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優しい人・第15話
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第15話
「ごめんなさい」
待ち合わせたJR三宮駅のショップの前で、萌花が小さくなってお辞儀をした。
綺麗な鎖骨が少し見える程度の白いボートネックのTブラウスに、黒のミドル丈のガウチョパンツ。腿は細めで膝から下が少しフレアーになった少し変わった形。
髪はやはり、後ろに引っ詰めて低い位置で一つに括っている。
前で揃えた手には、薄桃色の小さなタオルハンカチと細い柄の控えめなフリルのついた紺色の日傘、それに、柔らかそうな天然素材の小さなカゴバッグ。藁色の小さな台形の本体にそれを隠す感じの大きな紺色のリボンが可愛らしい。
そして、左手の薬指にはエンゲージリング…。
「いえ」
笑いかけながら、つい
―はぁ…負けた…
と思ってしまう自分。
小さくて、可愛くて、清潔そうで、何より女らしい……。
これが、志賀が求めているものなのだと見せつけられる。
そして、負けるもクソもない、勝負にさえならないことを思い出し、負けた、等と思ったことに自嘲の笑みが出る。
「お昼ご飯、食べられそう?」
萌花は苦笑して首を傾げる。
「じゃ、カフェにしよか?」
「でも…マスターはお腹…」
「俺はいつでも食べられるし、そんなにはお腹、空いてないから」
「私も、いつでも食べられます。クビになっちゃいましたから」
萌花は乾いた声で笑い
「あ、すみません、イヤミとかじゃないです。つい…」
と、慌てた。
きっとこれが本来の萌花で、いつもは気遣いの人なのだろう…
店ではスイッチが入って、明るい人生相談兄さんみたいになるが、素顔の千佳史は、大人しく、あまり話さないタイプ。
だが、ここは自分が頑張らねば、と努めて明るく話す。
「…あ…じゃ、行こか…。カフェでもサンドイッチくらいあるやろから、食べたいな、ってなったら注文すればいいし」
「あ、私も…サンドイッチやったら食べたいかも」
「良かった。じゃあ、俺がよく行く昭和な喫茶店でいい?」
「はい…」
千佳史は駅の北側にある《ローズ》という店を選んだ。
ファーストフードや、ライトな雰囲気で安価のセルフサービスのカフェに客を取られ、昔ながらの喫茶店の広い店内は、閑散としている。
ここなら萌花があまり人目を気にせず話しが出来るだろうと思った。
そして、サンドイッチはなかなか旨いのだ。
「いらっしゃいませ」
新しく入ったらしい無愛想な若い女性のホールスタッフが、水とおしぼりを持ってきた。
5本とも違うジェルネイルを施した派手な爪。
―飲食店やのに…
おしぼりで手を拭く、萌花の短く切りそろえた清潔な爪に目がいく。
「あ、アイスコーヒー…で、いい?」
萌花に聞くと、無言で頷く。
「2つ、とミックスサンド?」
萌花に視線で訊ねると、少し迷い顔。
「1つで」
「はい」
ぶっきらぼうに答えホールスタッフが去る。
「すみません、マスター。厚かましく呼び出したりなんかして…あの、あっちゃんには…」
「内緒でしょ?解ってます」
「はい…ごめんなさい…」
「お待たせしました」
ガツン!ガツン!と、ガラスのテーブルにアイスコーヒーのグラスを置き、サンドイッチの盛られたバスケットをドンッと置くと、一番端のサンドイッチがポロンと剥がれて倒れ、よくもこんなに!と驚く程薄いスライスきゅうりが露わになるが、全く意に介することはないホールススタッフ。
思わず、萌花と顔を見合わせてしまい、彼女が店の奥に消えると2人で笑ってしまった。
少し、場が和む。
―使いよう バカと鋏と 無愛想…
心で一句。
あんな失礼なホールスタッフに感謝することがあるなんて思ってもみなかった。
「飲みましょか」
「はい」
ニコッと笑った萌花は、ストローの袋を開け、アイスコーヒーのグラスに差す。
「サンドイッチも、良かったら摘んで」
ホール係が千佳史のアイスコーヒーの横に置いたバスケットを真ん中に置く。
「ありがとうございます」
手を伸ばすことはしないが、萌花の笑顔は柔らかい。
「で、俺に何、か…」
「いえ…あの、すみません私…私、用事、とか話し、やなくて…。すみません、お忙しいマスターやのに、こんな」
―も、もうちょっと他の言い方ないか?俺!せっかく笑ろてくれたのに…ッ
「そんなん、俺なんか全然忙しないよ?大丈夫。ごめんね、全然急かしてないからね。ゆっくり聞くしね」
「ありがとう…ございます。……あの、私……。…あっちゃんが、すごく気を許してる人みたいやし、私もこないだ少しお話しして、マスターの雰囲気、好きやし…もうちょっと…お話ししてみたくて…でも、お店にはあっちゃんが張り付いてるし」
「え、そうなんや、ありがとうー。昨日早い時間ごめんね、ほんとに。あ、志賀ね、張り付いてなんかないよ。一昨日、14年ぶりに会ったんよ?俺ら。それで、飲みすぎて、うち、三宮で近いから、志賀連れて帰って泊めて、そしたら、帰った後に自転車の鍵を忘れててね、うちに。で、昨日取りに来たら、ついまた飲んで、っていう…それだけ」
「でもなんか、すごい…懐いてる感じした」
「そうかな…」
萌花は寂しそうに頷いた。
「いいなぁ…私、バチが当たった…」
「え?バチ?」
「はい…。世界一、素敵な…婚約者の彼がいるのに自覚が足りんかった…いつの間にか、あっちゃんが居ることが当たり前になって…。偉そうにしたこともあった。あっちゃんがアカン言うてるのに、そんなことないわ、思たり…。解ってないわ何言うてんの、とかッ…思った。…付き合い始めた頃の、奇跡だー、この人が私の彼氏!って思ってた、あの頃の気持ち……もっと、もっと、大事に…大切に…しな…ダメやった……」
湧き上がる感情を必死に抑えるように、タオルハンカチを持った手で胸を押さえ、大声にならないよう話す萌花は今すぐにでも泣き出しそうだ。
「そんな…みんなそうやよ。想いが通じ合った時はそりゃ、天にも昇る想いで、その人のことで1日24時間過ぎていく、って感じやけど、いつまでもそんなテンションでおられたら、相手も疲れるんと違う?」
「でも…でも、あっちゃんは特別やから…特別…あんな人、いない…ッ…」
―うん…俺もそう、思うけど……
ニコッと笑った志賀の片笑窪を思い出す。
飛び抜けたルックスを、自分では全く自覚せず、カッコ悪いことも平気でやるし言う。いつも面白くて楽しくて優しくて、真面目で正直で素直でちょっと天然。
どんな相手にでも物怖じなどすることがなく、真っ直ぐに見る。
漢というやつを地でいきながら、茶目っ気たっぷりの可愛い男。
―最高やもんな…ほんま…。
「ごめんなさい…マスター…私、こうやって、話せる人も、なかなかいなくて…。みんな、どんなに驚くやろうって思うと、周りに話す気がせんくって…」
「何か…解るよ…。その、俺でよかったら、話しくらい、いつでも…」
「ほんまですか?嬉しい…。私、あっちゃんがマスターんとこ通うの、何か解る」
「え?」
「すごい…癒される…。殆ど初対面の私がそうやねんから、中学から知ってるあっちゃんやったら、もっともっと…」
「いや…」
思わず俯く。
この2日、例え、酔って間違ってだとしても、志賀とキスをした。
性行為、とも取れる行為をした。
頼まれたからとは言え、断れなかった自分。
いや、違う。
降って湧いた志賀との瞬間に、確かにときめき、喜んでいる自分。
そんな自分に癒されると言ってくれる萌花…。
―ごめん!…ごめんなさい萌花さん……ほんまにごめんなさい!ごめんなさい……でも、志賀は君をまだ、好きや。
少しだけ、ほんの少しだけ待って……ごめん……
美しい萌花の眼を見ることが出来ない。
「マスター?大丈夫ですか?何か、具合悪そう…」
「いや、大丈夫。ごめんね昨日、ちょっと飲み過ぎたかな?でも、大丈夫やから」
息苦しくなって、逃げるように、千佳史は学時代の志賀の話しを話しまくった。
そして、必死の1時間程を過ごし、客が個展をしている元町のギャラリーに行く約束があったので、店を出て萌花と別れた。
「どしたん、チカちゃん。顔色悪いよ?」
個展を開いていたグラフィックデザイナーの明石に心配されてしまった。
「ちょっと抜けて、飯とチカちゃん食おうと思ったけど、今日はヤメとくわ」
明石は、残念そうに千佳史の耳たぶを弄った。
「ちょっとだけ、体調悪い・・・今度ね」
千佳史は、性に緩いわけではないが、貞操観念、みたいなものはない。
特定の人を作る気持ちはないし、やはり男だから溜まるので、相手が嫌いでなくて、タイミングが合えばセックスする。
最近は専ら草介だが、この明石ともたまに体を繋げる。
そんな関係になってそろそろ2年。
誰とも付き合っているわけではないので、別れることもないのだ。
とんでもなくロウな気分のまま、店を開け、さすがに今日は来えへんやろな…と思っていたら9時頃
「た~きさん!」
と、志賀は元気にやってきた。
△
今ひとつ、滝の表情が冴えない。
まあ、商売してたら色々あるだろう、と深くは考えず、篤仁は客のいないカウンターの端っこに、滝を手招きで呼んだ。
「もう、今日はあんまり飲まれへんけど、これね、患者さんにメッチャ美味しいって、今メチャメチャ売れてる食パンもらったから、滝さんにも食べさしてあげたいなー、と思って持ってきた」
滝が破顔する。
「わ、嬉しい!俺、食パン大好き!焼こ焼こ!」
と乗り出してきた。
「え、ちょっとちょっと!」
「何?」
「明日の朝に決まっとうでしょ?」
「ちょ…ッ…」
滝がすごく焦っている。
―あれ?
何か俺、マズイこと言うた?
「え?わからん。だから、食パン言うたら朝、食べるもんでしょ?そやから」
「解った…ッ…」
滝がしゃがみこみ、篤仁のラインが鳴った。
『今日は店上がりで用事あるから、家来るなら、鍵渡す。大きい声で言わんといて(>_<)』
立ち上がった滝さんは、奥に座る、高見、という客を気にしている。
昨日も来てたな、あいつ…。
背が高く、熟れた(こなれた)イケメンを無遠慮にジロジロ見る。
視線を感じたのか、高見がこちらを見る。
「草介さん」
篤仁を放っておいて、滝は草介の元へ走り、空いたグラスを取る。
高見が少し、機嫌悪そうに滝に何かを言う。
滝は、笑顔でそれに答え、高見はその答えに満足したように、滝の手を握った。
「なん…っかなぁ…滝さん、女ちゃうぞ、って!」
ここは、同性が恋愛対象、または、同性も性的に見る、という人の場だ、ということを、すぐに忘れ、自分の基準でつい、呟くも、ふと目をやったボックスでイチャつくゲイカップルが目に入る。
隣りを見れば、整った顔の若い男を真ん中に挟んで、2人の男が3Pのお誘い…。
―そうやった……
酔っていない篤仁は、半端ないアウェイ感を感じ
『はよ帰りたい。はよ鍵ちょうだい』
と滝にラインした。
△
―どうすっかな…
信輔は迷ったが、やはり、志賀の後を追った。
3日の休暇を取り、今日、昼間に萌花を尾行していたら、何故か千流のマスターと会っていた。
信輔は夜の三宮には詳しい。
神戸港の突堤で働く、本宮倉庫勤務の信輔は、酒は好きだし、同じ港で働く会社の同僚や、毎日顔を合わせる港湾関係の、所謂浜の男達も酒と女が大好きだ。
だが、中には男もイケる、という者もある。
去年の会社の忘年会の時、2次会のスナックに、たまたま客に連れられて滝が来ていて、あまりの可愛さに目を奪われ
「女優の何とか言うのに激似!あれやったら、男でもイケますよねぇ」
と思わず上司に言うと
「お前、なかなか目が高いな。あれは俺が3年近う口説いとうけど、まだ落ちへん、千流っちゅうミックスバーのマスターや。川本蘭奈やろ?そっくりや…。俺のど真ん中。お前、手ぇ出すなよ?」
と言われ、信輔の頭にインプットされた顔と店の名前。
家に帰って《センリュウ》で調べ《千流》のことは大体掌握していた。
―萌花がゲイと?何で??
直感的に、これは使えるかも、と閃いた信輔は、今日一日、滝をつけた。
そして、店に入ったのを確認し、近くのラーメン屋で夕食を摂り、また店の出入り口が見えるポイントで見張りを続けていたら、志賀が来た…
「よ…しゃ!!」
思わず小さく叫び、ガッツポーズを作った。
それから、もしかして萌花がマスターと友達だとすれば、萌花と待ち合わせ?ということも考えられたので、暫く見ていると、掌で嬉しそうにキーのようなものを、投げては受け、投げては受け、しながら、志賀が出てきた。
「何や?あのツラ…」
萌花の苦渋の表情(かお)を浮かべ、舌打ちする。
最早、信輔は萌花のナイト気分で、敵の尾行を続けた。
「ごめんなさい」
待ち合わせたJR三宮駅のショップの前で、萌花が小さくなってお辞儀をした。
綺麗な鎖骨が少し見える程度の白いボートネックのTブラウスに、黒のミドル丈のガウチョパンツ。腿は細めで膝から下が少しフレアーになった少し変わった形。
髪はやはり、後ろに引っ詰めて低い位置で一つに括っている。
前で揃えた手には、薄桃色の小さなタオルハンカチと細い柄の控えめなフリルのついた紺色の日傘、それに、柔らかそうな天然素材の小さなカゴバッグ。藁色の小さな台形の本体にそれを隠す感じの大きな紺色のリボンが可愛らしい。
そして、左手の薬指にはエンゲージリング…。
「いえ」
笑いかけながら、つい
―はぁ…負けた…
と思ってしまう自分。
小さくて、可愛くて、清潔そうで、何より女らしい……。
これが、志賀が求めているものなのだと見せつけられる。
そして、負けるもクソもない、勝負にさえならないことを思い出し、負けた、等と思ったことに自嘲の笑みが出る。
「お昼ご飯、食べられそう?」
萌花は苦笑して首を傾げる。
「じゃ、カフェにしよか?」
「でも…マスターはお腹…」
「俺はいつでも食べられるし、そんなにはお腹、空いてないから」
「私も、いつでも食べられます。クビになっちゃいましたから」
萌花は乾いた声で笑い
「あ、すみません、イヤミとかじゃないです。つい…」
と、慌てた。
きっとこれが本来の萌花で、いつもは気遣いの人なのだろう…
店ではスイッチが入って、明るい人生相談兄さんみたいになるが、素顔の千佳史は、大人しく、あまり話さないタイプ。
だが、ここは自分が頑張らねば、と努めて明るく話す。
「…あ…じゃ、行こか…。カフェでもサンドイッチくらいあるやろから、食べたいな、ってなったら注文すればいいし」
「あ、私も…サンドイッチやったら食べたいかも」
「良かった。じゃあ、俺がよく行く昭和な喫茶店でいい?」
「はい…」
千佳史は駅の北側にある《ローズ》という店を選んだ。
ファーストフードや、ライトな雰囲気で安価のセルフサービスのカフェに客を取られ、昔ながらの喫茶店の広い店内は、閑散としている。
ここなら萌花があまり人目を気にせず話しが出来るだろうと思った。
そして、サンドイッチはなかなか旨いのだ。
「いらっしゃいませ」
新しく入ったらしい無愛想な若い女性のホールスタッフが、水とおしぼりを持ってきた。
5本とも違うジェルネイルを施した派手な爪。
―飲食店やのに…
おしぼりで手を拭く、萌花の短く切りそろえた清潔な爪に目がいく。
「あ、アイスコーヒー…で、いい?」
萌花に聞くと、無言で頷く。
「2つ、とミックスサンド?」
萌花に視線で訊ねると、少し迷い顔。
「1つで」
「はい」
ぶっきらぼうに答えホールスタッフが去る。
「すみません、マスター。厚かましく呼び出したりなんかして…あの、あっちゃんには…」
「内緒でしょ?解ってます」
「はい…ごめんなさい…」
「お待たせしました」
ガツン!ガツン!と、ガラスのテーブルにアイスコーヒーのグラスを置き、サンドイッチの盛られたバスケットをドンッと置くと、一番端のサンドイッチがポロンと剥がれて倒れ、よくもこんなに!と驚く程薄いスライスきゅうりが露わになるが、全く意に介することはないホールススタッフ。
思わず、萌花と顔を見合わせてしまい、彼女が店の奥に消えると2人で笑ってしまった。
少し、場が和む。
―使いよう バカと鋏と 無愛想…
心で一句。
あんな失礼なホールスタッフに感謝することがあるなんて思ってもみなかった。
「飲みましょか」
「はい」
ニコッと笑った萌花は、ストローの袋を開け、アイスコーヒーのグラスに差す。
「サンドイッチも、良かったら摘んで」
ホール係が千佳史のアイスコーヒーの横に置いたバスケットを真ん中に置く。
「ありがとうございます」
手を伸ばすことはしないが、萌花の笑顔は柔らかい。
「で、俺に何、か…」
「いえ…あの、すみません私…私、用事、とか話し、やなくて…。すみません、お忙しいマスターやのに、こんな」
―も、もうちょっと他の言い方ないか?俺!せっかく笑ろてくれたのに…ッ
「そんなん、俺なんか全然忙しないよ?大丈夫。ごめんね、全然急かしてないからね。ゆっくり聞くしね」
「ありがとう…ございます。……あの、私……。…あっちゃんが、すごく気を許してる人みたいやし、私もこないだ少しお話しして、マスターの雰囲気、好きやし…もうちょっと…お話ししてみたくて…でも、お店にはあっちゃんが張り付いてるし」
「え、そうなんや、ありがとうー。昨日早い時間ごめんね、ほんとに。あ、志賀ね、張り付いてなんかないよ。一昨日、14年ぶりに会ったんよ?俺ら。それで、飲みすぎて、うち、三宮で近いから、志賀連れて帰って泊めて、そしたら、帰った後に自転車の鍵を忘れててね、うちに。で、昨日取りに来たら、ついまた飲んで、っていう…それだけ」
「でもなんか、すごい…懐いてる感じした」
「そうかな…」
萌花は寂しそうに頷いた。
「いいなぁ…私、バチが当たった…」
「え?バチ?」
「はい…。世界一、素敵な…婚約者の彼がいるのに自覚が足りんかった…いつの間にか、あっちゃんが居ることが当たり前になって…。偉そうにしたこともあった。あっちゃんがアカン言うてるのに、そんなことないわ、思たり…。解ってないわ何言うてんの、とかッ…思った。…付き合い始めた頃の、奇跡だー、この人が私の彼氏!って思ってた、あの頃の気持ち……もっと、もっと、大事に…大切に…しな…ダメやった……」
湧き上がる感情を必死に抑えるように、タオルハンカチを持った手で胸を押さえ、大声にならないよう話す萌花は今すぐにでも泣き出しそうだ。
「そんな…みんなそうやよ。想いが通じ合った時はそりゃ、天にも昇る想いで、その人のことで1日24時間過ぎていく、って感じやけど、いつまでもそんなテンションでおられたら、相手も疲れるんと違う?」
「でも…でも、あっちゃんは特別やから…特別…あんな人、いない…ッ…」
―うん…俺もそう、思うけど……
ニコッと笑った志賀の片笑窪を思い出す。
飛び抜けたルックスを、自分では全く自覚せず、カッコ悪いことも平気でやるし言う。いつも面白くて楽しくて優しくて、真面目で正直で素直でちょっと天然。
どんな相手にでも物怖じなどすることがなく、真っ直ぐに見る。
漢というやつを地でいきながら、茶目っ気たっぷりの可愛い男。
―最高やもんな…ほんま…。
「ごめんなさい…マスター…私、こうやって、話せる人も、なかなかいなくて…。みんな、どんなに驚くやろうって思うと、周りに話す気がせんくって…」
「何か…解るよ…。その、俺でよかったら、話しくらい、いつでも…」
「ほんまですか?嬉しい…。私、あっちゃんがマスターんとこ通うの、何か解る」
「え?」
「すごい…癒される…。殆ど初対面の私がそうやねんから、中学から知ってるあっちゃんやったら、もっともっと…」
「いや…」
思わず俯く。
この2日、例え、酔って間違ってだとしても、志賀とキスをした。
性行為、とも取れる行為をした。
頼まれたからとは言え、断れなかった自分。
いや、違う。
降って湧いた志賀との瞬間に、確かにときめき、喜んでいる自分。
そんな自分に癒されると言ってくれる萌花…。
―ごめん!…ごめんなさい萌花さん……ほんまにごめんなさい!ごめんなさい……でも、志賀は君をまだ、好きや。
少しだけ、ほんの少しだけ待って……ごめん……
美しい萌花の眼を見ることが出来ない。
「マスター?大丈夫ですか?何か、具合悪そう…」
「いや、大丈夫。ごめんね昨日、ちょっと飲み過ぎたかな?でも、大丈夫やから」
息苦しくなって、逃げるように、千佳史は学時代の志賀の話しを話しまくった。
そして、必死の1時間程を過ごし、客が個展をしている元町のギャラリーに行く約束があったので、店を出て萌花と別れた。
「どしたん、チカちゃん。顔色悪いよ?」
個展を開いていたグラフィックデザイナーの明石に心配されてしまった。
「ちょっと抜けて、飯とチカちゃん食おうと思ったけど、今日はヤメとくわ」
明石は、残念そうに千佳史の耳たぶを弄った。
「ちょっとだけ、体調悪い・・・今度ね」
千佳史は、性に緩いわけではないが、貞操観念、みたいなものはない。
特定の人を作る気持ちはないし、やはり男だから溜まるので、相手が嫌いでなくて、タイミングが合えばセックスする。
最近は専ら草介だが、この明石ともたまに体を繋げる。
そんな関係になってそろそろ2年。
誰とも付き合っているわけではないので、別れることもないのだ。
とんでもなくロウな気分のまま、店を開け、さすがに今日は来えへんやろな…と思っていたら9時頃
「た~きさん!」
と、志賀は元気にやってきた。
△
今ひとつ、滝の表情が冴えない。
まあ、商売してたら色々あるだろう、と深くは考えず、篤仁は客のいないカウンターの端っこに、滝を手招きで呼んだ。
「もう、今日はあんまり飲まれへんけど、これね、患者さんにメッチャ美味しいって、今メチャメチャ売れてる食パンもらったから、滝さんにも食べさしてあげたいなー、と思って持ってきた」
滝が破顔する。
「わ、嬉しい!俺、食パン大好き!焼こ焼こ!」
と乗り出してきた。
「え、ちょっとちょっと!」
「何?」
「明日の朝に決まっとうでしょ?」
「ちょ…ッ…」
滝がすごく焦っている。
―あれ?
何か俺、マズイこと言うた?
「え?わからん。だから、食パン言うたら朝、食べるもんでしょ?そやから」
「解った…ッ…」
滝がしゃがみこみ、篤仁のラインが鳴った。
『今日は店上がりで用事あるから、家来るなら、鍵渡す。大きい声で言わんといて(>_<)』
立ち上がった滝さんは、奥に座る、高見、という客を気にしている。
昨日も来てたな、あいつ…。
背が高く、熟れた(こなれた)イケメンを無遠慮にジロジロ見る。
視線を感じたのか、高見がこちらを見る。
「草介さん」
篤仁を放っておいて、滝は草介の元へ走り、空いたグラスを取る。
高見が少し、機嫌悪そうに滝に何かを言う。
滝は、笑顔でそれに答え、高見はその答えに満足したように、滝の手を握った。
「なん…っかなぁ…滝さん、女ちゃうぞ、って!」
ここは、同性が恋愛対象、または、同性も性的に見る、という人の場だ、ということを、すぐに忘れ、自分の基準でつい、呟くも、ふと目をやったボックスでイチャつくゲイカップルが目に入る。
隣りを見れば、整った顔の若い男を真ん中に挟んで、2人の男が3Pのお誘い…。
―そうやった……
酔っていない篤仁は、半端ないアウェイ感を感じ
『はよ帰りたい。はよ鍵ちょうだい』
と滝にラインした。
△
―どうすっかな…
信輔は迷ったが、やはり、志賀の後を追った。
3日の休暇を取り、今日、昼間に萌花を尾行していたら、何故か千流のマスターと会っていた。
信輔は夜の三宮には詳しい。
神戸港の突堤で働く、本宮倉庫勤務の信輔は、酒は好きだし、同じ港で働く会社の同僚や、毎日顔を合わせる港湾関係の、所謂浜の男達も酒と女が大好きだ。
だが、中には男もイケる、という者もある。
去年の会社の忘年会の時、2次会のスナックに、たまたま客に連れられて滝が来ていて、あまりの可愛さに目を奪われ
「女優の何とか言うのに激似!あれやったら、男でもイケますよねぇ」
と思わず上司に言うと
「お前、なかなか目が高いな。あれは俺が3年近う口説いとうけど、まだ落ちへん、千流っちゅうミックスバーのマスターや。川本蘭奈やろ?そっくりや…。俺のど真ん中。お前、手ぇ出すなよ?」
と言われ、信輔の頭にインプットされた顔と店の名前。
家に帰って《センリュウ》で調べ《千流》のことは大体掌握していた。
―萌花がゲイと?何で??
直感的に、これは使えるかも、と閃いた信輔は、今日一日、滝をつけた。
そして、店に入ったのを確認し、近くのラーメン屋で夕食を摂り、また店の出入り口が見えるポイントで見張りを続けていたら、志賀が来た…
「よ…しゃ!!」
思わず小さく叫び、ガッツポーズを作った。
それから、もしかして萌花がマスターと友達だとすれば、萌花と待ち合わせ?ということも考えられたので、暫く見ていると、掌で嬉しそうにキーのようなものを、投げては受け、投げては受け、しながら、志賀が出てきた。
「何や?あのツラ…」
萌花の苦渋の表情(かお)を浮かべ、舌打ちする。
最早、信輔は萌花のナイト気分で、敵の尾行を続けた。
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【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
この冬を超えたら恋でいい
天気
BL
夜の街で、凪は人生の底にいた。
古いアパートに帰る途中、父の残した借金の取り立てに絡まれ、逃げ場を失う。
そこに現れたのは、大手企業の社長・鷹宮だった。
偶然の救い。年齢も立場も違う二人は、その夜を境に交わることになる。
事情を多く語らない凪は、不幸が当たり前のように身にまとい、誰かに頼ることを知らない。
一方の鷹宮は、完璧な成功者として生きてきた男だった。
危険から守るため、鷹宮は凪を一時的に自宅へ迎え入れる。
冬の同居生活の中で、凪は少しずつ日常を取り戻していく。
大学へ通い、温かい食事をし、夜を一人で怯えずに眠る。
しかし、守られることに慣れない凪は、距離が近づくほどに自分から一歩引いてしまう。
それは、失うことを恐れる、健気で不器用な選択だった。
一方、鷹宮は気づいてしまう。
凪が笑うだけで、胸が満たされることに。
そんな自分の感情から凪を守るつもりで引いた距離が、
凪を遠ざけてしまう。
近づきたい。
けれど、踏み込めば壊してしまうかもしれない。
互いを思うほど、すれ違いは深くなる。
2人はこの冬を越えることができるのかーー
【完結】君の穿ったインソムニア
古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。
純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。
「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」
陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。
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