殺人事件? 知ったことか、俺は定時で帰る。

白山 乃愛

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第6話 ライバル登場! 残業のエリート(スープは押収します)

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【18:45:00】

葛城 湊(かつらぎ みなと)は、人生で最も過酷な「空腹」と戦っていた。

場所は、六本木のITベンチャー企業『ネオ・スレイブ』のオフィス。
ガラス張りの会議室で、クライアントへの報告を終えた湊は、エレベーターホールへダッシュしようとしていた。

「……急げ。あと15分だ」

今日の19時00分。
湊が愛してやまない、行列のできる伝説のラーメン屋『豚骨魔神(トンコツ・マジン)』が、スープ切れで店じまいする予想時刻だ。
しかも今日は、月に一度の『チャーシュー・マシマシ無料デー』。
これを逃せば、湊の胃袋は暴動を起こし、人格が崩壊する。

「ここから店までタクシーで10分。……いける。ギリギリ滑り込める」

湊がエレベーターのボタンを連打した、その時だった。

「ギャァァァァァァッ!!」

オフィスフロアから、OLの悲鳴が響き渡った。
それは、湊の「チャーシュー」への夢を断ち切る、絶望のチャイムだった。

「……幻聴だ。俺の脳は今、豚骨の香りで満たされている」

「行きますよ、ラーメン先輩!!」

後輩の二階堂(にかいどう)アリスが、湊のベルトを掴んで引きずっていく。
彼女はなぜか、オフィスの受付にあった『純金の社訓プレート(額縁入り・30キロ)』を小脇に抱えている。

「離せ! 俺は魔神に会うんだ! 脂を摂取しないと乾燥して死ぬんだ!」

「人が死んでるんですよ! 脂と人命、どっちが大事なんですか!」

「脂に決まってるだろうが! カロリーは命の源だぞ!」

湊が引きずられていった先は、社長室だった。

   

現場は、意識高い系の社長室だった。
バランスボールやダーツボードが転がる部屋の中央で、Tシャツ姿の若手社長が、口から泡を吹いて倒れている。

「おいおいおい! 現場保存だ! 指紋ひとつ、ホコリひとつ逃すなよ!」

そこには、いつもの轟(とどろき)刑事はいなかった。
代わりに立っていたのは、高級スーツを着こなし、腕に『点滴(カフェイン原液)』を刺しながら立っている、目つきの鋭い男だった。

「……誰だ、アンタは」

湊が時計を見る。
18時48分。
あと12分。
轟刑事なら適当にあしらって帰れるが、こいつは明らかに『ヤバイ側』の人間だ。

男は点滴の滴下速度を上げながら、ギラついた目で名乗った。

「警視庁捜査一課、エリート管理官。……不破 労働(ふわ ろうどう)だ」

「不破……労働?」

「そうだ! 俺のモットーは『捜査は足で稼げ』『寝たら死ぬ』『残業は捜査官の勲章』だ!」

不破は、湊の顔を見て鼻で笑った。

「貴様が葛城湊か? 噂は聞いているぞ。『定時のカリスマ』だとな。……フン、嘆かわしい! 労働の喜びを知らんとは!」

「……喜び?」

「そうだ! 事件解決の糸口が見つからず、徹夜で資料を読み漁り、冷え切ったコンビニのおにぎりを噛みしめる時の高揚感! あれこそが刑事(デカ)の醍醐味だろうが!」

湊は、心の底から軽蔑した目で不破を見た。
(……関わってはいけないタイプだ。こいつは『全残協』とは違うベクトルで狂っている。ドMだ)

「鑑識! 被害者の小学校の卒業文集から洗い直せ! 動機は過去にあるかもしれん! 全員、来週まで帰れると思うなよ!」

不破が叫ぶ。
その言葉に、湊の堪忍袋の緒が切れた。

「……来週までだと?」

時刻は18時50分。
あと10分。
ラーメン屋のラストオーダーが迫る。
チャーシューが……チャーシューが冷めていく幻覚が見える。

「……起動(ブート)、麺硬め(バリカタ)モード。」

カッ!

思考加速。
湊の脳内から「捜査への情熱」が消え失せる。
残るのは、ラーメンの湯切り音と、最短の帰宅ルートのみ。

【スキャン開始】
……対象A:遺体。青酸カリ中毒特有のアーモンド臭。
……対象B:デスクの上。飲みかけのコーヒー。
(……ん?)
湊の目が、デスクの隅にある『加湿器』を捉える。
蒸気が出ている。最新のアロマ対応型だ。
そして、部屋の隅で震えている副社長。

カカカカッ!
脳内で情報が結合する。

(コーヒー=飲んでいない。口紅がついていない)
(アーモンド臭=口からではない。部屋全体から漂っている)
(加湿器=水タンクが変色している)

思考時間、0.05秒。
結論:秒殺。

「……遅い。実に遅い」

湊は不破管理官の前に割り込んだ。

「おい、残業ジャンキー」

「なんだと!?」

「あんたが小学校の文集を読んでいる間に、俺は解決して帰る。……犯人は、そこの副社長だ」

副社長がビクリと震える。
不破が点滴スタンドを握りしめて怒鳴る。

「馬鹿な! まだ捜査開始から3分だぞ! 汗もかいていない捜査に価値などあるか!」

「価値ならここにある。……副社長、あんたは社長のコーヒーに毒を入れたんじゃない。……『加湿器』のアロマタンクに入れたんだ」

「はぁ!?」

「気化(きか)した毒ガスだ。この部屋は密閉されている。あんたは社長と二人きりで会議をするふりをして、事前にガスマスクをつけて入室し、スイッチを入れた。社長が苦しみだしたのを見て、窓を開けて換気し、毒を薄めた。……だが、タンクの底にまだ結晶が残っているぞ」

副社長が加湿器に目をやる。
その動きが、何よりの自白だった。

「……証拠は、あんたのハンカチだ。さっきから口元を押さえているが、それは悲しいからじゃない。……吸い込んだ毒ガスのせいで、喉が焼けて痛いんだろう?」

副社長が膝から崩れ落ちる。

「あ……ああ……」

「動機は? どうせ『意識高い系ハラスメント』とかだろう」

副社長が、充血した目で叫んだ。

「その通りだ!! あいつは!! 毎朝6時から『グローバル・モーニング・セッション』を強制しやがったんだ!」

「モーニング……」

「『朝の脳はゴールデンタイムだ』とか言って! ヨガと瞑想を1時間やらされた後に、不味い青汁(ケール100%)を飲まされるんだ! 俺は……俺は朝はパン派なんだぁぁぁ! クロワッサン食わせろぉぉぉ!」

「…………」

湊は、深く深く頷いた。
その目には、同志を見る温かさがあった。

「……無罪(イノセント)だ」

「え?」

「パン派に青汁を強要する罪は、殺人より重い。……俺が裁判員なら、バターたっぷりのデニッシュを差し入れする」

「貴様ぁぁぁ!」

不破が割って入る。

「ふざけるな! そんな動機で捜査を終わらせてたまるか! まだ動機には裏があるはずだ! この『加湿器』のメーカーから、青汁の成分分析まで、全て洗い出すぞ! 署への連行は明日の朝だ!」

「なっ……!?」

湊が絶句する。
事件は解決したはずだ。なのに、この残業マニアは「過程」を楽しむために、わざと解決を引き伸ばそうとしている。

「邪魔をするな! 俺はラーメン屋に行くんだ!」

「ならん! 重要参考人として、君にも立ち会ってもらう! じっくりと膝を突き合わせて、朝まで『捜査のあり方』について語り合おうじゃないか!」

不破が手錠を取り出し、湊の腕を掴もうとする。
最悪だ。
こいつは、犯人よりタチが悪い。
正義の名を借りた、究極の「構ってちゃん」だ。

湊は腕時計を見た。
18時55分。
あと5分。

「二階堂」

「はいっ!」

「その働き方改革の敵を、ペーパーレス化しろ」

「イエス・ボス!!」

アリスは、部屋の隅にあった『業務用・大型複合機(コピー・FAX・スキャナ機能付き・200キロ)』に手をかけた。

「紙詰まり(ジャム)でも起こしてなさいぃぃぃ!」

ドゴォォォォォォォン!!!!!

「ぬおぉぉぉぉ! リース契約がぁぁぁぁ!」

不破管理官は美しい放物線を描き、社長室の窓を突き破り、六本木の夜景の中へと消えていった。

「……ナイス・コピー」

「えへへ、両面印刷(裏表のない攻撃)です!」

湊はパンパンと手を払う。

「よし、解決。副社長、自首しとけ。俺は帰る。豚骨魔神が待っている」

湊はアリスの手を引いて、エレベーターへダッシュした。
18時58分。
タクシーなら2分。
店の前で土下座すれば、まだ間に合う!

「急げ二階堂! 麺の硬さは『粉落とし』だ!」

「はい! ……あ、先輩」

「なんだ! 」

「さっき、不破管理官を投げた時に……ちょっと勢い余って……」

「余って、どうした!」

アリスは、窓の外を指差した。
不破が飛んでいった、ビルの下。
そこには、湊が目指していたラーメン屋『豚骨魔神』の屋台が出ていた。

ガッシャァァァァァン!!!!!

嫌な音が響く。
空から降ってきたエリート刑事が、屋台の寸胴鍋に頭から突っ込んだ音だ。

「……あ」

眼下に見える光景。
粉々になった屋台。
道路にぶちまけられた、伝説のスープ。
そして、全身豚骨まみれになりながら、ゆっくりと立ち上がる不破管理官。

不破は、道路に広がったスープを指ですくい、ペロリと舐めた。
そして、ニヤリと笑った。

「確保だ! 鑑識ぃぃぃ! このスープを『重要証拠品』として全て押収しろぉぉぉ!」

「はぁ!?」

「この濃厚な脂……明白な『健康増進法違反』の疑いがある! 俺のスーツについたスープもだ! 一滴残らずスポイトで吸い取れ! 成分分析にかける! 捜査が終わるまで、誰にも飲ませるな! 証拠隠滅の恐れがある!」

【19:00:00】

湊の腕時計が、無情な時を告げる。

それは、ラーメン屋の閉店時刻であり、
湊の愛するスープが、国家権力によって『逮捕』された時刻でもあった。

湊は、六本木の中心で、膝から崩れ落ちた。

「……ああ……俺の……スープが……逮捕された……」

「せ、先輩! しっかりしてください! 釈放(廃棄)されるのを待ちましょう!」

湊の目から、光が消えた。
彼は、地獄の底から響くような声で言った。

「……二階堂」

「は、はいぃぃ!」

「警察署に行くぞ」

「へ? 自首ですか?」

「違う。……証拠品保管庫に忍び込む。あいつらが分析する前に、俺がスープを飲む。……タピオカ用の太いストローを持ってこい」

「ひぃぃぃ! それ、窃盗罪より重いですよぉぉぉ!」

こうして、俺の『ラーメン計画』は、ライバル刑事の登場によって、『警察署への不法侵入(スープ泥棒)』という新たな犯罪計画へと変わった。

だが、俺は知ってしまった。
『全残協』だけではない。
『警察』の中にも、残業を愛する狂人がいることを。

俺の戦いは、ここからが本番だ。
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