優しい人

sasorimama.fu

文字の大きさ
32 / 47

優しい人・第32話

しおりを挟む

新天地の北区の診療所は、神戸の中心、三宮から電車を乗り継いで小1時間、車なら30分の山の街という小さな町。

篤仁の地元近くながら田舎で人口密度も低いし、最初は厳しいだろう、という読みを大きく外し、灘の診療所の開業時より明らかに忙しく、篤仁は忙殺されていた。

環境をどうしても変えたかった。
新居も篤仁の実家の近くに借家を借りた。

あの後すぐに、篤仁の実家のある北区で不動産屋に勤める友人に頼み、診療所と自宅の物件を探してもらった。

萌花が、両方の親も望み、篤仁もやろうと言った結婚式を、トラウマになったから絶対にやらない、と断固拒否し、2人だけの新婚旅行を兼ねた結婚式にしたので、かなり浮いた結婚式資金に、篤仁の父が足りない分を出してくれた。

貸しにしてくれ、と言ったら
「儲けたら貢いでくれ。先行投資だ」
と笑って借金を却下してくれた。

せっかく患者のついた灘の診療所は、手放すのは惜しいので、まだ柔整の学生だが、企業経験者の既卒組で、学校に行くまで数ヶ所の整骨院で勤務し、実務に慣れ、施術の腕も確かな大木に任せ、新しく免許保持者を2名雇って、存続させた。

そして《山の街整骨院》は萌花と2人、細々やろうと思っていたら、何のことはない患者が多く2人では回らず、一人、また一人と人を雇い、結局は総勢6人でやっている。

結婚式は嫌だけど、写真だけは撮りたい、という萌花の希望を聞いて、そこら辺の写真スタジオでいい、と萌花は言ったが、それは篤仁が嫌だと、新診療所の場所が決まり、大体の準備が出来た9月に、何とか2泊3日だけ確保し、近場のグアムを選んで新婚旅行がてら行って写真を撮って来た。

帰って来て、萌花が『わたしたち、結婚しました』葉書きを写真入りで作った。

全て、萌花が
「私、やっとくからね」
ということで、葉書きは篤仁には渡されなかったが、萌花が実家に用事で出掛けた時に、作ってあるのを勝手に数枚プリントアウトした。

あまり、深く考えてはいなかった。
だが、唯一、滝に連絡出来る理由が出来たことが嬉しくて、例え一方通行でも、ワクワクしながら宛名を書いた。

『滝さんは、今、幸せですか?寂しいです』
と書いて、ジーッと見る。

「アカンな…」

その葉書きをゴミ箱に捨てメッセージを書き直す。

『滝さんは、今、幸せですか?俺は、ぼちぼちです』

「これでええ」

篤仁は満足してその葉書きを普段遣いのボディーバッグに仕舞った。

「あっちゃん、何処行くん?」
葉書きを出しに行こうとドアを出た所で、帰ってきた萌花に出くわす。

「散歩」

萌花がプーッと吹き出した。

「何?」
「だって!アハハ…ッ…波平さんみたい、あっちゃん!ないわー、20代で。散歩…あー、おっかしー!ハハッ…行ってらっしゃい、あ、牛乳買おうと思ってたのに忘れた。コンビニで買ってきて?」

「何ィ?!牛乳忘れただとォ?ばっかもーん!!」

「それな!」
「ハハッ…行ってくる!」
「行ってらっしゃい!牛乳ね、よろしく!」


篤仁が出掛け、入れ替わりで家に入った萌花は、大きなため息をついて片付けを始めた。

2時間ほど、留守にした間に、お子ちゃまな篤仁は、とんでもなく散らかす。

新聞の束はバラバラ、お菓子の空袋が投げ出され、テレビのリモコンの電池を入れ替えてくれたのはいいが、電池がテーブルに転がっている。

「ちょっとゆすいで使えばいいのにね~。誰が洗うんかしらね~、ボク」
と言いながらシンクに運ぶグラスは3つ。

「ゴミまとめとこ…」

可燃ごみの袋を持って、トイレ、洗面所、寝室を回る。

勉強部屋、と称したパソコンルームのゴミ箱を持ち上げ、ガサッと大量のゴミを、専用ゴミ袋に移した時

・・・・・?

萌花の目に青いゴミ袋のビニールの中の写真葉書きが透けて映った。


飛ぶように時間は過ぎて行き、何となく以前より元気のない萌花のことは気になりながら、それなりに満たされて篤仁は過ごしていた。

だが、時々、寂しくて堪らなくなり、無性に滝に甘えたくなり、夜中に目が覚める。
滝の大体の帰宅時間だった3~4時頃にパチッと目が空くともう、堪らない気分になり、横に眠る萌花に気付かれないようにそっとベッドを抜け出しパソコンルームに入る。

そしてきっと滝は冗談で言っただろうが、実際他に方法がないので、何で写真の一つ撮っておかなかったんだ、悔みながら、川本蘭奈をネットで検索して、画像を次々と見て
「違う…」
と言いながらも1番近い顔を探して穴が開くほど見つめ、水を飲みベッドに戻る。


年が開け、ある日の終わりがけに、一人でフラリと診療所に来た父が
「篤仁、たまには男同士でやらんか?」
と、酒を飲む仕草をした。

「いいやん、行ってきて!私、片付けて行くから、お父さん、もうどうぞ?」
萌花が明るく送り出してくれた。

何となく父の表情(かお)が冴えないので、気になったが、居酒屋のカウンター席に座って、熱燗を酌み交わすと、父が話しだした。

最近調子悪くて…と言っていた篤仁の母が、実は膵臓癌で、余命はもう3ヶ月程なのだ、と言う。

―これか……

何となくの悪い予感は的中。

「いつ判ったん?」
「お前らがグアムに行った日に、ずっと調子悪かったし検査行ったんや。そしたら、半年と…言われてな」

滝のことがあってから、母親には壁を作っていた。

ただゲイというだけで、母親が滝にはたらいた非礼を越える暴行を、どうしても許すことが出来なかったのだ。

「また…ちょいちょい行くわ、家」
「ああ、そうしたってくれ」

「うん」
「篤仁」
「ん?」

「お母さんを…許したってくれ……」

横に座る父が、深く頭を下げた。


それから週に1度は実家に晩ご飯を食べに行った。

やれ、人から牡蠣をもらったの、新鮮な野菜をもらったのと理由は萌花が色々考えてくれた。

バレンタインデーになり、その頃には大分、以前のように接することが出来るようになっていた母から、チョコレートを取りに来て、とスマホに電話が入った。

直接自分に電話があったのは、母親と気まずくなってからは初めてのことだった。

その日は土曜日で午前診のみ。
萌花に話して先に帰宅してもらい、篤仁は一人で実家に向かった。

「あ、あっくん。これ、チョコ。ハッピーバレンタイン」
「ああ、サンキュ。わ、懐かしいなぁ、このチョコまだあったんかー!…?小さなってへんか?これ。もっとおっきかったやろ??」

「この頃は、何でも一回り小さなっとうよ?値段あげられへんようなったら、ちっこするんよ。でも、あっくんが大きなった、いうこともあるわね」
母が笑いながら言った。

そのチョコレートは、ハート型でピーナッツの入った、篤仁が子供の頃から大好きなチョコレートだった。

「懐かしいなぁ」
早速、袋を空けてバリンと齧る。

「おー、旨い。これこれ」
「もう、あっくん。お昼用意しとんのに、先にお菓子食べなさんな」

と言いながら、母は嬉しそうだ。

「親父は?」
「長岡さんと、これ」

ゴルフのクラブを振る仕草をした母は
「イタタタ…」
と腰を曲げた。

「大丈夫かっ?!」
思わず駆け寄る篤仁に
「あっくんに心配してもらったら、麻酔より効くわ。もう治った」
と腰を伸ばして母は笑った。

篤仁は、鼻がツーンとするのを堪える。

「な、あっくん…」
「何や?」

「あの人、どうしてはるかな…」
「あの人?」
「あの…綺麗なお顔の…」

「…滝さん?」

うんうん…と母は頷いた。

「どう…って…。…わからんよ…」

―何を今更……

滝の名前を出されたら、最近はずっとなかった、母に対する怒りを思い出す。

「ごめんな、あっくん…お母さん…あの人の顔が…あんまり可愛らしいて…」
「………」

「あっくん、可愛い人が好きやろ?昔から、あっくんが連れてきはる女の子は、みんなかいらしいー子ばっかりで。あの人は、そん中でも特別…。お母さん、最初写真見たとき、女の子や、思うたんよ?」

母の目から涙が溢れた。

「…俺もや、最初見た時は…」

「それやのに、男て……。お母さん、あの時、鬼になってた…この顔…この顔が汚のうなったら、あっくんはこの人嫌う、って。それで…それで、顔に」

「顔に向けて投げたんか?ただ振り回したんやのうて?」

母はガクッと項垂れるように、頷いた。

「アンタなぁ…」
はあ…ッと、篤仁は大きく嘆息した。

「ごめんなさい…傷が…残っとるやろね……」
「わからん。俺、会ってないもん…」

「そう…」

「もう…済んだことや…。……飯、して?」

「うん。ほんまに…ほんま、ごめんね…」

そう言うと、涙をふいて立ち上がり、母はキッチンに消えた。


「滝さん…おふくろ許したってな?可愛すぎてんて、滝さんが」

思いがけず、母の口から出た滝の名前で、どうしようもなくまた滝を思い出してしまった。

「バレンタインやのにごめん。親父が長岡ちゃんと飲みになったから、ちょっとこっちにおるわ」
と萌花に連絡し、実家を出てから鈴蘭台まで出て、バーを見つけて入り、その日は深夜遅くまで一人で飲んだ。

    
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

タトゥーの甘い檻

マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代) どのお話も単体でお楽しみいただけます。 ​「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」 ​真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。 ​それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。 「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。 アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。 ​ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。 愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。 ​「……お前のわがままには、最後まで付き合う」 ​針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。 執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

林檎を並べても、

ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。 二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。 ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。 彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

happy dead end

瑞原唯子
BL
「それでも俺に一生を捧げる覚悟はあるか?」 シルヴィオは幼いころに第一王子の遊び相手として抜擢され、初めて会ったときから彼の美しさに心を奪われた。そして彼もシルヴィオだけに心を開いていた。しかし中等部に上がると、彼はとある女子生徒に興味を示すようになり——。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

この冬を超えたら恋でいい

天気
BL
夜の街で、凪は人生の底にいた。 古いアパートに帰る途中、父の残した借金の取り立てに絡まれ、逃げ場を失う。 そこに現れたのは、大手企業の社長・鷹宮だった。 偶然の救い。年齢も立場も違う二人は、その夜を境に交わることになる。 事情を多く語らない凪は、不幸が当たり前のように身にまとい、誰かに頼ることを知らない。 一方の鷹宮は、完璧な成功者として生きてきた男だった。 危険から守るため、鷹宮は凪を一時的に自宅へ迎え入れる。 冬の同居生活の中で、凪は少しずつ日常を取り戻していく。 大学へ通い、温かい食事をし、夜を一人で怯えずに眠る。 しかし、守られることに慣れない凪は、距離が近づくほどに自分から一歩引いてしまう。 それは、失うことを恐れる、健気で不器用な選択だった。 一方、鷹宮は気づいてしまう。 凪が笑うだけで、胸が満たされることに。 そんな自分の感情から凪を守るつもりで引いた距離が、 凪を遠ざけてしまう。 近づきたい。 けれど、踏み込めば壊してしまうかもしれない。 互いを思うほど、すれ違いは深くなる。 2人はこの冬を越えることができるのかーー

【完結】君の穿ったインソムニア

古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。 純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。 「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」 陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。

処理中です...