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王の妃は(5)
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ジクムントの私室へ急いで戻ったは良いが、しばらくして使者が「急ぎの決済が入りまして、少し遅くなられます」と告げてきた。
そろそろ日付も変わりそうな頃だった。
「あぁ、さすがは陛下ともなればお忙しいのですね」
ルリが呟く。
「そうね……」
マリアは思いながら、ジクムントの本棚を見やる。
歴史から財務まで種類は様々だ。改革に着手するには知識はもちろんだが、王が率先しなければまず基礎知識はどれだけあっても邪魔ということにはならないという考えで、日々勉学に励んでいるという。
マリアは本を何冊か手にとってパラパラとめくってみるが、高度すぎてよく分からなかった。
唯一分かるのは歴史の本くらいだ。
ハイメイン王国の創建の物語。
これは演劇や絵本の題材になっていることもあり、ハイメインの住民であれば誰しも一番最初に知ることになると言っても過言ではない。
王国の創健者、ハイメインは元々、異民族の奴隷だった。
ある時、主人である王が当時、敵対していた国との戦に負けた。
この国も風前の灯火だと思われた時、王は国中の民に対して敵軍を追い払った人間の望みを何でも叶えるという触《ふ》れを出したが、誰も集まらなかった。
この国を見限った人々が次々と脱出していたからだった。
絶望し、悲嘆に暮れた王にハイメインが名乗り出て、もし敵国を打ち破ったその時には自分たちの国が欲しいと求めた。
王は了承し、その約束を神前《しんぜん》で誓った。
ハイメインは知略を尽くして敵軍を敗北させたばかりか、敵国の王をも生け捕りにした。
救国の英雄となったハイメインと仲間たちは奴隷身分から解放されたばかりか王は余命幾ばくもなく、後継者もいなかったことからハイメインに絶世の美女と大陸に名高かった娘を嫁《とつ》がせ、国を継がせた。
それがハイメイン王国の始まりの物語。
陛下はこのお話がとても好きだったわね)
暇さえあればその本を読み返していたはずだ。
身分など関係ない。
最後にものを言うのはその人間の能力なのだと。
そんなことを考えていたせいで手元が狂い、何冊かの本を棚から落としてしまう。
「マリア様、大丈夫ですか」
「ごめんなさい、ルリさん。ぼーっとしてしまってて」
「分かります、陛下をお待ちしているんですものね。そうなっても当然です」
手伝ってもらってどうにかこうにか集めた本を棚に戻そうとしたその時。
(あら?)
棚の奥に何かがあるのを見つけた。
(陛下はこのお話がとても好きだったわね)
暇さえあればその本を読み返していたはずだ。
身分など関係ない。最後にものを言うのはその人間の能力なのだと。
と、そんなことを考えていたせいで手元が狂い、何冊かの本を棚から落としてしまう。
「マリア様、大丈夫ですか」
「ごめんなさい、ルリさん。ぼーっとしてしまってて」
「分かります、陛下をお待ちしているんですものね。そうなっても当然です」
手伝ってもらってどうにかこうにか集めた本を棚に戻そうとしたその時。
(あら?)
棚の奥に何かがあるのを見つけた。
それは冊子だった。それが縦向きではなく、横向きで収まっていた。
だからそこに収められた本だけがほんの少しだが、棚から出っ張る形になっていたのかもしれない。
マリアはその冊子を手に取ると、何かが滑りおちた。それは幾つもの書状だった。
「ああもう……嫌だ」
拾い上げようとした、その書状に記された文字が目に入る。
“マリア・デ・エリントロスに関する報告”
そうあった。
(え、私?)
マリアは書状を開き、目を瞠ってしまう。
そこにはトルシア州にいた頃の自分の様子や行動が細かく綴られていた。
それもその手紙の書きようからジクムントに提出された文章であることは明らかだった。
(どうして……こんなものが?)
「――マリア、戻った。すまないな、急な仕事が。全く……」
ジクムントのぼやく声がした。
マリアは出迎えに出る。
ルリは先に休むよう下がらせてある。
「ジーク、お帰りなさいませ」
「うん」
「お茶を淹れました。どうぞ」
「ああ、すまない……。マリア。お前に飲み物を淹れてもらえたというだけでほっとする」
「光栄でございます」
ジクムントは少しむっとする。
「マリア。その口調は良い加減、直せ。俺には家族に接するように話せ。もっとくだけた感じで構わないんだ」
「家族……ですか」
「そうだ」
「――家族同士は人のことを監視したりはしないと思いますが」
ジクムントは怪訝《けげん》な顔をした。
「何?」
マリアは書状を突きつける。
「これを」
ジクムントは目を瞠《みは》る。
「それをどこで……」
「冊子の間に挟んであったのを見つけました。ジークはずっと私を監視していたのね」
空気を読んだルリは足早に部屋を出て行く。
「マリア、聞いてくれ。俺は」
「分かってる。……ずっと、私たち、家族のことを心配してくれていたんでしょ」
ジクムントは気まずそうな顔をしたが、うなずく。
「そうだ。直接、俺がお前たちを守ってやることは出来なかったからな」
「その気持ちはとても嬉しいわ」
それはジクムントが片時も自分ちのことを忘れなかった証拠だから。
「今も調べてるの?」
「いや。お前はここにいる」
「じゃあ城の中での行動は? あなたの目はいつも届く訳じゃないでしょ」
「そんなことはさすがにしない。信じてくれ」
確かに見つけ出した書状はどれも、マリアがトルシアにいた頃のものだったし、内容もマリアのことに限られていた。
ジクムントのことは本当だろう。
「もう。こんな回りくどいことをするくらいだったら、手紙の一つでもくれれば……」
「駄目だ。お前に……未練があるということを知られる訳にはいかない」
「そんなに危ない状況だったの」
「……それだけじゃない」
「他にあるの?」
ジクムントはマリアをうかがうような顔をすると、ぽつりと言う。
「お前の直筆の手紙など受け取ってみろ。お前と離れなければならないという気持ちが揺らぐ。すぐにお前の元へ向かい、お前をこの手にしたくなる気持ちを抑えられないと思った――実際、それは正しかった。今やこうしてお前を手元に置き、もうどこにもやりたくはないと思っているんだ。まだ俺に反対する勢力は駆逐されていないし、完全に危機は去っていないのにもかかわらず、だ。敵にもお前が俺にとっての弱みだと知られるのは分かっているのに……」
「ジーク……きゃっ!?」
手首を掴まれ抱き寄せられた。
厚い胸板ごしに高鳴った鼓動をはっきり感じた。
「こうしていつまでも抱いていたい。もちろんお前は人形じゃない。自分の意思も気持ちもある。こうして俺の身勝手でここにいることを強いてしまって、本当にすまないと思っている。もしお前がここにいるのが嫌ならば……」
「そんなことないわ。私だってあなたと一緒にいられることはとても嬉しいもの」
「本当か」
「ええ」
ジクムントは嬉しそうに目を細める。
「そうか。ならば少しでも気分転換が出来るよう俺の方でも何かしら考えよう。ここに来たことを後悔させないよう……」
マリアは上目づかいでジクムントを見る。
「……ジーク。今日はありがとう」
ジクムントの気持ちは嬉しいが、その配慮が極端な形で表面に出てしまっていることも確かなことだ。
「あれくらいのこと何でもない」
「お願いが、あるの」
「何だ。今日のでは足りなかったか? なら、他の街の商人でも連れてくるよう命じる」
「違うの。品物は十分よ……。でも国民に対して外出禁止というのはさすがにやり過ぎだと思うわ。いきなりのことでたくさんの人に迷惑がかかってしまうし。それはジークだって本意ではないでしょう。私だって今度のことでジークが国民から悪く言われるのは望まない、だから……っ」
ジクムントの指先が優しく髪を梳《す》いた。
くすぐったさにマリアは頬を緩めてしまう。
「俺は何と言われおうが構わない。だが、お前が望まないのならば……善処しよう。しかし今日のように自由には出来なくなってしまうぞ」
「それを不自由と思うほど恵まれた生活は送っていないわ。だって私、毎朝領内を馬に乗って見回ったりしていたのよ。買い物より、遠乗りのほうが好きだもの。知っているでしょ?」
ジクムントはうなずく。
「ジーク。それからもう一つ……これは聞きたいことなんだけど」
「何でも言え」
お互いの呼気があたるほどに顔が近い。
そうかと言ってジクムントに抱かれている為に身を引くことも出来ない。
「今日、ジークが私を妃《きさき》にする……っていう話を耳にしたの。これはただの噂、よね?」
「誰から聞いた? ヨハンか?」
「ジーク。こんな重大な話は勝手に耳に入ってくるわ」
ジクムントは表情を変えることなく平然と言う。
「確かにな。ここには口さがない噂好きがごまんといる。だが、それは噂じゃない。真実だ」
「私以外の女性を娶《めと》らない、というのも?」
「ああ」
「どうして?」
「どうして? 嫌なのか」
ジクムントの目には傷ついた色が走る。
マリアは慌てて首を振った。
「違う。そうじゃないわ。でも、あなたはハイメイン王国の王よ。私一人しか妻に娶らな
い何て……」
「母親が増えれば、子どもが不幸になる。もう、あんなくだらない争いはたくさんなんだ」
それはジクムントにとって心の傷だ。
否応なく巻き込まれた次代の王を巡る争い――その果てに、ジクムントは異母兄たちの骸《むくろ》の上に君臨している。
自分が余りにも不用意に彼の心に踏み込んでしまったことに気付く。
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃない。むしろまずお前に言うべきだった。こんな形でお前に報《しら》せてしまったことは俺の不覚だ」
「……けど、私はあなたとは釣り合わない」
「何故だ。俺が王でお前が伯爵家の娘だからか。それなら公爵でも何でも好きな爵位をやる。領地だって」
「私だって政治のことに無知ではないわ。王の妃には他国から迎えたほうが国の為に――」
「国の為にならもう散々従ってきた。本音を言えば、こんな国、消えてくれても構わなかった」
ジクムントは吐き捨てるように言う。
そのジクムントの赤い瞳の中には自分を縛るあらゆるものに対する強い怒りが見えた。
「王座など無視してどこぞに消えても良かった。そうしなかったのは、お前がこの国にいると思えば、だ……。俺の為に命を賭してくれたメンデスがいたからだ。俺がこうして国王になれたのはお前達がいてくれたからなんだ。他国との繋がりなんて不要だ。それ無くして国が滅ぶというのならば、そんなもの滅んでしまえば良い」
身体から力が抜けてしまう。
これ以上何を言えば良いのか、分からなかった。
うつむくと顎《あご》をそっと持ち上げられ、唇を吸われた。
「分かってくれたか」
「ええ……」
「受けてくれるんだな」
「はい。ジーク」
「ありがとう、マリア」
深くまで唇を奪われた。
マリアもまた促されるようにおずおずとながら舌を動かす。
頭の芯がひりつき、甘く疼いてしまう。
口づけは貪るようなものに変わり、鈍い痛みがはしった。
しかし、それを身体は悦びとして受け取り、上半身を反らせてしまう。
口の端からだらしなく唾液がとろりとこぼれた。
しかしそんなことが気にならなくなるほど、気付けばマリアは激しく口づけに熱中していた。
抱き上げられ、寝室へ運ばれる。
そろそろ日付も変わりそうな頃だった。
「あぁ、さすがは陛下ともなればお忙しいのですね」
ルリが呟く。
「そうね……」
マリアは思いながら、ジクムントの本棚を見やる。
歴史から財務まで種類は様々だ。改革に着手するには知識はもちろんだが、王が率先しなければまず基礎知識はどれだけあっても邪魔ということにはならないという考えで、日々勉学に励んでいるという。
マリアは本を何冊か手にとってパラパラとめくってみるが、高度すぎてよく分からなかった。
唯一分かるのは歴史の本くらいだ。
ハイメイン王国の創建の物語。
これは演劇や絵本の題材になっていることもあり、ハイメインの住民であれば誰しも一番最初に知ることになると言っても過言ではない。
王国の創健者、ハイメインは元々、異民族の奴隷だった。
ある時、主人である王が当時、敵対していた国との戦に負けた。
この国も風前の灯火だと思われた時、王は国中の民に対して敵軍を追い払った人間の望みを何でも叶えるという触《ふ》れを出したが、誰も集まらなかった。
この国を見限った人々が次々と脱出していたからだった。
絶望し、悲嘆に暮れた王にハイメインが名乗り出て、もし敵国を打ち破ったその時には自分たちの国が欲しいと求めた。
王は了承し、その約束を神前《しんぜん》で誓った。
ハイメインは知略を尽くして敵軍を敗北させたばかりか、敵国の王をも生け捕りにした。
救国の英雄となったハイメインと仲間たちは奴隷身分から解放されたばかりか王は余命幾ばくもなく、後継者もいなかったことからハイメインに絶世の美女と大陸に名高かった娘を嫁《とつ》がせ、国を継がせた。
それがハイメイン王国の始まりの物語。
陛下はこのお話がとても好きだったわね)
暇さえあればその本を読み返していたはずだ。
身分など関係ない。
最後にものを言うのはその人間の能力なのだと。
そんなことを考えていたせいで手元が狂い、何冊かの本を棚から落としてしまう。
「マリア様、大丈夫ですか」
「ごめんなさい、ルリさん。ぼーっとしてしまってて」
「分かります、陛下をお待ちしているんですものね。そうなっても当然です」
手伝ってもらってどうにかこうにか集めた本を棚に戻そうとしたその時。
(あら?)
棚の奥に何かがあるのを見つけた。
(陛下はこのお話がとても好きだったわね)
暇さえあればその本を読み返していたはずだ。
身分など関係ない。最後にものを言うのはその人間の能力なのだと。
と、そんなことを考えていたせいで手元が狂い、何冊かの本を棚から落としてしまう。
「マリア様、大丈夫ですか」
「ごめんなさい、ルリさん。ぼーっとしてしまってて」
「分かります、陛下をお待ちしているんですものね。そうなっても当然です」
手伝ってもらってどうにかこうにか集めた本を棚に戻そうとしたその時。
(あら?)
棚の奥に何かがあるのを見つけた。
それは冊子だった。それが縦向きではなく、横向きで収まっていた。
だからそこに収められた本だけがほんの少しだが、棚から出っ張る形になっていたのかもしれない。
マリアはその冊子を手に取ると、何かが滑りおちた。それは幾つもの書状だった。
「ああもう……嫌だ」
拾い上げようとした、その書状に記された文字が目に入る。
“マリア・デ・エリントロスに関する報告”
そうあった。
(え、私?)
マリアは書状を開き、目を瞠ってしまう。
そこにはトルシア州にいた頃の自分の様子や行動が細かく綴られていた。
それもその手紙の書きようからジクムントに提出された文章であることは明らかだった。
(どうして……こんなものが?)
「――マリア、戻った。すまないな、急な仕事が。全く……」
ジクムントのぼやく声がした。
マリアは出迎えに出る。
ルリは先に休むよう下がらせてある。
「ジーク、お帰りなさいませ」
「うん」
「お茶を淹れました。どうぞ」
「ああ、すまない……。マリア。お前に飲み物を淹れてもらえたというだけでほっとする」
「光栄でございます」
ジクムントは少しむっとする。
「マリア。その口調は良い加減、直せ。俺には家族に接するように話せ。もっとくだけた感じで構わないんだ」
「家族……ですか」
「そうだ」
「――家族同士は人のことを監視したりはしないと思いますが」
ジクムントは怪訝《けげん》な顔をした。
「何?」
マリアは書状を突きつける。
「これを」
ジクムントは目を瞠《みは》る。
「それをどこで……」
「冊子の間に挟んであったのを見つけました。ジークはずっと私を監視していたのね」
空気を読んだルリは足早に部屋を出て行く。
「マリア、聞いてくれ。俺は」
「分かってる。……ずっと、私たち、家族のことを心配してくれていたんでしょ」
ジクムントは気まずそうな顔をしたが、うなずく。
「そうだ。直接、俺がお前たちを守ってやることは出来なかったからな」
「その気持ちはとても嬉しいわ」
それはジクムントが片時も自分ちのことを忘れなかった証拠だから。
「今も調べてるの?」
「いや。お前はここにいる」
「じゃあ城の中での行動は? あなたの目はいつも届く訳じゃないでしょ」
「そんなことはさすがにしない。信じてくれ」
確かに見つけ出した書状はどれも、マリアがトルシアにいた頃のものだったし、内容もマリアのことに限られていた。
ジクムントのことは本当だろう。
「もう。こんな回りくどいことをするくらいだったら、手紙の一つでもくれれば……」
「駄目だ。お前に……未練があるということを知られる訳にはいかない」
「そんなに危ない状況だったの」
「……それだけじゃない」
「他にあるの?」
ジクムントはマリアをうかがうような顔をすると、ぽつりと言う。
「お前の直筆の手紙など受け取ってみろ。お前と離れなければならないという気持ちが揺らぐ。すぐにお前の元へ向かい、お前をこの手にしたくなる気持ちを抑えられないと思った――実際、それは正しかった。今やこうしてお前を手元に置き、もうどこにもやりたくはないと思っているんだ。まだ俺に反対する勢力は駆逐されていないし、完全に危機は去っていないのにもかかわらず、だ。敵にもお前が俺にとっての弱みだと知られるのは分かっているのに……」
「ジーク……きゃっ!?」
手首を掴まれ抱き寄せられた。
厚い胸板ごしに高鳴った鼓動をはっきり感じた。
「こうしていつまでも抱いていたい。もちろんお前は人形じゃない。自分の意思も気持ちもある。こうして俺の身勝手でここにいることを強いてしまって、本当にすまないと思っている。もしお前がここにいるのが嫌ならば……」
「そんなことないわ。私だってあなたと一緒にいられることはとても嬉しいもの」
「本当か」
「ええ」
ジクムントは嬉しそうに目を細める。
「そうか。ならば少しでも気分転換が出来るよう俺の方でも何かしら考えよう。ここに来たことを後悔させないよう……」
マリアは上目づかいでジクムントを見る。
「……ジーク。今日はありがとう」
ジクムントの気持ちは嬉しいが、その配慮が極端な形で表面に出てしまっていることも確かなことだ。
「あれくらいのこと何でもない」
「お願いが、あるの」
「何だ。今日のでは足りなかったか? なら、他の街の商人でも連れてくるよう命じる」
「違うの。品物は十分よ……。でも国民に対して外出禁止というのはさすがにやり過ぎだと思うわ。いきなりのことでたくさんの人に迷惑がかかってしまうし。それはジークだって本意ではないでしょう。私だって今度のことでジークが国民から悪く言われるのは望まない、だから……っ」
ジクムントの指先が優しく髪を梳《す》いた。
くすぐったさにマリアは頬を緩めてしまう。
「俺は何と言われおうが構わない。だが、お前が望まないのならば……善処しよう。しかし今日のように自由には出来なくなってしまうぞ」
「それを不自由と思うほど恵まれた生活は送っていないわ。だって私、毎朝領内を馬に乗って見回ったりしていたのよ。買い物より、遠乗りのほうが好きだもの。知っているでしょ?」
ジクムントはうなずく。
「ジーク。それからもう一つ……これは聞きたいことなんだけど」
「何でも言え」
お互いの呼気があたるほどに顔が近い。
そうかと言ってジクムントに抱かれている為に身を引くことも出来ない。
「今日、ジークが私を妃《きさき》にする……っていう話を耳にしたの。これはただの噂、よね?」
「誰から聞いた? ヨハンか?」
「ジーク。こんな重大な話は勝手に耳に入ってくるわ」
ジクムントは表情を変えることなく平然と言う。
「確かにな。ここには口さがない噂好きがごまんといる。だが、それは噂じゃない。真実だ」
「私以外の女性を娶《めと》らない、というのも?」
「ああ」
「どうして?」
「どうして? 嫌なのか」
ジクムントの目には傷ついた色が走る。
マリアは慌てて首を振った。
「違う。そうじゃないわ。でも、あなたはハイメイン王国の王よ。私一人しか妻に娶らな
い何て……」
「母親が増えれば、子どもが不幸になる。もう、あんなくだらない争いはたくさんなんだ」
それはジクムントにとって心の傷だ。
否応なく巻き込まれた次代の王を巡る争い――その果てに、ジクムントは異母兄たちの骸《むくろ》の上に君臨している。
自分が余りにも不用意に彼の心に踏み込んでしまったことに気付く。
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃない。むしろまずお前に言うべきだった。こんな形でお前に報《しら》せてしまったことは俺の不覚だ」
「……けど、私はあなたとは釣り合わない」
「何故だ。俺が王でお前が伯爵家の娘だからか。それなら公爵でも何でも好きな爵位をやる。領地だって」
「私だって政治のことに無知ではないわ。王の妃には他国から迎えたほうが国の為に――」
「国の為にならもう散々従ってきた。本音を言えば、こんな国、消えてくれても構わなかった」
ジクムントは吐き捨てるように言う。
そのジクムントの赤い瞳の中には自分を縛るあらゆるものに対する強い怒りが見えた。
「王座など無視してどこぞに消えても良かった。そうしなかったのは、お前がこの国にいると思えば、だ……。俺の為に命を賭してくれたメンデスがいたからだ。俺がこうして国王になれたのはお前達がいてくれたからなんだ。他国との繋がりなんて不要だ。それ無くして国が滅ぶというのならば、そんなもの滅んでしまえば良い」
身体から力が抜けてしまう。
これ以上何を言えば良いのか、分からなかった。
うつむくと顎《あご》をそっと持ち上げられ、唇を吸われた。
「分かってくれたか」
「ええ……」
「受けてくれるんだな」
「はい。ジーク」
「ありがとう、マリア」
深くまで唇を奪われた。
マリアもまた促されるようにおずおずとながら舌を動かす。
頭の芯がひりつき、甘く疼いてしまう。
口づけは貪るようなものに変わり、鈍い痛みがはしった。
しかし、それを身体は悦びとして受け取り、上半身を反らせてしまう。
口の端からだらしなく唾液がとろりとこぼれた。
しかしそんなことが気にならなくなるほど、気付けばマリアは激しく口づけに熱中していた。
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