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不可思議な老婆
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「よく来たな、姫さん」
「お待たせしました」
笑顔で出迎えてくれるパオロさんに、にこっと微笑みかける。彼は寮の入り口で門番をしているおじいちゃんだ。元冒険者である彼から聞く話はとても楽しい。
毎日、登校時や帰宅時に挨拶を交わしているうちに仲良くなり、たまに冒険者時代の話を聞かせてもらっているのだ。
彼の話を聞くうちに、私も冒険してみたいという憧れの気持ちが湧いてきた。
そんな私に彼は「姫さんのような貴族のお姫様には下町への冒険くらいで充分だ」とか言って、遊びに連れて行ってくれることになったのだ。なので、どこから見ても町娘に見える服装に着替えて、私はパオロさんと共に下町へと向かった。
「私、下町に行くのは初めてなので、とても嬉しいです。楽しみです」
「まあ、普通の貴族は貴族街に行くからな」
「いいんです。私は普通じゃないので!」
胸を張ると、パオロさんが「知っている」と喉の奥で軽快に笑う。
彼は七十過ぎのおじいちゃんだけれど、元冒険者のせいか、体が大きく筋肉質でとても七十代には見えない。それに、とても気さくで親しみやすい。貴族とか門番とかそんなの関係なく楽しく話せる貴重な人だ。
そんな彼から聞く下町の話は実に興味深い。
イストリアの王都は神殿を起点に、貴族が住む貴族街と平民が住む下町にわかれている。
貴族街は王宮もあることから、伝統的な建造物が多い。数々の芸術作品を鑑賞することができる美術館や歴史的建造物が目を惹く造りだ。そして、飲食店や貴族を相手に商売をしている服飾デザイナーたちの事務所などが立ち並ぶ。
まあ当然ながら、幼い頃から馴染みのある街なので面白みは薄い。それとは打って変わり、下町は現代的な造りとなっている。それに活気もあるらしいので、一度行ってみたかったのだ。
私は鼻歌混じりにスキップしながら、パオロさんの隣を歩いた。
「そういえば、姫さんはいつも学院以外は神殿にいるんだろう? 首座司教は厳しい男だと聞くし、休んじまってよかったのか?」
「はい、大丈夫です。元々、週末はお休みなので。それに、首座司教様は気難しいと評されがちですが、実はとても優しく温かい人なんですよ」
私が微笑むと、パオロさんが「優しいねぇ」と疑わしげに目を細める。
まあ、鬼司教が誤解を受けやすいタイプなのは認める。そのせいで損しているとも思う。
もう少しにこやかに笑えるようになるといいとは思うんだけど、にこやかな鬼司教はそれはそれで怖いので、やっぱり今のままでいいとも思う。
「そういえば、どこか行ってみたい店はあるか?」
「えーっと、薬草や薬を扱ったお店に行ってみたいです。そういうお店は貴族街にはないので、ずっと気になっていて……」
「……どうせ、姫さんのことだ。普通の薬局では納得しないだろう。やめておけ、姫さんが行くところじゃないさ。姫さんが好みそうな珍しい薬を扱っているような店は大体裏通りだし、危険も伴う」
難しい顔で首を横に振るパオロさんの手をがしっと掴む。「絶対に気をつけますから!」と食い下がると、そんな私をパオロさんが厳しい眼差しで見つめてきた。私も負けじと真剣な目で彼を見つめ返すと、彼は小さく息を吐いて頭を掻いた。
「……分かった。だが、決して一人では行動しないと約束してくれ。絶対に俺から離れるな」
「はい!」
彼は渋々だが了承してくれた。私が飛び上がりながら喜ぶと、彼はまた小さく溜息をつく。
ああ、よかった。
めずらしい薬とかを買って、是非とも研究、分析をしてみたいのよね。そうすれば、今後の診療所のためにもなるはずだもの。
「姫さん。今のままじゃ、裏通りに入るには綺麗すぎる。少し汚すが我慢してくれ」
「大丈夫です。気にしないでください」
パオロさんは裏通りの手前で、私の髪を適度に乱して顔も少し汚し、彼の古びたマントを私に被せた。
私がワクワクしていると、彼は私の手を掴み、裏通りに入っていく。
――裏通りに入ると、表通りとは違うお酒の臭いが鼻をつく。そこでは労働者の人たちが昼間なのに、なぜかお酒を呑んで騒いでいた。それに、見るからに怪しそうな占い師さんがお店を開いていたりと、活気のある表通りとは対照的な雰囲気だ。
キョロキョロと見回していると、曲がり角の奥にぽつんと佇むお店が見えた。あれは何のお店だろうと目を凝らして見ると、吊るされている看板に『薬草と魔法薬のお店』と書いてあるのが見える。
「パオロさん、見つけました! 私、あのお店に行ってみたいです」
「あれは……」
私が掴まれているパオロさんの手を引っ張り声をかけると、彼の目がお店を捉えた。その瞬間、大きく見開かれて硬直する。
「パオロさん、どうかしましたか?」
「あ、いや。分かった。あの店に行こう」
パオロさんの訝しげな表情に少し心配になったけれど、浮き立つ心がその心配をかき消してしまう。
近づくと、窓ガラスはいつ掃除したのか分からないほどに曇っていて中がまったく見えなかった。看板も朽ちかけ、煙突からは変な色の煙が出ていて、とても怪しげだ。
「すごい臭いですね。異臭がします……」
ここに来たいと望んだのに、入ることを躊躇ってしまうほどの異臭だ。私がたじろいでいると、パオロさんが「気になるなら鼻を覆っていろ」と言いながら、入っていった。
あ! 待って……!
慌ててパオロさんに続いて中に入ると、咽せるほどに煙い。おそらく煙突から出ていた煙の正体だと思う。
こんなに煙を出して、何を作っているのかしら? 火事にならないといいけど……。
ケホケホと咳き込みながら店内を見回すと、怪しい色の液体が入った瓶や魔獣の眼球が入った瓶などが目に入る。そのほかにも、蛇が丸ごと入った瓶や蛇の皮や虫を乾燥させたものがあって、少々気味が悪い。
もちろんお目当ての薬草もあるが、店内は埃だらけな上に、蜘蛛の巣も張っているので、正直怖い。しかも、その蜘蛛が大きいのだ。
私は慄きながら、虫を乾燥させてある売り物とその蜘蛛を交互に見つめた。
「ねえ、パオロさん。この売り物の乾燥させた蜘蛛って、そこにいる蜘蛛じゃないですよね?」
「さあ」
パオロさんは私の疑問に興味なさそうに返事をしながら、店内の商品を手にとって見ている。
……まさか、そんなわけないわよね。あはは、まさか。
この乾燥させている虫がすべて店内のどこかにいて、それを捕まえてこれらを作っているのなら、私は今すぐ走って逃げたい。
「ねぇ、パオロさん。このお店気持ち悪いです。貴重な薬草とかも確かにあるんだけど、苦手な虫が……」
いっぱいいたら、どうしよう。
「姫さんが来たいと言ったんだろう?」
「それはそうなんですけど……」
万が一、あの蜘蛛がこちらに来たら怖いので、さっさとお目当ての物を選んで帰ったほうがいいのかもしれない。というか、絶対にそのほうがいい。うん、そうしよう。
意を決して、薬草の棚に近づこうとした瞬間、突然背後から「こんにちは。可愛らしいお嬢さん」という声が聞こえて、ぎくりと体が揺れる。
ぎこちなく振り返ると、カウンターと思わしきところに老婆がいた。物語に出てきそうな不気味な魔女のような老婆が……。
まさか気配に気づけないなんて……。
店内に入った時からいたのだろうか。まったく気配を感じなかった。
私は警戒しつつ、その老婆のほうへ体を向けた。すると、老婆がにたりと笑う。
「では、お嬢さん。そこの棚の橙色の魔法薬を十五。そうさね、あとはそこにある薬草を五十取っておくれ」
「え?」
「ぐずくずしないで、さっさとこちらまで持ってくるんだよ」
「は、はい!」
わけが分からない。
でも、言うことを聞かなければならないような不思議な強制力がある。不安げにパオロさんを見ると、彼が頷いたので、私は言うとおりにしたほうがいいのだと判断して、彼女に従うことにした。
戸惑いつつも、年季が入り埃がこびりついた瓶を指で摘むように持ちながら、老婆のところへ運ぶ。
言われたものをすべて運び終えると、老婆は満足そうに笑った。
「あとは、そうさね……。そこの上の水色の魔法薬も取っておくれ」
「え? は、はい……?」
老婆が指差した棚を見ると、その水色の液体の中には見たこともない小さな魔獣が漬けられていた。
え? 何この魔獣、気持ち悪い見た目……。
「はやくおし!」
「はい!」
私はもう半泣きだった。でも逆らえそうにないので、言われたとおりに持っていく。
もういや。一体、なんなのよ……。
「五〇〇万リラだ」
「え?」
ご、ごひゃくまん!?
その言葉に目を瞬く。
「あ、あの、買うなんて言っていませんけど?」
それに、いくらなんでも高すぎる。法外だ。
ぶんぶんと首を横に振ると、老婆が私をじろりと睨みつけた。その目に、断るのは許さないという圧を感じる。
私は、老婆になんともいえない畏怖のようなものを感じて、気圧されるまま鞄の中を覗いた。
「ちょっと待ってください。えっーと」
そんなに持っていたかしら……。あ、ちょうどあるわ。
私が安堵の息を吐きながら、おそるおそるお金を差し出すと、そのお金はすぐさま空中へと舞い上がり消えた。
えっ? 消えた?
私がお金の消えた空中をぽかんと眺めていると、老婆がまたもや気味の悪い声で笑う。
「そう遠くない未来に今日買ったものが必要になる時がくるよ。その時、お嬢さんは泣いて私に感謝するだろうさ。それまで大事にしておくんだよ」
「は、はい」
私は言われている意味が分からなかったけれど、必死にこくこくと頷いた。その瞬間、目の前がぼやける。私があれ? と思いながら目を擦ると、パオロさんが私の手を引いた。
「パオロさん?」
「早く出るぞ」
「は、はい。ちょっと待って……」
私は先ほど購入した商品を鞄に詰めて、パオロさんに急かされるままに慌ててお店を出た。
「お嬢さん、アナクレトゥスによろしくね」
「え?」
その瞬間、背後から聞こえた言葉に振り返ると、先ほどまで自分がいたお店が徐々に消えていく。
お店が……。
それに今アナクレトゥスって……。
私が混乱している間も、パオロさんは私の手を引っ張り進む。曲がり角に差し掛かる頃にはお店はもうなく、空き地になっていた。
「ねぇ、パオロさん。これはどういうこと?」
「……」
私が声をかけてもパオロさんは返事をしてくれない。パオロさんは怖い顔で私の手を引いて歩き続けている。
これは聞いてはいけないのだと察し、私は黙って彼についていった。
パオロさんはやっと裏通りを抜けるというところで、私に被せていたマントを強引に取る。そしてまた痛いくらいの力で私の手を引き、数軒先の居酒屋らしきところに入っていった。
「パオロさん?」
彼は返事をしないまま、お店の奥の席に座り、お酒と私には果実水を頼んでくれる。その運ばれてきたお酒を水のように飲み干し、またお酒を注文し、深く息を吐くと、パオロさんは小さな声で呟いた。
「あの店は魔女の店だ。波長があう時なのか、必要な時なのか分からないが、突然裏通りに現れるんだ。そして、用が済んだ途端、何もなかったかのように消える……。目の前がぼやけたのも消える前兆だ。だから、慌てて店を出たんだ」
「え? パオロさんは、先ほどの方と知り合いなんですか?」
「いや、知り合いじゃないさ。ただ、俺があの店に招かれたのは姫さんより少し幼い――冒険者としては駆け出しの頃だった。その時から何も変わらない。店の雰囲気も老婆の姿も」
変わらない? でもそんな……パオロさんは七十を過ぎているのに……。
私が驚いていると、パオロさんは「おそらく彼女は人間ではないのだろう」と続けた。
人間ではない?
「それに売るものは必ず老婆が指定したものだ。それ以外のものは絶対に売ってくれない。そして、そのものは必ず使う時がくる」
「では、今日買ったものも?」
「そうなるだろう」
神妙な面持ちで頷くパオロさんに、私はごくりと息を呑んだ。そして、鞄の中を覗き込む。
「これらは一体なんの薬なんでしょうか?」
「それは俺にも分からん。ただ、俺の時は重傷を負った時に役立つ回復薬だった。所謂、上級ポーションだ。今は姫さんがたまに診療所で使ったり売ったりしているから、平民でも多少の馴染みはあるが、あの当時は貴族以外には知られておらず、とても珍しいものだった」
上級ポーション……。
これもその類いなのかしら?
でも回復魔法を扱え、上級ポーションを作り出すことのできる私に、回復薬の類が必要になるとは思えない。それに数が多すぎる。
ふと私や鬼司教の回復魔法だけでは対処できないほどの怪我人がたくさん出るのではと、脳裏をよぎった。
変な汗が出てきて、私はぎゅっと手を握り込む。
それが意味することはコスピラトーレとの戦争だ。
私は慌てて、その不安にかぶりを振った。
確かにいずれはそうなるかもしれない。でもそれは今考えることではない。とりあえず明日、鬼司教に相談しよう。
私はそのあとは、気を取り直してパオロさんと楽しく下町を見てまわった。少しお行儀が悪いが食べ歩きというものも経験して大いに楽しんだ。
「お待たせしました」
笑顔で出迎えてくれるパオロさんに、にこっと微笑みかける。彼は寮の入り口で門番をしているおじいちゃんだ。元冒険者である彼から聞く話はとても楽しい。
毎日、登校時や帰宅時に挨拶を交わしているうちに仲良くなり、たまに冒険者時代の話を聞かせてもらっているのだ。
彼の話を聞くうちに、私も冒険してみたいという憧れの気持ちが湧いてきた。
そんな私に彼は「姫さんのような貴族のお姫様には下町への冒険くらいで充分だ」とか言って、遊びに連れて行ってくれることになったのだ。なので、どこから見ても町娘に見える服装に着替えて、私はパオロさんと共に下町へと向かった。
「私、下町に行くのは初めてなので、とても嬉しいです。楽しみです」
「まあ、普通の貴族は貴族街に行くからな」
「いいんです。私は普通じゃないので!」
胸を張ると、パオロさんが「知っている」と喉の奥で軽快に笑う。
彼は七十過ぎのおじいちゃんだけれど、元冒険者のせいか、体が大きく筋肉質でとても七十代には見えない。それに、とても気さくで親しみやすい。貴族とか門番とかそんなの関係なく楽しく話せる貴重な人だ。
そんな彼から聞く下町の話は実に興味深い。
イストリアの王都は神殿を起点に、貴族が住む貴族街と平民が住む下町にわかれている。
貴族街は王宮もあることから、伝統的な建造物が多い。数々の芸術作品を鑑賞することができる美術館や歴史的建造物が目を惹く造りだ。そして、飲食店や貴族を相手に商売をしている服飾デザイナーたちの事務所などが立ち並ぶ。
まあ当然ながら、幼い頃から馴染みのある街なので面白みは薄い。それとは打って変わり、下町は現代的な造りとなっている。それに活気もあるらしいので、一度行ってみたかったのだ。
私は鼻歌混じりにスキップしながら、パオロさんの隣を歩いた。
「そういえば、姫さんはいつも学院以外は神殿にいるんだろう? 首座司教は厳しい男だと聞くし、休んじまってよかったのか?」
「はい、大丈夫です。元々、週末はお休みなので。それに、首座司教様は気難しいと評されがちですが、実はとても優しく温かい人なんですよ」
私が微笑むと、パオロさんが「優しいねぇ」と疑わしげに目を細める。
まあ、鬼司教が誤解を受けやすいタイプなのは認める。そのせいで損しているとも思う。
もう少しにこやかに笑えるようになるといいとは思うんだけど、にこやかな鬼司教はそれはそれで怖いので、やっぱり今のままでいいとも思う。
「そういえば、どこか行ってみたい店はあるか?」
「えーっと、薬草や薬を扱ったお店に行ってみたいです。そういうお店は貴族街にはないので、ずっと気になっていて……」
「……どうせ、姫さんのことだ。普通の薬局では納得しないだろう。やめておけ、姫さんが行くところじゃないさ。姫さんが好みそうな珍しい薬を扱っているような店は大体裏通りだし、危険も伴う」
難しい顔で首を横に振るパオロさんの手をがしっと掴む。「絶対に気をつけますから!」と食い下がると、そんな私をパオロさんが厳しい眼差しで見つめてきた。私も負けじと真剣な目で彼を見つめ返すと、彼は小さく息を吐いて頭を掻いた。
「……分かった。だが、決して一人では行動しないと約束してくれ。絶対に俺から離れるな」
「はい!」
彼は渋々だが了承してくれた。私が飛び上がりながら喜ぶと、彼はまた小さく溜息をつく。
ああ、よかった。
めずらしい薬とかを買って、是非とも研究、分析をしてみたいのよね。そうすれば、今後の診療所のためにもなるはずだもの。
「姫さん。今のままじゃ、裏通りに入るには綺麗すぎる。少し汚すが我慢してくれ」
「大丈夫です。気にしないでください」
パオロさんは裏通りの手前で、私の髪を適度に乱して顔も少し汚し、彼の古びたマントを私に被せた。
私がワクワクしていると、彼は私の手を掴み、裏通りに入っていく。
――裏通りに入ると、表通りとは違うお酒の臭いが鼻をつく。そこでは労働者の人たちが昼間なのに、なぜかお酒を呑んで騒いでいた。それに、見るからに怪しそうな占い師さんがお店を開いていたりと、活気のある表通りとは対照的な雰囲気だ。
キョロキョロと見回していると、曲がり角の奥にぽつんと佇むお店が見えた。あれは何のお店だろうと目を凝らして見ると、吊るされている看板に『薬草と魔法薬のお店』と書いてあるのが見える。
「パオロさん、見つけました! 私、あのお店に行ってみたいです」
「あれは……」
私が掴まれているパオロさんの手を引っ張り声をかけると、彼の目がお店を捉えた。その瞬間、大きく見開かれて硬直する。
「パオロさん、どうかしましたか?」
「あ、いや。分かった。あの店に行こう」
パオロさんの訝しげな表情に少し心配になったけれど、浮き立つ心がその心配をかき消してしまう。
近づくと、窓ガラスはいつ掃除したのか分からないほどに曇っていて中がまったく見えなかった。看板も朽ちかけ、煙突からは変な色の煙が出ていて、とても怪しげだ。
「すごい臭いですね。異臭がします……」
ここに来たいと望んだのに、入ることを躊躇ってしまうほどの異臭だ。私がたじろいでいると、パオロさんが「気になるなら鼻を覆っていろ」と言いながら、入っていった。
あ! 待って……!
慌ててパオロさんに続いて中に入ると、咽せるほどに煙い。おそらく煙突から出ていた煙の正体だと思う。
こんなに煙を出して、何を作っているのかしら? 火事にならないといいけど……。
ケホケホと咳き込みながら店内を見回すと、怪しい色の液体が入った瓶や魔獣の眼球が入った瓶などが目に入る。そのほかにも、蛇が丸ごと入った瓶や蛇の皮や虫を乾燥させたものがあって、少々気味が悪い。
もちろんお目当ての薬草もあるが、店内は埃だらけな上に、蜘蛛の巣も張っているので、正直怖い。しかも、その蜘蛛が大きいのだ。
私は慄きながら、虫を乾燥させてある売り物とその蜘蛛を交互に見つめた。
「ねえ、パオロさん。この売り物の乾燥させた蜘蛛って、そこにいる蜘蛛じゃないですよね?」
「さあ」
パオロさんは私の疑問に興味なさそうに返事をしながら、店内の商品を手にとって見ている。
……まさか、そんなわけないわよね。あはは、まさか。
この乾燥させている虫がすべて店内のどこかにいて、それを捕まえてこれらを作っているのなら、私は今すぐ走って逃げたい。
「ねぇ、パオロさん。このお店気持ち悪いです。貴重な薬草とかも確かにあるんだけど、苦手な虫が……」
いっぱいいたら、どうしよう。
「姫さんが来たいと言ったんだろう?」
「それはそうなんですけど……」
万が一、あの蜘蛛がこちらに来たら怖いので、さっさとお目当ての物を選んで帰ったほうがいいのかもしれない。というか、絶対にそのほうがいい。うん、そうしよう。
意を決して、薬草の棚に近づこうとした瞬間、突然背後から「こんにちは。可愛らしいお嬢さん」という声が聞こえて、ぎくりと体が揺れる。
ぎこちなく振り返ると、カウンターと思わしきところに老婆がいた。物語に出てきそうな不気味な魔女のような老婆が……。
まさか気配に気づけないなんて……。
店内に入った時からいたのだろうか。まったく気配を感じなかった。
私は警戒しつつ、その老婆のほうへ体を向けた。すると、老婆がにたりと笑う。
「では、お嬢さん。そこの棚の橙色の魔法薬を十五。そうさね、あとはそこにある薬草を五十取っておくれ」
「え?」
「ぐずくずしないで、さっさとこちらまで持ってくるんだよ」
「は、はい!」
わけが分からない。
でも、言うことを聞かなければならないような不思議な強制力がある。不安げにパオロさんを見ると、彼が頷いたので、私は言うとおりにしたほうがいいのだと判断して、彼女に従うことにした。
戸惑いつつも、年季が入り埃がこびりついた瓶を指で摘むように持ちながら、老婆のところへ運ぶ。
言われたものをすべて運び終えると、老婆は満足そうに笑った。
「あとは、そうさね……。そこの上の水色の魔法薬も取っておくれ」
「え? は、はい……?」
老婆が指差した棚を見ると、その水色の液体の中には見たこともない小さな魔獣が漬けられていた。
え? 何この魔獣、気持ち悪い見た目……。
「はやくおし!」
「はい!」
私はもう半泣きだった。でも逆らえそうにないので、言われたとおりに持っていく。
もういや。一体、なんなのよ……。
「五〇〇万リラだ」
「え?」
ご、ごひゃくまん!?
その言葉に目を瞬く。
「あ、あの、買うなんて言っていませんけど?」
それに、いくらなんでも高すぎる。法外だ。
ぶんぶんと首を横に振ると、老婆が私をじろりと睨みつけた。その目に、断るのは許さないという圧を感じる。
私は、老婆になんともいえない畏怖のようなものを感じて、気圧されるまま鞄の中を覗いた。
「ちょっと待ってください。えっーと」
そんなに持っていたかしら……。あ、ちょうどあるわ。
私が安堵の息を吐きながら、おそるおそるお金を差し出すと、そのお金はすぐさま空中へと舞い上がり消えた。
えっ? 消えた?
私がお金の消えた空中をぽかんと眺めていると、老婆がまたもや気味の悪い声で笑う。
「そう遠くない未来に今日買ったものが必要になる時がくるよ。その時、お嬢さんは泣いて私に感謝するだろうさ。それまで大事にしておくんだよ」
「は、はい」
私は言われている意味が分からなかったけれど、必死にこくこくと頷いた。その瞬間、目の前がぼやける。私があれ? と思いながら目を擦ると、パオロさんが私の手を引いた。
「パオロさん?」
「早く出るぞ」
「は、はい。ちょっと待って……」
私は先ほど購入した商品を鞄に詰めて、パオロさんに急かされるままに慌ててお店を出た。
「お嬢さん、アナクレトゥスによろしくね」
「え?」
その瞬間、背後から聞こえた言葉に振り返ると、先ほどまで自分がいたお店が徐々に消えていく。
お店が……。
それに今アナクレトゥスって……。
私が混乱している間も、パオロさんは私の手を引っ張り進む。曲がり角に差し掛かる頃にはお店はもうなく、空き地になっていた。
「ねぇ、パオロさん。これはどういうこと?」
「……」
私が声をかけてもパオロさんは返事をしてくれない。パオロさんは怖い顔で私の手を引いて歩き続けている。
これは聞いてはいけないのだと察し、私は黙って彼についていった。
パオロさんはやっと裏通りを抜けるというところで、私に被せていたマントを強引に取る。そしてまた痛いくらいの力で私の手を引き、数軒先の居酒屋らしきところに入っていった。
「パオロさん?」
彼は返事をしないまま、お店の奥の席に座り、お酒と私には果実水を頼んでくれる。その運ばれてきたお酒を水のように飲み干し、またお酒を注文し、深く息を吐くと、パオロさんは小さな声で呟いた。
「あの店は魔女の店だ。波長があう時なのか、必要な時なのか分からないが、突然裏通りに現れるんだ。そして、用が済んだ途端、何もなかったかのように消える……。目の前がぼやけたのも消える前兆だ。だから、慌てて店を出たんだ」
「え? パオロさんは、先ほどの方と知り合いなんですか?」
「いや、知り合いじゃないさ。ただ、俺があの店に招かれたのは姫さんより少し幼い――冒険者としては駆け出しの頃だった。その時から何も変わらない。店の雰囲気も老婆の姿も」
変わらない? でもそんな……パオロさんは七十を過ぎているのに……。
私が驚いていると、パオロさんは「おそらく彼女は人間ではないのだろう」と続けた。
人間ではない?
「それに売るものは必ず老婆が指定したものだ。それ以外のものは絶対に売ってくれない。そして、そのものは必ず使う時がくる」
「では、今日買ったものも?」
「そうなるだろう」
神妙な面持ちで頷くパオロさんに、私はごくりと息を呑んだ。そして、鞄の中を覗き込む。
「これらは一体なんの薬なんでしょうか?」
「それは俺にも分からん。ただ、俺の時は重傷を負った時に役立つ回復薬だった。所謂、上級ポーションだ。今は姫さんがたまに診療所で使ったり売ったりしているから、平民でも多少の馴染みはあるが、あの当時は貴族以外には知られておらず、とても珍しいものだった」
上級ポーション……。
これもその類いなのかしら?
でも回復魔法を扱え、上級ポーションを作り出すことのできる私に、回復薬の類が必要になるとは思えない。それに数が多すぎる。
ふと私や鬼司教の回復魔法だけでは対処できないほどの怪我人がたくさん出るのではと、脳裏をよぎった。
変な汗が出てきて、私はぎゅっと手を握り込む。
それが意味することはコスピラトーレとの戦争だ。
私は慌てて、その不安にかぶりを振った。
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