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優しい人・第21話
しおりを挟む今までで、1番優しい志賀の腕。
もう、このまま心臓が止まってくれ、と思う。
溢れた涙が目尻からスッと流れたが、真上から頬を乗せている志賀には、自分の顔は見えないので、そのままでいい……
《千流の 涙はすべて 君がため》
嬉しい涙…
覚えておこう。
千佳史の心は少し救われる。
特定の相手を持たない千佳史は多分、抱かれた男の数は、行きずりも含めると50人程はいる。
時には失敗、と思う相手もいたが、今井の場合は最初から嫌悪感があった。
尋常じゃないその目つきには、危険、と言えば、あまりにも簡単で軽々しいというほどの怖れを感じた。
そしてそれは間違っていないと確信している。
ただ、傷つける為のセックス。
今井の口から出る言葉は、そのイメージを着々と濃くしていき、1度も、それが薄れたり、今井を見直したことはない。
昨夜は……
頭頂に、愛しい男からの頬ずりを受けながら思い出す。
薬と強いアルコールにより、ぼんやりとした意識の中で伊川に抱かれ、その後、連れて行かれた所に今井が居て、少し正気が戻った。
残忍な今井の、据わった目を見ていると、恐怖とともに、どんどん意識がはっきりしてきて、記憶はしっかりとある。
「おー…ほんまに連れてきたな、信輔。よっしゃ、お前、来月から作業長や。山本は六アイ行かせるわ」
どこかのホテルと思われるその部屋のゆったりとしたシングルソファに座った今井がグラスを上げた。
「うっす!ありがとっす!」
伊川は拳を胸の前にグッと引いた。
今井が、突っ立っている千佳史を
「…チカ~。3年待ったで?ほんま、値打ちつけてくれたなぁ…まあ、お前ほどのオンナやったら、それでも待った甲斐があった、ってもんやけどな。ほら見てみ?お前が来る、て聞いただけでビンビン」
今井は立ち上がって、スラックスの上からでも分かる股間の変化を指さした。
「わ、部長、すんごいですね!」
伊川が媚びたような笑いをする。
「当たり前やんけ」
ニヤニヤ笑いながら、今井は再び、ソファに身を沈めた。
吐き気がする。
この男と繋がると思うと…。
―え、ちょっと待てよ?
伊川とかいうのが、萌花さんに薬飲ませて強姦した、って俺が志賀に言えばいいだけやん!
そうや、俺が志賀に教えたったらええねん!
何でこんな簡単なこと…!
萌花が自殺未遂をした、という言葉を聞いて、動転した。
自分がそうしなければ、萌花が死に、志賀は運命の相手を失う、そう強く思い込んでしまった。
―志賀は、萌花さんの妊娠で、そうとう捻じ曲がって折れとうから、最初は撥ね付けるやろけど、根気よく、合意じゃなかった、どうしようもなかった、って伝えれば解るやろう。
「帰るわ」
「あ?」
「帰る」
「なに言うとん?お前はもう俺のオンナよ?解ってる?」
「や、俺、実は今井さん、苦手です」
「ハハッ!知っとうって!でも、珍しいな、チカ。お前がそんなこと言うなんか。お前は優しいんがウリやろ?俺、傷つくわ~」
ふん、と鼻を鳴らして今井を見る。
「散ッ々、色んな人間、傷つけてきたんやから、たまにはいいでしょ」
今井の唇の右端だけが、クイッと上がった。
『残酷スマイル、略してザンスマ!』と、奏流が言っていたのを思い出す。
腹の底を凍りつかせる笑み…
千佳史は、冷蔵庫の中からビールを出して飲む、伊川を見た。
「アンタがわざわざ志賀に言わんでも、俺が伝える。萌花さんがお前と関係持ったんが無理矢理で、合意じゃなかった、と判ったら、問題解決やし」
「ハハハハ…ッ」
いかにも面白そうに、伊川が笑い出した。
「チカちゃん!志賀と同棲するほどのラバーやのに、志賀のこと解ってへんな!俺は、萌花が専学行ってすぐ、あの男とデキてから、ずーっとリサーチしとったんや。萌花を取り戻すためにな。何回も志賀にも会うとう。あいつは、そのたんびに、萌花に、俺とは切れ、って言うてたらしい。天然のクセに割と勘は鋭いヤツや。萌花が物心ついて、そうやなぁ…20年は全く気付かんかった俺の気持ちに、すぐ気付きやがった。あ、動物の勘か!ハハッ!」
「何の動物やねん。そんなもん志賀は萌花さんを愛してるんやから、当たり前や」
「うん。そうなのです」
伊川のオチャラケは、本当に癇に障る。
「だからね。どんな理由があろうと、俺の家に一人で来た時点でアウトー!ましてや女子会で酒入ってました、それでも萌花は自分の意思で、俺の家に来ました。はい、もっとアウトー!俺以外なら、志賀も許すかもね。でも、俺だけは無理。6年も注意し続けた男なのですから~!残念!」
伊川は、古いギャグを言って、一人でウケて大笑いした。
「……」
「でもね、そんな志賀でも、俺がうまーいこと、正直に状況を説明すれば、大丈夫なことが1つ2つある。だから、俺が話して頭を下げれば、志賀は萌花を許すやろう。でも、それはキミには教えな~い」
逃げられる!と漲った力が、完全に抜けた。
「さ、チカ、脱いで?俺にその綺麗~な体、見して?」
「・・・・・」
「脱ーげ、言うとんが解らんのか?このアホは」
ヒュッ、ビシッ…!!
「あぅッ……!!」
ビシッ!と背中に焼けるような痛みが走った。
今井が、鞭をふるったのだ。
体がおかしくなったのかと思うほど震える。
立ち上がった今井が、打たれて膝をついた千佳史の傍にしゃがみこんだ。
「ええ顔…。最高…」
今井は千佳史の髪を掴んで上を向かせ、いきなり鞭の柄を口の中に突っ込んで来て、嘔吐く千佳史を楽しんだ。
そして拷問のようなセックスが始まった……
「俺以外に抱かれるんナシな?明日から」
別れ際にそう言った今井だが、とても“抱かれた”という気分ではない。
ただ、痛めつけられ、辱められたとしか思えない。
こんなカスに、なにされたって、心にシャッターを下ろしていればいい。
そう思って覚悟したが、そのシャッター諸共、グシャグシャに踏みつけられるような陵辱だった……
志賀の強い腕が本当に気持ちいい。
体の痛みも、心の痛みも、癒され、守られてゆく感じ…
だが、この庇護は、萌花のもの。
返さなくては…。
自分なんかより、ずっと、ずっと傷ついた萌花さんに…
志賀には他に守るべき人がいて、それが自分ではないことを、千佳史は知っている。
―志賀…大好き…大好き……
萌花さんとこ、帰り……
志賀の腕に抱かれて眠ってしまった千佳史が、目を覚ますと、もうすっかり午後だった。
『ちょっと買い物出てるよ?夕方には帰る。元気あったら来る?三宮』
とラインが来ていた。
そして、20分後くらいに珍しく
『既読つかへんから、寝てると思われ…。今朝の滝さん、ヤバいくらい疲れてたから、やっぱ寝とき。晩飯、買って帰るから』
という気を回したラインが…。
これには驚いた。
『まだ??』
だと思った、確実に。
「大人になったなぁ、あっちゃんよ」
と、スマホを撫でてセンターテーブルに置けば、志賀の脱ぎ捨てて、そのままの形で置いてある、ハーフパンツとランニングが目に入る。
「取り消し」
そう言って笑って、それを拾って洗濯機に入れた。
体が痛い…
志賀が朝、抱き上げてくれた時も、背中に痛みが走った。
脱衣所で服を脱ぎ、洗濯機に放り込んで、浴室の方を向いたら、ドレッサーの片側の扉を志賀が開けっぱにしていて、モロに背中が見えた。
「……ッ」
背中の色が変わっていた。
自分の背中は白だと思っているが、赤だった…
生々しい鞭の跡が何本もある。
赤いミミズ腫れのような筋、青や紫の内出血……
今井は、とにかく鞭で打つのが好きだった。
腿にも全体的に跡はあり、針金のような物を突っ込まれたペニスの先も異常に赤く腫れている気がする。
そこは見えないが、後ろもズキズキして堪らない。
きっと酷い状態だろう…
暫く志賀に背中を見せてやれない…
まあ、時間の問題で離れるんだから大丈夫か……
千佳史は温(ぬる)いお湯で、気を付けながらシャワーして髪を洗った。
とてもじゃないが、湯船には浸かれない。
用意していたTシャツとハーフパンツはクロゼットに直して、襟の詰まったTシャツとスウェットのロングを穿いた。
△
「ただいまっ!滝さん!これ見て!」
服屋の袋を開けながらダイニングに入る。
「お帰り。ごめんな、行けんで」
白Tにスウェットの滝が綺麗に微笑む。
―ああ、今朝より大分ましや…。
その笑顔に少し、安堵する。
「ええ、ええ!だって滝さん、今朝死にそうな感じやったもん。それより!これ、ジャーン!ペアルック!」
篤仁は自信満々の戦利品を広げて見せる。
「はあ?嘘やろ?!」
滝が吹き出す。
「照れんなよ、honey~。ナンチャテ!」
「カッ…アホか」
「ちゃうねん、って!見て!ほら!」
「わ!これ、どこの?」
「知らん。俺、服とかよう解らんのですわ。だから、1009の中、プラプラしとったら、これ、黄色の方、人形が着とってね。うわ、これええやんっ!!滝さんに似合いそう!しかもA&Cって!買って行ったろ、って中に入ったら、白もあってね。俺も欲しなって、買ってきた」
片笑窪全開の笑顔。
それは、レモンイエローの浅めのVネックに、細身のライン、至ってシンプルな綿素材のTシャツだが、Vネックの左の襟に沿って、白い糸で1cm角くらいのゴシック体の文字が刺繍してある。
それが、何と“a&c”。
『篤仁&千佳史やんけ!』と、思わず叫んで、隣で話しながらウィンドウを見ていた若いカップルにガン見されて笑われたことを教えてやると
「今日からあなたもホモの仲間入り!」
と滝は可笑しそうに笑った。
「この薄い黄色が滝さんの白い肌にメッチャ似合いそうやなー、て思て!」
一瞬、滝の顔が曇った引き攣ったような気がしたが、ほんの一瞬で
「ありがとう!」
と、なんと抱きついてきた!
―え?嘘!やった!そんなにナイスやった?!
篤仁は一気に有頂天だ。
自分は、蘭奈顔の滝にしょっちゅうキスをせがみ、抱きしめて、背中でイクのに、滝からは1度もなかった。
「お!おお、おお、何や何や?そんなに良かった?おおよしよし…」
篤仁は大いに照れて滝を抱きしめ、軽く尻を叩くようにした。
「ぁ…っッ…」
「え何?!」
滝が身を捩ったので、手を離して万歳をする。
「俺、何かした?痛かった?え、そんなに力…」
「ちゃうちゃう。俺、なんか、ケツにデキモン出来て。それが以外にけっこう痛い」
「な~んや、ビックリした!大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
「もう、大事なお尻ちゃんに~」
「お前、変な言い方すんな。ええんや、ケツくらい」
「何でよ~。大事やんか~」
篤仁は何か、滝のことが可愛くて仕方なくて、その日は寝るまでその調子で滝にかまって、最後は
「ええ加減にしよし」
と怒られた。
もう…可愛いなあ……
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