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第68話 帰省
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八月中旬を迎え増々気温が上昇して蒸し暑い日が続き、外出するのも億劫な季節。
世の中はお盆真っ只中であり、多くの人が実家に帰省していることだろう。
例に漏れず、実親も実家に帰省していた。
立川と聖蹟桜ヶ丘の距離なので週末になるとたまに帰って来ることもあったが、夏休みに入ってからは初めての帰省だ。
今は実家の和室で夏休みの課題をしている義妹の咲綾を見守っていた。
冷えた麦茶で喉を潤しながら、咲綾が分からない問題を時折教える。
そんな穏やかな時間を過ごしていた。
「あんずはすっかりサネに懐いちゃったね」
和室へやって来た千歳が実親の膝元に視線を向ける。
「あんずは女の子だから男の子が好きなのよ」
ちょうど側を通りかかった皐月が微笑みながら憶測を述べる。
「悟さんには素っ気無いけど?」
「きっと若い男の子が好きなのよ」
懐いてほしくて一方的にあんずのことを可愛がっている悟の姿を思い出した千歳は思わず同情してしまう。
「豆柴はあまり甘えることがない犬種なんだけど……」
実親に頭を撫でられて気持ち良さそうに寝ている愛犬の姿に千歳は首を傾げる。
豆柴は自立心が強く、家族に対しても甘えることが少ないクールな性格だ。
服従心と忠実さがあり、保守的で防衛心が強い為、警戒吠えをすることが多々ある。
また、テリトリーを無闇に犯す他人や他犬には厳しい態度を見せることも屡。
心身ともに未熟な個体は依存心が強くなる傾向もあるが、あんずはそんなに幼くない。
ちなみにあんずは山本家――山本は千歳達の旧姓――で飼っていた愛犬であり、実親の実家に引っ越す際に一緒に連れて来たのである。
「帰って来る度にいつも駆け寄って来るんだが」
本来はそう簡単に甘えることのない犬種なのだが、何故かあんずは実親の姿を発見すると尻尾を激しく振りながら一目散に駆け寄っていく。
すっかり恒例になった光景を思い出した実親は、あんずのことを見下ろしながら苦笑した。
「お兄ちゃんに甘えたいお年頃なんだよ!」
天真爛漫な笑みを浮かべる咲綾の澄んだ瞳が実親に突き刺さる。
「今まではお姉ちゃんしかいなかったものね」
皐月が千歳と咲綾に視線を向ける。
「良ければこれからもあんずのことを可愛がってあげてね」
「構えるのはこっちに帰って来た時くらいですけどね」
自分の膝で安心したように眠っているあんずのことが可愛くない訳がない。
流石に四六時中べったりされるのは勘弁願いたいが、たまに構うくらいなら寧ろ癒されるので願ったり叶ったりだった。
実親の返答に満足した皐月が一層笑みを深めると、ふと思い出したように口を開く。
「そうそう、今日の夕食は実親君も一緒にどうかしら?」
そもそも皐月が側を通ったのは偶然ではない。
あんずの話になってしまって失念していたが、実親に夕食の件を尋ねるのが目的だったのだ。
「そうですね……ご一緒します」
「良かったわ。たまには息子の為に腕を振るいたいもの」
「呼ばれればいつでも食べに来ますよ。都合が合えばですけど」
「あら、嬉しいわ」
幼い頃に母親を亡くした実親にとって、皐月と過ごす時間は悪くないものだった。
実母と過ごす筈だった親子の時間を埋め合わせてくれるような感覚になるからだ。
別に母が恋しいという訳ではないが、人並みの経験を体感出来ることが感慨深かったのである。
上機嫌で去っていく皐月の後ろ姿を呆れながら見送った千歳は、実親の隣に腰を下ろして溜息を吐く。
「若い男の言葉に上機嫌になるなんて母さんあんずのこと言えないじゃん……」
千歳があんずの頭を撫でると、寝ているのに「くぅん」と愛らしい声を漏らす。
「皐月さんなりに気を遣ってくれているんだろ」
「どうだろうね」
実親のフォローに千歳は肩を竦めた。
「それよりもサネに訊きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
実親は視線を向けて続きを促す。
「サネのお母さんてどんな人だったの?」
今まで訊いてくる気配がなかったにも拘わらず、このタイミングで尋ねてきたのは、もしかしたら墓参りをして何か思うところでもあったからかもしれない。
そう思い至った実親は、「そうだな……」と呟いて過去の記憶を回顧する。
今日実親が実家に帰って来たのは、新しい家族と一緒に母の墓参りに行ったからだ。
千歳は母と父二人共健在だ。離婚した父とは会おうと思えばいつでも対面出来る。
だからこそ、既に母が亡くなっているという自分が経験したことのない環境に身を置いている実親の姿に何か思うところがあり、尋ねずにはいられなかったのかもしれない。
純粋な興味本位という線も拭えないが。
「私も聞きたい!」
実親の対面にいる咲綾が手に持っていたシャープペンシルをテーブルに置いて身を乗り出す。
「お兄ちゃんのお母さんってどんな人だったの!?」
興味津々と訴え掛けるようなキラキラした瞳が実親に突き刺さる。
二人共墓参りの際は黒を基調とした普段着で墓参りに行っていたが、今は過ごし易いラフな格好に着替えている。
白のロングTシャツを着ている咲綾は、座布団の上に座っているのでシャツの先から太股が露になっており、ズボンを穿いているのか確認出来ない。
もしかしたら下半身は下着だけかもしれない。
千歳はクロップド丈のキャミソールに黒のパギンスを合わせている。
ブラジャーのストラップが見えているが、本人は全く気にしていないようだ。
実親になら見られても良いと思っているのだろうか?
「母さんは俺が六歳の頃に亡くなったから正直あまり覚えていないんだが、優しい人ではあったぞ」
期待に応えられなくて申し訳ないが、母と過ごしたのは幼い頃の話なので記憶が曖昧だった。
「身体が弱かったから家にいることが多くて、暇さえあれば本を読んだり小説を書いたりしている物静かな人だったな」
「ふーん。じゃあサネはお母さんに似たんだね」
「そうだな。身体が弱いところと体格以外は概ね母似だな」
本が好きなのもインドア派なのも整った顔付きも母譲りのものであった。
生まれ持った性格もあるが、家にいることが多い母と共に過ごす時間が長かったので諸に影響を受けた結果でもある。
「お兄ちゃんイケメンだからお母さんも美人さんだったんだろうなー」
両手で頬杖をつく咲綾は、目線を天井に向けて実親の母の姿を脳裏に思い描く。
「写真を見た方が早いんじゃないか?」
「見たい!」
咲綾は間を置くことなく瞬時に飛びつく。
「そうか、なら――」
「実親ー」
実親が続きの台詞を述べようとしたが、それを遮るかのように呼び掛けられた。
「そろそろ行かなくて良いのか?」
声の主は和室にやって来た悟であった。
父の言葉にテーブルに置いてあるスマホを手に取って時間を確認する。
「ああ、もう良い時間だな」
実親はスマホをポケットにしまって立ち上がると、「すまんが俺は席を外す」と言って和室を後にしようとする。
「今日は一人で行くのか?」
「ああ」
「そうか。気を付けて行って来なさい」
突然のことに千歳と咲綾は思考が追い付かずに呆けてしまっている。
「親父、二人に母さんの写真を見せてやってくれ」
「それは構わないが……」
「二人に母さんがどんな人だったか尋ねられていたんだ。親父の方が詳しいだろうし、ついでに母さんの話でもしてくれると助かる」
「なるほど。わかった」
亡くなった母のことを悟に尋ねるのは気が引けてしまうだろう。だから二人は自分に訊いてきたのだろうと実親は思った。
だが実親は母の記憶が曖昧だ。思い出話も大して持ち合わせていない。なので後のことは父に任せることにした。
実際に悟の方が母との思い出は忘れられないほど沢山あるので実親よりは適任だ。
父が快諾してくれたので、実親は遠慮なく玄関へ足を向けた。
「……あいつどこ行くの?」
思考が追い付いて正気に戻った千歳が不思議そうに呟く。
「デートだよ」
「え」
微笑みながらも心配そうな雰囲気を醸し出している悟の返答に千歳は目が点になった。
「お、お兄ちゃんがデート!? 私もお兄ちゃんとデートしたい!!」
「今度誘ってみると良いよ」
「うん!!」
瞳を輝かせて実親とのデートを妄想している咲綾とは打って変わって、千歳は平静を装いながらも「デートって誰と!?」と心の中で叫び、いろんな意味で気になって仕方がなく慌てふためいていた。
世の中はお盆真っ只中であり、多くの人が実家に帰省していることだろう。
例に漏れず、実親も実家に帰省していた。
立川と聖蹟桜ヶ丘の距離なので週末になるとたまに帰って来ることもあったが、夏休みに入ってからは初めての帰省だ。
今は実家の和室で夏休みの課題をしている義妹の咲綾を見守っていた。
冷えた麦茶で喉を潤しながら、咲綾が分からない問題を時折教える。
そんな穏やかな時間を過ごしていた。
「あんずはすっかりサネに懐いちゃったね」
和室へやって来た千歳が実親の膝元に視線を向ける。
「あんずは女の子だから男の子が好きなのよ」
ちょうど側を通りかかった皐月が微笑みながら憶測を述べる。
「悟さんには素っ気無いけど?」
「きっと若い男の子が好きなのよ」
懐いてほしくて一方的にあんずのことを可愛がっている悟の姿を思い出した千歳は思わず同情してしまう。
「豆柴はあまり甘えることがない犬種なんだけど……」
実親に頭を撫でられて気持ち良さそうに寝ている愛犬の姿に千歳は首を傾げる。
豆柴は自立心が強く、家族に対しても甘えることが少ないクールな性格だ。
服従心と忠実さがあり、保守的で防衛心が強い為、警戒吠えをすることが多々ある。
また、テリトリーを無闇に犯す他人や他犬には厳しい態度を見せることも屡。
心身ともに未熟な個体は依存心が強くなる傾向もあるが、あんずはそんなに幼くない。
ちなみにあんずは山本家――山本は千歳達の旧姓――で飼っていた愛犬であり、実親の実家に引っ越す際に一緒に連れて来たのである。
「帰って来る度にいつも駆け寄って来るんだが」
本来はそう簡単に甘えることのない犬種なのだが、何故かあんずは実親の姿を発見すると尻尾を激しく振りながら一目散に駆け寄っていく。
すっかり恒例になった光景を思い出した実親は、あんずのことを見下ろしながら苦笑した。
「お兄ちゃんに甘えたいお年頃なんだよ!」
天真爛漫な笑みを浮かべる咲綾の澄んだ瞳が実親に突き刺さる。
「今まではお姉ちゃんしかいなかったものね」
皐月が千歳と咲綾に視線を向ける。
「良ければこれからもあんずのことを可愛がってあげてね」
「構えるのはこっちに帰って来た時くらいですけどね」
自分の膝で安心したように眠っているあんずのことが可愛くない訳がない。
流石に四六時中べったりされるのは勘弁願いたいが、たまに構うくらいなら寧ろ癒されるので願ったり叶ったりだった。
実親の返答に満足した皐月が一層笑みを深めると、ふと思い出したように口を開く。
「そうそう、今日の夕食は実親君も一緒にどうかしら?」
そもそも皐月が側を通ったのは偶然ではない。
あんずの話になってしまって失念していたが、実親に夕食の件を尋ねるのが目的だったのだ。
「そうですね……ご一緒します」
「良かったわ。たまには息子の為に腕を振るいたいもの」
「呼ばれればいつでも食べに来ますよ。都合が合えばですけど」
「あら、嬉しいわ」
幼い頃に母親を亡くした実親にとって、皐月と過ごす時間は悪くないものだった。
実母と過ごす筈だった親子の時間を埋め合わせてくれるような感覚になるからだ。
別に母が恋しいという訳ではないが、人並みの経験を体感出来ることが感慨深かったのである。
上機嫌で去っていく皐月の後ろ姿を呆れながら見送った千歳は、実親の隣に腰を下ろして溜息を吐く。
「若い男の言葉に上機嫌になるなんて母さんあんずのこと言えないじゃん……」
千歳があんずの頭を撫でると、寝ているのに「くぅん」と愛らしい声を漏らす。
「皐月さんなりに気を遣ってくれているんだろ」
「どうだろうね」
実親のフォローに千歳は肩を竦めた。
「それよりもサネに訊きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
実親は視線を向けて続きを促す。
「サネのお母さんてどんな人だったの?」
今まで訊いてくる気配がなかったにも拘わらず、このタイミングで尋ねてきたのは、もしかしたら墓参りをして何か思うところでもあったからかもしれない。
そう思い至った実親は、「そうだな……」と呟いて過去の記憶を回顧する。
今日実親が実家に帰って来たのは、新しい家族と一緒に母の墓参りに行ったからだ。
千歳は母と父二人共健在だ。離婚した父とは会おうと思えばいつでも対面出来る。
だからこそ、既に母が亡くなっているという自分が経験したことのない環境に身を置いている実親の姿に何か思うところがあり、尋ねずにはいられなかったのかもしれない。
純粋な興味本位という線も拭えないが。
「私も聞きたい!」
実親の対面にいる咲綾が手に持っていたシャープペンシルをテーブルに置いて身を乗り出す。
「お兄ちゃんのお母さんってどんな人だったの!?」
興味津々と訴え掛けるようなキラキラした瞳が実親に突き刺さる。
二人共墓参りの際は黒を基調とした普段着で墓参りに行っていたが、今は過ごし易いラフな格好に着替えている。
白のロングTシャツを着ている咲綾は、座布団の上に座っているのでシャツの先から太股が露になっており、ズボンを穿いているのか確認出来ない。
もしかしたら下半身は下着だけかもしれない。
千歳はクロップド丈のキャミソールに黒のパギンスを合わせている。
ブラジャーのストラップが見えているが、本人は全く気にしていないようだ。
実親になら見られても良いと思っているのだろうか?
「母さんは俺が六歳の頃に亡くなったから正直あまり覚えていないんだが、優しい人ではあったぞ」
期待に応えられなくて申し訳ないが、母と過ごしたのは幼い頃の話なので記憶が曖昧だった。
「身体が弱かったから家にいることが多くて、暇さえあれば本を読んだり小説を書いたりしている物静かな人だったな」
「ふーん。じゃあサネはお母さんに似たんだね」
「そうだな。身体が弱いところと体格以外は概ね母似だな」
本が好きなのもインドア派なのも整った顔付きも母譲りのものであった。
生まれ持った性格もあるが、家にいることが多い母と共に過ごす時間が長かったので諸に影響を受けた結果でもある。
「お兄ちゃんイケメンだからお母さんも美人さんだったんだろうなー」
両手で頬杖をつく咲綾は、目線を天井に向けて実親の母の姿を脳裏に思い描く。
「写真を見た方が早いんじゃないか?」
「見たい!」
咲綾は間を置くことなく瞬時に飛びつく。
「そうか、なら――」
「実親ー」
実親が続きの台詞を述べようとしたが、それを遮るかのように呼び掛けられた。
「そろそろ行かなくて良いのか?」
声の主は和室にやって来た悟であった。
父の言葉にテーブルに置いてあるスマホを手に取って時間を確認する。
「ああ、もう良い時間だな」
実親はスマホをポケットにしまって立ち上がると、「すまんが俺は席を外す」と言って和室を後にしようとする。
「今日は一人で行くのか?」
「ああ」
「そうか。気を付けて行って来なさい」
突然のことに千歳と咲綾は思考が追い付かずに呆けてしまっている。
「親父、二人に母さんの写真を見せてやってくれ」
「それは構わないが……」
「二人に母さんがどんな人だったか尋ねられていたんだ。親父の方が詳しいだろうし、ついでに母さんの話でもしてくれると助かる」
「なるほど。わかった」
亡くなった母のことを悟に尋ねるのは気が引けてしまうだろう。だから二人は自分に訊いてきたのだろうと実親は思った。
だが実親は母の記憶が曖昧だ。思い出話も大して持ち合わせていない。なので後のことは父に任せることにした。
実際に悟の方が母との思い出は忘れられないほど沢山あるので実親よりは適任だ。
父が快諾してくれたので、実親は遠慮なく玄関へ足を向けた。
「……あいつどこ行くの?」
思考が追い付いて正気に戻った千歳が不思議そうに呟く。
「デートだよ」
「え」
微笑みながらも心配そうな雰囲気を醸し出している悟の返答に千歳は目が点になった。
「お、お兄ちゃんがデート!? 私もお兄ちゃんとデートしたい!!」
「今度誘ってみると良いよ」
「うん!!」
瞳を輝かせて実親とのデートを妄想している咲綾とは打って変わって、千歳は平静を装いながらも「デートって誰と!?」と心の中で叫び、いろんな意味で気になって仕方がなく慌てふためいていた。
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