27 / 37
二度目のデート(2)
しおりを挟む
馬車で街中に出る。
王族専用な豪奢なものではなく、二頭立てのつつましやかな馬車である。
ルリは留守番で馬車の中では二人きりだった。
「護衛の人たちは大丈夫なの?」
「連中は気を利かせるものだ。それとなく街中に潜んで守っている。そんなことまでお前が心配するな」
「ええ……そうね」
「それで、どこへ行く? 街をぶらつくと言っても街は広いぞ」
「まずはエルン・コルネット橋に行きましょう」
ジクムントの顔が曇る。
「そんな橋あったか?」
「行けば分かるわ」
マリアたちが向かったのは古い石造りの橋だ。
それは平民街と貴族街とを分ける境界線の橋だ。
橋の袂《たもと》に辿《たど》り着くと、ジクムントは馬車を降りた。
今日はお忍びということでジクムントは平服姿だ。
「この橋か? この橋の名前は百神獣橋《ひゃくしんじゅうきょう》だが……」
昔はこの橋には衛兵がついて平民たちは近づくことすらままならなかったが、ジクムントが即位後、貴族達の権限が制限されることに伴い、そのような取り決めは無くなったのである。
特別豪奢《ごうしゃ》な飾りはないが、欄干《らんかん》には様々な動物や神々を象《かたど》った飾りがついている。噂によると百以上の動植物や神々がおり、全てを見つけると幸せになれると言われていた。
ただ橋にたくさんの人々がいるのはそれだけのせいではない。
何よりここが人気を博しているのは人々を魅了する、とある逸話があるからだ。
エルン・コルネットという橋の別名に関わる逸話が。
それは数百年前の話。
エルンというとある貴族が、コルネットという平民の花売りの少女に恋をした。
しかしエルンは貴族の長男であり、平民との婚姻が許されるはずがない。苦しみ悩んだ挙げ句、エルンは自分の全てをなげうってコルネットと駆け落ちをする。
その際、この橋を待ち合わせ場所に選んだのである。
だから人々はこれをエルン・コルネット橋と呼んでいる。
「――っていうこと」
マリアはうっとりしながら語ったが、これは実はルリからの受け売りであった。
「馬鹿だな」
いくら何でもぞんざいな物言いに、マリアはむっとしてしまう。
「な、何でよ」
「浅はか過ぎる」
「浅はかって、素敵な話じゃない」
「どこがだ。全てを投げ出すなんて愚か者のすることだろう。なら、エルンという奴は身
一つとなって愛する女、コルネットをどうやって守っていくつもりなんだ」
「それは……まあ、言われてみれば……そうかもしれないけど」
「俺なら貴族の当主になってうるさい親戚どもを全員黙らせて、その女を迎え入れる。そっちのほうがずっとその女を幸せにしてやれだろうが。愛を蔑ろにするつもりは毛頭ないが、愛だけではどうにもならないことも世の中にはある」
ジクムントは熱っぽい眼差しをマリアへ注いできた。マリアは恥ずかしくなって思わず俯いてしまう。
「――で、連中は何をやってる?」
橋の上にいる人々は川の一方向に集まって、川へ何かを投げ入れている。
「この橋で待ち合わせた二人はね、貴族のエルンは自分を縛るもの全てをこの川へ投げ捨てて、平民の姿に身をやつし、コルネットと一緒に逃げたの。それにあやかって、ああしてお金を投げ捨ててお願いをすると、その恋が叶うんですって。まあもちろん、おまじない程度だけどね」
また馬鹿にされては興ざめなので一応付け加えておく。
「そうか。ならお前にも俺にも必要ないな」
「そう?」
「違うのか」
ジクムントが怖い顔をすると、マリアは肩をすくめる。
「……そうね。でもこうして楽しんでいる人たちの中に混じるのも楽しくならない? 私はワクワクするわ」
「ならない」
ジクムントは断定した。
「それどころか、どこからか刺客が襲ってくるかを考えるな。どうしたら一番効率よく逃げられるか」
「じゃあどうやって身を守るの?」
「場所が制限される橋にはまずのらないな。前後を挟まれれば川に飛び込むしかなくなるし、川に飛び込めば思うつぼ。あっという間に殺される」
「…………そう」
情緒も何もあったものではないが、それくらいでなければ王はつとまらないことも承知している。しかし何だかつまらない。
「まあだが、今日はお前の望みを叶える方が優先だ。渡ろう」
「うん、ありがとう」
「橋を渡る程度で感謝されるのか。お前は欲がないな」
「……そう?」
この国の頂きに立ち、全ての国民を導くべき王を独占できるのだ。
これほどの贅沢《ぜいたく》はないとマリアは思っていたのだけれど。
人の間を縫《ぬ》うように歩いていると、ジクムントが独りごちる。
「気分が良い……」
マリアはうなずく。
「そうね、とても気持ち良いわね。こんなに晴れてて……」
それに、川を渡る風も涼しげだ。
するとジクムントはおかしそうにする。
「あ、私、変な事言った?」
「そうじゃない。確かに天気もそうだが、俺が言ったのは、お前と擦れ違う男どもが必ずお前を見るものだから、気分が良いと言ったんだ」
「どこか変かな」
マリアは自分の服装を見る。
マリアも普段のドレスではなく、平民仕様である。
決して粗末な訳ではないが、目立たないように地味な色合いの服装で、装飾品もつけていない。
正直、マリアは以前、夜会の時に来たドレスよりもこっちの格好の方が断然、しっくりきた。
「お前は冗談で言っているのか本気で言っているのか、分からないな。どこも変な訳がない。逆だ。お前があまりに美しすぎるから男共は目を奪われる――そういうことだ」
マリアはなんと言えばいいのか分からず、ただ頬を染めると、ジクムントの腕にしがみつくように身を任せる。
ジクムントがしっかりと支えてくれる。
「おい……大胆だな」
「私はあなたのものだって、ちゃんと周りには示しておかなきゃね」
マリアは恥ずかしさで一杯だったが、それをごまかすように冗談めかして言うと、ジクムントは「それは大切だな」と満足そうに目尻を緩めた。
次に向かったのは蚤《のみ》の市である。
この間言ったような高級品はもちろんないが、マリアからすればどんな高級店よりも身近なものだ。
「うちの領内でも毎月一度、色々な村から農家の人や商人が集まって、市を開くの。もちろん王都にあるような高級なものはないけれど、取れたての野菜や家畜、自分の家ではもう使わなくなった服や家財道具なんかを売るっていうことをするんだけどね。お祭りみたいですっごく楽しいのよ――って、ジークは知ってるか。何せ、私のことをずーっと監視して下さっていたんですからねえ」
ジクムントは少し気まずそうな顔をするが、それは一瞬。
すぐに表情を消し、「そうだ。全て知ってる」と胸を反らして開き直った。
「だが、それは報告として知っているだけの話だ。お前が嬉しそうに話してくれることには叶わない」
「……そうなんだ」
「当たり前だろ。だから折に触れて、村で何かあったか話してくれ。お前が嬉しそうに話している姿はいつだって魅力的だからな。俺はそれだけで嬉しい」
ジクムントは臆面もなくそう言って、マリアを戸惑わせ、言葉少なにした。
嬉しすぎて言葉が出ない、と言った方が正しいだろうか。
(もう、なんだか今日は翻弄されてばっかり)
きっとジクムントは王でなかったら、ジゴロになっていたかもしれない。
「それにしても本当に様々なものを売っているな」
食べ物はもちろん、手作りの洋服や装飾品はもちろん、人形などもある。
市には値段交渉も醍醐味《だいごみ》の一つであり、店主と客の丁々発止《ちょうちょうはっし》のやりとりも見所だ。
「城下のこんな細かいところまではヨハン様だって報告はしないでしょう」
「そうだな。確かに……見るもの全てが新鮮だ」
生まれた時から城の中が世界のほとんどなのだから仕方がないことだ。
やるべきことが多過ぎて城下ののどかさを感じるゆとりもなかっただろう。
それならば自分が少しでも、城下で生きる人々のことを伝えられればともマリアは思った。
マリアもまた城を下がり、トルシア州で生きる農家の人々とふれあうことで、メンデス家が守らなければいけないものは何なのかを自覚したのだ。
「あ、可愛い」
小物を売っている店先を眺める。
小さな首飾りや、指輪など手作り感のある装飾品が並べられていた。
「おい、それは宝石じゃないぞ」
「でも可愛いでしょ?」
「ものに可愛いも何もないだろう。お前は昔から可愛い可愛いと何を見ても言っていた
な。茶器にまで可愛いという始末で、俺はさすがに呆れていたぞ」
「気づいてたわよ」
「……お前はすぐに俺の表情を見抜くから困る」
ジクムントは言葉とは裏腹に嬉しそうに言った。
「でもあれは形が丸っこくて可愛かったわ。蓋のところには犬を象ったものがついてたし」
「俺は言われて初めて気付いた」
「まあ、男の人はそうかもね。お父様もよく何も考えず、お母様が大切にしていた茶器が壊れた時に、茶器なんてどれも同じだろって言って、余計怒らせてたもの」
「メンデスは優秀な奴だ。俺はあんなに目端《めはし》の良く利《き》く人間に初めて会ったぞ」
「別に駄目だって言ってる訳じゃないわ。でも官僚として優秀であることと、夫としてどうかとはまた別の話ってこと。でも、お父様はその後、猟《りょう》に行ってくるって言って出て行ってしまわれたの。で、日暮れくらいに帰って来られたと思ったらお母様に代わりの茶器を買ってきて、昼間はすまなかったって謝るの。そんな光景はもう何度見たか分からないわ」
「そうか」
「でもお父様は動物なら何でも良いと思って、カエルをかたどった茶器を買ってきて、これは可愛くないわ、って言われて結局、困ってたけど」
「今後の参考にしよう」
ジクムントは真剣な顔で呟くや、マリアが触れていた宝飾品を摘《つま》み上げ、日射しにかざす。
宝石ではないが、川にある石は流れで磨かれて、まるで宝石のように輝く石が時々見つかる。
それをつなぎ合わせたものだった。
「おい、これをもらうぞ」
ジクムントは首飾りを買うとマリアに渡す。
「あ、ありがとう。でも今の話をした後だと何かやましいことがあるみたいに思えちゃうけど?」
「やましいとは?」
「……う、浮気、とか」
自分でもあり得ないと思いつつ、言ってみる。
すると一笑に付されてしまった。
「お前以上の女がいる訳ないだろ。やましいことなんてあるわけない。これは今日の記念
だ」
そう平然と言い切られてしまうと、マリアの方がどう反応して良いか分からず、「ありがとう……」と言うだけで精一杯だった。
マリアがぼうっとその装飾品を見つめていると、
「どうした。行くぞ」
「あ、うんっ」
ジクムントに手を取られ、人混みをかき分けて進んだ。
平民の姿をしているとはいえ、その貴族的な端正《たんせい》さと精悍《せいかん》さ、気高さを備えた顔立ちは多くの人々の中にあっても決して埋もれることはなく、それどころか尚更、際立《きわだ》っていた。
事実、擦《す》れ違う女性がちらちらと見て、同行者に指を指して黄色い声を上げたりもしていた。
(さっきジークが言っていたことってこのことなのかな)
この人と一緒にいられると思うと、誇らしい気持ちになる。
その広く逞《たくま》しい背に抱きついてしまいたくなる。
と、ジクムントはぽつりと呟く。
「……こうして大勢の人間がいるという空間も悪くないな」
「でしょう? 街はたくさんの人が集まって初めて街なのよ。外出禁止なんてしたら活気がなくなってしまうわ。街の魅力もそれだけ下がると思うの」
「街のことは良いが、お前がそちらの方が良いというのなら、またこうして折を見て出かけよう」
ジクムントはうなずいた。
王族専用な豪奢なものではなく、二頭立てのつつましやかな馬車である。
ルリは留守番で馬車の中では二人きりだった。
「護衛の人たちは大丈夫なの?」
「連中は気を利かせるものだ。それとなく街中に潜んで守っている。そんなことまでお前が心配するな」
「ええ……そうね」
「それで、どこへ行く? 街をぶらつくと言っても街は広いぞ」
「まずはエルン・コルネット橋に行きましょう」
ジクムントの顔が曇る。
「そんな橋あったか?」
「行けば分かるわ」
マリアたちが向かったのは古い石造りの橋だ。
それは平民街と貴族街とを分ける境界線の橋だ。
橋の袂《たもと》に辿《たど》り着くと、ジクムントは馬車を降りた。
今日はお忍びということでジクムントは平服姿だ。
「この橋か? この橋の名前は百神獣橋《ひゃくしんじゅうきょう》だが……」
昔はこの橋には衛兵がついて平民たちは近づくことすらままならなかったが、ジクムントが即位後、貴族達の権限が制限されることに伴い、そのような取り決めは無くなったのである。
特別豪奢《ごうしゃ》な飾りはないが、欄干《らんかん》には様々な動物や神々を象《かたど》った飾りがついている。噂によると百以上の動植物や神々がおり、全てを見つけると幸せになれると言われていた。
ただ橋にたくさんの人々がいるのはそれだけのせいではない。
何よりここが人気を博しているのは人々を魅了する、とある逸話があるからだ。
エルン・コルネットという橋の別名に関わる逸話が。
それは数百年前の話。
エルンというとある貴族が、コルネットという平民の花売りの少女に恋をした。
しかしエルンは貴族の長男であり、平民との婚姻が許されるはずがない。苦しみ悩んだ挙げ句、エルンは自分の全てをなげうってコルネットと駆け落ちをする。
その際、この橋を待ち合わせ場所に選んだのである。
だから人々はこれをエルン・コルネット橋と呼んでいる。
「――っていうこと」
マリアはうっとりしながら語ったが、これは実はルリからの受け売りであった。
「馬鹿だな」
いくら何でもぞんざいな物言いに、マリアはむっとしてしまう。
「な、何でよ」
「浅はか過ぎる」
「浅はかって、素敵な話じゃない」
「どこがだ。全てを投げ出すなんて愚か者のすることだろう。なら、エルンという奴は身
一つとなって愛する女、コルネットをどうやって守っていくつもりなんだ」
「それは……まあ、言われてみれば……そうかもしれないけど」
「俺なら貴族の当主になってうるさい親戚どもを全員黙らせて、その女を迎え入れる。そっちのほうがずっとその女を幸せにしてやれだろうが。愛を蔑ろにするつもりは毛頭ないが、愛だけではどうにもならないことも世の中にはある」
ジクムントは熱っぽい眼差しをマリアへ注いできた。マリアは恥ずかしくなって思わず俯いてしまう。
「――で、連中は何をやってる?」
橋の上にいる人々は川の一方向に集まって、川へ何かを投げ入れている。
「この橋で待ち合わせた二人はね、貴族のエルンは自分を縛るもの全てをこの川へ投げ捨てて、平民の姿に身をやつし、コルネットと一緒に逃げたの。それにあやかって、ああしてお金を投げ捨ててお願いをすると、その恋が叶うんですって。まあもちろん、おまじない程度だけどね」
また馬鹿にされては興ざめなので一応付け加えておく。
「そうか。ならお前にも俺にも必要ないな」
「そう?」
「違うのか」
ジクムントが怖い顔をすると、マリアは肩をすくめる。
「……そうね。でもこうして楽しんでいる人たちの中に混じるのも楽しくならない? 私はワクワクするわ」
「ならない」
ジクムントは断定した。
「それどころか、どこからか刺客が襲ってくるかを考えるな。どうしたら一番効率よく逃げられるか」
「じゃあどうやって身を守るの?」
「場所が制限される橋にはまずのらないな。前後を挟まれれば川に飛び込むしかなくなるし、川に飛び込めば思うつぼ。あっという間に殺される」
「…………そう」
情緒も何もあったものではないが、それくらいでなければ王はつとまらないことも承知している。しかし何だかつまらない。
「まあだが、今日はお前の望みを叶える方が優先だ。渡ろう」
「うん、ありがとう」
「橋を渡る程度で感謝されるのか。お前は欲がないな」
「……そう?」
この国の頂きに立ち、全ての国民を導くべき王を独占できるのだ。
これほどの贅沢《ぜいたく》はないとマリアは思っていたのだけれど。
人の間を縫《ぬ》うように歩いていると、ジクムントが独りごちる。
「気分が良い……」
マリアはうなずく。
「そうね、とても気持ち良いわね。こんなに晴れてて……」
それに、川を渡る風も涼しげだ。
するとジクムントはおかしそうにする。
「あ、私、変な事言った?」
「そうじゃない。確かに天気もそうだが、俺が言ったのは、お前と擦れ違う男どもが必ずお前を見るものだから、気分が良いと言ったんだ」
「どこか変かな」
マリアは自分の服装を見る。
マリアも普段のドレスではなく、平民仕様である。
決して粗末な訳ではないが、目立たないように地味な色合いの服装で、装飾品もつけていない。
正直、マリアは以前、夜会の時に来たドレスよりもこっちの格好の方が断然、しっくりきた。
「お前は冗談で言っているのか本気で言っているのか、分からないな。どこも変な訳がない。逆だ。お前があまりに美しすぎるから男共は目を奪われる――そういうことだ」
マリアはなんと言えばいいのか分からず、ただ頬を染めると、ジクムントの腕にしがみつくように身を任せる。
ジクムントがしっかりと支えてくれる。
「おい……大胆だな」
「私はあなたのものだって、ちゃんと周りには示しておかなきゃね」
マリアは恥ずかしさで一杯だったが、それをごまかすように冗談めかして言うと、ジクムントは「それは大切だな」と満足そうに目尻を緩めた。
次に向かったのは蚤《のみ》の市である。
この間言ったような高級品はもちろんないが、マリアからすればどんな高級店よりも身近なものだ。
「うちの領内でも毎月一度、色々な村から農家の人や商人が集まって、市を開くの。もちろん王都にあるような高級なものはないけれど、取れたての野菜や家畜、自分の家ではもう使わなくなった服や家財道具なんかを売るっていうことをするんだけどね。お祭りみたいですっごく楽しいのよ――って、ジークは知ってるか。何せ、私のことをずーっと監視して下さっていたんですからねえ」
ジクムントは少し気まずそうな顔をするが、それは一瞬。
すぐに表情を消し、「そうだ。全て知ってる」と胸を反らして開き直った。
「だが、それは報告として知っているだけの話だ。お前が嬉しそうに話してくれることには叶わない」
「……そうなんだ」
「当たり前だろ。だから折に触れて、村で何かあったか話してくれ。お前が嬉しそうに話している姿はいつだって魅力的だからな。俺はそれだけで嬉しい」
ジクムントは臆面もなくそう言って、マリアを戸惑わせ、言葉少なにした。
嬉しすぎて言葉が出ない、と言った方が正しいだろうか。
(もう、なんだか今日は翻弄されてばっかり)
きっとジクムントは王でなかったら、ジゴロになっていたかもしれない。
「それにしても本当に様々なものを売っているな」
食べ物はもちろん、手作りの洋服や装飾品はもちろん、人形などもある。
市には値段交渉も醍醐味《だいごみ》の一つであり、店主と客の丁々発止《ちょうちょうはっし》のやりとりも見所だ。
「城下のこんな細かいところまではヨハン様だって報告はしないでしょう」
「そうだな。確かに……見るもの全てが新鮮だ」
生まれた時から城の中が世界のほとんどなのだから仕方がないことだ。
やるべきことが多過ぎて城下ののどかさを感じるゆとりもなかっただろう。
それならば自分が少しでも、城下で生きる人々のことを伝えられればともマリアは思った。
マリアもまた城を下がり、トルシア州で生きる農家の人々とふれあうことで、メンデス家が守らなければいけないものは何なのかを自覚したのだ。
「あ、可愛い」
小物を売っている店先を眺める。
小さな首飾りや、指輪など手作り感のある装飾品が並べられていた。
「おい、それは宝石じゃないぞ」
「でも可愛いでしょ?」
「ものに可愛いも何もないだろう。お前は昔から可愛い可愛いと何を見ても言っていた
な。茶器にまで可愛いという始末で、俺はさすがに呆れていたぞ」
「気づいてたわよ」
「……お前はすぐに俺の表情を見抜くから困る」
ジクムントは言葉とは裏腹に嬉しそうに言った。
「でもあれは形が丸っこくて可愛かったわ。蓋のところには犬を象ったものがついてたし」
「俺は言われて初めて気付いた」
「まあ、男の人はそうかもね。お父様もよく何も考えず、お母様が大切にしていた茶器が壊れた時に、茶器なんてどれも同じだろって言って、余計怒らせてたもの」
「メンデスは優秀な奴だ。俺はあんなに目端《めはし》の良く利《き》く人間に初めて会ったぞ」
「別に駄目だって言ってる訳じゃないわ。でも官僚として優秀であることと、夫としてどうかとはまた別の話ってこと。でも、お父様はその後、猟《りょう》に行ってくるって言って出て行ってしまわれたの。で、日暮れくらいに帰って来られたと思ったらお母様に代わりの茶器を買ってきて、昼間はすまなかったって謝るの。そんな光景はもう何度見たか分からないわ」
「そうか」
「でもお父様は動物なら何でも良いと思って、カエルをかたどった茶器を買ってきて、これは可愛くないわ、って言われて結局、困ってたけど」
「今後の参考にしよう」
ジクムントは真剣な顔で呟くや、マリアが触れていた宝飾品を摘《つま》み上げ、日射しにかざす。
宝石ではないが、川にある石は流れで磨かれて、まるで宝石のように輝く石が時々見つかる。
それをつなぎ合わせたものだった。
「おい、これをもらうぞ」
ジクムントは首飾りを買うとマリアに渡す。
「あ、ありがとう。でも今の話をした後だと何かやましいことがあるみたいに思えちゃうけど?」
「やましいとは?」
「……う、浮気、とか」
自分でもあり得ないと思いつつ、言ってみる。
すると一笑に付されてしまった。
「お前以上の女がいる訳ないだろ。やましいことなんてあるわけない。これは今日の記念
だ」
そう平然と言い切られてしまうと、マリアの方がどう反応して良いか分からず、「ありがとう……」と言うだけで精一杯だった。
マリアがぼうっとその装飾品を見つめていると、
「どうした。行くぞ」
「あ、うんっ」
ジクムントに手を取られ、人混みをかき分けて進んだ。
平民の姿をしているとはいえ、その貴族的な端正《たんせい》さと精悍《せいかん》さ、気高さを備えた顔立ちは多くの人々の中にあっても決して埋もれることはなく、それどころか尚更、際立《きわだ》っていた。
事実、擦《す》れ違う女性がちらちらと見て、同行者に指を指して黄色い声を上げたりもしていた。
(さっきジークが言っていたことってこのことなのかな)
この人と一緒にいられると思うと、誇らしい気持ちになる。
その広く逞《たくま》しい背に抱きついてしまいたくなる。
と、ジクムントはぽつりと呟く。
「……こうして大勢の人間がいるという空間も悪くないな」
「でしょう? 街はたくさんの人が集まって初めて街なのよ。外出禁止なんてしたら活気がなくなってしまうわ。街の魅力もそれだけ下がると思うの」
「街のことは良いが、お前がそちらの方が良いというのなら、またこうして折を見て出かけよう」
ジクムントはうなずいた。
3
あなたにおすすめの小説
身代わりにと差し出された悪役令嬢は上主である、公爵様に可愛がられて~私は貴方のモノにはなれません~
一ノ瀬 彩音
恋愛
フィルドール子爵家に生まれた私事ミラ・フィルドールには、憧れの存在で、ずっとお慕い申していた、片思いのお相手がいるのです。
そのお方の名前は、公爵・ル・フォード・レリオ様、通称『レリオ公爵様』と人気の名高い彼はその若さで20と言う若さで、お父上の後を継ぎ公爵と成ったのですが、中々に冷たいお方で、営業スマイルを絶やさぬ表の顔と、常日頃から、社交辞令では分からない、裏の顔が存在されていて、そんな中、私は初めて出たお披露目の舞踏会で、なんと、レリオ公爵様とダンスをするという大役に抜擢されて、ダンスがうまくできればご褒美を下さると言うのだけれど?
私、一体どうなってしまうの?!
桜に集う龍と獅子【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
産まれてから親の顔を知らない松本櫻子。孤児院で育ち、保育士として働く26歳。
同じ孤児院で育った大和と結婚を控えていた。だが、結婚式を控え、幸せの絶頂期、黒塗りの高級外車に乗る男達に拉致されてしまう。
とあるマンションに連れて行かれ、「お前の結婚を阻止する」と言われた。
その男の名は高嶺桜也。そして、櫻子の本名は龍崎櫻子なのだと言い放つ。
櫻子を取り巻く2人の男はどう櫻子を取り合うのか………。
※♡付はHシーンです
だったら私が貰います! 婚約破棄からはじまる溺愛婚(希望)
春瀬湖子
恋愛
【2025.2.13書籍刊行になりました!ありがとうございます】
「婚約破棄の宣言がされるのなんて待ってられないわ!」
シエラ・ビスターは第一王子であり王太子であるアレクシス・ルーカンの婚約者候補筆頭なのだが、アレクシス殿下は男爵令嬢にコロッと落とされているようでエスコートすらされない日々。
しかもその男爵令嬢にも婚約者がいて⋯
我慢の限界だったシエラは父である公爵の許可が出たのをキッカケに、夜会で高らかに宣言した。
「婚約破棄してください!!」
いらないのなら私が貰うわ、と勢いのまま男爵令嬢の婚約者だったバルフにプロポーズしたシエラと、訳がわからないまま拐われるように結婚したバルフは⋯?
婚約破棄されたばかりの子爵令息×欲しいものは手に入れるタイプの公爵令嬢のラブコメです。
《2022.9.6追記》
二人の初夜の後を番外編として更新致しました!
念願の初夜を迎えた二人はー⋯?
《2022.9.24追記》
バルフ視点を更新しました!
前半でその時バルフは何を考えて⋯?のお話を。
また、後半は続編のその後のお話を更新しております。
《2023.1.1》
2人のその後の連載を始めるべくキャラ紹介を追加しました(キャサリン主人公のスピンオフが別タイトルである為)
こちらもどうぞよろしくお願いいたします。
鉄壁騎士様は奥様が好きすぎる~彼の素顔は元聖女候補のガチファンでした~
二階堂まや♡電書「騎士団長との~」発売中
恋愛
令嬢エミリアは、王太子の花嫁選び━━通称聖女選びに敗れた後、家族の勧めにより王立騎士団長ヴァルタと結婚することとなる。しかし、エミリアは無愛想でどこか冷たい彼のことが苦手であった。結婚後の初夜も呆気なく終わってしまう。
ヴァルタは仕事面では優秀であるものの、縁談を断り続けていたが故、陰で''鉄壁''と呼ばれ女嫌いとすら噂されていた。
しかし彼は、戦争の最中エミリアに助けられており、再会すべく彼女を探していた不器用なただの追っかけだったのだ。内心気にかけていた存在である''彼''がヴァルタだと知り、エミリアは彼との再会を喜ぶ。
そして互いに想いが通じ合った二人は、''三度目''の夜を共にするのだった……。
メイウッド家の双子の姉妹
柴咲もも
恋愛
シャノンは双子の姉ヴァイオレットと共にこの春社交界にデビューした。美しい姉と違って地味で目立たないシャノンは結婚するつもりなどなかった。それなのに、ある夜、訪れた夜会で見知らぬ男にキスされてしまって…?
※19世紀英国風の世界が舞台のヒストリカル風ロマンス小説(のつもり)です。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
虐げられた出戻り姫は、こじらせ騎士の執愛に甘く捕らわれる
無憂
恋愛
旧題:水面に映る月影は――出戻り姫と銀の騎士
和平のために、隣国の大公に嫁いでいた末姫が、未亡人になって帰国した。わずか十二歳の妹を四十も年上の大公に嫁がせ、国のために犠牲を強いたことに自責の念を抱く王太子は、今度こそ幸福な結婚をと、信頼する側近の騎士に降嫁させようと考える。だが、騎士にはすでに生涯を誓った相手がいた。
俺様御曹司は十二歳年上妻に生涯の愛を誓う
ラヴ KAZU
恋愛
藤城美希 三十八歳独身
大学卒業後入社した鏑木建設会社で16年間経理部にて勤めている。
会社では若い女性社員に囲まれて、お局様状態。
彼氏も、結婚を予定している相手もいない。
そんな美希の前に現れたのが、俺様御曹司鏑木蓮
「明日から俺の秘書な、よろしく」
経理部の美希は蓮の秘書を命じられた。
鏑木 蓮 二十六歳独身
鏑木建設会社社長 バイク事故を起こし美希に命を救われる。
親の脛をかじって生きてきた蓮はこの出来事で人生が大きく動き出す。
社長と秘書の関係のはずが、蓮は事あるごとに愛を囁き溺愛が始まる。
蓮の言うことが信じられなかった美希の気持ちに変化が......
望月 楓 二十六歳独身
蓮とは大学の時からの付き合いで、かれこれ八年になる。
密かに美希に惚れていた。
蓮と違い、奨学金で大学へ行き、実家は農家をしており苦労して育った。
蓮を忘れさせる為に麗子に近づいた。
「麗子、俺を好きになれ」
美希への気持ちが冷めぬまま麗子と結婚したが、徐々に麗子への気持ちに変化が現れる。
面倒見の良い頼れる存在である。
藤城美希は三十八歳独身。大学卒業後、入社した会社で十六年間経理部で働いている。
彼氏も、結婚を予定している相手もいない。
そんな時、俺様御曹司鏑木蓮二十六歳が現れた。
社長就任挨拶の日、美希に「明日から俺の秘書なよろしく」と告げた。
社長と秘書の関係のはずが、蓮は美希に愛を囁く
実は蓮と美希は初対面ではない、その事実に美希は気づかなかった。
そして蓮は美希に驚きの事を言う、それは......
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる