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「ただの飲み会係」と解雇されたが、俺の接待相手は『大株主』と『規制当局』だ。
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「高橋部長。あなた、今日でクビです」
ガラス張りの社長室。
先月就任したばかりの二代目社長、京介(28歳)が、高級チェアにふんぞり返りながら言い放った。
彼の隣では、愛人兼秘書のミカが、タブレットをいじりながらクスクスと笑っている。
「……クビ、ですか? 理由をお伺いしても?」
私は冷静に問い返した。
勤続20年。総務部長として、先代社長と共にこの会社を支えてきた自負がある。
「理由? 見りゃわかるでしょ、この経費!」
京介はデスクの上に領収書の山を叩きつけた。
「銀座のクラブ、料亭、ゴルフ、贈答品のメロン……。あなたねぇ、総務の仕事って『電球の交換』と『備品の補充』でしょ? なんでこんなに飲み歩いてるわけ? 会社の金を使い込んで遊んでるだけの老害はいらないんだよ!」
「社長。これは遊びではありません。『潤滑油』です」
「はっ! 出たよ、昭和の言い訳。潤滑油? 今の時代、ビジネスはドライにやるもんなの。ネットで契約して、AIで管理すればいいの。あなたみたいな『根回し』とか『接待』とか言ってる古臭い人間は、コストの無駄!」
ミカも口を挟んでくる。
「そうですよぉ高橋さん。私なんて、インスタのDMだけで仕事取ってこれますし。おじさんの飲み会とか、マジで生産性ないんで消えてくださぁい」
私は深いため息をついた。
彼らは何も見えていない。
我が社が扱っているのは、規制の厳しい特殊化学素材だ。
許認可権を持つ役人、原料を卸してくれる気難しい職人気質の工場長、そして株価を支えている古い付き合いの大口投資家たち。
彼らとの関係は、ドライな契約書やメール一本で繋がっているわけではない。
私が毎晩、泥水をすするような思いで築き上げた「人間関係の糸」で、辛うじて繋ぎ止めているのだ。
「社長。私が会社を去るということは、私が個人的に繋いでいた『信頼のパイプ』も全て断ち切られるということです。それでも構いませんか?」
「ああ、構わないね! どうぞどうぞ、そのパイプとやらを持って帰ってよ。明日からは僕の『スマートで効率的なアメリカ流経営』で、この会社をもっと大きくするからさ!」
「そうですか。……では、私の私物である『名刺ファイル』と『手帳』は全て持ち帰ります。引き継ぎ資料はサーバーにありますが、私の手帳がないと意味が分からないと思いますが」
「いらないって言ってんだろ! さっさと出て行け!」
私は一礼し、社長室を後にした。
廊下に出ると、社員たちが心配そうな顔で見ていたが、私は小さく首を振ってオフィスの出口へと向かった。
スマホを取り出し、登録してある数百件の連絡先を一斉送信リストに入れる。
件名は『退職のご挨拶』。
本文はシンプルに。
「新社長の方針により、本日付で退職いたしました。長年のご厚情に感謝いたします。尚、今後の貴社との窓口は、新社長が直接担当されます――」
送信ボタンを押した瞬間、私の肩から20年分の重荷が降りた気がした。
* * *
異変が起きたのは、翌日の朝だった。
「社長! 大変です! 銀行から電話が!」
経理課長が社長室に飛び込んできた。
「なんだよ朝からうるさいな。融資の話?」
「い、いえ、『短期借入金のロールオーバー(借り換え)はできない、今すぐ全額返済しろ』と……!」
「はぁ? なんでだよ! いつもハンコひとつで更新できてたじゃん!」
「そ、それが……『高橋さんがいないなら信用担保がなくなる。君のような若造に数億も貸せるか』と言われて……!」
京介が顔を青くした瞬間、今度は営業部長が駆け込んできた。
「しゃ、社長! 工場のラインが止まりました!」
「ああん!? なんで!?」
「原料の仕入れ先である『大山工業』の大山会長が、『高橋君が辞めた? なら卸さん。あそことは契約書じゃなく、高橋君との男の約束で取引してたんだ』って……トラックを引き返させたと!」
「な、なんだよそれ! 契約社会だぞ!? 訴えてやる!」
「む、無理です! 契約書を確認したら、『甲(大山工業)は任意のタイミングで契約を解除できる』という特約が入ってます! 高橋さんが『万が一の時は私が責任を取るから』と頭を下げて、特別価格で卸してもらっていたんです!」
電話が鳴り止まない。
株主からの怒号、規制当局からの立ち入り検査通告、そして――。
「し、失礼します……!」
受付嬢が震えながら入ってきた。
「ど、どうした! 今忙しいんだよ!」
「あ、あの……ロビーに、『黒龍会の会長』とおっしゃる方が……手下の方を数十人連れて……」
「はぁ!? ヤクザ!? なんでウチに!?」
「『高橋に貸していた顔を返しに来た。あいつがいねぇなら、この土地の権利関係、きっちりカタをつけさせてもらうぞ』と……!」
京介は腰を抜かし、椅子から転げ落ちた。
この会社の本社ビルが建っている土地は、かつて複雑な権利関係で揉めていた場所だ。
それを私が、地元の有力者たち一軒一軒に酒を持って回り、土下座をして、ようやく丸く収めていたのだ。
私が「盾」でなくなれば、当然、彼らは牙を剥く。
「な、なんなんだよこれ……! 電球交換係じゃなかったのかよ!? あいつ、裏で何やってたんだよ!?」
「だから言ったじゃないですか! 高橋部長は『会社の守護神』だって!」
古株の社員が叫ぶ。
隣にいた愛人秘書のミカは、すでに事態のヤバさを察知して、こっそりと荷物をまとめて裏口から逃げ出そうとしていた。
「ま、待て! 電話だ! 高橋に電話しろ!」
京介は震える手で私の番号をプッシュした。
* * *
私はその時、都内の一等地にあるホテルのラウンジで、最高級の紅茶を楽しんでいた。
目の前には、我が社のライバル企業である最大手の会長と、大口株主たちが座っている。
「いやぁ、高橋君。君がフリーになるとはね。京介君には感謝しないといかんな」
「本当ですよ。ウチに来てくれるなら、年俸は今の3倍……いや、好きなだけ書いていい」
「ははは、買い被りですよ。私はただの、飲み会好きのオジサンですから」
談笑していると、スマホが鳴った。京介からだ。
私はスピーカーモードにして、テーブルの上に置いた。
『た、高橋さん! どこにいるんですか! すぐ戻ってください!』
京介の悲鳴のような声が、優雅なラウンジに響く。
「おや、社長。何かありましたか? 私はもう部外者ですが」
『部外者なわけないでしょ! 銀行も工場もヤクザも、みんな怒ってるんです! あなたがいないと会社が潰れる! 給料上げるから! 部長に戻してあげるから!』
私は紅茶を一口すすり、静かに告げた。
「お断りします。今、あなたの会社のライバルである御堂筋会長と、今後の『業界再編』について楽しくお話ししているところなんです」
『は……? み、御堂筋……?』
「あなたが切った私の『人脈』は、今すべて御堂筋会長の会社に接続されました。大山工業の原料も、銀行の融資枠も、すべてそちらに移ります」
『ふ、ふざけるな! 裏切り者! それじゃウチはどうなるんだよ!』
「さあ? スマートなアメリカ流経営とやらで、AIに解決してもらっては? ああ、そうだ」
私は最後に、慈悲深い助言を送った。
「ロビーに来ている黒龍会の方々ですが、お茶やお菓子は出さない方がいいですよ。彼らは『甘いもの』と『カフェイン』が嫌いですから。……まあ、そんなこと、私の手帳を見なければ分からないでしょうが」
『ま、待ってくれ! 高橋さぁぁぁん!!』
私は通話を切り、スマホの電源を落とした。
目の前の会長たちが、ニヤリと笑う。
「厳しいねぇ、高橋君も」
「いえいえ。……さて、御社での初仕事は何から始めましょうか? 今夜、美味しいお店を予約してありますよ」
窓の外には、澄み渡るような青空が広がっていた。
あの会社が明日、物理的に消滅しようとも、私の知ったことではない。
ガラス張りの社長室。
先月就任したばかりの二代目社長、京介(28歳)が、高級チェアにふんぞり返りながら言い放った。
彼の隣では、愛人兼秘書のミカが、タブレットをいじりながらクスクスと笑っている。
「……クビ、ですか? 理由をお伺いしても?」
私は冷静に問い返した。
勤続20年。総務部長として、先代社長と共にこの会社を支えてきた自負がある。
「理由? 見りゃわかるでしょ、この経費!」
京介はデスクの上に領収書の山を叩きつけた。
「銀座のクラブ、料亭、ゴルフ、贈答品のメロン……。あなたねぇ、総務の仕事って『電球の交換』と『備品の補充』でしょ? なんでこんなに飲み歩いてるわけ? 会社の金を使い込んで遊んでるだけの老害はいらないんだよ!」
「社長。これは遊びではありません。『潤滑油』です」
「はっ! 出たよ、昭和の言い訳。潤滑油? 今の時代、ビジネスはドライにやるもんなの。ネットで契約して、AIで管理すればいいの。あなたみたいな『根回し』とか『接待』とか言ってる古臭い人間は、コストの無駄!」
ミカも口を挟んでくる。
「そうですよぉ高橋さん。私なんて、インスタのDMだけで仕事取ってこれますし。おじさんの飲み会とか、マジで生産性ないんで消えてくださぁい」
私は深いため息をついた。
彼らは何も見えていない。
我が社が扱っているのは、規制の厳しい特殊化学素材だ。
許認可権を持つ役人、原料を卸してくれる気難しい職人気質の工場長、そして株価を支えている古い付き合いの大口投資家たち。
彼らとの関係は、ドライな契約書やメール一本で繋がっているわけではない。
私が毎晩、泥水をすするような思いで築き上げた「人間関係の糸」で、辛うじて繋ぎ止めているのだ。
「社長。私が会社を去るということは、私が個人的に繋いでいた『信頼のパイプ』も全て断ち切られるということです。それでも構いませんか?」
「ああ、構わないね! どうぞどうぞ、そのパイプとやらを持って帰ってよ。明日からは僕の『スマートで効率的なアメリカ流経営』で、この会社をもっと大きくするからさ!」
「そうですか。……では、私の私物である『名刺ファイル』と『手帳』は全て持ち帰ります。引き継ぎ資料はサーバーにありますが、私の手帳がないと意味が分からないと思いますが」
「いらないって言ってんだろ! さっさと出て行け!」
私は一礼し、社長室を後にした。
廊下に出ると、社員たちが心配そうな顔で見ていたが、私は小さく首を振ってオフィスの出口へと向かった。
スマホを取り出し、登録してある数百件の連絡先を一斉送信リストに入れる。
件名は『退職のご挨拶』。
本文はシンプルに。
「新社長の方針により、本日付で退職いたしました。長年のご厚情に感謝いたします。尚、今後の貴社との窓口は、新社長が直接担当されます――」
送信ボタンを押した瞬間、私の肩から20年分の重荷が降りた気がした。
* * *
異変が起きたのは、翌日の朝だった。
「社長! 大変です! 銀行から電話が!」
経理課長が社長室に飛び込んできた。
「なんだよ朝からうるさいな。融資の話?」
「い、いえ、『短期借入金のロールオーバー(借り換え)はできない、今すぐ全額返済しろ』と……!」
「はぁ? なんでだよ! いつもハンコひとつで更新できてたじゃん!」
「そ、それが……『高橋さんがいないなら信用担保がなくなる。君のような若造に数億も貸せるか』と言われて……!」
京介が顔を青くした瞬間、今度は営業部長が駆け込んできた。
「しゃ、社長! 工場のラインが止まりました!」
「ああん!? なんで!?」
「原料の仕入れ先である『大山工業』の大山会長が、『高橋君が辞めた? なら卸さん。あそことは契約書じゃなく、高橋君との男の約束で取引してたんだ』って……トラックを引き返させたと!」
「な、なんだよそれ! 契約社会だぞ!? 訴えてやる!」
「む、無理です! 契約書を確認したら、『甲(大山工業)は任意のタイミングで契約を解除できる』という特約が入ってます! 高橋さんが『万が一の時は私が責任を取るから』と頭を下げて、特別価格で卸してもらっていたんです!」
電話が鳴り止まない。
株主からの怒号、規制当局からの立ち入り検査通告、そして――。
「し、失礼します……!」
受付嬢が震えながら入ってきた。
「ど、どうした! 今忙しいんだよ!」
「あ、あの……ロビーに、『黒龍会の会長』とおっしゃる方が……手下の方を数十人連れて……」
「はぁ!? ヤクザ!? なんでウチに!?」
「『高橋に貸していた顔を返しに来た。あいつがいねぇなら、この土地の権利関係、きっちりカタをつけさせてもらうぞ』と……!」
京介は腰を抜かし、椅子から転げ落ちた。
この会社の本社ビルが建っている土地は、かつて複雑な権利関係で揉めていた場所だ。
それを私が、地元の有力者たち一軒一軒に酒を持って回り、土下座をして、ようやく丸く収めていたのだ。
私が「盾」でなくなれば、当然、彼らは牙を剥く。
「な、なんなんだよこれ……! 電球交換係じゃなかったのかよ!? あいつ、裏で何やってたんだよ!?」
「だから言ったじゃないですか! 高橋部長は『会社の守護神』だって!」
古株の社員が叫ぶ。
隣にいた愛人秘書のミカは、すでに事態のヤバさを察知して、こっそりと荷物をまとめて裏口から逃げ出そうとしていた。
「ま、待て! 電話だ! 高橋に電話しろ!」
京介は震える手で私の番号をプッシュした。
* * *
私はその時、都内の一等地にあるホテルのラウンジで、最高級の紅茶を楽しんでいた。
目の前には、我が社のライバル企業である最大手の会長と、大口株主たちが座っている。
「いやぁ、高橋君。君がフリーになるとはね。京介君には感謝しないといかんな」
「本当ですよ。ウチに来てくれるなら、年俸は今の3倍……いや、好きなだけ書いていい」
「ははは、買い被りですよ。私はただの、飲み会好きのオジサンですから」
談笑していると、スマホが鳴った。京介からだ。
私はスピーカーモードにして、テーブルの上に置いた。
『た、高橋さん! どこにいるんですか! すぐ戻ってください!』
京介の悲鳴のような声が、優雅なラウンジに響く。
「おや、社長。何かありましたか? 私はもう部外者ですが」
『部外者なわけないでしょ! 銀行も工場もヤクザも、みんな怒ってるんです! あなたがいないと会社が潰れる! 給料上げるから! 部長に戻してあげるから!』
私は紅茶を一口すすり、静かに告げた。
「お断りします。今、あなたの会社のライバルである御堂筋会長と、今後の『業界再編』について楽しくお話ししているところなんです」
『は……? み、御堂筋……?』
「あなたが切った私の『人脈』は、今すべて御堂筋会長の会社に接続されました。大山工業の原料も、銀行の融資枠も、すべてそちらに移ります」
『ふ、ふざけるな! 裏切り者! それじゃウチはどうなるんだよ!』
「さあ? スマートなアメリカ流経営とやらで、AIに解決してもらっては? ああ、そうだ」
私は最後に、慈悲深い助言を送った。
「ロビーに来ている黒龍会の方々ですが、お茶やお菓子は出さない方がいいですよ。彼らは『甘いもの』と『カフェイン』が嫌いですから。……まあ、そんなこと、私の手帳を見なければ分からないでしょうが」
『ま、待ってくれ! 高橋さぁぁぁん!!』
私は通話を切り、スマホの電源を落とした。
目の前の会長たちが、ニヤリと笑う。
「厳しいねぇ、高橋君も」
「いえいえ。……さて、御社での初仕事は何から始めましょうか? 今夜、美味しいお店を予約してありますよ」
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