殺人事件? 知ったことか、俺は定時で帰る。

白山 乃愛

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第16話 筋肉の使者(脳みそまでプロテインか)

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【10:00:00】

葛城探偵事務所。
平和な朝。
葛城 湊(かつらぎ みなと)は、昨日の「ビキニ事件」の傷も癒えぬまま、死んだ目でパソコンに向かっていた。

「……おい、聖(ひじり)。コーヒー」

「セルフサービスです。……手数料100円いただきます」

御茶ノ水 聖(おちゃのみず ひじり)は、冷徹に電卓を叩いている。
平和だ。
借金と殺意はあるが、平和な日常だ。

ズズズズズ……。

「ん?」

突如、事務所が揺れた。
地震か?
いや、違う。
規則的な振動だ。
コップの水が波紋を広げる。
何かが近づいてくる。
物理法則を無視した「質量」が。

「……先輩、逃げてください」

二階堂(にかいどう)アリスが、窓際で青ざめていた。
彼女がこれほど怯えるのは初めてだ。

「……来ちゃいました。……『彼』が」

「彼?」

ドガァァァァァァァン!!!!!

事務所のドアが、蝶番(ちょうつがい)ごと吹き飛んだ。
粉塵が舞う中、入り口を塞ぐほどの「肉の壁」が現れた。

身長2メートル10センチ。
体重150キロ(体脂肪率3%)。
首がない。僧帽筋が発達しすぎて、肩から直接頭が生えている。
スーツの上からでも分かる、はち切れんばかりの筋肉(メロン)。

「……押忍(オス)!!」

男が叫んだだけで、窓ガラスにヒビが入った。

「……なんだこのバケモノは。ゴリラの王か?」

湊が腰を抜かす。
アリスが震える声で紹介した。

「……私の許嫁(いいなずけ)。……筋肉村の若頭(わかがしら)、『マッスル・タカシ』さんです」

「許嫁ぇぇぇ!?」

タカシが、丸太のような腕を組み、重低音で言った。

「アリス。……迎えに来たぞ。……村へ帰ろう。……結婚して『プロテイン畑』を耕すんだ」

「い、嫌です! 私は都会でOL(探偵助手)をやるんです!」

「問答無用。……村の掟(オキテ)だ。……連れて帰る」

タカシが一歩踏み出す。
床がミシミシと悲鳴を上げる。
このままでは、アリスが連れ去られてしまう。

「……ま、待て待て待て!」

湊が割って入った。
震える足で。

「……あ、アンタ、アリスを連れて行く気か?」

「……誰だ、貴様は。……モヤシか?」

「モヤシじゃねぇ! 所長だ!」

湊は必死だった。
アリスがいなくなれば、誰が重い荷物を持つのだ?
誰が暴漢を撃退するのだ?
誰が湊の代わりに肉体労働をするのだ?
アリスという「最強の物理(福利厚生)」を失うことは、事務所の死を意味する。

「……この子は渡さん! ウチの重要な『備品』だ!」

「備品? ……なら、力づくで奪うまで」

タカシが拳を握る。
ボキボキボキッ!
空気が圧縮される音がした。
死ぬ。
ワンパンでミンチになる。

その時。
聖が眼鏡を光らせて前に出た。

「……お待ちください」

「……なんだ、女」

「貴方がアリスさんを連れて行くと、当事務所の『資産価値』が著しく低下します。……よって、監査官として阻止します」

聖が電卓を構える。

「……そこで提案です。……『三本勝負』で決着をつけましょう」

「三本勝負?」

「はい。……ウチの所長が勝てば、アリスさんの自由を認める。……貴方が勝てば、連れて帰っていい。……どうですか?」

「……フン。……いいだろう。……筋肉(チカラ)こそ正義。……受けて立つ」

タカシが承諾した。
湊が聖の胸ぐらを掴んだ。

「おいバカ! 勝てるわけねぇだろ! 殺す気か!」

「大丈夫です、所長」

聖が小声で囁く。

「まともに戦っては勝ち目はありません。……ですが、相手は『脳筋』です。……3回戦のルールはこちらで決めます。……ハメ殺しましょう」

「……汚ねぇ! さすがエリート!」

   

【第1回戦:指相撲】

事務所の中央に、強化デスク(鉄板入り)が用意された。

「ルールは簡単。指相撲だ」

タカシが親指を突き出す。
その親指だけで、湊の腕くらいの太さがある。

「レディー……ゴー!!」

バギィッ!!!!!

開始0.01秒。
タカシが指に力を入れた瞬間、衝撃波が発生し、デスクが真っ二つに粉砕された。
湊は吹っ飛び、壁に張り付いた。

「……勝者、タカシ!!」

「……弱い。……話にならん」

「戦略的敗北だ! 指が折れたらスマホゲーができねぇだろ!」

湊が負け惜しみを叫ぶ。

   

【第2回戦:スクワット対決】

「次は持久力だ。……倒れるまでスクワットを続ける」

タカシが、アリス(60キロ)と聖(秘密)を両肩に乗せてスクワットを始めた。
フンッ! フンッ!
高速で。
残像が見える。

「……次、貴様の番だ」

湊の前には、何も乗っていない。
ただの空気椅子だ。

「……無理だ。膝が笑ってる」

「所長、給水タイムです」

聖が不気味な色のボトルを持ってきた。

「『特製ドリンク』です。……冷蔵庫の奥にあった『賞味期限不明のマムシドリンク』と、『風邪薬』と、『エスプレッソ』と、『タバスコ』を煮詰めました」

「毒だろ!!」

「飲みなさい! ……脳のリミッターを外して、痛覚を麻痺させるのです!」

聖が無理やり湊の口にボトルを突っ込む。
ゴキュッ、ゴキュッ……。

「んぐっ……! ぐあぁぁぁぁ!!」

ドクンッ!!

湊の目が白目を剥いた。
血管が浮き出る。
心臓が早鐘を打つ。
カフェイン中毒とカプサイシンの刺激で、脳内麻薬がドバドバ出ている。

「……シャアアアアアア!! 膝が……膝が勝手に動くぅぅぅ!」

湊が高速スクワットを始めた。
自分の意思ではない。
痙攣だ。
カフェインの過剰摂取による全身痙攣を、スクワットに見せかけているだけだ。

「な、なんだと……!? あのモヤシが、音速を超えている……!?」

タカシが驚愕する。
湊は白目を剥いたまま、1000回を超えたあたりで、泡を吹いて倒れた。

「……勝負あり! ドクターストップにより引き分け!」

聖が叫ぶ。
1勝1敗(1惨敗、1引き分け)。
勝負は最終戦へ。

   

【最終戦:確定申告デスマッチ】

「……最後は、知能(インテリジェンス)で勝負してもらう」

蘇生措置(水ぶっかけ)を受けた湊が、机に向かった。
目の前には、大量の『領収書』と『電卓』。
そして、複雑怪奇な『確定申告書類(青色申告・65万円控除)』。

「ルールは簡単だ。……この1年分の経費を仕分けし、税務署に提出できる書類を完成させた方が勝ちだ」

「……カクテ、シンコク……?」

タカシが眉をひそめる。
彼にそんな概念はない。
筋肉村では、筋肉こそが通貨であり、法律だからだ。

「……フン。……計算など、筋肉でねじ伏せればいい」

タカシがボールペンを握る。

バキッ!!

ペンが粉砕された。
握力が強すぎるのだ。

「……あ」

「……ふふっ。パワーが強すぎてペンが持てないようだな」

湊がニヤリと笑う。
これぞ知能戦。
繊細な指先の動きが要求される事務作業において、筋肉は邪魔なだけだ。

「代わりのペンだ(チタン製)! ……さあ、始めろ! まずはその『プロテイン代』を経費にするか、生活費にするか選べ!」

「……プロテイン?」

タカシが領収書を見る。
『マッスル・ホエイ 3万円』。

「……これは……俺の血肉だ。……生きるために必要な食費……いや、仕事(トレーニング)のための経費……?」

タカシの脳内で、矛盾が衝突する。
筋肉にとっては食事だが、税法上はどうなのか。

「甘いな! ……プロテインは『嗜好品』と見なされる場合がある! 税務署は認めないぞ!」

「な、何だと!? プロテインが嗜好品!? 主食だぞ!!」

「それが『社会(リアル)』だ! ……さあ、次は『ジムの会費』だ! これは福利厚生か!? 個人利用か!?」

「……う、うぐぐ……」

タカシのこめかみに青筋が浮かぶ。
脳に血がいかない。
全ての血液が筋肉にいっているため、思考力が著しく低下している。

「……分からん……。どっちだ……。筋肉なのか……税金なのか……」

「トドメよ、所長!」

聖が、分厚いファイルをタカシの目の前に叩きつけた。

「これを見なさい! ……今年から始まった『インボイス制度』の手引きよ!」

「イ、インボイス……!?」

タカシがファイルを開く。
そこには、難解な漢字と数字の羅列。
『適格請求書発行事業者』
『課税売上高計算』
『簡易課税制度』

「……う、うわぁぁぁぁ! 文字が……文字が襲ってくるぅぅぅ!」

タカシの視界が歪む。
彼の脳(筋肉)が、未知のウイルス(税法)に侵され、拒絶反応を起こした。

「筋肉で……解決できない……だと……!?」

プシューーーッ!!

タカシの耳から煙が出た。
そして、胸筋が痙攣し、腹筋が攣り、全身の筋肉が「思考停止」を宣言した。

「……限界だ……! キャパオーバーだぁぁぁ!!」

ドォォォン!!

タカシは、椅子ごと後ろに倒れ込み、白目を剥いて気絶した。
脳の処理能力を超えた「事務処理」の奔流に、筋肉がショートしたのだ。

「……勝者、葛城湊ぉぉぉ!!」

聖が高らかに宣言する。
湊は、電卓(まだ電源すら入れていない)を高々と掲げた。

「見たか! これが『現代社会の複雑さ(理不尽)』だ! 筋肉だけで生きていけると思うなよ!」

   

【17:00:00】

夕方。
目を覚ましたタカシは、清々しい顔をしていた。

「……完敗だ。……都会には、俺の及ばない『強敵(税金)』がいるようだな」

タカシが立ち上がる。

「アリス。……お前はここにいろ。……この男の元で、社会の厳しさを学ぶがいい」

「タカシさん……!」

「ただし」

タカシが湊を指差す。
その指先には、まだ微かな震えがあった(インボイスの恐怖)。

「もしアリスを泣かせたら……次は『筋肉村・長老(レベル100)』が来る。……長老は『簿記2級』を持っているぞ」

「ひぃっ! 簿記持ちのゴリラ!? か、勝てねぇ!」

「……押忍!」

タカシは叫んで、修理したばかりのドアを再び突き破って帰って行った。
なぜノブを回さないのか。

「……はぁ……死ぬかと思った……」

湊が床にへたり込む。
聖が、壊されたドアを見て、深いため息をついた。

「……所長」

「……なんだよ」

「今回の修繕費および、ドーピング薬の調合代、そして私の『税務指導料』。……締めて『500万円』です」

「……は?」

「アリスさんを守った代償です。……安いものでしょう?」

聖が新しい請求書を発行する。
湊は泣いた。
筋肉にも勝てたが、経理には勝てない。

「……二階堂」

「はいっ!」

「……肩を揉め。……今日は命日だと思って優しくしろよ?」

「イエス・ボス! 感謝の気持ちを込めて……フルパワー指圧!」

ボキッ。

「ぎゃあああああああ!! 肩甲骨がぁぁぁぁ!!」

平和な事務所に、湊の悲鳴が響く。
アリスが残り、借金が増え、骨が折れた。
それでも、この日常は続いていく。

俺たちの定時は、まだまだ遠い。
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