嘘つきは英雄の始まり

ひふみ黒

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第8話 夜逃げをしたら、ラスボスに遭遇しました

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「……よし。荷造り完了だ」


深夜2時。

王城の豪華な客室で、俺、黒瀬カイトは音もなく窓を開けた。

背負っているのは、風呂敷一つ。

中身は、城からくすねた保存食と、いくらかの金貨。そして着替えのパンツだ。


(あばよ、異世界。あばよ、英雄伝説)


もう限界だ。

ドラゴンに求婚され、聖女にストーキングされ、暗殺者に狙われる日々。

俺の胃壁はもうボロボロだ。ストレスで10円ハゲができている気がする。


振り返ると、巨大なベッドの上では、ルビィとエリスがスヤスヤと眠っていた。

……いや、寝てないなこれ。

ルビィは俺の枕を抱きしめてよだれを垂らしているし、エリスは夢の中で「不純異性交遊は死刑……」とうわ言を呟いている。


(起きるなよ……絶対起きるなよ……)


俺は忍び足でバルコニーに出た。

ここから庭の木に飛び移り、壁を越えれば自由だ。

俺はレベル1の村人に戻り、どこかの田舎でひっそりと詐欺を働いて暮らすんだ。


スルスルと木を伝い、王城の庭園に降り立つ。

月明かりが照らすバラ園。

静寂に包まれた深夜の庭は、ひんやりとしていて心地よかった。


「……ふぅ。意外とチョロいもんだな」


俺は額の汗を拭い、勝利を確信してニヤリと笑った。

警備兵もザルだ。俺のような「超一流の詐欺師」にかかれば、城からの脱出なんて赤子の手をひねるようなも――


「――月が綺麗ですね、お兄さん?」


不意に。

バラの茂みの陰から、鈴を転がすような幼い声が聞こえた。


「……っ!?」


俺の心臓が、喉から飛び出しそうになる。

見つかった!? 警備兵か!? いや、今の声は子供……?


俺が恐る恐る振り返った先にいたのは、一人の少女だった。


月光を浴びて輝く、透き通るような銀髪。

血のように赤い瞳。

年齢は10歳くらいだろうか。黒いゴシックドレスを着て、優雅に紅茶を飲んでいる。

深夜の庭園に、テーブルセットを広げて。


(……誰だ? 王族の娘か?)


こんな時間に子供が一人でいるなんて異常だ。

だが、ここで騒がれたら夜逃げがバレる。


俺は営業用の笑顔を貼り付け、警戒させないように膝を折った。


「やあ、お嬢ちゃん。こんな夜更けに一人かい? 迷子かな?」


「迷子? ククッ……面白い冗談ですね」


少女はクスクスと笑った。

その笑い声を聞いた瞬間、俺の背筋に、氷柱を突き刺されたような寒気が走った。


本能が告げている。

目の前にいるのは「子供」じゃない。

生物としての格が違う。「捕食者」だ。


少女はティーカップを置き、空中にふわりと浮き上がった。

そう、翼もないのに、重力を無視して浮いたのだ。


「お兄さんこそ、こんな時間にコソコソと。……ひょっとして、『逃げる』つもりでした?」


「……ッ」


図星を突かれ、俺の息が止まる。


「あはは! 顔に出ていますよ? 『不動の英雄』黒瀬カイト様が、夜逃げだなんて傑作です!」


少女が腹を抱えて笑い転げる。

なぜ俺の名を知っている? なぜ俺が「英雄」だと知った上で、こんなにナメた態度を取れる?


「……お前、何者だ」


俺は声を震わせないように絞り出した。


少女はピタリと笑いを止め、空中で優雅にお辞儀をした。


「ご挨拶が遅れました。――私はアリス」


少女の背後から、膨大な、質量を持った「闇」が溢れ出した。

それはバラ園の花を一瞬で枯らし、月光さえも飲み込んでいく。


「魔族を統べる者。……あなたたちが『魔王』と呼んでいる存在です」


「……は?」


思考が停止した。

魔王? この幼女が?

いや、嘘じゃない。

俺の肌がチリチリと焼けるような感覚。これはハッタリじゃない。本物の「殺気」だ。

レベル1の俺なら、瞬きする間に蒸発させられるレベルのエネルギー。


「ど、どうして魔王がこんな所に……」


「暇だったからです」


アリスは退屈そうにあくびをした。


「部下のヴォルグやガレットが、面白い人間に負けたって泣きついてくるんですもの。どんな人間かと思って見に来たんです」


アリスの赤い瞳が、俺を値踏みするように細められた。


「でも……ガッカリですね。魔力1の雑魚じゃないですか」


バレた。

鑑定魔法を使われたわけじゃない。

純粋な「強者としての直感」で、俺の中身が空っぽだと見抜かれたのだ。


(死ぬ。今度こそ本当に死ぬ)


俺の足がガクガクと震えだす。

アリスが右手を上げた。その指先に、黒い稲妻が収束していく。


「期待外れです。ゴミ掃除をして、帰って寝ることにしますね」


「ま、待て!!」


俺は裏返った声で叫んだ。


「……命乞いですか? 聞き飽きています」


「違う! ……賭けだ」


俺は口から出まかせを叫んだ。

詐欺師の最終奥義。『相手の興味(好奇心)を人質に取れ』。


「俺を殺すのは簡単だ。だが、お前は『暇』なんだろう?」


「……ええ。退屈で死にそうです」


「なら、俺と『ゲーム』をしないか?」


俺は震える手で、ポケットから一枚の金貨を取り出した。

親指で弾き、空中でキャッチして見せる。


「俺とお前、どちらが勝つか。……ただの殺し合いじゃつまらないだろう?」


アリスの指先から、稲妻が消えた。

彼女の瞳に、サディスティックな好奇心の色が灯る。


「……へえ。雑魚のくせに、私にゲームを挑むんですか?」


「ああ。俺が勝ったら、俺を見逃せ。そして――」


「そして?」


俺は、人生最大の大博打を打った。

このまま逃げても、魔王に狙われたら終わりだ。

なら、こいつを「利用」するしかない。


俺はニヤリと笑い、魔王の顔を指差した。


「俺が勝ったら、お前も俺の『嫁』になれ」


「……は?」


アリスがぽかんと口を開けた。

数秒の沈黙。

そして、夜空を切り裂くような高笑いが響いた。


「アハハハハハッ!! 面白い! 最高です! 私を口説いた人間なんて初めてですよ!」


アリスが俺の目の前に降り立ち、その冷たい手で俺の頬を撫でた。


「いいでしょう。その無謀な賭け、乗ってあげます」


彼女の顔が近づく。

死の香りがする、甘い吐息。


「ただし、あなたが負けたら……その手足をもぎ取って、一生私の『ペット(観賞用)』として飼ってあげますからね? ――カイトお兄さん♡」


最悪だ。

夜逃げ失敗。

遭遇したのはラスボス。

そして始まったのは、負ければ人間終了、勝っても修羅場が加速するだけの、地獄のデスゲーム。


俺の異世界生活。

どうやらここからが、「本当の地獄」らしい。
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