異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編

  正常と異常の狭間で2

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   ◆



 ドアを開ける前に何度も深呼吸して落ち着いたし、幸いブラックは俺の体にキスマークは付けてないし、ちゃんと体も洗ってイカ臭いなんてことはないし……相手に気取けどられる物は何もない。大丈夫、きっと大丈夫だ。

 しかし、何度確認しても、もしかしたらどこかに見落としがあるんじゃないかと思ってどうにも安心できない。こんなのバイトの面接以来だ。
 いや、あの時とは全然状況が違うんだけども……とにかく、もう確認したってどうしようもない。当たって砕けるしかないのだ。
 覚悟を決めて、俺はドアを開き「いつもどおり」をよそおって中に入った。

「レッド、ただいま……」

 入ったつもりだったんだけども、なんか声が小さくなってしまった。

「ツカサ? どうした」

 こういう時に限って何か嗅ぎつけるのか、レッドはわざわざ居間から出て来て、俺の顔を見て来ようとする。ああやめて、玄関先で核心に迫らないで。
 でもここで逃げたら俺が完全に記憶を取り戻したって解っちゃうし……。
 どうしたもんかとも考えられずにポカンとレッドが近付いて来るのを見ていると――相手は俺に明確な変化が起こっている事に驚愕し、すぐに肩をつかんできた。
 ぐええ、すごい力過ぎるっ、勘弁して下さい痛い痛い!

「っ、いた、ぃ……!」

 思わず声を上げてしまうと、レッドは慌てて手を離し、一歩下がる。
 その表情は、疑念やら焦りやら驚愕やら……とにかく色んな表情が混ざっていて、どんな感情を抱いているのか見当がつかない。
 「もしや、記憶を取り戻したのではないか」と疑っているのかもしれないが、そういう疑いの目よりもおびえたような感じが強くて、俺は首をかしげた。

 なんだろ。何を怯える事があるんだ?
 よく解らなくて眉をひそめると、レッドは恐る恐る俺に問いかけて来た。

「ツカサ、その……お前は…………何ともない、のか……?」
「なんともって……?」

 よく解らなくて問い返すと、レッドは考えるような素振りを見せた。

「その……俺を……どうにか思ったり……」

 ああ、なるほど。
 やっぱりレッドもそっちの方を気にする訳だな。
 俺もその辺りは色々気になるけど……いや、むしろこれはチャンスかもしれない。
 この瞳が不可解な変化をげている以上、今更いまさら「俺は数時間前までの奴隷な俺と同じです!」なんて言えないだろうし、レッドもそれでは納得しないはずだ。けれど、相手だって俺がどう変化したのかなんて解らないはず。

 レッドだって、黒曜の使者の事を完全に理解している訳じゃないだろう。
 クロッコとの関係も対等じゃなさそうだったし、仮にアイツが黒曜の使者の全てを知っていたとしても、こういう不具合に関しては教えられていないだろう。
 だからこそ、レッドも動揺してるんだろうし……だったら、俺に都合のいい設定をでっちあげれば上手く行くかも知れない。

 ただし、でっちあげる設定は真実を混ぜた物だ。
 漫画とかでもよく言うけど、嘘って言うのは、本当の事を少し混ぜた方が真実味が増すし、嘘を吐く方も言い訳の肉付けがしやすくなるらしいからな。
 ……まあ、本当は嘘なんて付かずにいられるのが一番いいんだけど、今は俺自身の安全とブラックの安全のためだからな……。それに、今の俺はレッドの事を思いきり嫌えないし……なんとか今の自分で居られるように嘘を納得させるんだ。

 俺はレッドに気取られないように息を深く吸い込むと、一歩踏み出した。

「っ……!」

 本当は俺が怖がる方だろうに、レッドは俺を見て体を震わせる。
 その姿はまるで、イタズラをして怒られる事に怯えているこどもみたいだった。
 ……まあ、そんな顔をしてしまう気持ちは解るけど……ブラックもレッドも、どうしてそんな風に明確に態度に出ちゃうのか。いやまあ、こっちがやりくるめられる事が無いのは、ありがたいんだけども……。

 でも、そんなに怯えられたら話が進まない。
 仕方なく、俺は軽く息を吐いて右手を差し出した。

「握って」
「え……」

 思っても見ない事を言われた、と言わんばかりに目を丸くするレッドに、俺はさっきと同じ言葉を繰り返す。二度も同じ言葉で急かされたレッドは、ビクビクしながら俺に近付いて――ゆっくり手を伸ばしてきた。

 その手を、俺は握る。
 …………うん、やっぱり……嫌悪感が無い……。
 ああもうヤバいなあこれ、なんでこうなっちゃうんだか。
 嫌いな奴どころか危険な奴にすら気を許してたら、いつか本当に死ぬかもしれないと言うのに、何で俺って奴はレッドにまで気を許してるんだろう。
 記憶を取り戻した俺は、結局まだレッドの事を許せないでいるのに。

「ツカサ……」

 不安そうに呼びかける相手に、顔を上げてしっかりとその目を見やった。
 炎を支配する曜術師だと言うのに、その瞳は空の色のように青く澄んでいる。
 ……普通にしてさえいれば……本当に、どこにでもいるただのイケメンだ。
 俺なんかと出会わなければ、普通に格好いい勇者タイプの好青年として、ブラックに敵討かたきうちをいどむだけで済んだかもしれない。少なくとも、こんな風に嫉妬に駆られて感情をこじらせる事は無かったはずだ。

 だけど、レッドはもう戻れない所まで来てしまった。
 人の心を勝手に奪って、俺を奴隷にしてまで自分の物にしようとしたのだ。
 それは決して許される事では無かった。だけど。

「…………記憶や感覚や感情がぜになって、よく解らないんだ。……だけど、アンタの手を躊躇いなく握る事が出来る」

 そんな俺のハッキリとした言葉に、レッドは目を見開く。
 俺が記憶を取り戻した事に驚いているのか、硬直しているようだった。
 だけど、手だけは離さない。それがどんな感情からくる行動なのかは解らなかったけど……でも、話す事を止める訳には行かなくて、俺は続けた。

「色々解らないけど……レッドの事は、分かるよ。俺のご主人様だって」

 それが嘘だとは思っていない。
 確かに俺の中の記憶の一部は、レッドをご主人様だと思っている。そして、俺の首には奴隷の首輪がいまだに装着されてるんだ。何も間違った事は言っていなかった。
 俺は記憶を思い出している。だけど、レッドの事を嫌ってはいない。
 ご主人様から離れて、どこかへ行くつもりはない。
 自分は記憶を失っていた頃と変わりなく、レッドの奴隷なのだ。
 この首輪が、ある限り。

「……ほん、と……か……?」

 怯えただけあって、やはりレッドも俺が完全に記憶を取り戻してあらがうかもしれないと思っていたらしい。だけど、俺だってそこまでバカじゃない。
 微笑んで見せて、握ったレッドの手をもう片方の手で包んでやった。

「レッド、あの【工場】でも俺に沢山優しくしてくれたもんな。物語の本を読ませてくれたし、俺をずっと気遣ってくれた。……だから、嫌じゃないよ」
「お前……あの、男の事は……」

 ブラックの事か。こんな事を言うのは心苦しいけど……安全の為だ、仕方ない。
 意を決し、俺はレッドを見上げて笑みを深めて見せた。

「あの男って、誰?」
「え……」
「ごめん、俺、レッド以外の事は所々ぼやけてて、思い出せなくて……」

 さらっとそう言うと、レッドは先程までの表情を鎮めて、俺を観察するかのような顔でジロジロと視出した。……うん、そりゃ疑いますよね。俺だってそうするわ。
 でもこの感じで行くしか納得して貰えないだろうから、押し進めるしかない。
 返答を待つようにレッドの顔を見上げていると、相手は少し考えて口を開いた。

「本当に……俺に嫌悪感は無いのか……? 恋人だと、思ってるのか……?」

 どこか期待するような、疑うような声。

 ああ、本当なら嫌だと突っぱねてやりたい。ブラックを傷つけた奴に媚びるなんて、そんな事をするなら死んだ方がましだとさえ思っている。けれど、俺の記憶が俺を押さえつけるんだ。

 俺を散々良いようにした悪人なのに、ブラックの事を忘れさせようとしたのに……自分の中のもう一つの記憶が、怒りを踏み台にしてレッドを守ろうとする。
 “俺”の記憶のはずなのに、俺の感情を自由にさせてくれなかった。

「……思ってるよ」

 本当は、こんな事をレッドに言う事すら嫌なのに。
 なのに今の俺は、こんな事を嫌悪感も無く言えてしまう。
 心の中は暴れ回りたいぐらいに激昂しているのに、レッドを見つめる自分の顔は、微笑んでいる顔を全く崩せていなかった。

「…………記憶を所々取り戻しても、俺を恋人だと思ってくれるのか」
「うん」

 小さく頷くと、レッドは再び何かを考えるように視線を彷徨わせる。
 何を考えているのだろうかと思いながら待っていると、不意にレッドが視線を合わせて来て、ぽつりと呟いた。

「だったら……俺の願いを、聞いてくれるか」

 レッドは俺の肩を掴んで、真剣な表情で見つめて来る。
 お願いがどういう類の物なのかは分からないが、断る選択肢など無かった。
 小さく頷くと、レッドは青い瞳に光を孕ませて、息を吸う。

「なら……俺の為に、脱いでくれるんだな?」
「…………え?」

 吐き出された言葉が理解出来なくて、思わず問い返してしまう。
 だが、そんな俺に構わず、レッドは続けた。

「居間で、服を脱いで俺に見せてくれ。……恋人なら、出来るよな」

 そう言って、レッドは目を細める。
 俺の言葉を疑っている時のブラックみたいに。

 ――――やっぱり、そうなるのか。いや、そうだな。そうなるよな。
 だって、俺が一番嫌なのはそう言う事だ。
 俺が屈辱を感じる行為は、つくばる事でも無ければ靴を舐める事でも無い。そんなのは頼まれれば何遍なんべんだってやってやる。俺にはそっちのプライドなんて無いからな。
 だけど……俺は、そういう事は……絶対に、やりたくない。
 ブラックとクロウ以外にそんな変態みたいな事をさせられるのは、死んでも嫌だって何度も思っていた。それをレッドも解っていて、俺に問うているのだ。

 俺が嘘をついているのなら、そんな事は出来ないだろうと確信して。

「…………」

 だけど、そう思われているのなら……やるしかない。
 どんな事になろうとも、俺はそれを実行しなければならないのだ。

 もし嘘がバレれば、芋づる式にブラックの事も発覚してしまうかも知れない。
 そうなれば、ブラックも無事では済まないだろう。この最悪なご主人様から逃げるにせよ立ち向かうにせよ、ブラックが再び大怪我をしてしまうかも知れない。そんなのは絶対嫌だった。
 だったら、もう。

「……わかった。レッドが望むなら、やるよ」

 こんな言葉、俺らしくない。

 だけど今更「そういうフリをしてました」とは言えなかった。











 
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