本懐~秋光と白桜丸

魚谷

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第二章(4)

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 太郎が意識を取り戻すと、すぐ間近に秋光の顔があり、はっとしてしまう。

「……な、何だよ」
「良かった、目を覚ましたんだな」

 秋光はふっと頬の強ばりを緩めた。

「良かったって、何だよ」

 回らない舌で懸命に口走る。

「正直、もう目覚めないと思ったんだ。何度も呼びかけたんだぞ」

 さっき鬼のように責めていたのが嘘のように、秋光は笑う。
 彼の指先が、太郎の汗で濡れた額に張り付いた前髪を優しく払う。
 太郎は離れていく秋光の手を捕まえ、頬に沿わせる。

「このまま……」
「ああ」

 秋光の肌。大きく、皮の厚い手の平を感じると、もう何もかもどうでもよくなるほど心地よくなった。
 秋光がぽつりと呟く。

「……悪かったな」
「何、謝ってるんだ」
「あの男のことを出した。それから、乱暴にしてしまった」

 太郎の中ではもうすでにそんなことは遠く記憶の彼方のことだったが、わざとらしくまだ気にしている風を装う。
 秋光を困らせたい、もう少し構っていて欲しいと思ったのだ。
 閨では散々、翻弄され続けたのだから、その仕返しだ。
 太郎は唇を尖らせる。

「本当だ。あんな奴のことを言うなんてな。俺を抱きながら他の男のことを口にするなんて、どうかしてるぞ」
「お前の言う通りだ。どうかしてた。悪かった」

 そう素直に謝られてしまうと、さすがにいつまでも突っ張ることも出来ない。
 しかしもし交わす言葉がなくなってしまったらこの居心地の時間はあっという間に終わってしまう。太郎は懸命に話を探し、

「なあ、まんじゅって何だ……」

 秋光は虚を突かれたような顔をする。

「いきなりどうした?」
「あの変な男があんたのこと、そう言ってたろ。まんじゅって」

 ああ、佐々木か、と秋光は独りごちる。
 その声は、蕩けきった白桜丸の神経に波紋を描く。妙に気安い……いや、親しげに聞こえたのだ。

「満寿。俺の幼名だ。あいつは昔からの知り合いなんだよ。腐れ縁……いや、因縁か」

 秋光は苦々しそうな顔をする。

「すごい奴が知り合いにいるんだな……武士って、変な奴が多いのか。国隆と言い、佐々木と言い……」
「まさか。あつらは揃って変種みたいなんだもんだ……いや、高春は元々だな。子どもの頃からあんな感じだ」
「子どもの頃から」

 高春は白桜丸の知らない秋光(もちろん、今でさえ彼のことを知っているとは言いがたいが)を知っているのだと考えるだけで胸が締め付けられ、苦しくなってしまう。
 その狂おしさを紛らわせようと、秋光の胸に顔を埋める。

「俺も……呼んで良いか。それとも、嫌いか。ああ呼ばれるのは」
「嫌いではないが」
「みんなの前で呼んだりはしない。ただ、二人きりの時には……呼びたいんだ」

 自分と彼の間だけの秘密を持ちたかった。女々しく、子どもっぽいことを口にしている自覚はあった。それがあるだけでも繋がっているのだと思えるから。

「……好きにしろ」
「満寿」

 そう呟いてみる。

「何だ」

 秋光は微笑み囁く。
 頬が熱くなる。居ても立ってもいられなくなった太郎は彼の胸に顔を埋めた。
 甘えてきているのだと受け取った秋光は、優しく頭を撫でてくれる。
 太郎は唇を緩めて、その心地よさにいつまでも浸っていた。



 秋光はそっと目を開ける。太郎は秋光の胸に顔を埋めたまま、静かな寝息をたてている。
 そっと彼を自分から引き離すと身体を起こした。風邪を引かせぬようしっかり上掛けを肩までかけてやる。
 物音を立てないよう夜着を引っかけた格好で部屋を出る。
 かすかに東の空が明るくなりかけてはいるが、まだ空の大半は夜の気配を濃厚にたたえ、頭上には落ちてきそうなほどの無数の星が輝いていた。
 秋光は馬小屋に向かうと、自分の馬、時雨黒(しぐれぐろ)を引き出した。漆黒の肌に点々と細い斑がある。それが雨の滴のように見えるところからそう名付けた。
 裸馬に跨がり、軽く声をかけて横腹を蹴ると、時雨馬は走り出した。



(秋光、どこへ行くんだ?)

 太郎は肌寒さに身を竦めながら寝所を抜け出した彼を追いかけた。
 彼が起きた時、目覚めたのだ。最初は厠かとも思ったが、そちらとは真逆の方に歩き出したので思わず後を追いかけたのだ。
 そうしたらいきなり馬に乗り出す。
 徒(かち)と馬ではあったが、開けた場所だから見失うということはなかったし、馬を疾走させているから蹄の音が聞こえた。姿を見失っても音を頼りにした。
 秋光の姿は森に消えた。
 小道を歩きながらきょろきょろとしていると、ざぶざぶという騒がしい水音が聞こえた。
 一度行水をしにいった湖の方角からだった。
 そっと近づけば、湖へ夜着のまま入りこんでいく秋光を見た。
 昼間と違って、水は身を刺すように冷たいはずだ。
 そのまま秋光はどんどん深い場所へ入っていく。背中が、肩が没し、そして頭までも底の見えない暗い水中へ消えていく。
 血の気が引く。

「秋光!」

 声を上げ、太郎は砂利を蹴散らし駆け出した。



 秋光は身体の火照りを懸命に冷ましたい一心で、冷水に身をひたし、頭まで沈んだ。
 冷たい水に肌が包まれる。それでも身体の芯の火照りが去ることはない。
 頭の中で太郎との閨でのやりとりが永遠と回想されていた。
 獣にでもなったかのような貪るような蜜交だった。
 名工の手による壺のようになめらかな肌、白い肌が見事に紅潮する淫靡な様を前に、秋光は心ゆくまで太郎の肉体を貪った。
 この麗しい少年の身も心も支配したいとう欲求が身体を熱くさせ、蠱惑な肉体を蹂躙せずにはいられなくなった。
 太郎は秋光に組み敷かれながら、喘ぎ、身悶え、乱れた。
 男根にまとわりつく尻肉の感触、吸い付く柔肌の感触は今すぐにでももう一度感じたいと思えてしまうほど魅力的だった。

(もうあんなことは起こりえない思っていたが……)

 自分の肉体は決してあの時のことを忘れてはいなかった。
 国隆の醜い身体に組み敷かれ、朝な夕なに貫かれ、己がけだものであることを芯から自覚させられた、あの地獄の日々によって花開いた出来事を久しく忘れていた衝動だった。
 そのことを知っているのは館では、爺だけだ。爺が太郎のことに気付いたのも秋光のことがあるからだった。
 それと同時に痛いくらい感じていた。
 秋光は太郎を抱いたことを決して後悔してはいなかった。
 目の前で太郎が再び己の肉体を開いたならば、思う存分楽しむはずだ。

(俺は楽しんでいた)

 今も火照りと共に心に残っているものを何と言えば良いのか――充足感と解放感……。
 偽らざるもう一人の自分。
 そこまで考えた時、襟首をぐっと引っ張り上げられる。

「っ!」

 振り返ると、そこにはここにいるはずがない男がいた。

(太郎!?)

 最初幻かと思ったが、身体を引っ張られる力は紛れもない現実だった。
 二人は水面から顔を出した。次の瞬間。

「馬鹿かっ!」

 太郎からの叱責が飛んだ。

「お前、死にたいくらい俺を抱いたことを後悔したのかよ!」
「太郎……?」
「何だよ、それ」

 流れ滴る水がまるで涙のように見え、かなり遅れて秋光は彼の言わんとすることを理解した。

「違う」
「何が違うっていうんだ! いきなり水に飛び込みやがって、何考えてるんだよ!?」
「後悔してる訳がないだろ。俺を見ろ」

 秋光は乱暴に顔を上げさせた。
 秋光は、太郎の頬を伝う水とは違うものを吸う。それはほんのりとしょっぱく、温かい。

「お前は誤解してる。俺はお前を抱いたことをこれっぽっちも後悔なんてしてないし、第一、死のうとしてたんじゃない」
「じゃあ、何で……」
「火照りを冷ましてたんだ。何せ久しぶりだからな」
「男と。することが、か」
「違う。閨そのものが、だよ。久しぶりすぎていつまでも火照りすぎてな。眠っているお前を見ているだけで襲いたくなった。……だから」
「な、何だよ、それ」

 太郎は泣き笑いの顔をしたかと思うとその場で尻もちをつこうするのを、秋光が慌てて抱き支えた。彼はかすかに鼻をすすった。

「……紛らわしいんだよ、馬鹿」
「そうだな。悪かった」
「心臓が止まるかと思った……心配、したんだからなっ……」

 太郎は強くしがみついてくる。

「そうだな、悪かった。ずぶ濡れだな。早く戻って、湯につかろう」
「……誰のせいだと思ってるんだよ」

 鼻をずっと啜り、太郎はふて腐れた。それでも、その表情は安堵に緩んでいた。
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