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優しい人・第9話
しおりを挟むこれ以上ないくらい目を見開き、話しかけた口も開けたまま、篤仁を凝視する滝。
止めろ…わざわざ傷つけんな!……頭のどこかで制止の声がする。
だが、駆け登ってきた激昂は止まらず、刃物のような言葉が堰を切って噴き出す。
「ゲイのアンタにはわからん!結婚しよう、言うた女が、俺の知らん間に…子ども作っとった!他の男と…ッ…!俺は、無精子症や!普通のセックスじゃ、好きな女の、子どもも作ったれへん!それを、あいつに…萌花に、なんて言おうか、って…悩んで、言えんで……ッ。男として…情けない…。でもあいつは、俺に何があっても、俺と生きていく、って言うてくれた、だからっ!!…それやのに…!…男と恋愛して、男としかどーにかならんアンタに、俺の気持ちは、わからんやろがっ!!」
・・・・・・・・
「ハッ……きっつ……ハハ……」
驚愕の表情を張り付かせていた滝の唇がワナワナッ…と痙攣し、それでも、何とか笑顔らしき顔を作ったものの、みるみる瞳が潤み、パッと顔を横に向けた拍子に涙が一粒、飛ぶのが見えた。
はっと我に還る。
―と、取り消しッ…!
言った言葉を瞬間的に後悔したが、もう遅い。
「ごめ…滝さん…俺、ごめんッ」
「ぃぃ…ぃぃ………ごめん…こっち、こそ……ぇと…風呂」
そんな顔を見せていながらも、まだ、こちらに気を遣う様子の滝が、突然たまらなくいじらしくなって、勝手に腕が伸びた。
「ごめんッ…滝さん!…俺、ほんっまに…ごめん!」
見た目以上に、腕に抱くと華奢な体を、力一杯抱きしめる。
小刻みに震える、体…。
傷つけた…いや、切り裂いたかも知れない……これまで傷ばかり負ってきただろう人を……ッ
―自分だけは、滝さんの重荷にならんとこ、って思っとったんちゃうんか?!自分が傷ついたから、って、この人を、傷つけていいわけないやろ?!
滝はじっと黙っている。
話してくれない…
声…出してくれッ……
怒らせた、さすがに……
―滝さん……ッ…ごめん…って!!俺、滝さんのこと、ゲイやからどうこうなんか、全然思ってへんのにッ!そんなん抜きで、優しい滝さんのこと、大好きやのに!!
「滝さん…ッ、って!ごめん!!」
滝はただ震え続け、それは更に酷くなる。
「ごめん、て!ごめん!!滝さんっ!な?お願いやから、何か…何か言うてよッ…」
「……て…」
やっと小さな声が聞こえたが、聞き取れない。
「ん?…何??」
「……ぃ…ぃぃ、って…。…だから……は…なして…」
離し難い……何故か…
「…志賀……離して…」
仕方なく、抱きしめた腕を緩めると、滝は、すっと後ずさって、俯いたまま、腹を両手でギュッと抱えるようにした。
「…すいませんでした……滝さん、ほんまに」
「ぃぃ、ぃぃ…。こっちこそ…ごめん。志賀の…気持ち、考えんと…」
篤仁は、細い両肘の辺りを、柔らかく持って、滝の顔を覗き込んだ。
目を合わせてくれない滝。
「滝さん…俺見て?」
「…ちょ……無理……」
何度か頷くような仕草を見せて、篤仁の掴んだ手を優しく解き、滝は洗面所に消えた。
とんでもない自己嫌悪に襲われる…
―クソ…
篤仁は、目の前の焼酎を、滝が用意してくれたグラスにゴボゴボ…と注いで、そのまま、ほぼ一気に飲み干し、また注いで、飲み始めた。
とにかく、酔って意識を飛ばしたかった。
見えない力で胸をドシドシ叩かれているようだ。
志賀に、こんなに気を遣わせて…
どんなシチュエーションでも、抱きしめられれば嬉しい、そう思っていたのに、苦しくて苦しくて……
開放されたくて……
自分がゲイで、こんなに呪わしかったことはない。
ノンケの男の剥き出しの本音を叩きつけられて、自分が男のクセに男ではないのだ、と思い知った。
解っているつもりで解っていなかった。
男と女、両方の気持ちが解る、なんて宣ってた自分が本当に恥ずかしい。
思い上がりも甚だしい……
好きな相手が妊娠する、ということ。
それは自分が経験し得ないこと…
生涯を共に、と決めた愛する女性が、他の男の子どもを…
自分は絶対に、生涯受けない仕打ち。
軽く考えていたわけじゃない。
いや、でも、少なくとも、そこまで重く受け止められていなかったのだろう。
好きな男が女性と子どもを作り、別れた…。
そんな話しは、俺たちゲイの中ではよくある話しだ。
だが、そんな次元の話しではない。
何て愚かな…あまりにも浅はかな片手落ちの配慮だった…。
そして、キレさせた挙句、要らない気まで遣わせている。
当たり前の怒りを買っただけなのに、自分が言わせた言葉なのに、吃驚とショックで……泣くとか、最低だ…
泣き喚きたいのは志賀の方なのにッ
それなのに志賀は優しくて…
千佳史は苦しくて堪らなかった。
志賀の受けた打撃を思えば、彼女の申し出は断るべきだったんだ。
とにかく熱いシャワーを勢いよく出して頭から浴びる。
暫くするとカチカチになった心が少し緩んでくる。
今日は人生で1番、心ときめいた日だったのに…。
久しぶりに見た、とてつもなくいい男に成長した志賀を見て、心が震えた…
でもそれは一瞬で、志賀の言葉に驚き、それから酔った志賀にオタオタして、それから志賀の愛してる(愛した?)人にまで会ってしまい、すっかり絆され、最後にはとんでもなくお節介して撃沈だ。
二度と会えない、と思っていた志賀との再会が、こんな気持ちの夜になるなんて……
志賀は許してくれるだろうか…
気を遣うのではなく、本心で、許してくれるのか……
想いが叶うことなど、夢でさえも浮かばない、もう会うこともないと諦めきって生きてきたのだ。
奇跡的に再会を果たしたからと言って、今更その想いを叶えたい、などとは思わない。
でも、こんな俺でも、何か志賀の助けになることがあるのなら…
何でもしよう。何でも。
志賀を世界で1番幸せな人にする為に、何か手伝えたらもう、自分の人生はそれでオッケーだ。
そうだ。
無神経だったことを誠心誠意、詫びて、志賀の為に出来ることを探そう。
まずはさっさと上がって、もう大丈夫、ごめんな、と明るく言って、気を遣わせている志賀を安心させて、それから話しをしよう。
心が決まれば、さっきまでの死にそうな気分はすっかり飛んで、千佳史は急いで体を拭いて夜着を身に付け、脱衣所を出た。
「志賀!……あ…」
志賀は、テーブルに突っ伏して寝ていた。
「寝てもうた…」
せっかくの気合いは宙ぶらりんだが、寝てしまったのなら仕方がない。
細身とは言え180cm超の志賀をベッドまで運ぶのは無理だ。
寝室からタオルケットを取ってきて拡げ、しっかりとした肩幅の下の広い背中を見つめる。
「おやすみ…志賀……。……篤仁…」
初めて、名前を呼んだ……
込み上げる感動が一気にくる。
その背中に添ってみたい衝動を必死で押さえ、タオルケットをかけて、千佳史は寝室に駆け込みベッドに潜り込んだ。
そして、この数時間の間に、何度も向けてくれた自分への志賀の眼差しを、一つ、一つ思い出しながら…目を閉じたー
「滝さん…滝さん……滝さんッ…」
夢の中で志賀が千佳史を呼ぶ。
―何?まだ、さっき、寝た…とこ……志賀…?志賀…好き……
「滝さん、滝さんッ」
―え……ッ?
現実だ!
「ど、どしたん?!」
ダイニングで寝ていた筈の滝が、苦しそうな顔をして千佳史を呼んでいた。
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