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第70話 回顧
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恋人になった二人は、親公認の仲になって幸せな日々を過ごしていた。
デートを重ね、共に過ごす中でお互いの色々な初めてを捧げ合って愛を育んだ。
思ったことを口にしても喧嘩することがなかったくらい相性抜群であり、お互いに不満を抱いたことすらない。
互いに相手を幸せにすることしか考えられないくらい愛し合っていたのだ。
実親がライトノベル賞で受賞した際に、楓は自分のことのように喜んでくれた。
新刊が発売する度に楓は書店へ足を運んで購入してくれたし、毎回ちゃんと読んで感想までくれるファン第一号だった。
楓が寂しそうにしているのを瞬時に察した実親はすぐさま駆け付けて寄り添い、夜を共にしたのは良い思い出だ。
彼女の喜んでいる顔、悲しんでいる顔、寂しがっている顔など、実親は自分に見せてくれた表情は今でも鮮明に思い出すことが出来る。
そんな幸せな日々がずっと続くと思っていた。
しかし、別れは突然やってくる。
実親が中学二年生で楓が高校一年生だった時の一月。
珍しく雪が降っていた日のこと。
楓は実親とデートした後の帰り道でストーカーに襲われてしまう。
背後から抱き着かれて身体を弄られ、助けを呼ぼうにも口を塞がれていたので声を発することが出来なかった。
必死に抵抗したが、痺れを切らして激高したストーカーに刃物で刺されてしまったのだ。腹部を押さえながら倒れ込むと、雪が血で真っ赤に染まっていった。
乱れた服の隙間から露になっている肌に雪が降り注ぎ体温が奪われていく。
喚きながら逃げていくストーカーの後ろ姿を激痛に耐えながら視界に収めていた楓は、実親の顔を思い浮かべることで薄れゆく意識をなんとか保ち、徐々に力が入らなくなっていく震える手を懸命に動かしてスマホを操作し、母親に電話を繋ぎ息も絶え絶えの状況で助けを求めた。
実親は彼女の両親から電話が掛かってきて慌てて病院へ駆け付けたが、その時には既に息を引き取っていた。
息を引き取って眠る体温のない楓と病院で対面した実親は、膝から崩れ落ちて暫くの間放心状態だった。迎えに来た悟に支えられて帰宅した程だ。
呼吸をせずに眠っている彼女の姿が今でも脳裏にこびりついており、何故あの時彼女を家まで送らなかったのか、と後悔する日々を過ごした。
親公認の仲だったので隠れてデートしていた訳ではない。なので堂々と家まで送り届けることは可能だった。だが、あの日はたまたま途中で別れて帰路に着いた。
別の用事があった訳でもないので本当に偶然だったのだ。
だからこそ悔やんでも悔やみきれず、今でも当時のことを夢に見ることがあり、トラウマとして実親のことを蝕み続けている。
「最近は久世のお陰で夢に見ることは少なくなったんだ……」
思い返せば紫苑と一緒に眠った時は、蝕み続けている夢を一度も見ることがなかった。
紫苑は実親に助けられていると思っているが、実親も彼女に助けられていたのだ。
物思いに耽っていると、「その子のことが好きなの?」と笑いながら問う楓の声が聞こえた気がした。
気のせいだとわかっていても彼女の質問を無視することなど実親には出来ない。
「好感は抱いているが恋愛的な意味で好きな訳ではないな。ただ放っておけないだけなんだ」
楓の件で後悔している実親は、紫苑の事情を知っていながら放置することは出来なかった。
事件に巻き込まれる可能性を考えると到底他人事には思えないのだ。
「一時は小説を書くことも出来なくなったが、今は問題なく書けるようになったと前に話したよな?」
実親は楓を失った喪失感と、助けることが出来なかった無力感で小説を書くことが出来なくなった時期がある。
大人でも立ち直ることが難しい悲痛な経験を中学生の頃に味わったのだ。仕事が手につかなくなっても仕方がないだろう。
そんな絶望的な状況で実親のことを支えてくれた女性が二人いる。
二人の内の一人は鼎だ。
担当編集の域を超えた献身ぶりを発揮した彼女のお陰で、実親は再び筆を執ることが出来た。
そのことを感謝すると、鼎はいつも「知り合いの中学生があんな状態になっていたら誰だって放っておけませんよ」と笑いながら答える。
確かにその通りかもしれない、と実親も苦笑するのが恒例になっていた。
それは兎も角として、どん底から這い上がった実親は今や人気作家の一員だが、完全に吹っ切れた訳ではない。
「もうお前に読んでもらうことも感想をもらえることも笑ってくれることもないのかと思うと、なんで今も小説を書いているんだろうと虚無感が襲ってくる時があるんだ」
実親は涙を堪えるように空を仰ぎ見る。
「駄目だな。こんなことを言ったらお前に叱られそうだ」
力なく苦笑する実親は、「そんなこと言ったらファンに失礼だよ! ファンは幸誓先生の小説を楽しみにしてくれているんだからね!」、と説教する楓の姿が脳裏を掠め、一層彼女のことが恋しくなった。
「そのうち俺もそっちに行くから、それまでは俺のことを見守っていてくれないか? 我が儘言ってすまないが……」
泣き言を言うような情けない声色と表情の実親は、藁にも縋る思いで楓に甘えてしまう。
余裕があって落ち着いている普段の実親しか知らない友人達が、今の彼の姿を見たら大層驚くに違いない。
もし楓と会話をすることが可能だったら、「勿論だよ。私はいつもそばにいるよ。だって彼女だもん」と微笑んでくれたことだろう。
その様子が思い浮かんだ実親は自然と口元が緩む。
「折角お前に会いに来たのに暗い話ばかりして悪かったな。まだまだ話題が尽きないからこの後はもっと楽しい話をしようか」
実親はつい甘えてしまったが、そんなことで楓は怒ったりしない。
寧ろ彼女は年上としてお姉さんぶる筈だ。
「まずは何から話そうか……」
先程までの悲壮感漂う姿とは打って変わって、実親は笑みを浮かべながら語り掛ける。
それでもどこか無理している感が拭えておらず、哀愁が滲み出ていた。
◇ ◇ ◇
すっかり日が暮れるまで楓に語り掛けていた実親は、離れ難い気持ちを押し殺して実家に帰ってきた。
「おかえり」
玄関を潜ると父が出迎えてくれた。
「デートは堪能出来たか?」
「ああ」
心配なのを隠して笑顔で話す悟の優しさが身に沁みる。
悟もパートナーを失った身なので息子の気持ちが痛い程わかっていた。
だが自分よりも息子の方が辛い筈だと思っている。
妻は元々身体が弱かったので悟は常に心構えが出来ていた。それに大人なのである程度は気持ちに折り合いをつけられる。
しかし実親の場合は前触れもなく突然恋人を失った。
病気ならまだ諦めもつくが、恋人がストーカーに襲われて亡くなるという当時中学生の少年が体験するには悲惨な別れ方だ。
悟は楓のことを実の娘のように可愛がっていたので、将来的に息子と一緒になるのを楽しみにしていた。
それが叶わなくなった現実に寂しさと悔しさが襲って来るが、息子の前ではそんな姿をおくびにも出さずに気丈に振舞っている。
「皐月さんが美味しい夕食を用意してくれているからみんなで食べよう」
こういう時だからこそ家族の温もりに浸かって甘えれば良い、と悟は思っていた。折角出来た新しい家族がいるのだからと。
実親も一人で食事するよりは気が紛れるかと思って皐月の誘いを受けていた。
「ああ、とりあえず顔を洗ってくる」
気持ちを切り替える為と、涙を堪えた顔を千歳達に晒さない為に、まずは顔を洗いたかった。
「サネ遅いー! もう夕飯の時間だよー!」
夕食の支度を手伝っていた千歳は、実親が帰って来たことに気付いて呼び掛ける。
その声を耳にした実親は、こういうのも悪くないな、と思いながら洗面所へ向かい、決して晴れることのない心が少しだけ軽くなった気がした。
デートを重ね、共に過ごす中でお互いの色々な初めてを捧げ合って愛を育んだ。
思ったことを口にしても喧嘩することがなかったくらい相性抜群であり、お互いに不満を抱いたことすらない。
互いに相手を幸せにすることしか考えられないくらい愛し合っていたのだ。
実親がライトノベル賞で受賞した際に、楓は自分のことのように喜んでくれた。
新刊が発売する度に楓は書店へ足を運んで購入してくれたし、毎回ちゃんと読んで感想までくれるファン第一号だった。
楓が寂しそうにしているのを瞬時に察した実親はすぐさま駆け付けて寄り添い、夜を共にしたのは良い思い出だ。
彼女の喜んでいる顔、悲しんでいる顔、寂しがっている顔など、実親は自分に見せてくれた表情は今でも鮮明に思い出すことが出来る。
そんな幸せな日々がずっと続くと思っていた。
しかし、別れは突然やってくる。
実親が中学二年生で楓が高校一年生だった時の一月。
珍しく雪が降っていた日のこと。
楓は実親とデートした後の帰り道でストーカーに襲われてしまう。
背後から抱き着かれて身体を弄られ、助けを呼ぼうにも口を塞がれていたので声を発することが出来なかった。
必死に抵抗したが、痺れを切らして激高したストーカーに刃物で刺されてしまったのだ。腹部を押さえながら倒れ込むと、雪が血で真っ赤に染まっていった。
乱れた服の隙間から露になっている肌に雪が降り注ぎ体温が奪われていく。
喚きながら逃げていくストーカーの後ろ姿を激痛に耐えながら視界に収めていた楓は、実親の顔を思い浮かべることで薄れゆく意識をなんとか保ち、徐々に力が入らなくなっていく震える手を懸命に動かしてスマホを操作し、母親に電話を繋ぎ息も絶え絶えの状況で助けを求めた。
実親は彼女の両親から電話が掛かってきて慌てて病院へ駆け付けたが、その時には既に息を引き取っていた。
息を引き取って眠る体温のない楓と病院で対面した実親は、膝から崩れ落ちて暫くの間放心状態だった。迎えに来た悟に支えられて帰宅した程だ。
呼吸をせずに眠っている彼女の姿が今でも脳裏にこびりついており、何故あの時彼女を家まで送らなかったのか、と後悔する日々を過ごした。
親公認の仲だったので隠れてデートしていた訳ではない。なので堂々と家まで送り届けることは可能だった。だが、あの日はたまたま途中で別れて帰路に着いた。
別の用事があった訳でもないので本当に偶然だったのだ。
だからこそ悔やんでも悔やみきれず、今でも当時のことを夢に見ることがあり、トラウマとして実親のことを蝕み続けている。
「最近は久世のお陰で夢に見ることは少なくなったんだ……」
思い返せば紫苑と一緒に眠った時は、蝕み続けている夢を一度も見ることがなかった。
紫苑は実親に助けられていると思っているが、実親も彼女に助けられていたのだ。
物思いに耽っていると、「その子のことが好きなの?」と笑いながら問う楓の声が聞こえた気がした。
気のせいだとわかっていても彼女の質問を無視することなど実親には出来ない。
「好感は抱いているが恋愛的な意味で好きな訳ではないな。ただ放っておけないだけなんだ」
楓の件で後悔している実親は、紫苑の事情を知っていながら放置することは出来なかった。
事件に巻き込まれる可能性を考えると到底他人事には思えないのだ。
「一時は小説を書くことも出来なくなったが、今は問題なく書けるようになったと前に話したよな?」
実親は楓を失った喪失感と、助けることが出来なかった無力感で小説を書くことが出来なくなった時期がある。
大人でも立ち直ることが難しい悲痛な経験を中学生の頃に味わったのだ。仕事が手につかなくなっても仕方がないだろう。
そんな絶望的な状況で実親のことを支えてくれた女性が二人いる。
二人の内の一人は鼎だ。
担当編集の域を超えた献身ぶりを発揮した彼女のお陰で、実親は再び筆を執ることが出来た。
そのことを感謝すると、鼎はいつも「知り合いの中学生があんな状態になっていたら誰だって放っておけませんよ」と笑いながら答える。
確かにその通りかもしれない、と実親も苦笑するのが恒例になっていた。
それは兎も角として、どん底から這い上がった実親は今や人気作家の一員だが、完全に吹っ切れた訳ではない。
「もうお前に読んでもらうことも感想をもらえることも笑ってくれることもないのかと思うと、なんで今も小説を書いているんだろうと虚無感が襲ってくる時があるんだ」
実親は涙を堪えるように空を仰ぎ見る。
「駄目だな。こんなことを言ったらお前に叱られそうだ」
力なく苦笑する実親は、「そんなこと言ったらファンに失礼だよ! ファンは幸誓先生の小説を楽しみにしてくれているんだからね!」、と説教する楓の姿が脳裏を掠め、一層彼女のことが恋しくなった。
「そのうち俺もそっちに行くから、それまでは俺のことを見守っていてくれないか? 我が儘言ってすまないが……」
泣き言を言うような情けない声色と表情の実親は、藁にも縋る思いで楓に甘えてしまう。
余裕があって落ち着いている普段の実親しか知らない友人達が、今の彼の姿を見たら大層驚くに違いない。
もし楓と会話をすることが可能だったら、「勿論だよ。私はいつもそばにいるよ。だって彼女だもん」と微笑んでくれたことだろう。
その様子が思い浮かんだ実親は自然と口元が緩む。
「折角お前に会いに来たのに暗い話ばかりして悪かったな。まだまだ話題が尽きないからこの後はもっと楽しい話をしようか」
実親はつい甘えてしまったが、そんなことで楓は怒ったりしない。
寧ろ彼女は年上としてお姉さんぶる筈だ。
「まずは何から話そうか……」
先程までの悲壮感漂う姿とは打って変わって、実親は笑みを浮かべながら語り掛ける。
それでもどこか無理している感が拭えておらず、哀愁が滲み出ていた。
◇ ◇ ◇
すっかり日が暮れるまで楓に語り掛けていた実親は、離れ難い気持ちを押し殺して実家に帰ってきた。
「おかえり」
玄関を潜ると父が出迎えてくれた。
「デートは堪能出来たか?」
「ああ」
心配なのを隠して笑顔で話す悟の優しさが身に沁みる。
悟もパートナーを失った身なので息子の気持ちが痛い程わかっていた。
だが自分よりも息子の方が辛い筈だと思っている。
妻は元々身体が弱かったので悟は常に心構えが出来ていた。それに大人なのである程度は気持ちに折り合いをつけられる。
しかし実親の場合は前触れもなく突然恋人を失った。
病気ならまだ諦めもつくが、恋人がストーカーに襲われて亡くなるという当時中学生の少年が体験するには悲惨な別れ方だ。
悟は楓のことを実の娘のように可愛がっていたので、将来的に息子と一緒になるのを楽しみにしていた。
それが叶わなくなった現実に寂しさと悔しさが襲って来るが、息子の前ではそんな姿をおくびにも出さずに気丈に振舞っている。
「皐月さんが美味しい夕食を用意してくれているからみんなで食べよう」
こういう時だからこそ家族の温もりに浸かって甘えれば良い、と悟は思っていた。折角出来た新しい家族がいるのだからと。
実親も一人で食事するよりは気が紛れるかと思って皐月の誘いを受けていた。
「ああ、とりあえず顔を洗ってくる」
気持ちを切り替える為と、涙を堪えた顔を千歳達に晒さない為に、まずは顔を洗いたかった。
「サネ遅いー! もう夕飯の時間だよー!」
夕食の支度を手伝っていた千歳は、実親が帰って来たことに気付いて呼び掛ける。
その声を耳にした実親は、こういうのも悪くないな、と思いながら洗面所へ向かい、決して晴れることのない心が少しだけ軽くなった気がした。
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