冷酷な王の過剰な純愛

魚谷

文字の大きさ
28 / 37

雨の秘密(1)

しおりを挟む
一糸まとわぬ姿で、ジクムントに抱かれて眠っていたマリアは雨の音で目を覚ます。

 いつの間にか降り出した雨が窓に打ち付け、流れている。

 まだ夜明け前。

 まるで川底から水面を眺めるような神秘的な光景だった。

 雨脚はかなり強いようだ。

「うぅ……」

 と、耳元でかすかな呻《うめ》きが聞こえた。

「ジーク?」

 ジクムントは顔を顰《しか》め、額に汗を浮かび上がらせていた。

「どうしたの、ジークっ」

 呼びかけるが、身体の奥から絞り出すような苦しげな呻きばかりで、目を覚ますことはなかった。

 こんなジクムントを見るのは初めてのことだ。

マリアは身動《みじろ》ぎ、どうにか彼の腕から抜け出すと、部屋の外で警備に当たっている兵士に言ってお湯と布を用意してもらうと枕元に持っていき、うなされているジクムントの汗を丁寧に拭《ぬぐ》う。

 額《ひたい》に手を置くが、熱は無かった。

「――あに、うえ……私は……」

「え?」

 しかし一瞬聞こえたか聞こえなかったか程度のその呼びかけはすぐに、狂おしい呻きの中に紛《まぎ》れてしまう。

(兄上……?)

 もしそういう意味の兄ならば、ジクムントには四人の兄がいるが、その“兄上”なのかどうなのか、マリアには分からなかった。

(ジーク、一体どうしたの?)

 マリアは胸騒ぎを覚えてしまう。

朝になると雨脚はさらに強くなっていた。

 針のような雨が街全体を霞《かす》ませ、地平線の彼方《かなた》を煙らせていた。

 天気が良ければどの街よりも美しい景色を眺めることが出来るが、雨に煙った姿は晴れの日が美しい分、陰鬱《いんうつ》な色を強くする。

 しかしこの雨も、マリアの故郷トルシア州では恵みである。

 環境が変われば天気一つとっても受け止め方が異なる。

 姿見に制服姿のジクムントが映り込んでいる。

 ジクムントの表情が暗く沈んでいる。

 ジクムントの身支度を調えるのはマリアの役目になっていた。

目覚めた彼はどこかいつもよりもまとっている空気感が弱々しく思える。

「どうかしたのか、マリア」

 ジクムントが自分のことをじっと見つめているマリアに気付く。

「……ジーク、体調はどう?」

「体調? 問題ない。どうした。昨日の夜が激しすぎて心配したか?」

 明け透けな物言いにマリアは頬を染めてしまう。

「ち、違うわよ」

 鏡の中で若き王は口の端を持ち上げた。

 顔色を見る限り、体調が悪いという風には見えなかった。

「それでどう? 本当に平気?」

「大丈夫だ。何だ、どうしたんだ」

 うなされていたことを言おうかどうか、“あにうえ”という言葉の意味を聞こうかどうか迷ったが、「何でもない」と誤魔化すように微笑む。

 雨の日を陰鬱だと感じるのは誰しもあること。ジクムントもそうなのだろう。

 うなされていたからと言って、それを思い出させる必要もないだろうと思ったのだ。

「そうか。じゃあ行ってくる」

「いってらっしゃいませ」

 マリアは頭を下げて見送った。

 それでもやはり胸の内の不安は簡単に消えるものではない。

翌日も雨はやまず、そしてまた寝台では「……あにうえ」と、うなされて脂汗を浮かせたジクムントを介抱した。

 マリアはジクムントに寄り添い、その大きく硬い手を握り締める。

「ジーク。大丈夫だよ。私がついているからね」

 近くで雷が落ちる。

 部屋がまるで昼間のようにぱっと明るくなる――同時に、ジクムントが目を開けるや飛
び起きた。

「兄上……っ!」

 それは搾《しぼ》り上げるように苦しげな響きを帯びた。

「ジーク、大丈夫!?」

 ジクムントはそこで我に返ったようにマリアを見つめる。

「……マリア?」

「お水よ」

 マリアは水差しから水を注いだ器を渡す。

「すまない……」

 ぐっと一気に煽る。

「動かないで」

 マリアは水にひたした布を額に押し当てる。

「とても、うなされていたわ」

「……そうか」

 ジクムントはゴロゴロと遠雷《えんらい》の音が響く中、雨に濡れる窓を見つめる。

「嫌な天気だな」

「ねえ、ジーク……。もし、私に力になれることがあったら――」

 ジクムントに肩を抱かれる。

「心配するな。たまたまだ。たまたま」

 たまたまが二度も立て続けに。

 それも同じ“あにうえ”という呻きと一緒に。

「心配をかけてすまない。何でも無い」

 額に口づけをされる。

(ジーク……)

 話をはぐらかされてしまったようで、マリアの胸のもやもやはいつまでも晴れることがなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

身代わりにと差し出された悪役令嬢は上主である、公爵様に可愛がられて~私は貴方のモノにはなれません~

一ノ瀬 彩音
恋愛
フィルドール子爵家に生まれた私事ミラ・フィルドールには、憧れの存在で、ずっとお慕い申していた、片思いのお相手がいるのです。 そのお方の名前は、公爵・ル・フォード・レリオ様、通称『レリオ公爵様』と人気の名高い彼はその若さで20と言う若さで、お父上の後を継ぎ公爵と成ったのですが、中々に冷たいお方で、営業スマイルを絶やさぬ表の顔と、常日頃から、社交辞令では分からない、裏の顔が存在されていて、そんな中、私は初めて出たお披露目の舞踏会で、なんと、レリオ公爵様とダンスをするという大役に抜擢されて、ダンスがうまくできればご褒美を下さると言うのだけれど? 私、一体どうなってしまうの?!

桜に集う龍と獅子【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
産まれてから親の顔を知らない松本櫻子。孤児院で育ち、保育士として働く26歳。 同じ孤児院で育った大和と結婚を控えていた。だが、結婚式を控え、幸せの絶頂期、黒塗りの高級外車に乗る男達に拉致されてしまう。 とあるマンションに連れて行かれ、「お前の結婚を阻止する」と言われた。 その男の名は高嶺桜也。そして、櫻子の本名は龍崎櫻子なのだと言い放つ。 櫻子を取り巻く2人の男はどう櫻子を取り合うのか………。 ※♡付はHシーンです

メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも
恋愛
シャノンは双子の姉ヴァイオレットと共にこの春社交界にデビューした。美しい姉と違って地味で目立たないシャノンは結婚するつもりなどなかった。それなのに、ある夜、訪れた夜会で見知らぬ男にキスされてしまって…? ※19世紀英国風の世界が舞台のヒストリカル風ロマンス小説(のつもり)です。

だったら私が貰います! 婚約破棄からはじまる溺愛婚(希望)

春瀬湖子
恋愛
【2025.2.13書籍刊行になりました!ありがとうございます】 「婚約破棄の宣言がされるのなんて待ってられないわ!」 シエラ・ビスターは第一王子であり王太子であるアレクシス・ルーカンの婚約者候補筆頭なのだが、アレクシス殿下は男爵令嬢にコロッと落とされているようでエスコートすらされない日々。 しかもその男爵令嬢にも婚約者がいて⋯ 我慢の限界だったシエラは父である公爵の許可が出たのをキッカケに、夜会で高らかに宣言した。 「婚約破棄してください!!」 いらないのなら私が貰うわ、と勢いのまま男爵令嬢の婚約者だったバルフにプロポーズしたシエラと、訳がわからないまま拐われるように結婚したバルフは⋯? 婚約破棄されたばかりの子爵令息×欲しいものは手に入れるタイプの公爵令嬢のラブコメです。 《2022.9.6追記》 二人の初夜の後を番外編として更新致しました! 念願の初夜を迎えた二人はー⋯? 《2022.9.24追記》 バルフ視点を更新しました! 前半でその時バルフは何を考えて⋯?のお話を。 また、後半は続編のその後のお話を更新しております。 《2023.1.1》 2人のその後の連載を始めるべくキャラ紹介を追加しました(キャサリン主人公のスピンオフが別タイトルである為) こちらもどうぞよろしくお願いいたします。

碧眼の小鳥は騎士団長に愛される

狭山雪菜
恋愛
アリカ・シュワルツは、この春社交界デビューを果たした18歳のシュワルツ公爵家の長女だ。 社交会デビューの時に知り合ったユルア・ムーゲル公爵令嬢のお茶会で仮面舞踏会に誘われ、参加する事に決めた。 しかし、そこで会ったのは…? 全編甘々を目指してます。 この作品は「アルファポリス」にも掲載しております。

虐げられた出戻り姫は、こじらせ騎士の執愛に甘く捕らわれる

無憂
恋愛
旧題:水面に映る月影は――出戻り姫と銀の騎士 和平のために、隣国の大公に嫁いでいた末姫が、未亡人になって帰国した。わずか十二歳の妹を四十も年上の大公に嫁がせ、国のために犠牲を強いたことに自責の念を抱く王太子は、今度こそ幸福な結婚をと、信頼する側近の騎士に降嫁させようと考える。だが、騎士にはすでに生涯を誓った相手がいた。

オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない

若松だんご
恋愛
 ――俺には、将来を誓った相手がいるんです。  お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。  ――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。  ほげええっ!?  ちょっ、ちょっと待ってください、課長!  あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?  課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。  ――俺のところに来い。  オオカミ課長に、強引に同居させられた。  ――この方が、恋人らしいだろ。  うん。そうなんだけど。そうなんですけど。  気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。  イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。  (仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???  すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。

鉄壁騎士様は奥様が好きすぎる~彼の素顔は元聖女候補のガチファンでした~

二階堂まや♡電書「騎士団長との~」発売中
恋愛
令嬢エミリアは、王太子の花嫁選び━━通称聖女選びに敗れた後、家族の勧めにより王立騎士団長ヴァルタと結婚することとなる。しかし、エミリアは無愛想でどこか冷たい彼のことが苦手であった。結婚後の初夜も呆気なく終わってしまう。 ヴァルタは仕事面では優秀であるものの、縁談を断り続けていたが故、陰で''鉄壁''と呼ばれ女嫌いとすら噂されていた。 しかし彼は、戦争の最中エミリアに助けられており、再会すべく彼女を探していた不器用なただの追っかけだったのだ。内心気にかけていた存在である''彼''がヴァルタだと知り、エミリアは彼との再会を喜ぶ。 そして互いに想いが通じ合った二人は、''三度目''の夜を共にするのだった……。

処理中です...