冷酷な王の過剰な純愛

魚谷

文字の大きさ
13 / 37

出会いの宴(2)

しおりを挟む
「――マリア様」

 マリアがお酒で唇を湿らせつつ王立楽団の演奏に耳を傾けていると、ヨハンに声をかけられた。

 彼もすっかり正装で、胸にはいくつもの勲章が輝く。

 と、ヨハンはマリアの姿に驚いたように眉を持ち上げた。

「どこか、変でしょうか。申し訳ございません。こういう場は不慣れなもので……」

「違います。あまりに麗しく、思わず……見とれてしまいました」

「ヨハン様、すっかりお口が上手になられたのですね」

「いえ。本心です。きっと陛下も同じように見ほれてしまうに違いありません」

 マリアは口元を少し緩ませる。

 お世辞でも嬉しかった。

「頃合いの時にもう一度お声をおかけいたします。それまでごゆるりとお楽しみ下さい」

「分かりました」

 ヨハンは侍女のルリに向かう。

「マリア様のことをくれぐれも頼むぞ」

「かしこまりました」

 ヨハンは踵《きびす》を返して会場を後にした。

「ヨハン様は決してお世辞を口になさりませんから安心して下さい」

 ルリがマリアの心を読んだみたいに、くすくすと微笑み混じりに囁いた。

「そうだと、嬉しいのですけれど……」

 マリアがふわふわした心地の良さに浸っていると声をかけられる。

「――お美しいだけではなく、顔も広いのですね」

 マリアが振り返ると、そこにいたのは金髪碧眼に甘い顔立ちの青年だった。

「あれは、陛下の覚えめでたきヨハン卿ですね。素晴らしい。お知り合いのなのですね」

「あなたは……」

 動揺を隠しつつマリアは微笑み応対する。

 青年もにこりと笑った。

 いかにも社交界で浮き名を流していそうな種類の人間だ。

「申し遅れました。わたくし、ニオイス・ディン・アゼールと申します」

「マリアと申します」

 わざと姓を濁したが、ニオイスはこだわらなかった。

「初めてお会いするのでつい声をかけてしまいました」

「あ、はい。実は今回がこういう大きな席は初めてでして」

「なるほど。道理で初々しいと思いました。僭越ながら私めがこういう席での流儀をお教えいたしましょう」

「――申し訳ありません。アゼール様。マリア様は挨拶をしなければいけませんので」

 距離を近づけようとする所へルリが割って入る。

「なるほど……。では、また後でお時間があれば」

「はい」

「さあ、マリア様。こちらです」

 ルリに手を引かれ、ニオイスから離れる。

 人混みの間でにこりと微笑んだアゼールはひらひらと手を振る。

 アゼールと離れられてほっと胸を撫で下ろした。

「ルリさん、ありがとうございます。どう対応すれば分からなくて」

「気をつけて下さいませ。アゼール様は漁色家として有名ですので。決して二人きりになどならないようにご注意を」

「分かりました」

 と、楽団の音楽がやんだ。

「――ジクムント・フォン・ハイメイン陛下のおなりでございますっ!」

 先導の兵士が声高に呼ばわった。

 騒がしかった会場が水を打ったように静まりかえれば、着飾った長身痩躯《ちょうしんそうく》の男が姿を現す。

 瞬間、会場中に万雷《ばんらい》の拍手が響き渡った。

 マリアは手を叩きながら、三年ぶりのジクムントの姿に見入る。

(ジーク様、だいぶやつれて……。でも当然よね。この国を背負っておられるんだもの)

 ジクムントが玉座に就くと、拍手の波が少しずつ収まっていく。

 それを確認し、ジクムントは口を開く。

「お歴々の皆様、よく来てくださった。この場におられる各国を代表する大使の数は、このハイメイン王国を友とする数。今宵は思う存分楽しんで欲しい」

 泰然自若としたジクムントの声は年齢とは裏腹な大いなる尊厳に満ち、聞くものを掴んで離さない不思議な魅力を孕《はら》んでいるように聞こえた。

 マリアは周囲をそれとなく見回す。

 女性陣はうっとりとした熱い眼差しを若き王に向けていた。

 誰にとってもジクムントは魅力的なのだ。

 各国の大使たちは次々と王の玉座に赴くと、乾杯を交わしていく。

 その間も、マリアはじっと外交官たちと会話を交わすジクムントを見つめる。

「……マリア様」

「えっ?」

 ルリから袖を引かれ、マリアは我に返る。

「陛下とは後ほどお会い出来ますから」

 立ち尽くしたままじっとジクムントを見つめている自分が目立ってしまったことに頬を染める。

「ごめんなさい。そうですよね」

「わたくし、何か食事をもってまいりますので」

「わ、分かりました。私はあちらのほうにいますので……」

 マリアは早足に壁際に立った。

(私ったら、いけないわ)

 それでも人垣の向こうのジクムントをチラチラと盗み見ずにはいられなかった。

「マリアさん」

「ニオイス……様」

 思わず身を引いて、ここが壁際であると気付く。

「飲み物がぬるくなってしまったのではないですか。どうぞ」

 ニオイスがにこりと微笑み、グラスを差し出してくる。

「……ありがとうございます」

 断っては角が立つと思い、受け取る。

 ニオイスは苦笑した。

「そんなに警戒なさらないで下さい。何もあなたを取って食おうとなんて思っていませんから」

「そういう訳では……」

「陛下以外の男は目に入りませんか」

「……いえ。あれはそういう訳では」

「良いんです。誰もが夢中になる。陛下はそれほどに魅惑的な方だ」

(ルリさん)

 マリアは侍女が早く戻って来ることを望んでしまう。

 それでもこの混雑ではそれは難しいかもしれない。

「あの、私……す、すみません。少し風に当たります」

 マリアは言って、

「マリアさんっ!?」

 驚いたようなニオイスの声にも振り向くことなく早足で人の間を縫《ぬ》う。

 向かう先はバルコニーだった。

 そこに用意されている椅子に腰かけ、様子を見守ったがニオイスは追いかけてこなかった。

(諦めてくれたのかしら……)

 緊張のせいで喉がカラカラだった。

 マリアはグラスに口を付ける。

(私ったら)

 いくら何でもニオイスに失礼過ぎたと、落ち着いてくると後悔の念が湧きあがる。

 相手も貴族。

 確かに女たらしかもしれないが、あそこまで露骨に拒絶しなくても良かった。

(私ったら、駄目だわ……)

 ここで社交界の不慣れなさを出すなんて。

 そうかと言ってどの顔で戻れば良いのかも分からない。

「……はあ」

 マリアは溜息を漏らし、またグラスを傾ける。

 そうしている内に、マリアはふわふわとまるで宙を浮いているような心地になった。

 熱っぽく、頭がぼうっとする。

(酔ってしまったの、かしら……)

 お酒はそんなに弱くなかったはずなに。

 瞼《まぶた》がゆっくり落ちていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

身代わりにと差し出された悪役令嬢は上主である、公爵様に可愛がられて~私は貴方のモノにはなれません~

一ノ瀬 彩音
恋愛
フィルドール子爵家に生まれた私事ミラ・フィルドールには、憧れの存在で、ずっとお慕い申していた、片思いのお相手がいるのです。 そのお方の名前は、公爵・ル・フォード・レリオ様、通称『レリオ公爵様』と人気の名高い彼はその若さで20と言う若さで、お父上の後を継ぎ公爵と成ったのですが、中々に冷たいお方で、営業スマイルを絶やさぬ表の顔と、常日頃から、社交辞令では分からない、裏の顔が存在されていて、そんな中、私は初めて出たお披露目の舞踏会で、なんと、レリオ公爵様とダンスをするという大役に抜擢されて、ダンスがうまくできればご褒美を下さると言うのだけれど? 私、一体どうなってしまうの?!

桜に集う龍と獅子【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
産まれてから親の顔を知らない松本櫻子。孤児院で育ち、保育士として働く26歳。 同じ孤児院で育った大和と結婚を控えていた。だが、結婚式を控え、幸せの絶頂期、黒塗りの高級外車に乗る男達に拉致されてしまう。 とあるマンションに連れて行かれ、「お前の結婚を阻止する」と言われた。 その男の名は高嶺桜也。そして、櫻子の本名は龍崎櫻子なのだと言い放つ。 櫻子を取り巻く2人の男はどう櫻子を取り合うのか………。 ※♡付はHシーンです

だったら私が貰います! 婚約破棄からはじまる溺愛婚(希望)

春瀬湖子
恋愛
【2025.2.13書籍刊行になりました!ありがとうございます】 「婚約破棄の宣言がされるのなんて待ってられないわ!」 シエラ・ビスターは第一王子であり王太子であるアレクシス・ルーカンの婚約者候補筆頭なのだが、アレクシス殿下は男爵令嬢にコロッと落とされているようでエスコートすらされない日々。 しかもその男爵令嬢にも婚約者がいて⋯ 我慢の限界だったシエラは父である公爵の許可が出たのをキッカケに、夜会で高らかに宣言した。 「婚約破棄してください!!」 いらないのなら私が貰うわ、と勢いのまま男爵令嬢の婚約者だったバルフにプロポーズしたシエラと、訳がわからないまま拐われるように結婚したバルフは⋯? 婚約破棄されたばかりの子爵令息×欲しいものは手に入れるタイプの公爵令嬢のラブコメです。 《2022.9.6追記》 二人の初夜の後を番外編として更新致しました! 念願の初夜を迎えた二人はー⋯? 《2022.9.24追記》 バルフ視点を更新しました! 前半でその時バルフは何を考えて⋯?のお話を。 また、後半は続編のその後のお話を更新しております。 《2023.1.1》 2人のその後の連載を始めるべくキャラ紹介を追加しました(キャサリン主人公のスピンオフが別タイトルである為) こちらもどうぞよろしくお願いいたします。

鉄壁騎士様は奥様が好きすぎる~彼の素顔は元聖女候補のガチファンでした~

二階堂まや♡電書「騎士団長との~」発売中
恋愛
令嬢エミリアは、王太子の花嫁選び━━通称聖女選びに敗れた後、家族の勧めにより王立騎士団長ヴァルタと結婚することとなる。しかし、エミリアは無愛想でどこか冷たい彼のことが苦手であった。結婚後の初夜も呆気なく終わってしまう。 ヴァルタは仕事面では優秀であるものの、縁談を断り続けていたが故、陰で''鉄壁''と呼ばれ女嫌いとすら噂されていた。 しかし彼は、戦争の最中エミリアに助けられており、再会すべく彼女を探していた不器用なただの追っかけだったのだ。内心気にかけていた存在である''彼''がヴァルタだと知り、エミリアは彼との再会を喜ぶ。 そして互いに想いが通じ合った二人は、''三度目''の夜を共にするのだった……。

碧眼の小鳥は騎士団長に愛される

狭山雪菜
恋愛
アリカ・シュワルツは、この春社交界デビューを果たした18歳のシュワルツ公爵家の長女だ。 社交会デビューの時に知り合ったユルア・ムーゲル公爵令嬢のお茶会で仮面舞踏会に誘われ、参加する事に決めた。 しかし、そこで会ったのは…? 全編甘々を目指してます。 この作品は「アルファポリス」にも掲載しております。

初恋をこじらせた騎士軍師は、愛妻を偏愛する ~有能な頭脳が愛妻には働きません!~

如月あこ
恋愛
 宮廷使用人のメリアは男好きのする体型のせいで、日頃から貴族男性に絡まれることが多く、自分の身体を嫌っていた。  ある夜、悪辣で有名な貴族の男に王城の庭園へ追い込まれて、絶体絶命のピンチに陥る。  懸命に守ってきた純潔がついに散らされてしまう! と、恐怖に駆られるメリアを助けたのは『騎士軍師』という特別な階級を与えられている、策士として有名な男ゲオルグだった。  メリアはゲオルグの提案で、大切な人たちを守るために、彼と契約結婚をすることになるが――。    騎士軍師(40歳)×宮廷使用人(22歳)  ひたすら不器用で素直な二人の、両片想いむずむずストーリー。 ※ヒロインは、むちっとした体型(太っているわけではないが、本人は太っていると思い込んでいる)

虐げられた出戻り姫は、こじらせ騎士の執愛に甘く捕らわれる

無憂
恋愛
旧題:水面に映る月影は――出戻り姫と銀の騎士 和平のために、隣国の大公に嫁いでいた末姫が、未亡人になって帰国した。わずか十二歳の妹を四十も年上の大公に嫁がせ、国のために犠牲を強いたことに自責の念を抱く王太子は、今度こそ幸福な結婚をと、信頼する側近の騎士に降嫁させようと考える。だが、騎士にはすでに生涯を誓った相手がいた。

メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも
恋愛
シャノンは双子の姉ヴァイオレットと共にこの春社交界にデビューした。美しい姉と違って地味で目立たないシャノンは結婚するつもりなどなかった。それなのに、ある夜、訪れた夜会で見知らぬ男にキスされてしまって…? ※19世紀英国風の世界が舞台のヒストリカル風ロマンス小説(のつもり)です。

処理中です...