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第八章
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しおりを挟む早坂 伊織の真っ直ぐな瞳から目が逸らせない。
恥ずかしくても、彼の視線が逸らす事を絶対に許そうとしない。
視界の隅で、バツマークを必死に作り『断るサイン』を提示してくるマネージャーの姿が入る。脳内で、色んな思いが駆け巡る。お断りします、そう言って断れば良いだけの話だろう。
「……一ヶ月、だけなら。」
「本当に?!」
食い入る様に顔を覗き込んでくる早坂 伊織の様子に、やはり選択を誤っただろうかと自分を責めかける。ゆっくり首を縦に振った次の瞬間、彼は今まで見た落ち着いた様子とは一変、「やったぁ!」と、俺を抱えて、くるくると回り始めた。
「ちょっ、落ちっ、落ちますってば!」
遠くのマネージャーが歯軋りをするのが容易く想像出来る。しかし、早坂 伊織は子供みたいに無邪気な笑顔で空笑いをして言う。
「あはは、ごめんね、ついつい。嬉しくて踊りたくなって」
「……!」
そう言いながら、腕の中の俺に軽く頬擦りをする彼。
今まで距離は近かったはものの、ここまで甘えられる様な事は無かった。自分の直ぐ目の前に彼の顔がある。憧れで、遠い存在の、自分の事を好きと言ってくれる人が。
「………一ヶ月だけですからね」
彼の髪にふわっと触れながら、俯き加減に念を押す。
顔を上げた彼は、クスッと悪戯っ子の様に笑うと、「そういう所はクールだね、シユン君は」と揶揄う様に告げた。フィッ、とソッポを向くと、彼はまた笑った。
「この一ヶ月で、惚れさせてみせるよ。君が俺の事を好きになる様に」
顔が近づいて来る。
キスされる…かと思いきや、されたのは前髪を掻き分けられた額に、だった。過去の二回は、問答無用でされていたので、思わず「あ…」なんて呟いてしまった。
(何で今……俺、残念がって…)
「シユン君」
「!」
思考を遮る様に名前を呼ばれ、「はい」と反射的に顔を上げる。早坂 伊織は、俺をゆっくり下ろすと、改まった様子で、胸に手を当てて礼をする。
「これから一ヶ月。俺の恋人として、宜しくね。」
「……」
この人の、純粋に俺を好いてくれている気持ちを、無下にしたくは無かった。彼の眩しいくらいに純粋な笑顔を見たら、断る気なんて何処かに行ってしまった。
ギュッと目を瞑った直後、真っ直ぐ彼を見て、「宜しくお願いします」と頭を下げ返す。俺と彼の、お試しの一ヶ月が、今ここで始まった。
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