優しい人

sasorimama.fu

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優しい人・第29話

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『ごめん。母が来てて…店の方でもいい?』

「こっちが出たか…。そうやんな……」

苦笑してスマホを尻のポケットに仕舞う。

心の中で賭けをしていた。

滝の家で逢えたら、1度だけ、抱かせて欲しいと頼むつもりだった。
自分が男の滝を抱けるかどうか解らない。
だが、少なくとも、滝の顔や背中に欲情する自分。

最初は蘭奈、蘭奈と思っていた顔も、今は滝でしかないし、薄く白く、細い背中に重なってゆく時も、おそらく瞳を閉じているであろう滝の美しい顔を想像しながら、茶色の柔らかい髪を愛しく見つめていた。

それは、萌花や他の女を抱く時と全く同じ感じのようで、また全然違うようにも思え…
その気持ちの着地点はどこなのか、知りたいような知りたくないような……

萌花があんなことになる前、確かに篤仁の心の奥底で芽生え、育ちかけたものがあったのだ……

だが、もし抱けなかったら、滝のプライドを酷く傷つけてしまうのだろうか…

いや、でも、滝には高見草介という女も男も意のままに出来るほどの、いい男が恋人として傍にいるのだ。

ノンケの篤仁ごときが勃てようが勃てまいが、大した問題ではないだろう…。


そして、家に行けなかった場合。
その時は、世話になった礼をしっかり言って、萌花と結婚することを告げ、帰る。

そう決めていた。

篤仁はスマホで時間を確認する。

―0時09分。
閉店時間までにはまだ、2時間近く。

《千流》に行けばきっと、今の時間なら杏理や瑞姫、奏流も、颯斗もいるだろう。
何故か心休まる彼らと酒を飲み、酔ってしまうのは本意ではなかった。

最後にみんなに会いたかったけど、それ以上にちゃんと滝に挨拶をしたかった。

高見に会うのも何となく、嫌だ。

篤仁は電車で三宮に出て、あの滝との再会の日に、酔ってから行こうとたまたま入った、JRの構内のスタンディングバーに入った。

ぼちぼち混んでいる店内を、何処で飲もうかと空いた場所を探しながら進む。

「志賀くん…ちゃいます?」
声をかけてきたのは、萌花の幼馴染み。

―確か…信ちゃん……伊川…信輔、やったな…

最初から、どうも好きになれない男だ。
絶対に萌花に気があると確信していた男。

じっとりと萌花を見、篤仁のことは、下から見上げるような卑屈な目が生理的にも受けつけなかった。

なんでまた、こんな日に会ってしまうのか。

「はあ、どうも」
会釈をして、離れようとすると
「一緒に飲みましょうよ。僕も今日、一人なんです」
と、横に並ばれた。

舌打ちが出そうになって、慌てて引っ込める。

「萌ちゃんと…別れはったんですか?お似合いやったのに…」

嬉々として伊川が切り出した。

「まあ」
「何でですか?とか、聞いたらあかんよな、すいません。や、萌ちゃん、すごい落ち込んでたから…」

「別れたんやけど、戻りました。結婚しますよ?萌花と」
「…え……」

伊川の顔が驚愕に凍りつく。

―ん?何やこいつ……

直感的に何かを感じた篤仁はもう少し踏み込んだ。

「あいつ流産してね。それで、ってわけやないけど、まあ、色々心境の変化があってね、こっちもね。それで、やっぱし、嫁にするんは萌花しかおらんな、と」

「…流産!そんなん、嘘やっ!嘘……堕ろしたんか?!堕ろしたんやろう!クソッ」
「何でそう思うんですか?」

「はぁ?だって、お前らの子ォちゃうからやろ!……ッ」

「詳しいのう、おのれ…」

篤仁が、目を細め戦闘態勢に入ると、ハッとなった伊川も、開き直り覚悟を決めたように真っ直ぐ向き合って来た。

「出ろや」
そう言ったのは伊川の方だった。

「ごめんね、マスター。ちょっとまた来るし」
篤仁はマスターに声をかけ、伊川と出た。

早めに閉まる飲食店の一角へ向かう。

ハナから話し合う気などない。
吐かせるだけだ―。

先制攻撃をかけたのは篤仁で、あまり人に知られていない公衆便所へ行く通路に入った途端、押さえ込んで喉を絞めたら、あっさり、計画的に萌花を騙して行為に及んだことを吐いた。

「ダッサイ野郎やのう。惚れた女騙してしかヤレんとかや」

「うっさいわ!お前…お前なんか!千流のマスターとデキとうクセに。バイのクセに萌ちゃんと!何で結婚なんかすんねや!萌ちゃんが可哀想やっ!」
と泣き出した。

「マスターとデキとう?…は~ん、お前か。俺と滝さんの写真撮って、萌花の親にあることないこと言うたんは」
「ああそうや、悪いか。萌ちゃんの幸せの為や」

呆れて物が言えない。
こんな奴に振り回されていたのかと思うと、怒るより力が抜ける。

「……ッあ!!お前っ……」
再び襟首を掴まれ、目を剥いた伊川の足が宙に浮く。

「滝さんに何もしてへんやろうな?」
「……な…も、何もッ…」
「そおか…ほんなら、こっち…ッ」

伊川のタマを潰すほど握る。

「ぎゃぁあああ!!!痛イタイタイタッ!!!」

井川は全て話した。

そして、上司だ、家に帰ってるから無理だ、と泣いて許しを乞う伊川を許さず
「今度は潰すど?タマ2個とも」
と、滝をずっと狙って断られていたが、やっとモノにしたサディスト、という男を電話させて呼び出した。


「何の騒ぎや、伊川。誰ぞ、この兄ちゃん」
「おっさん《千流》行くぞ」

「ああ?」
篤仁の言葉に今井の顔が変わる。

「伊川!」
「すいません!!すいません、せやけど!!」
「お前、明日からヒラじゃ!クソダボッ」
「そんなっ!!部長ッ!!」

「内輪もめは後でせえや。はよ来い」
篤仁は、今井に声をかける。

「兄ちゃん。あんまりええカッコせん方がええんちゃうか?俺、川ケンの菊池さんと同級生でな。今も仲ようしとるんよ…」
今井が度々雑誌や新聞、ニュースなどで買おを見るヤクザの名前を出し、ニヤニヤ笑って体を揺らす。

「あっそ。俺、兵庫県警の長岡ちゃん友達ー」
「長岡ぁ?誰や、それ」
「あら、知らない…その菊池さんとやらに聞いてみたら?」

長岡慶一郎は兵庫県警本部長。
父の親友で、家族ぐるみの付き合いだ。

学生時代の柔道で、腰椎に、分離、辷りがあり、ずっと篤仁が往診したり、長岡が来たりで、鍼治療をしているのだ。

何処かに電話した今井は、長岡が何者か解ったようで
「行ってやるよ。伊川、お前は帰れ」
とついてきた。

時刻はちょうど2時だ。

客を送り出す滝が見える。

ーッ滝さん…

一瞬、状況が消え、痛い程に胸が震える。
つい数日前まで、平気で呼び、駆けよれた人。

今は途轍もなく、遠い…

「じゃ、《Jango》行っとうから、来れたら来てよー」
「お先ですっ!」
颯斗と奏流と、奏流の最近の彼氏っぽい男、それと、手伝いの來人の4人が滝に声をかけて下の方へ歩いて行った。


「滝さん」
「志賀…。…ッ!!」

篤仁を柔らかく見た滝の顔が、驚愕を貼り付けて固まった。

「チカ。こんばんは」
「……なん…ですか……?きょ、うは…ちょっと…」
「大丈夫や、滝さん。ちょっと中入りましょ。おい」

今井の腰をドン、と押す。

「滝さん、書くもんある?あんまり小さいメモあかんよ?B5くらいは欲しい」
「これでいい?」

滝が罫線だけを引いた便箋を出した。

「上等。今から言う通り、書け」
ペンを差し出すと、今井が憮然とした表情(かお)でそれを受け取った。

「念書。書いたか?私、今井敏彦は、本日より、1歩たりともバー《千流》に足を踏み入れないことと、同店店長、滝千佳史に、一切触れないことを誓います。もし、これを破れば、その都度、1回につき金員3千万円を、滝千佳史に支払うことを約束します…書いたか?よし。じゃ、これ、指紋……よし。署名せえ。ほんで土下座で謝って帰れ」
「…志賀、あの…もう、いいから…」
「良くない。早よせえ、今井」

「申し訳ありませんでしたっ」
潰されたゴキブリのようにペタンコにひれ伏し、謝って、今井は帰って行った。


2人きりになる。

何か想定外のシュチュエーションだが、店に入る緊張がなくて有難かった。

「志賀…ありがとう…あの」
「何で言うてくれんの…って……ハハ…そやな…アンタの性格やったら言わんな…ほんまに…滝さんみたいなことしとったら、体も心もいくつあっても足りんやろ」

「…ん…ありがとう……志賀」
「ううん…そんなん…ッ…俺の、方こそ…ッ」

グッとこみ上げてくるものを堪える。

「…萌花のことも大丈夫です。もう、全部、解った」

滝が思い切りの笑顔になった。
「良かった…良かった、ほんまに……」

痛々しい眼帯は、滝の小さな顔を半分くらいを隠すように見える。

「良うないやろ……良うない…こんなん…されてッ……ごめんな…ごめんな、滝さん…」

眼帯の目をそっと撫でる。

「大丈夫やで?こんなん、大袈裟やねん…」

「ほんまに…ッ、世話なって、礼言わなアカンとこやのに、こんな……あの、ボケが」
「いい、って…。当たり前や。ビックリしはったんや、お母さん。違う、って解った?」

「何が当たり前なん?全然当たり前ちゃう。助けてくれたのに…ッ。こんなん、何が当たり前や…!」

「俺、志賀を助けたん?」

篤仁は何度も頷く。

「俺があんなにすぐに、普通に戻ったんは滝さんのお陰や。ほんまやったら、人生初の挫折で、もう1歩も家出えへんか、そやな…自殺しとったかも……うん、そう。そうや、俺、ほんまに、あの日、あの、同窓会の日、結婚式場の予約取り消して、久々、タバコ買って吸って……何かボーッと……あんなん初めてやった。でもね、そんなん、みるみる、っつーか、知らん間にどっか行ってもとった。滝さんとの、毎日が、楽しすぎて…」

「……」

滝の、片方だけの目が揺れる。

見つめ合う、瞬間(とき)。

―手放せるんか?俺は、この人を……

滝さんの表情がピク、と動き、ふわ、と笑顔になる。
張り詰めた空気に穴があいて、少し、萎む。

―いや、俺は、この空気を変えたくない…

綺麗な笑顔につられて微笑みそうになるのを堪え、滝の細い腕を掴んで思い切り引き寄せるが、滝が以外な力で踏ん張る。

「あかん」

「何で?」

「……」
「何で?滝さんッ」

「…か、彼氏…おる…」
「……ッ……。そやった…ごめん…」

泣きそうになるのを必死で堪える。

―俺はここに、話しに来たんやろッ…

グッと拳を握る。

「俺、俺も…結婚する。萌花と…」

途端に滝の顔が、パッと明るくなる。

「嘘!やった!おめでとう!」
「……うん…結婚する…」

「うん…おめでとう。…それがええよ。1番ええ。良かった、萌花さん…良かった、ほんまに」

―帰れ…。話して、帰るんやろ?……ドア、行け……ッ

だが、頭と行動は裏腹だった。

滝を壁に押して、両手の自由を奪う。

俺の大好きな滝さんの顔が、驚いて俺を見上げる。

―ああ…この驚いた顔も好き…笑った顔も…泣かしてもた時の、顔も……

胸に音を立てて渦巻く愛しさを暫くそのままに感じながら、世界一、綺麗だと思う、その顔を見つめる。

滝が大きく息を吸い、厳しい表情を瞬間見せたかと思うと、それが、ふい…と緩む。
そして、言った…



「志賀…。おめでとう」━━━

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