殺人事件? 知ったことか、俺は定時で帰る。

白山 乃愛

文字の大きさ
13 / 22

第12話 消えた監査官(その計算は合っているか)

しおりを挟む
【10:00:00】

葛城探偵事務所。
いつもの朝……のはずだった。

「……おい、聖(ひじり)。コーヒーが泥水みたいに苦いぞ」

葛城 湊(かつらぎ みなと)がマグカップを置いて文句を言う。
しかし、返事がない。
いつもの「貴方の舌が貧乏なだけです」という冷徹なツッコミが飛んでこない。

「……あれ?」

湊はデスクを見た。
聖がいない。
あの「1秒の遅刻も許さない女」が、10時になっても出社していない。
デスクの上には、飲みかけのペットボトルと、電源の入ったままの電卓。

「先輩! 大変です! 冷蔵庫の『私のプリン』が3つとも無事です!」

二階堂アリスが冷蔵庫の前で戦慄している。
聖なら、賞味期限1分前に没収して「雑所得として計上します」と言って食べているはずだ。
それが残っている。
これは、天変地異の前触れだ。

「……おかしい」

湊は聖のデスクに近づいた。
パソコンの画面には、『全残協・裏帳簿データ』が表示されたままフリーズしている。
そして、床には聖の『眼鏡』が落ちていた。
片方のレンズが割れている。

「……争った形跡か」

プルルルルル……。

事務所の電話が鳴った。
嫌な音がする。
湊が受話器を取ると、ボイスチェンジャーを通した不気味な機械音声が響いた。

『……葛城探偵事務所だな』

「セールスならお断りだ。間に合ってる」

『お宅の可愛い経理担当は預かった』

湊の目が細くなる。

『全残協・掃除課(クリーナー)だ。……その女、組織のタブーである「CEOのへそくり口座」にアクセスしやがった。……産業スパイとして処分する』

「……処分?」

『今夜19時、東京湾の「廃棄物焼却プラント」で燃やす。……灰になれば、不正の証拠も消えるからな』

「……待て。身代金は?」

『いらん。これは粛清だ。……悔しかったら、定時までに助けに来るんだな。ハハハ!』

ガチャン。
通話が切れた。
ツー、ツー、ツー……。

「……先輩」

アリスが不安そうに湊を見る。
湊は受話器を置いた。
そして、落ちていた聖の眼鏡を拾い上げた。

「……二階堂」

「はい」

「……出動だ。今日は『物理』も『頭脳』もフル稼働させる」

「えっ!?」

「あいつは俺の『金づる(借金管理役)』だ。……勝手に燃やされてたまるか」

湊はニヤリと笑った。
だが、その目は笑っていなかった。
かつて「伝説の社畜」と呼ばれ、日本の経済を裏で回していた男の、本気(マジ)の目が光っていた。

「……それに、あいつ。昨日の夜、俺の『半額シール付き高級ステーキ』を勝手に食った疑いがある」

「え? そんな理由ですか?」

「食い逃げは重罪だ。……地獄の底まで追いかけて、代金を請求してやる」


【18:30:00】

東京湾、人工島。
巨大な焼却炉が並ぶ、廃棄物処理プラント。
熱気が渦巻く工場の中心で、聖は椅子に縛り付けられていた。

「……くっ……離しなさい……! 私は本部直轄の監査官よ……! こんなことをして、タダで済むと思っているの!?」

「監査官? 知らねぇな。俺たちはCEOの直命で動いてるんだ」

掃除課のリーダーらしき男が、焼却炉のスイッチに手をかける。
ゴォォォォォ……!
真下の炉で、紅蓮の炎が渦を巻く。

「残念だったな、お嬢ちゃん。……お前は真面目すぎたんだよ。組織の『必要経費(裏金)』に口を出す奴は、こうして消える運命なんだ」

「……そんな……」

聖は唇を噛んだ。
組織の正義を信じて働いてきた。
不正を正すのが監査の仕事だと信じてきた。
なのに、その組織に消されようとしている。

(……所長……二階堂さん……)

走馬灯のように、あの汚い事務所での日々が蘇る。
Gが出てパニックになった日。
エアコンの温度設定で喧嘩した日。
そして、湊がこっそり買ってきてくれた(経費で落とした)シュークリームの味。

「さあ、時間だ。……『燃えるゴミ』の時間だ」

リーダーがレバーを引こうとした。
聖が目を閉じた、その時。

「……おいおい。ゴミの分別もできないのか? この会社は」

工場の入り口に、人影があった。
タバコ(本当は10円のココアシガレット)を咥えた湊と、巨大な鉄パイプを担いだアリスだ。

「……所長!?」

「よお、聖。……無断欠勤とはいい度胸だな。罰金100万円だぞ」

「……バカ! 逃げて! ここは罠よ! 彼らは武装してるわ!」

エージェントたちが、サブマシンガン(ゴム弾仕様だが当たれば骨折する)を構える。
リーダーが笑う。

「ハハハ! 飛んで火に入る夏の虫だな! 探偵、お前も一緒に燃やしてやる!」

「燃やす? ……やめてくれよ」

湊はポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりと歩き出した。
銃口が向けられているのに、散歩でもするかのように。

「俺は暑いのが苦手なんだ。……それに、お前ら。本当に俺を殺していいのか?」

「あ?」

「俺の心拍数が停止すると……全世界の『動画サイト』に、あるデータが自動アップロードされる仕掛けになっている」

「……なんだと?」

「お前らのボス、CEOの『裏帳簿』の全データだ。……ついでに、CEOが『カツラ』を外してフラダンスを踊っている忘年会の隠し撮り映像もな」

「なっ……!?」

全員が凍りつく。
裏帳簿はともかく、カツラの映像は組織の尊厳に関わる。

「嘘だ! そんなものあるわけがない!」

「試してみるか? ……俺の心臓を止めてみろ。その瞬間、全残協の株価は大暴落だ」

湊が胸を叩く。
完全なハッタリだ。
そんなシステムはない。
あるのは、湊の度胸と、口八丁の手腕だけ。

リーダーが脂汗を流す。
撃てない。
リスクが高すぎる。

「……チッ! 野郎ども! 殺さずに捕まえろ! 半殺しにして吐かせろ!」

敵が一斉に殴りかかってきた。

「二階堂! やれ!」

「イエス・ボス!!」

アリスが鉄パイプを旋回させる。
「打撃(物理)ですぅぅぅぅ!!」

ドガァァァァン!!
アリスの一撃で、屈強な男たちがボウリングのピンのように宙を舞う。
乱戦が始まった。
湊はその隙に、聖の元へ走る。

「聖! 今助ける!」

湊がナイフで縄を切る。

「……どうして……! どうして来たんですか……! 私なんか見捨てれば、借金も踏み倒せたのに……!」

聖が泣き叫ぶ。
湊は、面倒くさそうに頭を掻いた。

「……勘違いするな」

「え?」

「お前がいなくなったら、誰が『経費』の計算をするんだ?」

「……は?」

「俺は数学が苦手なんだよ。確定申告も面倒くさい。……お前という『高性能・経理ソフト』を失うのは、経済的損失デカすぎる」

「……っ!」

聖が言葉を失う。
そんな理由で。
たったそれだけの理由で、命がけで敵のアジトに乗り込んできたというのか。
この男は、どこまでバカで、どこまで計算高いのか。

「さあ、行くぞ。二階堂が暴れている隙に……」

その時。

「逃がすかぁぁぁ!!」

リーダーが、焼却炉のクレーンを操作した。
巨大なアームが、天井から落下してくる。
狙いは聖だ。

「危ない!」

湊が聖を突き飛ばした。
ズドォォォン!!
アームが床を粉砕する。
聖は無事だった。
だが、湊の足場が崩れた。

「……しまっ……」

湊の体が、真っ赤に燃える焼却炉へと滑り落ちていく。

「所長ォォォォォ!!」

聖が手を伸ばす。
指先が触れる。
だが、届かない。

「……へっ、あばよ」

湊が落下する。
その下には、数千度の炎。
死ぬ。
確実に死ぬ。

聖の視界がスローモーションになる。
嫌だ。
失いたくない。
借金も、仕事も、どうでもいい。
この人がいなくなる世界なんて、いらない。

「嫌ぁぁぁぁぁぁ!!」

聖の絶叫が響いた、その瞬間。

ガシィッ!!

湊の落下が止まった。
空中で。

「……うおっ!?」

見ると、焼却炉のフチから、アリスが逆さまにぶら下がり、湊のベルトを片手で掴んでいた。

「セーーーーフ!!」

アリスの足首を、聖が必死に掴んで支えている。
さらに聖の足を、倒れた敵のエージェントたちが(無意識に)重石となって支えていた。
奇跡の人間チェーン。

「……お、重い……! 先輩、最近太りましたか!?」

「筋肉(おまえ)に言われたくないわ! 早く引き上げろ!」

アリスが「ふんぬぅぅぅ!」と唸り、湊を放り投げた。
湊は床に転がり、聖の胸に飛び込む形で着地した。

「……ぐふっ!」

「……きゃっ!」

二人は重なり合って倒れた。
湊の顔が、聖の胸に埋まる。

「……生きてる……」

聖が、震える手で湊の背中に触れる。
温かい。
鼓動が聞こえる。

「……バカ……! 大バカ……!」

聖の目から涙が溢れ出した。
いつもは完璧な彼女が、子供のように泣きじゃくっている。

「……おい、聖。……苦しい。窒息する」

湊が顔を上げる。
その顔は煤だらけで、少し赤かった。

「……眼鏡、直せよ。……美人な顔が台無しだぞ」

湊が、懐から拾っておいた『割れた眼鏡』を取り出し、聖にかけさせた。
レンズはヒビだらけだが、聖には、湊の顔が今までで一番鮮明に見えた。

ドキン。

聖の胸の奥で、何かが決定的に壊れた音(あるいは生まれた音)がした。
それは、監査官としての理性が、一人の女性としての感情に敗北した音だった。

「……うるさいです……。……セクハラで訴えますよ……」

聖は顔を背けた。
その耳まで真っ赤になっていることを、湊には見られたくなかったから。

「……よし、二階堂! 撤収だ! これ以上長居すると残業代がかさむ!」

「了解です! 帰りましょう、お家へ!」

3人は、夕焼けの中、炎上するプラントを後にした。
借金はまだ残っている。
組織との因縁も終わっていない。
だが、3人の間には、確かに「計算」では割り切れない絆が生まれていた。

(……覚えてなさいよ、湊さん……)

聖は、湊の背中を見つめながら、心の中で呟いた。

(……この命の借りは……一生かけて、貴方の側で返してあげますから……)

彼女の顔は、夕焼けよりも赤かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます

なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。 だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。 ……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。 これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【完結】魔王を倒してスキルを失ったら「用済み」と国を追放された勇者、数年後に里帰りしてみると既に祖国が滅んでいた

きなこもちこ
ファンタジー
🌟某小説投稿サイトにて月間3位(異ファン)獲得しました! 「勇者カナタよ、お前はもう用済みだ。この国から追放する」 魔王討伐後一年振りに目を覚ますと、突然王にそう告げられた。 魔王を倒したことで、俺は「勇者」のスキルを失っていた。 信頼していたパーティメンバーには蔑まれ、二度と国の土を踏まないように察知魔法までかけられた。 悔しさをバネに隣国で再起すること十数年……俺は結婚して妻子を持ち、大臣にまで昇り詰めた。 かつてのパーティメンバー達に「スキルが無くても幸せになった姿」を見せるため、里帰りした俺は……祖国の惨状を目にすることになる。 ※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。 ※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です

処理中です...