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第三章(1)
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富永のボディガードを初めて一ヶ月が経とうとしていた。スーパーEを欲しがるのは芸能人や、ニュースで一度は見たことのある若手財界人、医者だ。
その中で、富永がヤクザだと知っている人間はいない。
腕の立つ実業家で、ちょっと悪いことも知っている――その程度の認識だ。
商談用のホテルは都内にいくつもあるようで、そのどれもが景には縁遠い、外資系の高級ホテルのスイートルームだった。
一度、何故、自分ばかりを連れて行くのかと聞いたことがあった。
――お前は腕も立つし、清潔感もある。他の奴よりも使い勝手が良いんだ。それに、話が終わったらそのままお前を抱ける。一石二鳥だ。
毎夜のように、景は抱かれた。二度三度と、気を失うことはざらだった。
心は拒絶しながら、肉体は富永の手練手管に酔いしれ、蕩けさせられた。四つん這いの格好を取らされたり、彼に跨がり腰を振れと命じられる。すべてやった。
彼の興味がなくなれば、他に乗り換えられてしまうかもしれない。
そうなれば、富永のそばでの情報収集が難しくなる。
富永が取った策は巧妙だった。社会的な成功を収め、自制心のある上流階級をターゲットを絞ることで単価を上げ、機密をも守らせる。
警察もなかなか手出しがしにくいだろうし、内偵をするにもかなり骨が折れるだろう。
購入者は自分だけで使うばかりではなく、中にはドラッグパーティーを行う。そうなれば、スーパーEの噂は上流階級の横の繋がりに流れていき、さらに顧客は増え、品不足を理由にさらに単価を上げることも可能だ。受け取った金は不動産や仮想通貨、株などで資金洗浄され、富永は、いや、旭邦会は、ますます富を蓄える。
薬物は一度嵌まれば底なしだ。顧客は何が何でも手に入れようと札束を積んでいくに違い無かった。
景は一度会った人間は必ず後で素性を調べた。
そろそろ情報は流すべきだと思う一方、それを危ぶむ気持ちもある。
もし警察がこれまでの顧客の一人と接触すれば、富永はスパイの存在を勘ぐるだろう。
そして商談につれて歩く景を絶対疑う。
情報を流すのであれば、スーパーEの製造元が判明してからにしなければならない。
※
(それにしても最近、よく昔のことを思い出す)
思い出すまいとしているというのに。富永は涼介のように優しくもなければ、自分を愛してもいない、慰み者にしているだけだというのに。
(不快感もなくなりつつある……)
演技をする上で嫌悪感がないほうがありがたいが、景自身としては肉体ばかりでは無く、心までヤクザものに屈しはじめているように感じられて不安だった。
景はいつものように朝食作りをしていた。
キッチンは、景の使いやすいように細々とした道具が増え始めていた。
ケータイが鳴る。富永のものだ。
「――これは先生、お久しぶりでございます。ええ……ええ……」
富永はにこやかな声を出す。
(先生? 取引相手か?)
「あれを? 急ですね……。ご用意できないということはありませんが、他の方の分を回すことになりますので少々手間賃が」
それから何度かやりとりをすると通話を終え、立ち上がった富永は景を見る。
「涼介。出るぞ」
「ああ」
火を止め、手を洗い、富永に従っては部屋を出た。
回された車に乗り込むと、車内でどこかへ連絡をかける。そのやりとりは聞く限り、部下に何かを指示しているようだ。
「どこへ行くんだ?」景は富永を見る。
「優雅な別荘さ」
車は中央自動車道から首都高速に乗る。それから東北自動車を通って、辿り着いたのは那須の別荘地だ。中央自動車道の渋滞に巻き込まれたこともあっておおよそ三時過半の長旅だ。
別荘地は拓かれた森の中にあった。車がとまったのは、ある一軒の別荘だった。
白く瀟洒な外観は、いかにも上流階級が好みそうな別荘、というイメージだ。
車止めにはすでに外車が停められていた。
富永に倣い、景が車をおりる。最初に感じたのは都会特有の熱気とは無縁な涼しさだった。木漏れ日が所々に光の帯を作っている。
玄関へと続く小道を、富永の後をついて歩いていく。
富永がチャイムを鳴らしてしばらくすると、家政婦らしき中年女性が現れた。
「いらっしゃいませ。富永様ですね。どうぞ、リビングへ」
「失礼します」
富永は廊下を進み、リビングに行くと、そこには五十代がらみの長身の男性がいた。
彼は富永を認めるなり、笑顔になった。
「小山田さん、いつもお世話になっています」
「おお、富永君。すまんね。無理を聞いてもらって。れいのものは?」
「今、部下に運ばせています。夕方までには……」
「そうかそうか。君が調達してくれるものはとても素晴らしくてねえ。是非、友人たちにも試してもらいたかったのだよ」
「パーティーは今夜ですか」
「まあ特別なものは深夜に行う予定だがね。富永君。君にも紹介したい人間がいる。君はなかなか手広く商売をしているんだろう。人脈はいくつあっても足りないということはないだろう?」
富永は微笑し、「会長、ありがとうございます」と頭を下げた。
「いやいや。君と私の仲じゃあないか」
と、小山田の目が景に向いた。その目がやや細まる。
「彼は?」
「周りの細々とした者を手伝ってもらっている男です」
「河上涼介です」景は頭を下げる。
「河上君かぁ。覚えておこう」
そこへ、家政婦の女性がティーセットを運んでくる。
「お茶でございます」
それから三十分ほど過ごすと、富永は「ではまた夜に」と家を出た。
景は正直、ほっとしてしまった。
(薄気味の悪いおっさんだったな)
景を見る目が妙に粘着質というか……。
富永が言う。
「あのオヤジには気を付けろよ。あいつは男が好物だからな」
「え……」
富永は薄く笑い、車に乗り込んだ。近場のホテルを取ったらしい。
(資金洗浄にツテは必要だからな)
やはりそこでも同じ部屋で、ベッドが一つというのが犯す気満々というか、そういうものが透けて見える。しかし先程の中年男に舐められるように見られた時のような生理的な嫌悪感は一切なくむしろ妙に落ち着かない気持ちにさせられ、彼と目が合わせられなくなる。
だが、富永は景のことなどおかまいなく、ノートパソコンを開くと、作業に没頭してしまう。今や欲求解消よりも金らしい。
(ったく。俺の方がまるで欲求不満みたいじゃないか)
その中で、富永がヤクザだと知っている人間はいない。
腕の立つ実業家で、ちょっと悪いことも知っている――その程度の認識だ。
商談用のホテルは都内にいくつもあるようで、そのどれもが景には縁遠い、外資系の高級ホテルのスイートルームだった。
一度、何故、自分ばかりを連れて行くのかと聞いたことがあった。
――お前は腕も立つし、清潔感もある。他の奴よりも使い勝手が良いんだ。それに、話が終わったらそのままお前を抱ける。一石二鳥だ。
毎夜のように、景は抱かれた。二度三度と、気を失うことはざらだった。
心は拒絶しながら、肉体は富永の手練手管に酔いしれ、蕩けさせられた。四つん這いの格好を取らされたり、彼に跨がり腰を振れと命じられる。すべてやった。
彼の興味がなくなれば、他に乗り換えられてしまうかもしれない。
そうなれば、富永のそばでの情報収集が難しくなる。
富永が取った策は巧妙だった。社会的な成功を収め、自制心のある上流階級をターゲットを絞ることで単価を上げ、機密をも守らせる。
警察もなかなか手出しがしにくいだろうし、内偵をするにもかなり骨が折れるだろう。
購入者は自分だけで使うばかりではなく、中にはドラッグパーティーを行う。そうなれば、スーパーEの噂は上流階級の横の繋がりに流れていき、さらに顧客は増え、品不足を理由にさらに単価を上げることも可能だ。受け取った金は不動産や仮想通貨、株などで資金洗浄され、富永は、いや、旭邦会は、ますます富を蓄える。
薬物は一度嵌まれば底なしだ。顧客は何が何でも手に入れようと札束を積んでいくに違い無かった。
景は一度会った人間は必ず後で素性を調べた。
そろそろ情報は流すべきだと思う一方、それを危ぶむ気持ちもある。
もし警察がこれまでの顧客の一人と接触すれば、富永はスパイの存在を勘ぐるだろう。
そして商談につれて歩く景を絶対疑う。
情報を流すのであれば、スーパーEの製造元が判明してからにしなければならない。
※
(それにしても最近、よく昔のことを思い出す)
思い出すまいとしているというのに。富永は涼介のように優しくもなければ、自分を愛してもいない、慰み者にしているだけだというのに。
(不快感もなくなりつつある……)
演技をする上で嫌悪感がないほうがありがたいが、景自身としては肉体ばかりでは無く、心までヤクザものに屈しはじめているように感じられて不安だった。
景はいつものように朝食作りをしていた。
キッチンは、景の使いやすいように細々とした道具が増え始めていた。
ケータイが鳴る。富永のものだ。
「――これは先生、お久しぶりでございます。ええ……ええ……」
富永はにこやかな声を出す。
(先生? 取引相手か?)
「あれを? 急ですね……。ご用意できないということはありませんが、他の方の分を回すことになりますので少々手間賃が」
それから何度かやりとりをすると通話を終え、立ち上がった富永は景を見る。
「涼介。出るぞ」
「ああ」
火を止め、手を洗い、富永に従っては部屋を出た。
回された車に乗り込むと、車内でどこかへ連絡をかける。そのやりとりは聞く限り、部下に何かを指示しているようだ。
「どこへ行くんだ?」景は富永を見る。
「優雅な別荘さ」
車は中央自動車道から首都高速に乗る。それから東北自動車を通って、辿り着いたのは那須の別荘地だ。中央自動車道の渋滞に巻き込まれたこともあっておおよそ三時過半の長旅だ。
別荘地は拓かれた森の中にあった。車がとまったのは、ある一軒の別荘だった。
白く瀟洒な外観は、いかにも上流階級が好みそうな別荘、というイメージだ。
車止めにはすでに外車が停められていた。
富永に倣い、景が車をおりる。最初に感じたのは都会特有の熱気とは無縁な涼しさだった。木漏れ日が所々に光の帯を作っている。
玄関へと続く小道を、富永の後をついて歩いていく。
富永がチャイムを鳴らしてしばらくすると、家政婦らしき中年女性が現れた。
「いらっしゃいませ。富永様ですね。どうぞ、リビングへ」
「失礼します」
富永は廊下を進み、リビングに行くと、そこには五十代がらみの長身の男性がいた。
彼は富永を認めるなり、笑顔になった。
「小山田さん、いつもお世話になっています」
「おお、富永君。すまんね。無理を聞いてもらって。れいのものは?」
「今、部下に運ばせています。夕方までには……」
「そうかそうか。君が調達してくれるものはとても素晴らしくてねえ。是非、友人たちにも試してもらいたかったのだよ」
「パーティーは今夜ですか」
「まあ特別なものは深夜に行う予定だがね。富永君。君にも紹介したい人間がいる。君はなかなか手広く商売をしているんだろう。人脈はいくつあっても足りないということはないだろう?」
富永は微笑し、「会長、ありがとうございます」と頭を下げた。
「いやいや。君と私の仲じゃあないか」
と、小山田の目が景に向いた。その目がやや細まる。
「彼は?」
「周りの細々とした者を手伝ってもらっている男です」
「河上涼介です」景は頭を下げる。
「河上君かぁ。覚えておこう」
そこへ、家政婦の女性がティーセットを運んでくる。
「お茶でございます」
それから三十分ほど過ごすと、富永は「ではまた夜に」と家を出た。
景は正直、ほっとしてしまった。
(薄気味の悪いおっさんだったな)
景を見る目が妙に粘着質というか……。
富永が言う。
「あのオヤジには気を付けろよ。あいつは男が好物だからな」
「え……」
富永は薄く笑い、車に乗り込んだ。近場のホテルを取ったらしい。
(資金洗浄にツテは必要だからな)
やはりそこでも同じ部屋で、ベッドが一つというのが犯す気満々というか、そういうものが透けて見える。しかし先程の中年男に舐められるように見られた時のような生理的な嫌悪感は一切なくむしろ妙に落ち着かない気持ちにさせられ、彼と目が合わせられなくなる。
だが、富永は景のことなどおかまいなく、ノートパソコンを開くと、作業に没頭してしまう。今や欲求解消よりも金らしい。
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