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第一章(1)
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白桜丸が村の異変に気付いたのは、たくさんの山菜で一杯になった籠を抱えて村へ帰ろうとした時だった。村から幾つもの黒煙の筋が伸びていた。
時間は夕暮れ時。
蜂蜜色に何もかもが染まる中、目を惹く黒い筋はまるで黒い蛇が天より降りてきているような不気味さをたたえていた。
白桜丸は一目散に村へ駆けた。
そして焦げ臭さや、木々が燃えるのに似た嫌な匂いをすぐにかぎ取った。
「おっ父(と)ぉっ! おっ母(か)ぁっ! 姉ちゃんっ!」
村の家という家が燃やされていた。
そして家の付近には何人もの人間たちが倒れていた。
全て顔見知りだ。山へ出かける時に挨拶を交わした人々がどこかしらから血を溢れさせ、絶命していた。白桜丸は懸命に自分の家へ走り、家の中へ飛び込んだ。
家は荒らされ、火が点けられていた。濛々と湧きあがる黒煙ごし、他の村人と同じように倒れた父親を見た。
父親は守ろうとしたのだろう、その身体の下には母親と姉の姿があった。
「おっ父(と)ぉっ! おっ母(か)ぁっ! 姉ちゃんっ!」
白桜丸は家族を燃える家より助け出そうと必死になったが、火の周りは早く身体が焼ける痛みをこらえられなかった。
そして白桜丸の目の前で焼けた家は無残に崩れた。火の勢いはさらに激しくなり、何もかも呑み込んでいった。
白桜丸は全身から力が抜け、その場にへたりこんでしまった。
何も考えられず、何も思えなかった。
一体どれだけの時間、そうしていただろう。
間近で聞こえた、馬の嘶きで我に返った。
「ここに、いたぞ!」
馬上より長刀(なぎなた)をたずさえた男が叫ぶ。
逃げようとしたが、無駄だった。
たちまち雑兵に囲まれ、集団で押さえつけられ、縄目を打たれ、引きずられていった。
その先には何人もの友人たちがおり、声をからして泣いていた。
「――これだけ集めれば、どれかは太守様もお気に召す餓鬼がいるだろう」
(太守?)
長刀を携えた男の発した言葉がいつまでも頭の中でこだました。
※
「っ!」
目覚めた白桜丸は飛び起きた。見回したが、そこは焼け落ちていく村ではなかった。
板張りの一室、そこに敷かれた布団の上に寝かされていた。
枕元にはお湯の張られた桶があり、布がひたされている。
(……何がどうなってるんだ)
白桜丸は必死に記憶を探る。
最後に覚えている光景は、血の海だ。
それが頭の中で家族の惨状と結びつき、情けなくも気を失ってしまったのだ。
(それから……それから……俺は?)
そこで記憶は途切れ、今に到る。
(ここは、野盗の屋敷か? 俺は連れてこられちまったのか?)
衣服は代えられていた。このままでは身も心もずたずたに引き裂かれてしまう。
白桜丸は起き上がると、板戸に耳を押し当てた。
物音らしい物音はしない。妻戸に手をかけると、呆気なく開いた。
日射しの眩しさに目を細め、そっと部屋を出た。朝なのか、昼なのか分からないが、あの河原にいた時からそれほど時間は経っていないのかもしれない。
庭を見ると、薪割り作業の途中らしく、いくつもの薪と斧がおかれていた。
「おい、何をしている」
背後からした声に、白桜丸は弾かれるように斧を掴んで振り返り、男に向けて構える。
そこには白桜丸と、背格好や年齢のそれほど変わらなさそうな少年が立っていた。
「落ち着け」
「だ、黙れ、盗賊! 俺はお前らの好きなようにはならないぞっ!」
白桜丸は声を上げ、少しでも近づいてこようものなら斧を無茶苦茶に振り下ろして威嚇した。
騒ぎを聞きつけ、次々と男たちが集まってきた。中には女性も含まれていたが、男達によって遠ざけられた。
その中でも一番の年長者らしい老人が「斧を下ろし、しっかりと話を聞け」とやけに偉そうに言ってくる。
「うるせぇッ! 盗賊のくせに指図をするなっ!」
白桜丸と対峙するように集まってきた男たちの間からは「殺すか?」「いや、しかし……」「殿の判断を仰がねば」などという声が漏れ聞こえてくる。
「何をごちゃごちゃ言ってるんだっ! み、道を空けろ! 殺されたいのかよっ!」
その時、向かい合っていた男たちが不意に左右へ退く。
白桜丸にようやく従う気になったのかと思うと、一人の男がその道を進んでくる。
烏帽子に直垂姿の偉丈夫だった。
「俺たちは野盗ではない」
男は凛とした声で言い放った。それまでの男たちのように怒鳴る訳でもないのに、有無を言わせぬ迫力があった。
「何を……」
男はどんどん近づいてくる。
白桜丸の身体の震えが大きくなり、斧の先端が大きく揺れる。
「く、来るな! 殺されたのかよ!」
白桜丸は声を上擦らせながらも、精一杯に威嚇しようとする。
それも無視して男は迫って来るなり白桜丸の腕を掴むや、ぐっと自分の方へと引き付けた。斧の先端が男の胸に押しつけられた。
少しでも白桜丸が振り下ろせば、その斧が男を引き裂くだろう。
「どうした、やらないのか」
鋭い眼光で見下ろされる。
それでも男の声は静かだった。その表情のどこにも怒りは無かった。むしろその静けさに白桜丸は震えてしまう。
「あ、ああ……っ」
やらなければ自分が殺される。しかし身体が言うことをきかない。
「……ゆっくりと下ろせ。皆を怖がらせるな。俺たちは誰一人としてお前に危害を加えない」
青年の口元が優しげな笑みをたたえたか。全身から一気に力が抜け、斧を落とした。
白桜丸は両膝を突いて俯く。
「――さあ、見世物は終わりぢゃ。皆、仕事に戻れ!」
老人の声が聞こえた。
「おい」
男に呼びかけられ、白桜丸は恐る恐る顔を上げた。
すぐそばに男の精悍な顔があった。二重の切れ長の眼差し、通った鼻梁に、薄い唇。眉は太く、きりりとしている。
白桜丸は初めて、男に見取れた。
ただ顔かたちが整っているというだけではない。纏う空気には透明感があり、これまで接したことのあるどの人間とも違う何かを感じていた。
「立て」
男がそっと手を差し出してくる。白桜丸がその手に恐る恐る触れれば、優しく包んでくれた。固く、分厚く、そして温かな手だった。父親の手とは少し違ったが、男の手だと思った。久しぶりに感じる混じりけの無い人の温もりに胸にこみあげるものがあり、目頭が熱くなった。
泣くな、と思った時にはすでに涙が溢れ、頬を伝った。
白桜丸は嗚咽を上げ、しゃくりあげた。
と、男が抱き寄せてくれた。顔を男の胸に埋める。仄かな汗の香りがした。その厚くたくましい腕の中で、白桜丸は感情を思うさま吐き出し、声を上げて泣いた。
時間は夕暮れ時。
蜂蜜色に何もかもが染まる中、目を惹く黒い筋はまるで黒い蛇が天より降りてきているような不気味さをたたえていた。
白桜丸は一目散に村へ駆けた。
そして焦げ臭さや、木々が燃えるのに似た嫌な匂いをすぐにかぎ取った。
「おっ父(と)ぉっ! おっ母(か)ぁっ! 姉ちゃんっ!」
村の家という家が燃やされていた。
そして家の付近には何人もの人間たちが倒れていた。
全て顔見知りだ。山へ出かける時に挨拶を交わした人々がどこかしらから血を溢れさせ、絶命していた。白桜丸は懸命に自分の家へ走り、家の中へ飛び込んだ。
家は荒らされ、火が点けられていた。濛々と湧きあがる黒煙ごし、他の村人と同じように倒れた父親を見た。
父親は守ろうとしたのだろう、その身体の下には母親と姉の姿があった。
「おっ父(と)ぉっ! おっ母(か)ぁっ! 姉ちゃんっ!」
白桜丸は家族を燃える家より助け出そうと必死になったが、火の周りは早く身体が焼ける痛みをこらえられなかった。
そして白桜丸の目の前で焼けた家は無残に崩れた。火の勢いはさらに激しくなり、何もかも呑み込んでいった。
白桜丸は全身から力が抜け、その場にへたりこんでしまった。
何も考えられず、何も思えなかった。
一体どれだけの時間、そうしていただろう。
間近で聞こえた、馬の嘶きで我に返った。
「ここに、いたぞ!」
馬上より長刀(なぎなた)をたずさえた男が叫ぶ。
逃げようとしたが、無駄だった。
たちまち雑兵に囲まれ、集団で押さえつけられ、縄目を打たれ、引きずられていった。
その先には何人もの友人たちがおり、声をからして泣いていた。
「――これだけ集めれば、どれかは太守様もお気に召す餓鬼がいるだろう」
(太守?)
長刀を携えた男の発した言葉がいつまでも頭の中でこだました。
※
「っ!」
目覚めた白桜丸は飛び起きた。見回したが、そこは焼け落ちていく村ではなかった。
板張りの一室、そこに敷かれた布団の上に寝かされていた。
枕元にはお湯の張られた桶があり、布がひたされている。
(……何がどうなってるんだ)
白桜丸は必死に記憶を探る。
最後に覚えている光景は、血の海だ。
それが頭の中で家族の惨状と結びつき、情けなくも気を失ってしまったのだ。
(それから……それから……俺は?)
そこで記憶は途切れ、今に到る。
(ここは、野盗の屋敷か? 俺は連れてこられちまったのか?)
衣服は代えられていた。このままでは身も心もずたずたに引き裂かれてしまう。
白桜丸は起き上がると、板戸に耳を押し当てた。
物音らしい物音はしない。妻戸に手をかけると、呆気なく開いた。
日射しの眩しさに目を細め、そっと部屋を出た。朝なのか、昼なのか分からないが、あの河原にいた時からそれほど時間は経っていないのかもしれない。
庭を見ると、薪割り作業の途中らしく、いくつもの薪と斧がおかれていた。
「おい、何をしている」
背後からした声に、白桜丸は弾かれるように斧を掴んで振り返り、男に向けて構える。
そこには白桜丸と、背格好や年齢のそれほど変わらなさそうな少年が立っていた。
「落ち着け」
「だ、黙れ、盗賊! 俺はお前らの好きなようにはならないぞっ!」
白桜丸は声を上げ、少しでも近づいてこようものなら斧を無茶苦茶に振り下ろして威嚇した。
騒ぎを聞きつけ、次々と男たちが集まってきた。中には女性も含まれていたが、男達によって遠ざけられた。
その中でも一番の年長者らしい老人が「斧を下ろし、しっかりと話を聞け」とやけに偉そうに言ってくる。
「うるせぇッ! 盗賊のくせに指図をするなっ!」
白桜丸と対峙するように集まってきた男たちの間からは「殺すか?」「いや、しかし……」「殿の判断を仰がねば」などという声が漏れ聞こえてくる。
「何をごちゃごちゃ言ってるんだっ! み、道を空けろ! 殺されたいのかよっ!」
その時、向かい合っていた男たちが不意に左右へ退く。
白桜丸にようやく従う気になったのかと思うと、一人の男がその道を進んでくる。
烏帽子に直垂姿の偉丈夫だった。
「俺たちは野盗ではない」
男は凛とした声で言い放った。それまでの男たちのように怒鳴る訳でもないのに、有無を言わせぬ迫力があった。
「何を……」
男はどんどん近づいてくる。
白桜丸の身体の震えが大きくなり、斧の先端が大きく揺れる。
「く、来るな! 殺されたのかよ!」
白桜丸は声を上擦らせながらも、精一杯に威嚇しようとする。
それも無視して男は迫って来るなり白桜丸の腕を掴むや、ぐっと自分の方へと引き付けた。斧の先端が男の胸に押しつけられた。
少しでも白桜丸が振り下ろせば、その斧が男を引き裂くだろう。
「どうした、やらないのか」
鋭い眼光で見下ろされる。
それでも男の声は静かだった。その表情のどこにも怒りは無かった。むしろその静けさに白桜丸は震えてしまう。
「あ、ああ……っ」
やらなければ自分が殺される。しかし身体が言うことをきかない。
「……ゆっくりと下ろせ。皆を怖がらせるな。俺たちは誰一人としてお前に危害を加えない」
青年の口元が優しげな笑みをたたえたか。全身から一気に力が抜け、斧を落とした。
白桜丸は両膝を突いて俯く。
「――さあ、見世物は終わりぢゃ。皆、仕事に戻れ!」
老人の声が聞こえた。
「おい」
男に呼びかけられ、白桜丸は恐る恐る顔を上げた。
すぐそばに男の精悍な顔があった。二重の切れ長の眼差し、通った鼻梁に、薄い唇。眉は太く、きりりとしている。
白桜丸は初めて、男に見取れた。
ただ顔かたちが整っているというだけではない。纏う空気には透明感があり、これまで接したことのあるどの人間とも違う何かを感じていた。
「立て」
男がそっと手を差し出してくる。白桜丸がその手に恐る恐る触れれば、優しく包んでくれた。固く、分厚く、そして温かな手だった。父親の手とは少し違ったが、男の手だと思った。久しぶりに感じる混じりけの無い人の温もりに胸にこみあげるものがあり、目頭が熱くなった。
泣くな、と思った時にはすでに涙が溢れ、頬を伝った。
白桜丸は嗚咽を上げ、しゃくりあげた。
と、男が抱き寄せてくれた。顔を男の胸に埋める。仄かな汗の香りがした。その厚くたくましい腕の中で、白桜丸は感情を思うさま吐き出し、声を上げて泣いた。
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