「中に出して。……お土産に持って帰りたいの」――上京前夜。ずっと好きだった幼馴染が、排卵検査薬を握りしめて俺のベッドに潜り込んできた。

ひふみ黒

文字の大きさ
6 / 10

第6話 宛先不明の「お土産」

しおりを挟む

朝の光が、無慈悲に部屋を照らし出していた。
 
目を覚ますと、隣にいたはずの愛梨の温もりが消えていた。
 
「……愛梨?」
 
体を起こすと、部屋の隅にある姿見の前で、愛梨がジャケットを羽織っているところだった。
昨夜の、あの狂気じみた情事の痕跡はどこにもない。
髪は完璧に整えられ、メイクも隙がない。まるで、これから大事な商談に向かうキャリアウーマンのようだ。
 
「……おい、何してんだよ」
 
俺は掠れた声で呼びかけた。
 
「これから一緒に住むんだろ? 荷解き、手伝うよ」
 
昨夜、彼女は言ったはずだ。『東京なんて行かない』『拓也と一緒に住む』と。
だから俺たちは、避妊もせず、後先考えずに求め合ったんじゃないか。
 
しかし、愛梨は鏡越しに俺を一瞥し、困ったように眉を下げた。
 
「ごめんね、拓也。……あれ、嘘」
 
「は……?」
 
「新幹線の時間、もうすぐだから。行かなきゃ」
 
愛梨は足元に置いてあったキャリーバッグのハンドルを握った。
昨夜、中身は空っぽだと言っていた段ボール箱も、いつの間にかガムテープで封がされている。
 
「待てよ! 嘘ってなんだよ! お前、東京には行かないんじゃ……」
 
「行くよ。……待ってる人がいるもん」
 
待ってる人。その言葉に、心臓が嫌な音を立てた。
 
「待ってる人って……お前、東京で一人暮らしするんじゃなかったのかよ。就職するって……」
 
「就職はするよ」
 
愛梨は妖艶に微笑み、バッグから一枚の写真を取り出して、俺の枕元に放り投げた。
 
「『神宮寺(じんぐうじ)家の嫁』に、就職するの」
 
写真に写っていたのは、都内の有名私大の門の前で、高級車にもたれかかる優男だった。
線の細い、神経質そうな男。俺とは似ても似つかない。
 
「……誰だよ、これ」
 
「私の婚約者。……病院経営してる一族の跡取り息子」
 
脳が理解を拒絶した。
婚約者? 結婚?
そんな話、一度も聞いていない。俺はずっと、愛梨は夢を追いかけて一人で東京へ行くものだとばかり……。
 
「驚いた? 言ってなかったもんね」
 
愛梨は悪戯が成功した子供のような顔をした。
 
「でも、彼には致命的な欠点があるの。……種がないの」
 
「……え?」
 
「無精子症。子供ができない体なの。でも、向こうの親は『跡取りを産め』ってうるさくて。彼もプライドが高いから、自分が不能だなんて認められない。……そこで、私の出番」
 
愛梨の声が、スッと低くなった。
 
「『私に任せて。あなたの子を産んでみせるわ』って言ったら、彼、泣いて喜んでた。……私が他の男と寝てくるって知ってるくせに、見て見ぬふりして送り出したの」
 
点と点が、戦慄とともに繋がっていく。
 
彼女が言った『お土産』という言葉。
あれは、俺との思い出を指す感傷的な言葉じゃなかった。
文字通り、神宮寺家へ持参するための『手土産(胎児)』のことだったんだ。
 
「じゃあ……昨日の夜、俺のところに来たのは……」
 
「精子バンクなんて、どこの誰か分からない種は嫌でしょ? 不細工が生まれたら困るし、変な病気も怖い」
 
愛梨はコツコツとヒールを鳴らして俺に近づき、俺の頬に冷たい手を添えた。
 
「だから、選んだの。……拓也を」
 
「……俺を?」
 
「うん。健康で、顔も良くて、昔から私の言うことは何でも聞いてくれて……絶対に秘密を守ってくれる『幼馴染』。最高のドナーだと思わない?」
 
俺の中で、昨夜の「純愛」が音を立てて崩れ落ちた。
好きだから抱かれたんじゃない。
一緒に生きていきたいから求めたんじゃない。
俺は、ただの「安全で優秀な種馬」として搾取されただけだったのだ。
 
「『東京には行かない』って言ったのも……」
 
「そう言わないと、拓也、安心して中に出してくれないでしょ? 『責任取る』とか重いこと言われたら面倒だし」
 
完璧だった。
排卵日を計算し、引っ越し前夜というシチュエーションを利用し、俺の情欲と独占欲を極限まで煽り、確実に「着床」させるための舞台装置。
 
俺は怒りで震えた。
 
「ふざけんな……! 俺はお前の道具じゃねぇぞ!」
 
「道具じゃないよ。……共犯者でしょ?」
 
愛梨はスマホの画面を見せた。
そこには、俺が昨夜言った数々のセリフが録音されていた。
 
「これ、向こうの家に送ったらどうなるかな? ……でも、私が無事に男の子を産めば、このデータは消してあげる」
 
逃げ場はなかった。
だが、不思議なことに、俺の身体の奥底で、暗い炎が燃え上がっていた。
騙されたという怒り以上に、歪んだ興奮が背筋を駆け上がってくる。
 
俺の遺伝子が、東京の大金持ちの家に入り込む。
あの写真の優男が、何も知らずに俺の子供を「パパ」として育て、その家の財産をすべて俺の分身に継承させる。
それは、底辺の生活を送る俺にとって、あまりにも甘美な復讐劇(シナリオ)だった。
 
「……あと、15分ある」
 
俺は愛梨の手首を掴んだ。
 
「念には念を入れなきゃな。……俺の種で子宮を満タンにしてやるよ」
 
愛梨は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに妖艶な笑みを浮かべた。
 
「……ふふ。やっぱり、拓也を選んで正解だった」
 
彼女は自らスカートを捲り上げ、まだ俺の体液で汚れたままの下着のない秘部を晒した。
 
「仕上げをして、拓也。……神宮寺家の跡取りを、私のタンク満タンに注ぎ込んで?」
 
俺は、震える手で彼女の腰を引き寄せた。
もう、愛の言葉はいらない。
これは、俺と愛梨が世界に仕掛ける、人生を賭けた「托卵」という名のゲームだ。
 
ズプッ……!
 
乾いた音と共に、俺たちは再び繋がった。
その行為は、別れのセックスではなく、共犯契約の調印式だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...