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第一章(4)
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山を背負う格好になった小高い場所に建てられた館を出て、村を突っ切る。
すでに農民たちは畑仕事に精を出している。
その何気ない日常を眺め、白桜丸は切ない気持ちに襲われた。
何も無ければ自分もまたここにいる人々と同じように、今頃、自分の村で薪割りや水汲みに精を出していた。父親に怒られ、母親に慰められ、姉と一緒に遊んでいた……。
もう帰ってくることのない日常への思慕にこみあげるものがあった。
秋光を見かけるたび、村人たちは農作業の手を休め、頭を深々と下げる。
秋光は人々に駆け寄り、声をかける。
そうして村を出てほどない所にある森、木立の向こうに湖が見えた。
「でかい……」
「湖は初めてか?」
白桜丸の声を耳にした三郎が聞いてくる。
「うん、俺の村は山奥にあったから」
それこそ猫の額ほどの畑を耕す程度。木材を切り出したり、猟をしたりが主な収入源だった。
湖のそばに小さな祠があった。
秋光たちがそれに手を合わせる。太郎もも真似た。
秋光たちは服を脱ぎはじめた。太郎もそれに少し遅れて倣った。
「まったく。爺さんにはうんざりしますっ」
三郎が思わずという風に漏らした。
「あれ、三郎のじいさんだったのか」
「ああ。すぐ怒りだしてさ。全く年寄りは気が短くて困るぜ」
三郎は弱り切った顔をした。
「いや、あれは元々だ。髪が黒かった頃からそうだったぞ」
そう笑み混じりに秋光は言う。
太郎が驚く。
「……と、殿、あの爺さんの若い頃を知ってるのか」
「爺は俺の守り役……って、殿?」
殿と呼んだのには三郎も驚いたようだった。
二人からの視線を受け、太郎はいたたまれない気持ちになる。
「あ、いや……だって、一応、俺、世話になってるし……」
「お前は俺の部下じゃ無いんだ。秋光で良い」
「ああ、じゃあ、秋光」
「そうだ」
秋光と三郎は裸になると、さっさと湖へと入っていった。
「あまり先までいくな。急に深くなっているからな」
気持ちよさそうに二人は水を浴びる。
白桜丸も裸になり、水面に足を付けた。朝日に照らされ、水がほのかに温かくなっているのが心地よかった。
汗を流しながら、白桜丸は横目で頻りに秋光の裸身を盗み見る。
日射しを受けた身体に陰影が出来、よりその逞しさをありありとたたえる。
しなやかな筋肉によろわれ、絞られた身体は美しいという形容が容易に浮かんだ。
それは女性に向ける美しいというのとはまた違うものだ。自然と目が惹き付けられる、目をやらずにはいられない妖しい魅力をたたえていた。
「太郎、どうだ。気持ち良いだろ」
と、不意に秋光の眼差しがこちらを向く。
「あ、ああ」
まるで自分が見取れていたのを見抜かれたような気持ちになり、白桜丸は秋光に背中を見せた。と、ぢゃぶぢゃぶと水面を掻き分ける音と一緒に、背中ごしに秋光が近づいてくる気配を痛いくらい感じた。
続いて背中を撫でられる感触。
「うっ」
思わず声が漏れた。
触れられたのは背中であるはずなのに、まだ射的の際の淫らな熱がくすぶっていた股間がひくと反応してしまう。
「……この傷はどうした」
「っ」
太郎は秋光の手を弾く。全身の鳥肌が立った。
「おい、太郎、どうしたんだよ」
三郎が戸惑う。
太郎ははっとし、自分が咄嗟とはいえ、無礼なことをしたことに気付いた。
「……わ、悪い、秋光。そこは、あんまり……」
最後まで言葉には出来ず、口ごもってしまう。
「不用意な真似をした。悪かった」
秋光は頭を下げた。
「やめてくれ。そんな……頭を下げることじゃない」
太郎の方が恐縮してしまう。
「そろそろ上がろう」
言うと、秋光はさっさと歩いて行ってしまう。
太郎は俯く。
「太郎。一体どうしたんだよ」
心配した三郎が駆け寄ってくる。
「……ごめん」
「行こうぜ」
三郎に促されて歩き出す。
太郎は右の肩胛骨の辺りにある傷に触れた。今も尚、それを押された時の痛みと熱は生々しいくらいはっきりと思い出せてしまう。
村を焼かれ、侍たちに捕らえられた太郎たちは広い屋敷へと連行された。
一体これから自分たちにどんな運命が降りかかるのか、身を竦めて震えている所に、他の武士よりもさらに上役であろう男が姿を現した。
それまで白桜丸たちを犬猫のように扱っていた侍たちが膝を屈し、「連れて参りましてございまするっ」とひれ伏していた姿をはっきりと思い出せる。
「曝《さら》せ」
男の指示に、太郎たちは侍たちによって裸に剥かれた。
前を隠そうものならすぐに刀の柄で頭を殴られた。
背を真っ直ぐに伸ばし、見知らぬ男や侍たちに嘲笑われながら、どれだけの時間、そうしていただろう。
太郎たちは二つの集団に分けられ、一つは別の侍に、太郎たちは上役の男によって連れ出された。
太郎を含め、その集団は二人しかいなかった。もう一人は太郎の家から数軒先の少年だ。がき大将で、村の子どもたちの頭だった。
上役の男は太郎たちを跪かせると、何かを手にした。それは長い柄の先に真っ赤に燃えたものが取り付けられていた。
「喜べ、お前たちは太守様より情けを与えられることとなる。久しく仕え、太守様を失望させるなよ」
言うや、白桜丸の背にその真っ赤になったものを押し当てた。
「うわああああああああ!」
太郎はさけびを上げた。それでもそれは外して貰えず、むしろ強く押し当てられた。
自分の肉の焦げるにおいを嗅ぎながら気を失った。
今から思えばあれは、焼き鏝だった。そうして太郎は初めて大月国隆に抱かれる際、何度もその傷痕を指先で撫でられる羽目になった。
国隆は甘ったるい白粉の匂いをたたえながら囁きかけてくる。
――ほほほ。白い肌によう映えておる。よく聞くのぢゃ。これはお前が供物という証ぞ。身も心も、全て麻呂に捧げたという、贄の印……。
それがこの傷の正体。太郎からすれば忌まわしい家畜の証だ。
そうかと言って、その部分の肉を抉るほどの勇気などなかった。
久しく息してこなかった傷痕が、かすかに疼いた気がした。
すでに農民たちは畑仕事に精を出している。
その何気ない日常を眺め、白桜丸は切ない気持ちに襲われた。
何も無ければ自分もまたここにいる人々と同じように、今頃、自分の村で薪割りや水汲みに精を出していた。父親に怒られ、母親に慰められ、姉と一緒に遊んでいた……。
もう帰ってくることのない日常への思慕にこみあげるものがあった。
秋光を見かけるたび、村人たちは農作業の手を休め、頭を深々と下げる。
秋光は人々に駆け寄り、声をかける。
そうして村を出てほどない所にある森、木立の向こうに湖が見えた。
「でかい……」
「湖は初めてか?」
白桜丸の声を耳にした三郎が聞いてくる。
「うん、俺の村は山奥にあったから」
それこそ猫の額ほどの畑を耕す程度。木材を切り出したり、猟をしたりが主な収入源だった。
湖のそばに小さな祠があった。
秋光たちがそれに手を合わせる。太郎もも真似た。
秋光たちは服を脱ぎはじめた。太郎もそれに少し遅れて倣った。
「まったく。爺さんにはうんざりしますっ」
三郎が思わずという風に漏らした。
「あれ、三郎のじいさんだったのか」
「ああ。すぐ怒りだしてさ。全く年寄りは気が短くて困るぜ」
三郎は弱り切った顔をした。
「いや、あれは元々だ。髪が黒かった頃からそうだったぞ」
そう笑み混じりに秋光は言う。
太郎が驚く。
「……と、殿、あの爺さんの若い頃を知ってるのか」
「爺は俺の守り役……って、殿?」
殿と呼んだのには三郎も驚いたようだった。
二人からの視線を受け、太郎はいたたまれない気持ちになる。
「あ、いや……だって、一応、俺、世話になってるし……」
「お前は俺の部下じゃ無いんだ。秋光で良い」
「ああ、じゃあ、秋光」
「そうだ」
秋光と三郎は裸になると、さっさと湖へと入っていった。
「あまり先までいくな。急に深くなっているからな」
気持ちよさそうに二人は水を浴びる。
白桜丸も裸になり、水面に足を付けた。朝日に照らされ、水がほのかに温かくなっているのが心地よかった。
汗を流しながら、白桜丸は横目で頻りに秋光の裸身を盗み見る。
日射しを受けた身体に陰影が出来、よりその逞しさをありありとたたえる。
しなやかな筋肉によろわれ、絞られた身体は美しいという形容が容易に浮かんだ。
それは女性に向ける美しいというのとはまた違うものだ。自然と目が惹き付けられる、目をやらずにはいられない妖しい魅力をたたえていた。
「太郎、どうだ。気持ち良いだろ」
と、不意に秋光の眼差しがこちらを向く。
「あ、ああ」
まるで自分が見取れていたのを見抜かれたような気持ちになり、白桜丸は秋光に背中を見せた。と、ぢゃぶぢゃぶと水面を掻き分ける音と一緒に、背中ごしに秋光が近づいてくる気配を痛いくらい感じた。
続いて背中を撫でられる感触。
「うっ」
思わず声が漏れた。
触れられたのは背中であるはずなのに、まだ射的の際の淫らな熱がくすぶっていた股間がひくと反応してしまう。
「……この傷はどうした」
「っ」
太郎は秋光の手を弾く。全身の鳥肌が立った。
「おい、太郎、どうしたんだよ」
三郎が戸惑う。
太郎ははっとし、自分が咄嗟とはいえ、無礼なことをしたことに気付いた。
「……わ、悪い、秋光。そこは、あんまり……」
最後まで言葉には出来ず、口ごもってしまう。
「不用意な真似をした。悪かった」
秋光は頭を下げた。
「やめてくれ。そんな……頭を下げることじゃない」
太郎の方が恐縮してしまう。
「そろそろ上がろう」
言うと、秋光はさっさと歩いて行ってしまう。
太郎は俯く。
「太郎。一体どうしたんだよ」
心配した三郎が駆け寄ってくる。
「……ごめん」
「行こうぜ」
三郎に促されて歩き出す。
太郎は右の肩胛骨の辺りにある傷に触れた。今も尚、それを押された時の痛みと熱は生々しいくらいはっきりと思い出せてしまう。
村を焼かれ、侍たちに捕らえられた太郎たちは広い屋敷へと連行された。
一体これから自分たちにどんな運命が降りかかるのか、身を竦めて震えている所に、他の武士よりもさらに上役であろう男が姿を現した。
それまで白桜丸たちを犬猫のように扱っていた侍たちが膝を屈し、「連れて参りましてございまするっ」とひれ伏していた姿をはっきりと思い出せる。
「曝《さら》せ」
男の指示に、太郎たちは侍たちによって裸に剥かれた。
前を隠そうものならすぐに刀の柄で頭を殴られた。
背を真っ直ぐに伸ばし、見知らぬ男や侍たちに嘲笑われながら、どれだけの時間、そうしていただろう。
太郎たちは二つの集団に分けられ、一つは別の侍に、太郎たちは上役の男によって連れ出された。
太郎を含め、その集団は二人しかいなかった。もう一人は太郎の家から数軒先の少年だ。がき大将で、村の子どもたちの頭だった。
上役の男は太郎たちを跪かせると、何かを手にした。それは長い柄の先に真っ赤に燃えたものが取り付けられていた。
「喜べ、お前たちは太守様より情けを与えられることとなる。久しく仕え、太守様を失望させるなよ」
言うや、白桜丸の背にその真っ赤になったものを押し当てた。
「うわああああああああ!」
太郎はさけびを上げた。それでもそれは外して貰えず、むしろ強く押し当てられた。
自分の肉の焦げるにおいを嗅ぎながら気を失った。
今から思えばあれは、焼き鏝だった。そうして太郎は初めて大月国隆に抱かれる際、何度もその傷痕を指先で撫でられる羽目になった。
国隆は甘ったるい白粉の匂いをたたえながら囁きかけてくる。
――ほほほ。白い肌によう映えておる。よく聞くのぢゃ。これはお前が供物という証ぞ。身も心も、全て麻呂に捧げたという、贄の印……。
それがこの傷の正体。太郎からすれば忌まわしい家畜の証だ。
そうかと言って、その部分の肉を抉るほどの勇気などなかった。
久しく息してこなかった傷痕が、かすかに疼いた気がした。
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