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イストリア王妃②

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「すべてを? ああ、なんということ……」

 イヴァーノの言葉に、お母様が両手で口を抑えながら小さく呟く。そしてふらふらと後退り、力なくソファーへと座った。

「ごめんなさい、アリーチェ。わたくしは貴方を守りたかったのに……。貴方を傷つけたくなかったのに……」

 泣きながら謝るお母様に胸が痛くなり、慌ててお母様の前に膝をつき、その手を握る。

 そんなことない。ずっと守ってくれていた。
 どんな時もずっと私を愛し守ろうとしてくれている。いつも伝わってくるその想いは、いつだって私の支えだ。

「お母様、ずっと言い出せなくて申し訳ございません……。でも、そんなことありません。お母様はいつだって私を守ってくれる。どんな時だって寄り添ってくれる。だから、そんなふうに言わないでください」
「アリーチェ……。いつから? いつから、知っていたの?」
「……五歳の時から」

 目の前に膝立ちになっている私を抱き締めるお母様にそう答えると、お母様が「やはり……」と小さな声で呟いた。その声はとても小さく震えていて、抱き締められていないと聞こえないくらい、か細かった。


「あの時の貴方は様子がおかしかったもの。倒れたのは真実を知ったからなのね……」
「……知った時は絶望し悲観していましたが、だからこそ私はイストリアとコスピラトーレ、両国のためにできることを探したいと思いました」

 私はイストリアの人間であると同時に、コスピラトーレの人間でもある。だから、両国がこれからも仲良くしていく架け橋になれるのは私だけだと思う。

「そして……私を大切に育ててくれた家族に、ありのままを受け入れてくれたイヴァーノや首座司教様に、報いたい。それが私の望みです」

 処刑されたくない。その望みは、今はもうそんな単純なものじゃなくなっている。私はイストリアにとって必要な人間になりたい。家族が誇れる人間になりたい。鬼司教の愛弟子として、いずれ立派な首座司教になりたい。

 そして、イヴァーノの隣に立ちたい――そのためにイストリアの次期王妃になりたい。

 それが私の今の望みだ。
 分を弁えて大人しく生きるという当初の決意から、とても大きくズレてしまったかもしれないけれど、私は今の自分の望みを恥ずかしいとは思わない。分不相応と言われないように日々研鑽を積み成長していきたい。

 私はこの望みをすべて叶えてみせる。
 六年前、イヴァーノの手で命を終え、目が覚めて泣いていた私はもういない。

「この六年で私は強くなりました。これからも強くなってみせます。だから、泣かないでください。私がこんなにも強くなれたのは支えて見守ってくれる家族のおかげです」
「アリーチェ!」
「だけれど、アリーチェは一体どこでそれを知ったのかしら? アリーチェの出生の秘密は、たとえ貴方自身であっても知ってはならない国家機密なのよ」

 私たちがしっかりと抱き合っていると、イヴァーノのお母様が重々しい口調でそう訊ねてくる。
 その問いに、私はゆっくりと首を横に振り、自分にかけられている魔法を一時的に解き、髪を黒に戻した。

 その私の行動に、その場にいた皆が目を見張る。

「私はあの日……マナーレッスンの前に屋敷を抜け出し、市場に行きました。そこで、商人から「黒髪はコスピラトーレ王族の証だ」と聞いたのです。その商人は私の髪色を見て、とても不思議がっていました」

 私の説明にお母様が言葉を失ったように、力なく項垂れる。すると、イヴァーノのお母様が「なるほどね……」と呟いた。

 時が巻き戻り、やり直せているとは言えない。
 でも、この黒髪がコスピラトーレ王族の血を引いていることを証明しているのは疑いようのない事実だ。色々な国を移動する商人なら、知っていてもおかしくはない。

 私は嘘がバレないように、目を逸らさずにお義母様を見つめた。


「貴方は五歳にして、その商人の言葉で出自に気づいたというのね……。本当なら、とても賢いこと」

 とても信じられないと、訝しげな目をしているお義母様にどうしたものかと思っていると、イヴァーノが私の肩に手を置く。私が顔を上げると、イヴァーノが「大丈夫だ」と微笑みかけてくれた。

「母上。アリーチェはとても賢いです。それは幼い頃より見てきた私が証人です。それに、アリーチェの言うとおり我が国に黒髪は存在しません。コスピラトーレでも王族のみにその色があらわれると聞き及んでおります。なので、商人が知っていてもおかしくはないかと……」

 イヴァーノのフォローに、二人のお母様が難しい表情のまま、お互いの顔を見合わせる。でも、信じ難くとも六年前の商人との話が本当かどうかを調べる術はない。だから、信じるしかないのだ。

 私はイヴァーノに「ありがとうございます」と伝えて、微笑んだ。そして、深呼吸をしてお母様の手を再度握る。


「お母様、出自なんて関係ありません。私はお母様の娘です。血の繋がりなどではない。もっと深く私たちは繋がっているでしょう?」
「ええ、ええ! アリーチェはわたくしの娘。誰がなんと言おうとわたくしの娘だわ」

 お母様が何度も頷き、私を力強く抱き締めてくれる。
 そのあたたかい母の腕に私もしっかりと抱きついた。

 その様子を見ていたお義母様が、「仕方がないわね。今はそれで納得してあげるわ」と言ってくれたので、私はゆっくりと顔をお義母様に向けた。


「……貴方が全属性を持ち、いずれ我が国の首座司教となることが明白ならば、貴方はもう人質ではないわ。首座司教は国王と並び立つことができる唯一の者。この言葉の意味が分かるかしら? けれど、イヴァーノの正妃になれるかは別問題ね」
「はい、それは重々承知しております。けれど、いつかは絶対に皆に認めてもらえる人間になります」
「それは頼もしいわね。では、イヴァーノはどうかしら? アリーチェとなら、どんな苦労でも乗り越えられる?」

 お義母様は満足げに笑った。そして、その口元を隠すように扇を開いて、イヴァーノに問いかける。彼はその問いに迷いなく頷いた。


「もちろんです。母上、私はアリーチェのためならなんだってします。継承権を捨てろと仰るのであれば、捨てます」
「イヴァーノ!?」

 イヴァーノの突然の言葉に目を見張り、私はイヴァーノの腕をがしっと掴んでしまった。
 そんなことは絶対に駄目だ。私なんかのために、そこまでしちゃ駄目。

 すると、イヴァーノが同じように膝をつき、焦っている私の背中を宥めるようにさする。そして、手を引いて立ち上がらせてくれた。


「アリーチェ、心配をするな。それほどの覚悟を持って、其方を愛しているということだ。私はアリーチェを守ることのできる地位を感情だけで捨てるほど愚かではない。……だが、アリーチェと生きるために必要なら、すべてを捨てても構わないと思っていることもまた嘘ではないのだ」
「イヴァーノ……」

 私がイヴァーノの言葉に感動していると、イヴァーノが、「叔母上、アリーチェを必ず幸せにします。人質としての負い目など感じさせぬと約束します。アリーチェが堂々と陽の当たる道を歩けるように、私はなんでもいたします」と言って、お母様に頭を下げた。

 そして、イヴァーノは覚悟を決めた表情で次はお義母様に向き合う。

「母上、私はコスピラトーレの権利を回復し、対等な同盟国にしたいと考えております。そうすれば、アリーチェは人質ではなくなる……」
「権利を回復ね……。貴方がそのために動いていることは知っているわ。でも、貴方たちは何も知らない。コスピラトーレがどのような国か何も知らないのよ」
「え?」

 私はお義母様の言葉に、イヴァーノと顔を見合わせた。

 どういう意味だろう。

 お義母様はこれは王家に仕える隠密による報告だと前置きしてから、重々しく言葉を続けた。


「コスピラトーレは、アリーチェの価値をすでに知り、貴方の奪還を目論んでいるわ。再び我が国に牙を剥く機会を窺っているのよ。そのために邪魔な首座司教を始末しようと、何度も暗殺者を送ってきているの。まあ、あの首座司教が簡単にやられるとは思わないから心配はしていないけれど……。ねぇ、貴方たち。それでもコスピラトーレの権利を回復したいと言えるかしら?」

 コスピラトーレが鬼司教に暗殺者を……?

 私は愕然とした。
 鬼司教は何も言ってくれなかった。まさかコスピラトーレが、そんなことをしているなんて……。

 私は心の中に行き場のない怒りが込み上げてきて、軋むくらい拳を握りしめ、唇を噛んだ。

 どこかでコスピラトーレの実父母は私のことを想ってくれていると信じていた。向こうから仕掛けてこないと信じていた。だからこそ、その想いに報いたいと思っていたのに……。その想いを裏切られた気持ちでいっぱいになって、悔しくてたまらない……。


「おそらく、認めて欲しくばコスピラトーレを滅ぼせと、たぬき陛下は言い出すでしょうね」
「母上、それは……」
「それを了承すれば、危険が増えるわ。どさくさにまぎれてアリーチェとコスピラトーレを消されるかもしれない。それが嫌なら、強くなりなさい。誰にも文句をつけさせないくらい、誰にも負けないくらい、強くなりなさい。イヴァーノ、わたくしの息子は誰よりも強い王になれると信じていますよ」

 ずっと笑みを絶やさなかったお義母様から笑みが消え、私とイヴァーノの顔を真剣に見つめる。

 その目に捕らえられたように硬直してしまうと、お母様がゆっくりとソファーから立ち上がった。


「イヴァーノ。アリーチェを真に想うのであれば、アリーチェの足枷になるものはすべて消しなさい。アリーチェに危険が及ぶことだけは許さないわ。わたくしの娘が欲しいなら、イストリア王お兄様とコスピラトーレ、どちらからもアリーチェを守りなさい」
「畏まりました、叔母上」

 二人の話を聞きながら、私は唇をきゅっと引き結ぶ。

 この話が本当なら、私はコスピラトーレを許せない。私の師を殺そうとするコスピラトーレの権利など回復する必要などない。あっちが戦う気なら、私だって戦ってやる。

 私はイストリア国宰相ヴィターレ・カンディアーノの娘。コスピラトーレなど、もう関係ない。

「私も戦います! 私は守られているだけなんて嫌です! 戦場でイヴァーノと共に戦える、そんな王妃を目指します!」
「そうね。貴方が力を示せば示すほど、貴方が我慢しなければならないことは減るわ。唯一無二の力を持つ貴方は王といえど無視できないもの。貴方もイヴァーノ同様、もっと強くなりなさい」
「はい!」
「そうと決まったら、たぬき陛下を説得して、まずは婚約式を行ないましょうか。イヴァーノの婚約者。次期王太子妃。その肩書きは、有事の際に役に立つでしょうから」

 そう言って、にこりと微笑んだお義母様にイヴァーノと私はしっかり頷いた。

 今よりも強くならなきゃいけない。
 私はもう死ぬのなんて怖くない。大切な人たちがいるイストリアを守れるなら、私は喜んで戦場にだって身を置く。

「アリーチェ、其方の考えは尊重してやりたいが、私はできることなら其方を戦場になどやりたくない。戦を起こさずして、なんとかコスピラトーレを抑える方法も模索してみる」
「イヴァーノ……」

 イヴァーノは私の考えていることを察知したのか、私の手をぎゅっと握り込んでそう言った。

 確かに戦争が起きれば、たくさん被害が出る。回避できるならしたほうがいいだろう。
 私はイヴァーノの言葉に頭にのぼっていた血が落ち着いていくのを感じ、冷静さを欠いていたことに気づいた。

 交渉の場でも、戦場でも、冷静さを欠いたら負ける。しっかりしなきゃ。
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