優しい人

sasorimama.fu

文字の大きさ
18 / 47

優しい人・第18話

しおりを挟む

「いつから千流のマスターと付き合ってるのか、教えて欲しい」

「……?」

あまりにも突飛な言葉は、とにかく冷静に終わりをしっかり告げ、席を立とうと思っていた篤仁の思考回路を遮断した。

「は?」

萌花の表情は固い。

「あのお店…ミックスバーなんやってね。私、全然知らんかった」

「だから?」

「……」

篤仁は萌花が何を言いたいのかが、まるで掴めない。

「なんや?」

「通ってるんよね?」

「通ってる、って言うか…は?何でそんなん聞かれなあかんねん。関係ないやろ」

「関係ない?」

「だから、何が?」

「あっちゃんが、私の話しに聞く耳持たんことに、マスターは関係ない?」

少し、見えて来た。

要は、萌花は、結婚を止めた理由は、自分の妊娠以外にあるのではないかと思っているらしい。

―はぁ…俺は、ほんまに萌花の何処を見とったんや?何や、こいつ……

そう思い出すと、あんなに好きだった萌花の全てが色褪せ、すごい勢いでゼロを通り越し「嫌い」に傾いてゆく。

「お前、最低やな」
「え?」
「自分のこと棚に上げて、言うに事欠いて何や?俺と滝さんに結婚止めた理由がある、ってか?」

「違うん?」

「はっ…!アホらし!やっぱ話しする必要なんかなかったな!俺は、一応、お前にも言いたいことあったみたいやのに、全く聞かんかったし、長いことつきあった彼女やから、色々世話にもなったし、最後はちゃんとしよう思て、今日ここに来た。滝さんも、お前のこと、可哀想や、話くらい聞いたれ言うし・・」

「マスターが…」

吐き捨てるように言った萌花が、見たこともないような、嫌な顔をした。

「もう、話しないわ。行く」

クッと斜め下に顔を向け、はッ…とキツく息を吐き出した萌花を見て、完全に終わったと思った。

「二度と会わん。ほんなら」

席を立ち、歩き出した篤仁の背中に

「会うことになると思うよ」

知らない女の萌花が言った。



篤仁が、たった今、座っていた椅子を見つめる。

「あっちゃん…」

篤仁の体温が残っている気がして、取り憑かれたようにその椅子に、座り直す。

いつも
「来い」
と呼んで、萌花をよく膝に抱いたまま、テレビを見ていた篤仁……

萌花は、いつもそうしていたように、尻を椅子に擦りつける。

横に座ったカップルが、顔を見合わせて首を傾げて笑うのが目の端に入り、ハッとなる。

カッと赤面し、バッグを掴んで店の外に出た。

怒りと悲しみでどうにかなりそうだ。

やみくもにどんどん東に歩く。
滝と入った《喫茶ローズ》の看板。

胸に渦巻く怒りと悲しみが、突如沸き起こった憎しみの煙に巻かれる。

―何でよ…何でこんなことになったんよ!全部、全部、あの人のせい!あの、男の癖に綺麗で可愛くて、アホみたいに優しい…あのマスターのせい!

萌花はバッグから『私立探偵事務所-professional』と書かれたA4の茶封筒を出し、震える手で掴む。

千流にあった沢山の俳句。
カウンターの中に貼ってあって、目が行った1句を思い出す。

「そこにキス 夢見て目覚めた 片笑窪……あれはアンタが詠んだんやね?あっちゃんのことやったんやね…。……気持ち悪ッ…ホモ!」

吐き捨てるように言えば、悪阻のムカつきが上がってきて、萌花は口を押さえてしゃがみ込んだ。



志賀が家に居るようになって3週間が過ぎた。

最初は、食事のことは気にしていなかったが、暫く置いて欲しい、と頼まれ、志賀が着替えを持って来た日、色々冷凍食材や、インスタント食品等を持ってきてくれて『志賀が家に住む』ということを意識した。

そして合鍵を渡して
「飯、家で食えよ」
と、朝と夜の食事を用意することにした。

朝は志賀と同じくらいに起きて、朝ごはんを作り、夕食は店に行く前に作って冷蔵庫にラップして入れておく。
唐揚げやエビフライなどだった場合は、残しておいて、弁当も作ることもあった。

後で辛くなるかなぁ、と思いながらも、志賀の茶碗や箸、弁当箱やマグカップも買ってきた。

確実に終わりが用意されている、この日々を、あれをしてやればよかった、これもしたかった、と後悔の色で染めないように、千佳史は、思いつく限りのことを志賀にしてやった。

志賀は大喜びで
「滝さんみたいに優しい人おらん。あ~あ、滝さんが女やったらな~」
と言い、千佳史を何とも言えない気持ちにさせるのだった。

だが、それさえ…。

正直で心のままの志賀ならではの言葉と思えば愛しくて。
男であることを除けば、自分は志賀の文句なしの同居人なのだと、前向きに捉えることにした。

この珍妙な同居を、こっそり一人で「同棲」と名付けていたのは内緒だ。


毎日、可愛い顔、可愛い顔、と言ってキスをしてくる志賀。
背中に乗ってくるのは毎日ではないが…いや、ほぼ毎日か…

固まって、照れて、そしてそれ以上に虚しくてどうしようもなかったが、段々に慣れてしまった。

こんな接触を続けられたら、自分が我慢出来なくなったらどうしようと思っていたが、そこは大丈夫だった。
ない胸を隠したり、たまに興奮した志賀が、前に触れてこようとするのを必死で阻止したりするので、気が逸れたから。

倉本にだけは、志賀が転がり込んで来てて、と話した。

「チカ、良かったな!胃袋掴め!」
倉本は、まるで自分のことのように喜んで、髪の毛をクシャクシャに撫で回された。

嬉しくて…。

志賀と暮らしている実感が急に湧いて、少し涙が出た。
倉本も、少し、目が赤くなっていた。

変な友情だ…


昨日、志賀はやっと萌花と話しをし、ちゃんと別れてきた、と言っていた。

それは、正直複雑で…。

萌花のような内面も外面も綺麗な女性は、そうそういないし、何より、萌花は強く強く志賀を愛している。

2人が手を繋ぎ、寄り添う姿を想像すれば、それは限りなく美しく正しい姿で、2人が離れてしまうことは、大きな間違いである気がしてならない。

1日でも長く、志賀との日々が続いて欲しいという願いと、志賀の幸せを願う気持ち。

相反する2つの願い。

志賀と萌花の別離は、ただ、この日々をこれから一人で歩く人生の糧にしよう、と大切に過ごしていた千佳史の心に暗い影を作った。

そしてその日から、千佳史のスマホに、非通知設定の無言電話がかかるようになった。

最初の日は、数時間空けて3回。

翌日はその倍。

今日は朝からもう、10回以上かかっている。

ゲイだということを隠さず、ミックスバーをやっていることで、謂われのない中傷を受けることは、ままあるので、そういう類のことだと最初は気にしていなかったが、あまりにもしつこいので、少し、気になってきた。

10数回目の無言電話に出て
「話しがあるなら、非通知にせんと電話して下さいね」
と言って電話を切った。


ふう…溜息をついて、スマホを見つめる。

ピピピピッ…

今度は電話番号が表示されたが、知らない番号だ。

無言電話は或いは傷ついた萌花からかも知れない―
そう思っていた千佳史は
「萌花さんとちゃうかったん?」
と独り言を言って通話を押した。

「はい」
『滝さんの携帯?』
「あ、はい。どちら様で…」
『伊本と言います。萌花の幼馴染みで…こう言ったら解るかな?萌花のお腹の子の父親です』

「……ッ」

『お会い出来ます?』

「…何で…僕に…」

『会ってから話します。今日、店がハネたらこの番号にお電話下さい。すぐに行きますから、店でお待ち下さい』

「……」

『チカ?いい?』

「チカ…?」

『馴れ馴れしかった?体の関係もないのに』

「……ッ」

伊本はクスクスと笑った。

    
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

タトゥーの甘い檻

マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代) どのお話も単体でお楽しみいただけます。 ​「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」 ​真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。 ​それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。 「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。 アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。 ​ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。 愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。 ​「……お前のわがままには、最後まで付き合う」 ​針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。 執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

林檎を並べても、

ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。 二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。 ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。 彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

happy dead end

瑞原唯子
BL
「それでも俺に一生を捧げる覚悟はあるか?」 シルヴィオは幼いころに第一王子の遊び相手として抜擢され、初めて会ったときから彼の美しさに心を奪われた。そして彼もシルヴィオだけに心を開いていた。しかし中等部に上がると、彼はとある女子生徒に興味を示すようになり——。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

この冬を超えたら恋でいい

天気
BL
夜の街で、凪は人生の底にいた。 古いアパートに帰る途中、父の残した借金の取り立てに絡まれ、逃げ場を失う。 そこに現れたのは、大手企業の社長・鷹宮だった。 偶然の救い。年齢も立場も違う二人は、その夜を境に交わることになる。 事情を多く語らない凪は、不幸が当たり前のように身にまとい、誰かに頼ることを知らない。 一方の鷹宮は、完璧な成功者として生きてきた男だった。 危険から守るため、鷹宮は凪を一時的に自宅へ迎え入れる。 冬の同居生活の中で、凪は少しずつ日常を取り戻していく。 大学へ通い、温かい食事をし、夜を一人で怯えずに眠る。 しかし、守られることに慣れない凪は、距離が近づくほどに自分から一歩引いてしまう。 それは、失うことを恐れる、健気で不器用な選択だった。 一方、鷹宮は気づいてしまう。 凪が笑うだけで、胸が満たされることに。 そんな自分の感情から凪を守るつもりで引いた距離が、 凪を遠ざけてしまう。 近づきたい。 けれど、踏み込めば壊してしまうかもしれない。 互いを思うほど、すれ違いは深くなる。 2人はこの冬を越えることができるのかーー

【完結】君の穿ったインソムニア

古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。 純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。 「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」 陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。

処理中です...