冷酷な王の過剰な純愛

魚谷

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雨の秘密(2)

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 雨はそれから二日間降り続け、翌日に久しぶりの晴れ間をのぞかせた。

 雨が止むとジクムントがうなされることはなくなり、起きてからもそれまで通りのジクムントに戻った、ように見えた。

 あれから二週間ほどが経とうとしている。

 マリアに告げなかったということは知る必要がないということかもしれないし、マリアが考え過ぎているだけなのかもしれない。

(どうしたら良いんだろう)

 これまで知らなくても問題はなかった。

 あえてジクムントの心の弱い部分を知ろうとする必要はないのかもしれない。

 知るべきか、ジクムントの言葉を信じて目をつむるか。

「はあ」

 お茶も、こんな気持ちでは十分に楽しめない。

 そこへルリが声をかけてくる。

「マリア様」

「はい?」

「トルシアよりの手紙が届いたそうでございます」

「ありがとうございます」

 手紙を受け取ったマリアは早速、封を開けると、母からの手紙を読む。

時候の挨拶から入り、アルの実は疫病《えきびょう》の心配もなく豊作になるだろうから王都へ献上する時には楽しみにして欲しい、ということから、家族の近況に移る。

 セリノとカルロスは王都へ行きたいと言っていて使用人たちを困らせながらも、勉強をすれば王都の学校へ行けるという話を聞いて苦手な勉強を頑張っているらしい。

 セリノはマリアが故郷を離れてから、姉の代わりを務めようと毎朝、使用人たちと一緒に馬に乗って領内を巡回しているらしい。カルロスはまだまだ甘えたい盛りで、母親と一緒に寝てるとも書かれていた。

(お母様ってば、あいかわらずカルロスには甘いんだから)

口元に浮かんだ笑みはしかし、萎《しぼ》んでしまう。

(お母様。セリノ、カルロス……)

 みんなと会いたいという気持ちが募《つの》る。

 トルシアにいた時には常にジクムントへの思慕《しぼ》を抱いていた。

 傍《そば》にいればきっとこんなに思い悩むことなどなかっただろうと思っていたのに、こうして近くにいて望めばいつでも彼を誰よりも間近に感じられるというのに、深く知れるからこそ、それに対して思い悩む。

(駄目よ。こんなことでくよくよするなんて。ジークを支えるって決めたじゃない)

 そう思いながら手紙の続きを読む。

 便箋《びんせん》は三枚ほどあったが、あっという間に読み終わろうとしていた。

 と、最後の方の分にさしかかったマリアは少し目を瞠《みは》る。

――以前もらった手紙の文字からあなたが今悩んでいることが伝わってきます。

 それはきっと陛下のことでしょう。遠くにいて触れられないからこそ悩むことがあれば、身近にいるからこそ心に押し込めてしまう悩みはあると思います。

 あなたがどんな悩みを抱えているかは分かりません。でもそれがたとえどんなものであったとしても、後悔することがない道を選ぶことをお祈りしております。

 あなたは私の娘。たとえ何があっても、トルシア州はあなたの帰るべき場所よ。

さすが母親、というべきなのか。

 マリアとしては特に意識した訳ではないのだけれど、すっかり娘の心中はお見通しのようだ。

(お母様……後悔することがない道……)

 マリアは胸の内で反芻《はんすう》した。

 マリアは知らなければいけないと思った。

 もしこれからもジクムントのそばで彼を支えようと言うのならば。

 もしそれを知ろうとしてジクムントから拒絶されることになろとも、後悔はしない。

 この先、ここで見て見ぬ振りをしたことを悔《く》い続けるようなことだけは嫌だと思ったのだ。

午後。マリアは事前に了解を取ってヨハンの書斎《しょさい》を訪れた。

 ジクムントは軍事についての会議に出席し、そこにはゲオルグが付き添っている。

 マリアには好都合だったのだ。

「ヨハン様、お時間を作って頂きありがとうございます」

「マリア様、良くおいで下さりました。それから顔をお上げ下さい。あなたに顔を下げられては恐縮してしまいます」

 ヨハンはいつもと変わらぬ笑顔で言った。

「それで御用事とはなんですか?」

 ヨハンに席を勧められ、マリアは座った。

 わざわざジクムントが午後いない時にヨハンと会っているのだ。

 ヨハンにはすでに要件の察《さっ》しは付いているはずだ。

「無論、ジークの事です」

「陛下がまた無茶を仰いましたか」

「そうではありません。気になることがあるんです」

「気になる、ですか。何ですか」」

「ジークはうなされていました。この間の雨の日に。起きてからもどこかお加減が優《すぐ》れないように……」

「陛下も人の子です。そういう時もあるでしょう。雨の日は誰でも憂鬱になるものです」

 ヨハンは言うが、その言葉からはぐらかす気配を察してしまう。

「私には言えないことなのでしょうか」

「マリア様は考え過ぎなのです。うなされることはおかしなことではありません。何も」

「兄上……と、ジークは言っていました。とても辛そうな顔をしていました。ヨハン様、何か知っていることがありましたら教えて下さい。ジークは決して私には言いたがらないでしょう」

「陛下が仰らないことを臣下である私が言うのは……」

「あなたは、私にジークを支えて欲しいと言いました。それは嘘だったのですか。それとも私はジークのご機嫌取りをしているだけで良い、深く接する必要はない――とでも仰られるのですか」

 マリアは怒りを覚えて身を乗り出してしまう。

 するとヨハンもこれ以上ははぐらかせないと思ったのか、小さく溜息を漏らす。

「陛下にはずいぶん前からそんなことがあるのだという報告を侍女から受けてはいました」

「お医者様には?」

「医者が治せるものではないでしょう」

「一体何なのですか?」

「――ご自分の兄上方を討った日が雨だったのですよ」

「……そんな」

 全身から血の気が引いていく。

「陛下は決してそのようなことは仰いませんが、明らかにその時のことが忘れられないのです。具体的に何があったのか……。当時お側にいなかった私には見当も付きませんし。こればかりは我々にはどうしようもありません……。陛下ご自身が乗り越えられなくては」

 ヨハンはマリアを見つめる。

 それはどこかマリアを試すような色があるように見えた。

 これだけ話したんだから、はいそうですか、では終わらないですよね――と。

 勝手に挑戦状を受け取った気になったマリアは背筋を伸ばして胸を張る。

「ありがとうございます。後は私にお任せ下さい」

「では、マリア様。よろしくお願いいたします」

 ヨハンはにこりと人を食ったような笑顔で、マリアを見送った。
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