殺人事件? 知ったことか、俺は定時で帰る。

白山 乃愛

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第9話 請求書は嵐のように(破産のお知らせ)

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【16:55:00】

葛城探偵事務所。

葛城 湊(かつらぎ みなと)は、完璧な「帰宅ムーブ」に入っていた。

デスクの上には何もない。塵一つない。
PCはシャットダウン済み。

鞄には、駅前のデパ地下で争奪戦の末に勝ち取った『半額の特上ウニ・イクラ丼』が入っている。

「……勝った。今日は平和だった」

湊は勝利を確信していた。

今日の17時00分。
定時のチャイムと共に、俺は光の速さで事務所を出て、自宅で海鮮パーティを開催する。

誰にも邪魔はさせない。
神ですら、今の俺を止めることはできない。

「先輩、ウニですか? 私の分は?」

後輩の二階堂(にかいどう)アリスが、事務所の床で腕立て伏せ(背中に50キロの金庫を乗せて)をしながら聞いてくる。

「ない。お前はささみを食ってろ」

「えーっ! パワハラだ! 労基署に訴えてやるぅ!」

「うるさい。……あと5分だ。プロテインを片付けろ」

その時だった。

ドンドンドン!!!

事務所のドアが、借金取りのような乱暴さで叩かれた。

「……チッ。誰だ、こんな時間に」

湊は舌打ちをした。
あと5分で客? ふざけるな。
居留守だ。息を潜めろ。電気を消せ。

ガチャリ。

「失礼します。……鍵が開いていましたよ(ピッキング済み)」

鍵をかけていたはずのドアが、無情にも開けられた。

入ってきたのは、黒いリクルートスーツに銀縁眼鏡をかけた、冷徹そうな美女だった。

手には、広辞苑よりも分厚いバインダーを持っている。
そして、背後には引っ越し業者のような男たちが数名、段ボールを運び込んでいる。

「……おい、なんだアンタらは。営業時間は終了だ。不法侵入で通報するぞ」

湊がスマホを取り出すと、美女は眼鏡の位置を中指で直し、絶対零度の声で言った。

「初めまして。私、全日本損害保険協会・特務査定員の『御茶ノ水 聖(おちゃのみず ひじり)』と申します」

「保険屋? 間に合ってる。帰れ」

「いえ、今日は『請求』と『差し押さえ』に参りました」

聖は、持っていたバインダーを開き、一枚の長い長い紙を、レッドカーペットのように床に転がした。

シュルルルルルル……!

紙は部屋の端まで転がり、壁にぶつかり、さらに折り返して湊の足元まで届いた。

「……なんだ、これは」

「貴方の事務所が引き起こした『器物損壊』に関する請求書です」

聖が事務的に読み上げる。

「1月某日。焼肉店にて、業務用金庫(200キロ)を投擲。排気ダクトおよび隣のビルの壁面を破壊。……損害額、500万円」

湊の顔が引きつる。

「2月某日。雪山の旅館にて、木彫りの熊(特大)を投擲。露天風呂の源泉パイプを破断し、温泉街を水没させる。……損害額、3000万円」

アリスが「あちゃー」という顔で口笛を吹く。

「3月某日。新幹線内にて、3列シートを引き抜き、車両の電気系統をショートさせ、ダイヤを3時間遅延させる。……損害額、1億2000万円」

「ちょ、ちょっと待て!」

湊が叫ぶ。

「そ、それは正当防衛だ! 俺たちは犯人を捕まえたんだぞ! 感謝状をもらってもいいくらいだ!」

「ええ。ですが、犯人確保に必要な『最小限の実力行使』を著しく逸脱しています。……犯人は『軽傷』でしたが、公共交通機関は『壊滅』です」

聖は冷酷に続ける。

「そして極めつけは、先日の結婚式場および筋肉村の公民館破壊。……これらを含め、締めて総額5億500万円」

聖はバインダーを閉じた。音だけが重く響く。

「……お支払い期限は、本日の17時までとなっております」

「ご、5億……!?」

湊は膝から崩れ落ちた。

5億。
サラリーマンが一生かかっても返せない金額だ。
デパ地下の半額ウニ丼(1200円)で喜んでいた自分が、急にミジンコ以下に思えてきた。

「は、払えるか! そんな金あるわけないだろ! 俺の口座には3万円しか入ってない!」

「そう仰ると思いまして」

聖は、懐からもう一枚の書類を取り出した。

「債権回収代行業者……通称『全残協・ファイナンス』への譲渡契約書です」

「げっ! 全残協!?」

「彼らは慈悲深いですよ。……貴方が払えない場合、選択肢を用意してくれています」

聖が指を3本立てる。

「1、『ベーリング海でカニ漁船(契約期間50年)』」
「2、『南米の鉱山でレアメタル発掘(防護服なし)』」
「3、『新薬開発のための人体実験(生存率2%)』」

「全部デスゲームじゃねーか!!」

湊は時計を見た。
16時58分。
あと2分。
人生終了のカウントダウンだ。

「……起動(ブート)、債務不履行モード。」

カッ!

思考加速。
湊の脳内から「返済」の文字が消え失せる。
残るのは、この女を物理的に排除し、夜逃げするルートのみ。

「二階堂!!」

「はいっ!」

「この女を……『クーリングオフ』しろ」

「イエス・ボス!!」

アリスは、事務所の『金庫(湊のへそくり入り)』を軽々と持ち上げた。

「返品(物理)ですぅぅぅぅ!」

「無駄です」

聖は、懐から『電卓』を取り出した。
そして、アリスが投げようとした瞬間、目にも留まらぬ速さでキーを叩いた。

タタタンッ!

「……え?」

アリスの動きが止まる。
いや、金庫が重すぎて動かないのではない。
聖が、一枚のカードを提示したのだ。

「二階堂アリスさん。……貴方が通っている『マッスル・ゴールドジム』の会員権、先ほど凍結しました」

「な……!?」

「さらに、貴方が定期購入している『海外製・高級プロテイン』の輸入ルートも封鎖しました。……今その金庫を投げれば、貴方の筋肉は栄養不足で『分解(カタボリック)』を始めますが?」

「ひぃぃぃ! 筋肉がしぼむぅぅぅ!」

アリスは金庫を下ろして土下座した。
物理最強のアリスが、筋肉という弱点を突かれて敗北した瞬間だった。

「……くっ、やるな……」

湊は脂汗を流した。
この女、強い。
物理攻撃が通じない相手は初めてだ。
それに、なんだこの男たちは。さっきから事務所に勝手にデスクを運び込んでいる。

「さて、葛城所長。……『第4の選択肢』を提案します」

聖は、新しい契約書を机に置いた。

「5億円、免除はできませんが……『この事務所の売上』で返済するなら、分割払いを認めます」

「ほ、本当か……?」

「はい。……ただし、条件があります」

聖が眼鏡を光らせる。

「私がこの事務所に『経理・総務・監視役』として常駐し、貴方たちの売上をすべて管理します。……今後、貴方の給料は『月額3万円(お小遣い制)』となります」

「さ、3万!? 中学生かよ!」

「嫌ならカニ漁船です。……さあ、サインを」

湊は震える手でペンを握った。

自由か、死か。
いや、これは「飼い殺し」か「即死」かの二択だ。

【17:00:00】

チャイムが鳴る。
定時だ。

しかし、湊はもう帰れない。
なぜなら、聖が入り口のドアに『電子ロック(暗証番号式)』を取り付けてしまったからだ。

「……くっ……! 分かったよ……! 返せばいいんだろ! 5億稼げば文句ねぇな!」

湊は涙を流しながら、契約書にサインした。

その瞬間、湊の「自由な探偵ライフ」は終了し、「全残協の下請け奴隷」が爆誕した。

聖はニッコリと微笑んだ。
その笑顔は、悪魔よりも恐ろしかった。

「契約成立ですね。……では所長、早速ですが」

聖は、運び込まれた段ボールを開封した。
中には、大量の『領収書』と『未整理の書類』が入っている。

「これは?」

「全残協の『裏帳簿』の整理です。……確定申告までに終わらせてください。ざっと2万枚あります」

「はぁ!? 俺は探偵だぞ! 事務屋じゃねぇ!」

「借金持ちに職業選択の自由はありません。……サボったら、お夕飯のウニ丼は没収です」

「き、貴様ぁぁぁぁ!!」

聖は、湊のデスクの隣に自分のデスクを配置し、優雅にパソコンを開いた。

「ああ、それと。……この事務所、汚すぎますね」

聖は部屋を見渡した。

「明日から毎日、朝6時に起きて『トイレ掃除』と『窓拭き』を命じます。……ホコリ一つでも見つけたら、罰金1万円です」

「お母さんかよ!!」

こうして、葛城探偵事務所に新しい「家族(監視者)」が増えた。

物理担当のアリス。
頭脳担当の湊。
そして、財布と生活を支配する聖。

奇妙な『同居生活』が始まった。

湊は、山積みの領収書を見つめながら、心の中で誓った。

(……絶対に……絶対に5億稼いで、この女をこの事務所から叩き出してやる……!)

聖は、湊の背中を見ながら、インカムで誰かに報告していた。

『……はい、CEO。対象の拘束(ロック)、完了しました。……これより、24時間監視体制に入ります』

終わらない日常。
終わらない返済。
俺たちの定時は、もはや幻となった。
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