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若き王との生活(3)
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ジクムントから決済された書類を受け取ったヨハンたちは執務室を後にする。
(陛下の顔色は少しよく見えた。やはりマリア様の効果は絶大だ。これも連れてきた甲斐があったというもの……)
自分の考えは間違っていなかった。
ゲオルグが囁く。
「ヨハン様」
「どうした?」
ゲオルグは表情をやや曇らせている。
「その……陛下と、マリア様のことでございますが……その……」
「すでに身体の関係がある」
言い淀んでいたゲオルグに代わりに、ヨハンは言いきる。
ゲオルグは、ヨハンの明け透けな物言いに面食らったようだ。
「よろしいのですか」
「問題が?」
「陛下は未だご正室をお迎えになられておりませんが」
ヨハンはそんなことと笑う。
「陛下は既存の枠組みを壊されている。陛下がお望みになるお相手が妃になる」
「そうでございますか……」
「気になるのか? 血筋が」
ゲオルグのように改革に賛同する人間も、国王の伴侶の血統を気にする者は意外に多い。
名も知れぬ平民、それも孤児の身であるヨハンには頭では理解できるが、納得しかねていた。
「しかしながら他国との関係もございます。姻戚関係は大切なものです」
「陛下は何も口にされていない。とにかく我々は陛下に諮問《しもん》されたことのみ、言上すれば良い。それからマリア様は立派な伯爵家のご息女であらせられる」
そうしてヨハンが向かった先はマリアに宛がわれた部屋である。
扉を叩くと、ルリの声がして扉が開かれる。
ルリが主人の顔を見るなり、はっとする。
「これは、ヨハン様……っ」
「ルリ、少し良いか」
「はい。どうぞ」
マリアはお茶を飲んでいた。
「これはヨハン様……」
マリアは立ち上がり、お辞儀をする。
「マリア様、お加減はいかがですか」
「はい。陛下に良くして頂き、体調も……」
確かに血色は良い。
(陛下が咲くや、無茶をされたのではないかと思ったが、杞憂だったか)
「そうですか。何かあれば、ルリに何なりとお申し付け下さい」
「ヨハン様、色々ありがとうございます。ヨハン様がいなければジーク様とこうして再びお会いすることは叶わなかったことでしょう」
と、マリアは目線をちらりとヨハンの背後に向ける。
「そちらは……」
「ああ、紹介が遅れました。彼はゲオルグ。今は私の補佐をしてもらっています」
ゲオルグは一歩前に出て、頭を下げる。
「ゲオルグ・コールと申します。以後お見知りおき下さい」
「ゲオルグ様、よろしくお願い申し上げます。ヨハン様、ゲオルグ様。お茶はいかがでございますか?」
「お気持ちはありがたく……。まだ公務の途中ですので」
「そうでございますか。お忙しい中、わざわざおいで頂きありがとうございます」
「マリア様、失礼いたします」
ヨハンはゲオルグを促しては部屋を出た。
「――どうだ、ゲオルグ。マリア様は良いお方だろう?」
「私はマリア様の人柄を批判している訳ではありません」
「ならやはり血統か。血統の良い連中が陛下の代でどれだけ惨《みじ》めな姿をさらした?」
「それは承知しております……」
「ならば下手なことは言うな。陛下の逆鱗《げきりん》に触れるぞ」
ヨハンは軽く釘を刺したが、ゲオルグはそれでも釈然としない様子だった。
※
夕飯を終えた頃には、一日が終わろうとしている。
マリアは自分が城内にあてがわれた部屋から街の灯りを見下ろしている。
もう午後十時を回っているが、街の灯は消えるどころか夕方あたりよりも一層煌々《こうこう》として輝いている。
(トルシアじゃ今はもう寝る時間なのに――なんて言うと田舎者丸出しね)
そんなことを思う。
街が違えばそこで暮らす人々の生活も変わる。
そんな様々な価値観を抱えた人々の生活をたった一人の王――ジクムントが支えようとしている。
その重みはいかばかりだろう。
マリアには想像もつかないことだった。
(ジーク様の為に……そう勢い込んでおいて、やったことはジーク様のお手を煩わせることだけ……しっかりしないと。もっとジーク様にお役に立てることを考えなければ)
このままでは贅沢をする為だけに来たようなものだ。
それでは自分を送り出してくれた母や、残してきた弟妹《ていまい》たちにも申し訳がない。
そこへ、ルリが声をかけてくる。
「マリア様」
「どうしたんですか、ルリさん」
「陛下がお呼びとの使者の方が参っております」
「ジーク様が。すぐにお伺いいたします」
遣《つか》わされた兵士に先導され、マリアはルリと共にジクムントの私室へ向かう。
王の私生活空間は王城の中の一番最深部にあり、警備は厳重である。
ジクムントはまだ正室をもらっていないから後宮は存在してない。
(ジーク様もいずれどこかの国から奥方様を娶られる、のね)
胸の奥で鈍い痛みを覚えてしまう。
マリアは思わず歩みが鈍くなる。
「マリア様、いかがなさいましたか?」
ルリが心配そうに囁く。マリアは「いえ」と言葉少なに歩みを戻した。
そうしてマリアは一人で私室に通される。
ルリも立ち入りは許されない。
「ジーク様。失礼いたします。マリアでございます」
居間にあつらえられた執務机に、ジクムントは座っていた。
人前に出る時の制服ではなく、肌にぴったりした、象牙色を基調に金糸で飾りのついた平服姿である。
元々生地が薄いせいもあるのだろうが、厚い胸板や鍛えられた腕、逞しい太腿などの男を意識させる身体の線が如実に露わになっていて、マリアはどうしても昨夜のことを思い出さざるを得なかった。
ジクムントは優しい笑顔を向けてくれる。
その顔立ちに鼓動が早まり、感極まって目を反らしてしまう。
「よく来たな」
ジクムントが近づいてくると、強く抱かれた。
「!!」
(陛下の顔色は少しよく見えた。やはりマリア様の効果は絶大だ。これも連れてきた甲斐があったというもの……)
自分の考えは間違っていなかった。
ゲオルグが囁く。
「ヨハン様」
「どうした?」
ゲオルグは表情をやや曇らせている。
「その……陛下と、マリア様のことでございますが……その……」
「すでに身体の関係がある」
言い淀んでいたゲオルグに代わりに、ヨハンは言いきる。
ゲオルグは、ヨハンの明け透けな物言いに面食らったようだ。
「よろしいのですか」
「問題が?」
「陛下は未だご正室をお迎えになられておりませんが」
ヨハンはそんなことと笑う。
「陛下は既存の枠組みを壊されている。陛下がお望みになるお相手が妃になる」
「そうでございますか……」
「気になるのか? 血筋が」
ゲオルグのように改革に賛同する人間も、国王の伴侶の血統を気にする者は意外に多い。
名も知れぬ平民、それも孤児の身であるヨハンには頭では理解できるが、納得しかねていた。
「しかしながら他国との関係もございます。姻戚関係は大切なものです」
「陛下は何も口にされていない。とにかく我々は陛下に諮問《しもん》されたことのみ、言上すれば良い。それからマリア様は立派な伯爵家のご息女であらせられる」
そうしてヨハンが向かった先はマリアに宛がわれた部屋である。
扉を叩くと、ルリの声がして扉が開かれる。
ルリが主人の顔を見るなり、はっとする。
「これは、ヨハン様……っ」
「ルリ、少し良いか」
「はい。どうぞ」
マリアはお茶を飲んでいた。
「これはヨハン様……」
マリアは立ち上がり、お辞儀をする。
「マリア様、お加減はいかがですか」
「はい。陛下に良くして頂き、体調も……」
確かに血色は良い。
(陛下が咲くや、無茶をされたのではないかと思ったが、杞憂だったか)
「そうですか。何かあれば、ルリに何なりとお申し付け下さい」
「ヨハン様、色々ありがとうございます。ヨハン様がいなければジーク様とこうして再びお会いすることは叶わなかったことでしょう」
と、マリアは目線をちらりとヨハンの背後に向ける。
「そちらは……」
「ああ、紹介が遅れました。彼はゲオルグ。今は私の補佐をしてもらっています」
ゲオルグは一歩前に出て、頭を下げる。
「ゲオルグ・コールと申します。以後お見知りおき下さい」
「ゲオルグ様、よろしくお願い申し上げます。ヨハン様、ゲオルグ様。お茶はいかがでございますか?」
「お気持ちはありがたく……。まだ公務の途中ですので」
「そうでございますか。お忙しい中、わざわざおいで頂きありがとうございます」
「マリア様、失礼いたします」
ヨハンはゲオルグを促しては部屋を出た。
「――どうだ、ゲオルグ。マリア様は良いお方だろう?」
「私はマリア様の人柄を批判している訳ではありません」
「ならやはり血統か。血統の良い連中が陛下の代でどれだけ惨《みじ》めな姿をさらした?」
「それは承知しております……」
「ならば下手なことは言うな。陛下の逆鱗《げきりん》に触れるぞ」
ヨハンは軽く釘を刺したが、ゲオルグはそれでも釈然としない様子だった。
※
夕飯を終えた頃には、一日が終わろうとしている。
マリアは自分が城内にあてがわれた部屋から街の灯りを見下ろしている。
もう午後十時を回っているが、街の灯は消えるどころか夕方あたりよりも一層煌々《こうこう》として輝いている。
(トルシアじゃ今はもう寝る時間なのに――なんて言うと田舎者丸出しね)
そんなことを思う。
街が違えばそこで暮らす人々の生活も変わる。
そんな様々な価値観を抱えた人々の生活をたった一人の王――ジクムントが支えようとしている。
その重みはいかばかりだろう。
マリアには想像もつかないことだった。
(ジーク様の為に……そう勢い込んでおいて、やったことはジーク様のお手を煩わせることだけ……しっかりしないと。もっとジーク様にお役に立てることを考えなければ)
このままでは贅沢をする為だけに来たようなものだ。
それでは自分を送り出してくれた母や、残してきた弟妹《ていまい》たちにも申し訳がない。
そこへ、ルリが声をかけてくる。
「マリア様」
「どうしたんですか、ルリさん」
「陛下がお呼びとの使者の方が参っております」
「ジーク様が。すぐにお伺いいたします」
遣《つか》わされた兵士に先導され、マリアはルリと共にジクムントの私室へ向かう。
王の私生活空間は王城の中の一番最深部にあり、警備は厳重である。
ジクムントはまだ正室をもらっていないから後宮は存在してない。
(ジーク様もいずれどこかの国から奥方様を娶られる、のね)
胸の奥で鈍い痛みを覚えてしまう。
マリアは思わず歩みが鈍くなる。
「マリア様、いかがなさいましたか?」
ルリが心配そうに囁く。マリアは「いえ」と言葉少なに歩みを戻した。
そうしてマリアは一人で私室に通される。
ルリも立ち入りは許されない。
「ジーク様。失礼いたします。マリアでございます」
居間にあつらえられた執務机に、ジクムントは座っていた。
人前に出る時の制服ではなく、肌にぴったりした、象牙色を基調に金糸で飾りのついた平服姿である。
元々生地が薄いせいもあるのだろうが、厚い胸板や鍛えられた腕、逞しい太腿などの男を意識させる身体の線が如実に露わになっていて、マリアはどうしても昨夜のことを思い出さざるを得なかった。
ジクムントは優しい笑顔を向けてくれる。
その顔立ちに鼓動が早まり、感極まって目を反らしてしまう。
「よく来たな」
ジクムントが近づいてくると、強く抱かれた。
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