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∞8《インフィニティエイト》
11話 再会の約束。
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八月九日。
夏の空は、どこまでも高く澄んでいた。
新潟空港のロビーの一角で、夏美と母は並んで立っていた。
目の前には、見送りに来てくれた星野一家がいる。
おばさんは目を真っ赤にして、おじさんも何度も鼻をすすっていた。
「ほんとに……ほんとに、遠くに行っちゃうのね……。もう夏美ちゃんと一緒にごはんを作れないなんて寂しいわ」
「たまには遊びにきてくれよな。うう、グスッ」
「おばさん、おじさん、大げさすぎだって。一応日本国内だよ?」
夏美が苦笑すると、リクは両親の背中を叩いて笑う。
「まあでも、確かに寂しくなるよなー。兄貴はお前がいないとほとんど口を開かねーんだから。通学が苦行になるんだけど」
「リクは一人でも賑やかだから大丈夫でしょ」
「うるせぇ! あ、そうだ。向こうのうまいもん送れよな! 俺、本場の明太子食ってみたい! あと博多ラーメン、長浜ラーメン!」
「もう……リクは最後まで食い意地はってるんだから。今言ったもの全部通販でも買えるじゃん」
「自分で取り寄せるなんて味気ないだろうが。おみやげでもらうから良いんだよ」
夏美は呆れつつも、リクらしい言葉に少しだけ気持ちが軽くなった。
ソラはおじさんたちのように泣くでもなく、リクみたいにあれこれ送れとリクエストするわけでもなく。
ただ静かに夏美の前に立つ。
夏美も何も言えずソラを見あげる。
(どうしよう。私、これまでどんな顔してソラと話してたかな。恋人って、こんな時どんな顔してたらいいんだろ。みんなの恋バナが参考になるわけじゃないし……。なんか、私が私じゃないみたい。今の私、変じゃないかな)
昨夜ようやく自分の恋愛感情に気づいたばかりの夏美には、恋人らしい別れの挨拶なんて想像もつかなかった。
心臓の音がうるさい。顔が熱くなる。
こういうときに何を言うべきなのかわからない。
ソラは自分がしていた腕時計を外し、そのまま夏美の手を取って手のひらに乗せた。
上品なアナログ時計だ。
ダークブルーの文字盤には銀色の星が散りばめられていて、革ベルトはブラック。星空の名をそのまま体現していて、ソラによく似合っている。
驚いた夏美がソラを見つめると、ソラは笑顔で言う。
「これ、夏美にあげる。向こうで使って」
「でも、これソラが大切にしていた腕時計でしょ?」
「そばにいられない分、お守りに。スマートウォッチだとカンニング対策で取り上げられちゃうけれど、アナログの腕時計なら、学校でも身につけていられるから」
夏美は指先で、腕時計の文字盤をそっとなぞる。
メンズブランドの腕時計だから、ベルト部分は大きくて夏美の手首にはブカブカだ。でも、確かに持っているだけで安心できるような気がする。
「うん。ありがとう、ソラ。大事にするね」
ソラと離れるのは寂しいし、できたら新潟に残りたい。
でも、卒業後は東京で一緒に暮らそう、という約束を胸に抱いて夏美は笑顔を浮かべる。
ソラは親たちに聞こえないように、夏美の耳元で囁く。
「もっと早くに告白してたら、夏美との恋人期間を楽しめたのにな」
「そ、そういうことを親の前で言わないでよ、恥ずかしいよ」
「夏美って無自覚にグイグイくるのに、自分が押される側になると弱いよね」
「ええ? 私、何かしてた?」
夏美は友だちの恋愛相談されてもピンと来ていなかった。
恋愛面の知識に乏しいし、自分から何かソラにアプローチした記憶はない。
「そういうところだよ。無自覚なのが心臓に悪い」
言いながら、ソラは夏美の頭を撫でる。
ループ以降、ちょこちょこ夏美の知らないソラが顔を出す。
夏美をからかって反応を楽しむ意地悪な顔だ。
いつもの品行方正で優等生なソラはどこに行ってしまったのか。
誰にもわがままを言わなかったソラが、夏美にだけ独占欲むき出しでわがまま言ってくるのを、嬉しいと思ってしまう夏美自身もたいがいだ。これが惚れた弱みというもの。
「夏美、そろそろ行かないと」
母の声に促され、夏美は小さく頷く。
「じゃあね、みんな」
最後にもう一度、顔を見渡す。リクは笑って手を振っていた。
おばさんはハンカチを握りしめ、おじさんは肩を抱いて慰めている。
そして──ソラ。
ソラはじっと、夏美を見つめていた。
「向こうに着いたら、連絡するからね。ソラ」
「待ってるよ」
短く交わした言葉の中に、言葉にできない想いが詰まっていた。
手荷物検査の金属探知機を抜け、ゲートの向こう側に出た瞬間、先に通っていた母が夏美と腕時計を見比べて笑った。
「なに?」
振り向くと、母はニヤニヤと意味ありげな顔をしていた。
「ねえねえ夏美。いつからソラくんと付き合っていたの?」
夏美は思わず足を止める。後ろから来た旅行客とぶつかりそうになって、慌てて通路のはしに避ける。
「ちょっと待って、お母さん。なに言ってるの?」
「だって、ソラ君と居たいって日付がかわるまで一緒にいて。恋人じゃないなんて言わないわよね」
「違わな………いけども!」
ループの話をしたところで、母たちループを感知していない人にとって一昨日は八月七日で昨日は八月八日なのだ。
夏美とソラとリクが八回も八月八日をくり返した末に、昨夜ようやく告白したなんてわかるわけもない。
恋人になったと同時に遠距離だから、恋人になったという感覚が薄い。
「しかも贈り物が腕時計よ?」
母の視線が、夏美の左手首……ソラの腕時計に向かう。
「うんうん、やるわねソラ君。遠距離のなんたるかをわかっていて抜かりないわ。福岡に着いたらお赤飯炊かなきゃ」
「…………どういう意味?」
「さあね? 鈍感すぎるのも考えものね、夏美。これはソラ君も苦労するわ。わたしも早く秋良さんに会いたくなっちゃった」
母は笑って歩き出す。夏美は首を傾げながら、腕時計をぎゅっと握った。
夏美はまだ知らない。
── 腕時計を恋人に贈るのには、
「同じ時間を共有したい」
「永遠の愛を誓う」
という意味があることを。
夏の空は、どこまでも高く澄んでいた。
新潟空港のロビーの一角で、夏美と母は並んで立っていた。
目の前には、見送りに来てくれた星野一家がいる。
おばさんは目を真っ赤にして、おじさんも何度も鼻をすすっていた。
「ほんとに……ほんとに、遠くに行っちゃうのね……。もう夏美ちゃんと一緒にごはんを作れないなんて寂しいわ」
「たまには遊びにきてくれよな。うう、グスッ」
「おばさん、おじさん、大げさすぎだって。一応日本国内だよ?」
夏美が苦笑すると、リクは両親の背中を叩いて笑う。
「まあでも、確かに寂しくなるよなー。兄貴はお前がいないとほとんど口を開かねーんだから。通学が苦行になるんだけど」
「リクは一人でも賑やかだから大丈夫でしょ」
「うるせぇ! あ、そうだ。向こうのうまいもん送れよな! 俺、本場の明太子食ってみたい! あと博多ラーメン、長浜ラーメン!」
「もう……リクは最後まで食い意地はってるんだから。今言ったもの全部通販でも買えるじゃん」
「自分で取り寄せるなんて味気ないだろうが。おみやげでもらうから良いんだよ」
夏美は呆れつつも、リクらしい言葉に少しだけ気持ちが軽くなった。
ソラはおじさんたちのように泣くでもなく、リクみたいにあれこれ送れとリクエストするわけでもなく。
ただ静かに夏美の前に立つ。
夏美も何も言えずソラを見あげる。
(どうしよう。私、これまでどんな顔してソラと話してたかな。恋人って、こんな時どんな顔してたらいいんだろ。みんなの恋バナが参考になるわけじゃないし……。なんか、私が私じゃないみたい。今の私、変じゃないかな)
昨夜ようやく自分の恋愛感情に気づいたばかりの夏美には、恋人らしい別れの挨拶なんて想像もつかなかった。
心臓の音がうるさい。顔が熱くなる。
こういうときに何を言うべきなのかわからない。
ソラは自分がしていた腕時計を外し、そのまま夏美の手を取って手のひらに乗せた。
上品なアナログ時計だ。
ダークブルーの文字盤には銀色の星が散りばめられていて、革ベルトはブラック。星空の名をそのまま体現していて、ソラによく似合っている。
驚いた夏美がソラを見つめると、ソラは笑顔で言う。
「これ、夏美にあげる。向こうで使って」
「でも、これソラが大切にしていた腕時計でしょ?」
「そばにいられない分、お守りに。スマートウォッチだとカンニング対策で取り上げられちゃうけれど、アナログの腕時計なら、学校でも身につけていられるから」
夏美は指先で、腕時計の文字盤をそっとなぞる。
メンズブランドの腕時計だから、ベルト部分は大きくて夏美の手首にはブカブカだ。でも、確かに持っているだけで安心できるような気がする。
「うん。ありがとう、ソラ。大事にするね」
ソラと離れるのは寂しいし、できたら新潟に残りたい。
でも、卒業後は東京で一緒に暮らそう、という約束を胸に抱いて夏美は笑顔を浮かべる。
ソラは親たちに聞こえないように、夏美の耳元で囁く。
「もっと早くに告白してたら、夏美との恋人期間を楽しめたのにな」
「そ、そういうことを親の前で言わないでよ、恥ずかしいよ」
「夏美って無自覚にグイグイくるのに、自分が押される側になると弱いよね」
「ええ? 私、何かしてた?」
夏美は友だちの恋愛相談されてもピンと来ていなかった。
恋愛面の知識に乏しいし、自分から何かソラにアプローチした記憶はない。
「そういうところだよ。無自覚なのが心臓に悪い」
言いながら、ソラは夏美の頭を撫でる。
ループ以降、ちょこちょこ夏美の知らないソラが顔を出す。
夏美をからかって反応を楽しむ意地悪な顔だ。
いつもの品行方正で優等生なソラはどこに行ってしまったのか。
誰にもわがままを言わなかったソラが、夏美にだけ独占欲むき出しでわがまま言ってくるのを、嬉しいと思ってしまう夏美自身もたいがいだ。これが惚れた弱みというもの。
「夏美、そろそろ行かないと」
母の声に促され、夏美は小さく頷く。
「じゃあね、みんな」
最後にもう一度、顔を見渡す。リクは笑って手を振っていた。
おばさんはハンカチを握りしめ、おじさんは肩を抱いて慰めている。
そして──ソラ。
ソラはじっと、夏美を見つめていた。
「向こうに着いたら、連絡するからね。ソラ」
「待ってるよ」
短く交わした言葉の中に、言葉にできない想いが詰まっていた。
手荷物検査の金属探知機を抜け、ゲートの向こう側に出た瞬間、先に通っていた母が夏美と腕時計を見比べて笑った。
「なに?」
振り向くと、母はニヤニヤと意味ありげな顔をしていた。
「ねえねえ夏美。いつからソラくんと付き合っていたの?」
夏美は思わず足を止める。後ろから来た旅行客とぶつかりそうになって、慌てて通路のはしに避ける。
「ちょっと待って、お母さん。なに言ってるの?」
「だって、ソラ君と居たいって日付がかわるまで一緒にいて。恋人じゃないなんて言わないわよね」
「違わな………いけども!」
ループの話をしたところで、母たちループを感知していない人にとって一昨日は八月七日で昨日は八月八日なのだ。
夏美とソラとリクが八回も八月八日をくり返した末に、昨夜ようやく告白したなんてわかるわけもない。
恋人になったと同時に遠距離だから、恋人になったという感覚が薄い。
「しかも贈り物が腕時計よ?」
母の視線が、夏美の左手首……ソラの腕時計に向かう。
「うんうん、やるわねソラ君。遠距離のなんたるかをわかっていて抜かりないわ。福岡に着いたらお赤飯炊かなきゃ」
「…………どういう意味?」
「さあね? 鈍感すぎるのも考えものね、夏美。これはソラ君も苦労するわ。わたしも早く秋良さんに会いたくなっちゃった」
母は笑って歩き出す。夏美は首を傾げながら、腕時計をぎゅっと握った。
夏美はまだ知らない。
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