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優しい人・第32話
しおりを挟む新天地の北区の診療所は、神戸の中心、三宮から電車を乗り継いで小1時間、車なら30分の山の街という小さな町。
篤仁の地元近くながら田舎で人口密度も低いし、最初は厳しいだろう、という読みを大きく外し、灘の診療所の開業時より明らかに忙しく、篤仁は忙殺されていた。
環境をどうしても変えたかった。
新居も篤仁の実家の近くに借家を借りた。
あの後すぐに、篤仁の実家のある北区で不動産屋に勤める友人に頼み、診療所と自宅の物件を探してもらった。
萌花が、両方の親も望み、篤仁もやろうと言った結婚式を、トラウマになったから絶対にやらない、と断固拒否し、2人だけの新婚旅行を兼ねた結婚式にしたので、かなり浮いた結婚式資金に、篤仁の父が足りない分を出してくれた。
貸しにしてくれ、と言ったら
「儲けたら貢いでくれ。先行投資だ」
と笑って借金を却下してくれた。
せっかく患者のついた灘の診療所は、手放すのは惜しいので、まだ柔整の学生だが、企業経験者の既卒組で、学校に行くまで数ヶ所の整骨院で勤務し、実務に慣れ、施術の腕も確かな大木に任せ、新しく免許保持者を2名雇って、存続させた。
そして《山の街整骨院》は萌花と2人、細々やろうと思っていたら、何のことはない患者が多く2人では回らず、一人、また一人と人を雇い、結局は総勢6人でやっている。
結婚式は嫌だけど、写真だけは撮りたい、という萌花の希望を聞いて、そこら辺の写真スタジオでいい、と萌花は言ったが、それは篤仁が嫌だと、新診療所の場所が決まり、大体の準備が出来た9月に、何とか2泊3日だけ確保し、近場のグアムを選んで新婚旅行がてら行って写真を撮って来た。
帰って来て、萌花が『わたしたち、結婚しました』葉書きを写真入りで作った。
全て、萌花が
「私、やっとくからね」
ということで、葉書きは篤仁には渡されなかったが、萌花が実家に用事で出掛けた時に、作ってあるのを勝手に数枚プリントアウトした。
あまり、深く考えてはいなかった。
だが、唯一、滝に連絡出来る理由が出来たことが嬉しくて、例え一方通行でも、ワクワクしながら宛名を書いた。
『滝さんは、今、幸せですか?寂しいです』
と書いて、ジーッと見る。
「アカンな…」
その葉書きをゴミ箱に捨てメッセージを書き直す。
『滝さんは、今、幸せですか?俺は、ぼちぼちです』
「これでええ」
篤仁は満足してその葉書きを普段遣いのボディーバッグに仕舞った。
「あっちゃん、何処行くん?」
葉書きを出しに行こうとドアを出た所で、帰ってきた萌花に出くわす。
「散歩」
萌花がプーッと吹き出した。
「何?」
「だって!アハハ…ッ…波平さんみたい、あっちゃん!ないわー、20代で。散歩…あー、おっかしー!ハハッ…行ってらっしゃい、あ、牛乳買おうと思ってたのに忘れた。コンビニで買ってきて?」
「何ィ?!牛乳忘れただとォ?ばっかもーん!!」
「それな!」
「ハハッ…行ってくる!」
「行ってらっしゃい!牛乳ね、よろしく!」
篤仁が出掛け、入れ替わりで家に入った萌花は、大きなため息をついて片付けを始めた。
2時間ほど、留守にした間に、お子ちゃまな篤仁は、とんでもなく散らかす。
新聞の束はバラバラ、お菓子の空袋が投げ出され、テレビのリモコンの電池を入れ替えてくれたのはいいが、電池がテーブルに転がっている。
「ちょっとゆすいで使えばいいのにね~。誰が洗うんかしらね~、ボク」
と言いながらシンクに運ぶグラスは3つ。
「ゴミまとめとこ…」
可燃ごみの袋を持って、トイレ、洗面所、寝室を回る。
勉強部屋、と称したパソコンルームのゴミ箱を持ち上げ、ガサッと大量のゴミを、専用ゴミ袋に移した時
・・・・・?
萌花の目に青いゴミ袋のビニールの中の写真葉書きが透けて映った。
飛ぶように時間は過ぎて行き、何となく以前より元気のない萌花のことは気になりながら、それなりに満たされて篤仁は過ごしていた。
だが、時々、寂しくて堪らなくなり、無性に滝に甘えたくなり、夜中に目が覚める。
滝の大体の帰宅時間だった3~4時頃にパチッと目が空くともう、堪らない気分になり、横に眠る萌花に気付かれないようにそっとベッドを抜け出しパソコンルームに入る。
そしてきっと滝は冗談で言っただろうが、実際他に方法がないので、何で写真の一つ撮っておかなかったんだ、悔みながら、川本蘭奈をネットで検索して、画像を次々と見て
「違う…」
と言いながらも1番近い顔を探して穴が開くほど見つめ、水を飲みベッドに戻る。
年が開け、ある日の終わりがけに、一人でフラリと診療所に来た父が
「篤仁、たまには男同士でやらんか?」
と、酒を飲む仕草をした。
「いいやん、行ってきて!私、片付けて行くから、お父さん、もうどうぞ?」
萌花が明るく送り出してくれた。
何となく父の表情(かお)が冴えないので、気になったが、居酒屋のカウンター席に座って、熱燗を酌み交わすと、父が話しだした。
最近調子悪くて…と言っていた篤仁の母が、実は膵臓癌で、余命はもう3ヶ月程なのだ、と言う。
―これか……
何となくの悪い予感は的中。
「いつ判ったん?」
「お前らがグアムに行った日に、ずっと調子悪かったし検査行ったんや。そしたら、半年と…言われてな」
滝のことがあってから、母親には壁を作っていた。
ただゲイというだけで、母親が滝にはたらいた非礼を越える暴行を、どうしても許すことが出来なかったのだ。
「また…ちょいちょい行くわ、家」
「ああ、そうしたってくれ」
「うん」
「篤仁」
「ん?」
「お母さんを…許したってくれ……」
横に座る父が、深く頭を下げた。
それから週に1度は実家に晩ご飯を食べに行った。
やれ、人から牡蠣をもらったの、新鮮な野菜をもらったのと理由は萌花が色々考えてくれた。
バレンタインデーになり、その頃には大分、以前のように接することが出来るようになっていた母から、チョコレートを取りに来て、とスマホに電話が入った。
直接自分に電話があったのは、母親と気まずくなってからは初めてのことだった。
その日は土曜日で午前診のみ。
萌花に話して先に帰宅してもらい、篤仁は一人で実家に向かった。
「あ、あっくん。これ、チョコ。ハッピーバレンタイン」
「ああ、サンキュ。わ、懐かしいなぁ、このチョコまだあったんかー!…?小さなってへんか?これ。もっとおっきかったやろ??」
「この頃は、何でも一回り小さなっとうよ?値段あげられへんようなったら、ちっこするんよ。でも、あっくんが大きなった、いうこともあるわね」
母が笑いながら言った。
そのチョコレートは、ハート型でピーナッツの入った、篤仁が子供の頃から大好きなチョコレートだった。
「懐かしいなぁ」
早速、袋を空けてバリンと齧る。
「おー、旨い。これこれ」
「もう、あっくん。お昼用意しとんのに、先にお菓子食べなさんな」
と言いながら、母は嬉しそうだ。
「親父は?」
「長岡さんと、これ」
ゴルフのクラブを振る仕草をした母は
「イタタタ…」
と腰を曲げた。
「大丈夫かっ?!」
思わず駆け寄る篤仁に
「あっくんに心配してもらったら、麻酔より効くわ。もう治った」
と腰を伸ばして母は笑った。
篤仁は、鼻がツーンとするのを堪える。
「な、あっくん…」
「何や?」
「あの人、どうしてはるかな…」
「あの人?」
「あの…綺麗なお顔の…」
「…滝さん?」
うんうん…と母は頷いた。
「どう…って…。…わからんよ…」
―何を今更……
滝の名前を出されたら、最近はずっとなかった、母に対する怒りを思い出す。
「ごめんな、あっくん…お母さん…あの人の顔が…あんまり可愛らしいて…」
「………」
「あっくん、可愛い人が好きやろ?昔から、あっくんが連れてきはる女の子は、みんなかいらしいー子ばっかりで。あの人は、そん中でも特別…。お母さん、最初写真見たとき、女の子や、思うたんよ?」
母の目から涙が溢れた。
「…俺もや、最初見た時は…」
「それやのに、男て……。お母さん、あの時、鬼になってた…この顔…この顔が汚のうなったら、あっくんはこの人嫌う、って。それで…それで、顔に」
「顔に向けて投げたんか?ただ振り回したんやのうて?」
母はガクッと項垂れるように、頷いた。
「アンタなぁ…」
はあ…ッと、篤仁は大きく嘆息した。
「ごめんなさい…傷が…残っとるやろね……」
「わからん。俺、会ってないもん…」
「そう…」
「もう…済んだことや…。……飯、して?」
「うん。ほんまに…ほんま、ごめんね…」
そう言うと、涙をふいて立ち上がり、母はキッチンに消えた。
「滝さん…おふくろ許したってな?可愛すぎてんて、滝さんが」
思いがけず、母の口から出た滝の名前で、どうしようもなくまた滝を思い出してしまった。
「バレンタインやのにごめん。親父が長岡ちゃんと飲みになったから、ちょっとこっちにおるわ」
と萌花に連絡し、実家を出てから鈴蘭台まで出て、バーを見つけて入り、その日は深夜遅くまで一人で飲んだ。
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