完結済 ∞８《インフィニティエイト》

あの日のかけら

キミの声。 feat.リク

　星野リクと星野ソラは一卵性双生児である。

　だからだろうか。違いを理解できるのはリクたち本人と、家族くらいだ。
　リクとソラは同じ顔で、服は色違いなだけ。
　だから、幼稚園、小学校と進級進学しても、新しいクラスになるたびクラスメートや先生たちからたびたび間違えられる。

「先生ー」
「ええと……、ちょっとまって。当てるから。君はソラくん、かな？」
「いや、リクだけど」
「ご、ごめんね！　本当にそっくりだから……」

　何年も教師をしている人間ですらこれである。
　まだ小学校に入学してふた月かそこらだから、慣れていない人間が見分けられないのは当然。だが、リクにとっては不満がつのるだけだ。

　クラスメートに至っては、

「ねぇソラくん、勉強教えて」
「いや、俺、ひとに勉強教えられるほど頭よくねーぞ」
「なーんだ、リクくんか。じゃあいいや」

　と、勝手に間違えて勝手に落胆する。

「勝手に間違えたくせになーんだって言うな。失礼なやつだな！」

　リクは人に期待しなくなった。心の中では他人のことを『自分を見分けられる人』『見分けられないその他大勢』に二分している。だいたいの人間に間違われすぎて「もしかして間違われて腹を立てる自分のほうが悪いのか？」という気持ちになっていた。


　さらに。初対面の人間に、必ずと言っていいほど聞かれる言葉がある。

「どっちがお兄ちゃん？」

　リクは内心、ため息をつきながら答えた。

「俺が弟」
「へぇ～、お兄ちゃんのほうが落ち着いてるんだね！」

（あー、クソめんどくせ。この会話何回目だよ。お前らは初回だけ聞いてるつもりかもしれねーけど、こっちは何千回と聞かれてんだよ。やめてくれよそういうの）

　生まれた時間は数時間しか違わないのに、必ず「どっちが兄？」「弟はやんちゃそうだね！」みたいな流れになる。

　どっちが兄か、そんなどうでもいいことを聞いてくる人間の気持ちがリクにはわからない。聞いてなんの得があるのか、「お兄ちゃんのほうがおとなしいんだね」「弟くんは落ち着きがないな」なんて比較する意味があるのか。
　リクはリク、ソラはソラなのに、どちらのほうが兄で弟だと枠を決めたがる。

　そこである日、リクは決めた。
　普段から「兄貴」って呼んでいれば、初対面の人にも説明不要だ。

　ソラを「兄貴」と呼べば、誰も「どっちがお兄ちゃん？」なんて聞いてこない。
　ソラはリクの真意を悟ってか、何も言わず兄貴呼びを受け入れた。ソラはソラで、「どっちがお兄ちゃん？」と何回も聞かれるのに辟易していたからだ。
　こうして、リクからソラへの「兄貴」呼びが自然と定着した。
　自衛の手段だった。　



　昼休み。リクは遊びに誘おうと、教室にいた夏美を呼んだ。

「夏美」
「なに、リク？」

　夏美は振り向きもせずに答えた。

　……一瞬、息が詰まる。

　クラスにいた他の子どもたちも、「え、なんでわかった？」という顔をしている。

　リクとソラがどちらか片方だけで話していると、だいたいの子はどっちがどっちかわからなくなる。

「夏美は……なんで今の一言だけで……俺だってわかったんだ？」

　夏美はきょとんとして、首を傾げた。

「どういうこと？」
「……なんで、今のが俺だってわかった？」

　これまで何人もの人に間違われて、うんざりしていた。
　夏美は顔も見ずに、リクがリクだとわかる。

　見分けてほしかったはずなのに、いざこうして簡単に見分けられると戸惑いしかなかった。

「え、だって、どう聞いてもリクの声だったよ」
「いや、俺と兄貴、声がまったく同じだろ。医者にも言われてる。データ上だとまったく同じって」
「うーん……そうかな？　全然違うよ」

　夏美は小首を傾げて、あたりまえのように笑う。

「リクはリク、ソラはソラでしょ？」

　普通の人なら「どっち？」って聞き返すのに。
　夏美は何の迷いもなく、声だけで「リク」だと言った。
　そう気づいた瞬間、妙に胸の奥がざわついた。



　成長してからも、ソラとリクを完璧に見分けられる他人はほぼいない。
　高校に入って一年経ったある日。
　もうすぐ午後の授業が始まるときにリクはあえてソラの席に腰を下ろした。


　完璧に「ソラ」を演じたつもりだ。
　襟元のボタンもきっちり留め、背筋を伸ばし、あの優等生らしい雰囲気を真似た。


　クラスメートは普通に会話しながら自分の席へ戻っていく。
　ソラの隣の席の村山むらやまが「ソラ、ノート貸してくれよ。現代文って出席番号でかけてくるじゃん。おれ今日絶対あたるからさ」なんて言ってきた。自分から騙し討ちみたいなことをしたのに、クラスメートに対して諦めと失望が同時に胸にわいてくる。

（やっぱりな。俺と兄貴は、見た目がほぼ同じだから、みんな気づいちゃいない。こいつだって兄貴の席に座っているのが俺だってばらしたら「リクだったら勉強できないし、いいや」って言うに決まってる）

　ふと視線を感じて顔を上げると、夏美が教室の入り口で立ち止まっていた。
　夏美は早足でよってきて、じっとリクを見つめる。

「だめだよ、リク。こんないたずらして、先生に怒られても知らないよ？　それにソラだってもうすぐ戻ってくるでしょ。席を取っちゃだめ」

　クラスのざわめきの中で、夏美の声だけがはっきりと聞こえた。

「……え？　ソラじゃないのか？」

　村山が驚いてリクの方を見た。夏美に指摘されるまで気づかなかった。一年同じクラスにいたのに。　
　リクは夏美の頭をぽんと軽く叩いて席を立つ。

「なんだ、つまんねーの」
「何が？」
「いや、なんでもない。夏美の目は誤魔化せねーか」

　夏美は不思議そうに首をかしげる。

「誤魔化すも何も、リクとソラは別人だし、ソラのふりしてそこにいたらわかるに決まってるじゃない。同じ制服を着てても、リクはリクで、ソラはソラなんだから。私が何年リクたちと一緒にいると思ってるの」

　夏美がくれたのは、リクが誰かに言ってもらいたい言葉だった。夏美は呼び声一つでどちらがリクでソラかわかってくれる。

「そうだな。ほんと、お前ってどこで俺たちを見分けてんだろうな。次はバレないようにするから教えてくれよ」
「どうって言われても、感覚的に違うって思うから言葉にしようがないなぁ……」

　声だけでも見分けられるんだから、そりゃ気づくに決まっている。リクはシャツの襟元をゆるめて自分の席に戻る。

（……夏美って、本当に俺と兄貴を間違えない。敵わないな）

　それが嬉しいような、苦しいような。

　夏美にはきっと、この気持ちは伝わらない。
　伝わらないままの方が、いいのかもしれないけど。

（俺たちを見分けられるくらい見ているなら、……気づいてくれよ。俺が、ずっとお前を見てることに）



　キミの声　END