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優しい人・第31話
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病院のパイプ椅子に腰掛ける。
「…あっちゃん……」
「わっ!…なんや、お前!起きとったんか!」
クス…と笑った萌花が、今度は眉を下げ、泣き出した。
「あっちゃんが…ずっと…ついててくれた、ってお母さんから…聞いた……。でも私、何となく、解ってたんょ?あっちゃんが…手を…握ってくれてたん……」
「うん……」
それ以上の言葉が、出てこない…
今は…たった今、会ってきた滝のことで頭がいっぱいで…
滝がゲイでさえなければ、何の問題もなかったのか…
何故、男同士なのに、何故、付き合っていたわけでもないのに、最後にしなければならなかったのか……
そう思う反面で、もう会ってはいけないのだ、という感覚は自分の中に有りすぎるほど在り、説明出来ないのに、理解している。
萌花がいるのだから、もう、代わりは必要ない、と滝は言った。
だが、篤仁の中で、滝と萌花は、全然別物……
いや、別物、と言うより……
「ごめんね…あっちゃん…」
考え込んでいるせいで、難しい顔になっていたのだろう、篤仁が黙っているのを、怒りか、その類の物だと思い込んだ萌花の表情(かお)は悲愴だ。
自分は、自分をこんなにも想うこの萌花に、何でこんな顔をさせるのだ……。
―『良かった。萌花さん、ほんまに良かった』
浮かぶ、心からの滝の笑顔に叱られる。
―滝さん……
「萌花。話し、聞いたらんでごめんな。偶然やけど、伊川に会うてな」
「……ッ」
萌花の顔が、叫ぶのかと思うような形相に変わる。
「大丈夫や、全部聞いた。あいつ、犯罪やの、ほんま」
「あっちゃん…私…私が、あっちゃんに、あんなに言われとったのに、一人で、家、行ったから……ッ…まさか、信ちゃんが、そんな……。ごめんなさい…ごめんなさい……」
「ええ。滝さんに、何回も言われたんや…話し、聞いたれって」
「マスターが?……マスター…」
萌花が声を上げて泣き出した。
―滝さん…どうーせ、萌花にも優しいしたんやろな……
「滝さん、優しいやろ?」
ベッドサイドにかけてあるフェイスタオルを取って顔に押し付け、泣きながら萌花は何度も頷く。
「…マスター……ほんまに…あんな、人……おらん…」
「そやねん。昔っから…そうやねんなぁ……あ、そや」
萌花がタオルから顔を離し、俺を見上げる。
「ちゃんともう1回プロポーズしたん?って聞かれた。滝さんに」
「え…え…私、そんなん…」
「いや、それは、あかん。滝さんの言う通りや。…でも、あの、萌花…指輪……は、ちょっと待ってくれる?」
「そんなん!捨てれるわけないやんっ…持ってる…仕舞ってある…ッ。あっちゃん……」
「マジで?セ――フ」
篤仁がゼスチャー付きで言う。
「…私で、ええん?ほんまに…」
「…ああ。ええんや。萌花で。結婚しょうな?」
「…うん…ありがとう。あっちゃん……」
『萌花で』―それが、今の篤仁の心を全て表していた。
『萌花が』―今までの篤仁なら、そう言った。
―あっちゃん…やっぱり、マスターのこと……。マスター、ごめんなさい。きっと2人は両思いです。…マスターは、そんなん知らんと自分の想い引きちぎって、私にあっちゃん返してくれた…。私は…私は…あっちゃんを、マスターに、2人を、繋げてあげなアカンのに……出来ない…渡せへん……ッ…。ごめんなさい…マスター…あっちゃん……
篤仁を愛するが故に、萌花には、篤仁本人が見えていないものが見えたのだ。
それでも、どうしても愛する人と添いたい女心…。
滝が、本当は篤仁を想っていることを、自分だけの胸に留め隠す……
自分の弱さと狡さを嫌というほど感じる。
それなのに、流れる涙が嬉し涙であることに、私は悪魔に変わってしまったのだと腹を括る…
それでもマスターだけは、祝福してくれる気がするのだった。
◇
あっと言う間に時は流れる。
心を熱くした夏は過ぎ、昨日の帰りは寒いくらいで、店を出て少し歩いてから、上着を取りに店に戻った。
千佳史は相変わらず一人だ。
「《あの時に やっぱり好きと 言えたなら》…くー…解りすぎるっ!《さようなら 世界で一番 好きでした》……ふわ~…今日は何?俺のこと見てたん?みたいな句ばっかりやん!《小悪魔の 素直な涙が 腰にくる》何やこのリアルな…あ、航大やん!なるほどな~…ラブラブやん。良かったな、奏流。もう、ウリすんなよ?」
パソコンに向かい、千流の《みんなの千流》に目を通す午後。
これも相変わらずだ。
「なぁ~。マスター。なんで最近、篤ピー来えへんの?」
その奏流が今日は1番乗りだった。
袖クシュの黒いカットソーから出た細い指でグラスの水滴を擦る。
「結婚したから」
「結婚したら?何なん?」
「夜、出歩かへんの」
「けっ…。最悪!ノンケくさっ!1回くらいヤリたかったのに!どんなセックスすんねやろぉ~」
―俺が知りたいわっ、タコ!
「お前な、もう、決まった人がおるんやから、あんまりそんなん言わんどき。失いたないやろ?」
「そんなん…知らん」
奏流のちょっと膨れっ面は、照れ隠しだ。
「わっ!!可愛い子おる!と、思たら…?奏流やったー!かなりん、今日も可愛いなあ」
航大が奏流の大好物のミスズベーカリーのパンを手に入ってきた。
―ああ、もう!あの川柳、奏流に見せてやりたかったのに!
「航大早い…」
つい、口に出すと
「え、何?!チカさん!奏流狙ってんの?!え、え、チカさん、ウケちゃうの?!攻め?タチなん?リバ??」
「企業秘密や」
あまりの勘違いに、悪乗りしてちょっと意地悪を言った。
ピロン…
『明日、暇やから、昼行くわ。何か飯作ってー』
倉本からのライン。
『は?お前、大丈夫なん?明後日あるやろ?』
『そんなもん、旅行の準備ももう終わったし、男はすることなんかないんや』
―へ~…そんなもんか…
明後日の日曜日は倉本と千怜の結婚式なのだ。
土曜で仕事もないし、新婚旅行の準備ももう出来ているので暇だからと千佳史の家に来た倉本が、手に持った葉書きをヒラヒラさせながら部屋に入ってきた。
それは、志賀からの『結婚しました』葉書き。
ベアトップのシンプルなウェディングトレスの美しい萌花と、ダークグレーのタキシードが、モデルか?というほど似合う志賀が、大きな窓から真っ青な海が見えるチャペルで、笑って腕を組んでいる写真だった。
『滝さんは、今、幸せですか?俺は、ぼちぼちです』
細いマジックで、そう書かれてある。
「はっ…あんの、ドアホッ…。あん時、俺に一言もなく、勝手にチカに会うたばかりか、ぬけぬけとこんな写真送って来やがって!ほんっま、鈍感のド天然もええとこやのう!ほんで何で今頃なん?すぐ籍入れたんちゃうん」
「うん。籍は、あの後すぐ入れたと思う。10日後くらいに、萌花さんからありがとうございました、ってメール来てたから。そん時に、結局、日本での結婚式はせずに、2人で旅行だけして、写真ウェディングだけ、してきます、って来てた」
「いや、萌花さんは解るで?でも志賀が、なぁ・・・」
「何で?ええやん。そりゃ、送ってくれな。俺、萌花さんも何回か会って、もう、勝手に2人と友達気分やから、結婚したのに挨拶もなかったら、ちょっと気ィ悪いで?」
「もう会いもせんのに?」
「……」
「すまん。意地悪やったな」
千佳史は膨れて頷く。
「な、久しぶりにヤろか、チカ」
「アホか!!それこそ、ほんまアホ」
「ハハッ…アカンかー」
「当たり前じゃハゲ。明日新郎なヤツが何言うとんねん!」
蹴りを入れながら、倉本がモテんで困ってたら、ヤってしまうんやろなぁ…等と考える千佳史である。
「あ~あ。とうとうこの日が来たなぁー…リクの結婚式かー。楽しみやけど、泣いてまいそー」
「泣いてよ~。泣いてくれへんかったら、俺泣く~」
そう言っていた倉本だったが、友人代表の挨拶で、名前を呼ばれ、マイクの前に立った千佳史が、新郎新婦、並びに、両親、親戚への祝いを口にし、倉本への言葉の始めに、少し間を置き
「リク」
と、呼んだだけで、オイオイ泣き出したのだった。
志賀からも、祝電が届いていた。
区役所職員の結婚式だけに、公職の要人からの祝電が多かった為、志賀の祝電の内容は読まれず
「ここからは、順不同でお名前だけ…」
と司会者がズラズラと名前を読み上げていき、中程で
「志賀篤仁様…」
と言っただけで胸がポッと暖かくなった。
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