取り出したのは、ボロボロになった茶封筒。

神崎さんから託され、雨の日も、軽トラの旅も、肌身離さず守り抜いた、お祖父様の遺言書。


「亡き先代会長・一条厳(げん)の遺言により……この瞬間、一条ホールディングス発行済み株式の51%は、ある条件を満たした『俺』に譲渡される」


「51……パーセント……!?」


百合子会長の顔から、血の気が引いた。

会場が爆発したような騒ぎになる。


「条件とは、たった一つ」


蓮は私の肩を抱き寄せ、高らかに宣言した。


「俺が、心から愛する伴侶と共に、この場に立つことだ」


逆転のカードが切られた。
偽りの玉座が崩れ落ちる音が、私にははっきりと聞こえた。
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