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王の妃は(4)
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マリアたちは城下町より戻ると、庭で一息ついていた。
ジクムントは席を外していた。
久しぶりに買い物をした満足感より、自分のちょっとした気紛れのせいでたくさんの人に迷惑をかけてしまった罪悪感が強かった。
宝石店だけではない。あれからドレスも見た。お菓子の店も。どの店でも同じような待遇をされてしまった。
落ち度がないようびくびくしている店員への言葉選びも気を遣《つか》い、身も心もぐったりしてしまう。
これであれば庭でのんびりお茶を飲んで過ごした方がずっと良かった。
(これは贅沢《ぜいたく》な悩み、なのよね)
結局、マリアの方が耐えきれずに音を上げてしまい、早々に城に戻ろうと言った。
「何だ、もう、良いのか」とジクムントは言いつつ、自分がしたことを一切疑わず満足そうだった。
まさかジクムントがマリアの為だけにあんな大胆なことをするなど想いもしなかった。
「さすがは国王陛下……。マリア様の為にあれだけのことをするなんて、これぞ愛の力なんですね!」
一方、ルリはうっとりとした溜息をついて「私もあんな殿方に愛されたいです……」と夢見心地。
自分もルリのようにはしゃげれば――と思う。
しかしなかなか厳しい。
そんなことを考えていると、
「――マリア様、よろしいですか」
声をかけられた。
振り返ると、そこには見目の整った好青年が立っていた。
人懐《ひとなつ》っこい表情の青年は、ヨハンに紹介されたことがあった。
「あなたは……ゲオルグ様?」
「覚えて頂きありがたく存じます」
ゲオルグは口元に微笑をたたえる。
「ご苦労様でございます。陛下であればヨハン様と共に執務室かと存じますが」
「今日はマリア様にお願いがありまして」
「私に、ですか」
「左様でございます。実は陛下にリード王国との婚儀の話が持ち上がっているのです」
「……リード王国、との」
胸に鈍い痛みが走る。
そう遠くない時に来るだろうと覚悟していたこととはいえ余りに突然のことだった。
「しかし陛下はそれをお断りになられるお心づもりなのです」
「どうしてですか」
「陛下はあなたを正室に据えるとの思し召しでございます。それだけではありません。妻はマリア様以外娶《めと》らぬ、とも仰せなのですっ」
マリアは驚きに目を瞠る。
そして今日のことが思い出される。
ジクムントはマリアを伴う外出なのだからこれくらいは当然のことだと言った。
「ゲオルグ様、今日のことは……」
「民に対して外出禁止を出されたことは聞いております。正直、陛下がこのように私的なことに権力を使われたのは初めてでございます」
と、すぐにゲオルグは慌てて言い添える。
「もちろんマリア様に非はないのは重々承知しております」
「私も、戸惑ってしまいました」
「国王の婚姻はどうしても政が絡みます。その是非はともかく……外交術なのです。婚姻を通じて他国との友誼《ゆうぎ》が深まれば、それはハイメイン王国の安泰につながります。マリア様にはどうか、陛下に一言、言上していただけないでしょうか。
我々の言葉に耳を傾《かたむ》けずともあなたなら……」
「……分かりました」
「陛下のお出ましにございますっ」
先触れの声が聞こえると、「では」と口早に言ったゲオルグは慌てて去って行った。
(陛下に機会を見てお話ししなければ)
マリアは平静を装うと椅子に座り直した。と、足下に何かがあるのに気付く。
それは金色の懐中時計。
(これは、ゲオルグ様の?)
かなり年代物のようだ。
そして蓋の部分には前脚をかかげた勇猛な獅子が刻印されている。
その作りから、かなり腕の良い職人によるものだと分かる。
後で返さないとと拾い上げたマリアはジクムントを出迎えた。
※
すでに日は沈んで、夜の帳《とばり》が下りていた。
城内のあちこちでは篝火《かがりび》が焚《た》かれている。
「ヨハン様っ!」
「これはマリア様」
ヨハンはいつものように折り目正しく頭を下げる。
「いかがされましたか。お急ぎのご様子ですか」
「ずっとヨハン様を探しておりまして」
「私を?」
マリアは場内の衛兵に聞き回ってヨハンを探していたのだった。
「あの……今日のことをお聞き呼びでしょうか。外出禁止のことですが」
「ええ」
ヨハンは苦笑い混じりにうなずく。
「ヨハン様は反対されたなかったのですか」
「さすがに知っていたらお止めしていました。街中への外出禁止令はさすがに影響が大きいので」
マリアはほっと胸を撫で下ろした。
ヨハンはもしかしたらジクムントがそれを望むのであれば……と肯定するかも知れないと思っていたのだ。
「……もし次、同じようなことがあったらと思うと、私はどうしたら良いのでしょうか」
慌てるマリアをよそに、ヨハンは冷静に答える。
「あれは陛下にとってはマリア様に対する愛情なのです。多少過激ではありますが」
「多少……というより、かなり、ですけど」
「まあ、そうですね。一応私からも申し上げますが、おそらく意味はないでしょう。マリア様が直接仰られれば陛下もきっと分かって頂けるかと存じます。申し訳ございません。不甲斐ない家臣で」
「いえ。そんなことは……」
「では、私はこれで。マリア様も早くお部屋に戻られた方がよろしいですよ。陛下が部屋にお戻りになられてあなたがいないことを知ったら、兵士を使って城中を捜索しかねませんから」
ヨハンは冗談めかして言うが、あながちそうとも言えないのが怖い。
ヨハンもそれも承知の上で言っていそうだけれど。
ジクムントは席を外していた。
久しぶりに買い物をした満足感より、自分のちょっとした気紛れのせいでたくさんの人に迷惑をかけてしまった罪悪感が強かった。
宝石店だけではない。あれからドレスも見た。お菓子の店も。どの店でも同じような待遇をされてしまった。
落ち度がないようびくびくしている店員への言葉選びも気を遣《つか》い、身も心もぐったりしてしまう。
これであれば庭でのんびりお茶を飲んで過ごした方がずっと良かった。
(これは贅沢《ぜいたく》な悩み、なのよね)
結局、マリアの方が耐えきれずに音を上げてしまい、早々に城に戻ろうと言った。
「何だ、もう、良いのか」とジクムントは言いつつ、自分がしたことを一切疑わず満足そうだった。
まさかジクムントがマリアの為だけにあんな大胆なことをするなど想いもしなかった。
「さすがは国王陛下……。マリア様の為にあれだけのことをするなんて、これぞ愛の力なんですね!」
一方、ルリはうっとりとした溜息をついて「私もあんな殿方に愛されたいです……」と夢見心地。
自分もルリのようにはしゃげれば――と思う。
しかしなかなか厳しい。
そんなことを考えていると、
「――マリア様、よろしいですか」
声をかけられた。
振り返ると、そこには見目の整った好青年が立っていた。
人懐《ひとなつ》っこい表情の青年は、ヨハンに紹介されたことがあった。
「あなたは……ゲオルグ様?」
「覚えて頂きありがたく存じます」
ゲオルグは口元に微笑をたたえる。
「ご苦労様でございます。陛下であればヨハン様と共に執務室かと存じますが」
「今日はマリア様にお願いがありまして」
「私に、ですか」
「左様でございます。実は陛下にリード王国との婚儀の話が持ち上がっているのです」
「……リード王国、との」
胸に鈍い痛みが走る。
そう遠くない時に来るだろうと覚悟していたこととはいえ余りに突然のことだった。
「しかし陛下はそれをお断りになられるお心づもりなのです」
「どうしてですか」
「陛下はあなたを正室に据えるとの思し召しでございます。それだけではありません。妻はマリア様以外娶《めと》らぬ、とも仰せなのですっ」
マリアは驚きに目を瞠る。
そして今日のことが思い出される。
ジクムントはマリアを伴う外出なのだからこれくらいは当然のことだと言った。
「ゲオルグ様、今日のことは……」
「民に対して外出禁止を出されたことは聞いております。正直、陛下がこのように私的なことに権力を使われたのは初めてでございます」
と、すぐにゲオルグは慌てて言い添える。
「もちろんマリア様に非はないのは重々承知しております」
「私も、戸惑ってしまいました」
「国王の婚姻はどうしても政が絡みます。その是非はともかく……外交術なのです。婚姻を通じて他国との友誼《ゆうぎ》が深まれば、それはハイメイン王国の安泰につながります。マリア様にはどうか、陛下に一言、言上していただけないでしょうか。
我々の言葉に耳を傾《かたむ》けずともあなたなら……」
「……分かりました」
「陛下のお出ましにございますっ」
先触れの声が聞こえると、「では」と口早に言ったゲオルグは慌てて去って行った。
(陛下に機会を見てお話ししなければ)
マリアは平静を装うと椅子に座り直した。と、足下に何かがあるのに気付く。
それは金色の懐中時計。
(これは、ゲオルグ様の?)
かなり年代物のようだ。
そして蓋の部分には前脚をかかげた勇猛な獅子が刻印されている。
その作りから、かなり腕の良い職人によるものだと分かる。
後で返さないとと拾い上げたマリアはジクムントを出迎えた。
※
すでに日は沈んで、夜の帳《とばり》が下りていた。
城内のあちこちでは篝火《かがりび》が焚《た》かれている。
「ヨハン様っ!」
「これはマリア様」
ヨハンはいつものように折り目正しく頭を下げる。
「いかがされましたか。お急ぎのご様子ですか」
「ずっとヨハン様を探しておりまして」
「私を?」
マリアは場内の衛兵に聞き回ってヨハンを探していたのだった。
「あの……今日のことをお聞き呼びでしょうか。外出禁止のことですが」
「ええ」
ヨハンは苦笑い混じりにうなずく。
「ヨハン様は反対されたなかったのですか」
「さすがに知っていたらお止めしていました。街中への外出禁止令はさすがに影響が大きいので」
マリアはほっと胸を撫で下ろした。
ヨハンはもしかしたらジクムントがそれを望むのであれば……と肯定するかも知れないと思っていたのだ。
「……もし次、同じようなことがあったらと思うと、私はどうしたら良いのでしょうか」
慌てるマリアをよそに、ヨハンは冷静に答える。
「あれは陛下にとってはマリア様に対する愛情なのです。多少過激ではありますが」
「多少……というより、かなり、ですけど」
「まあ、そうですね。一応私からも申し上げますが、おそらく意味はないでしょう。マリア様が直接仰られれば陛下もきっと分かって頂けるかと存じます。申し訳ございません。不甲斐ない家臣で」
「いえ。そんなことは……」
「では、私はこれで。マリア様も早くお部屋に戻られた方がよろしいですよ。陛下が部屋にお戻りになられてあなたがいないことを知ったら、兵士を使って城中を捜索しかねませんから」
ヨハンは冗談めかして言うが、あながちそうとも言えないのが怖い。
ヨハンもそれも承知の上で言っていそうだけれど。
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