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第三章(1)
昼間、太郎は力仕事に励んでいた。水汲みを終えた所で、廊下を歩いてくる三郎と出くわした。
「よお、三郎」
「太郎か。精が出るな」
「これが終わったら弓矢の稽古に付き合ってくれよ」
「いや、俺は」
三郎が振り返ると、角を曲がってやってくるもう一人の男と鉢合わせた。
「おやあぁーん」
頭上から振ってきた猫撫で声に、太郎ははっとした。
男は白地に墨で描かれた大きな鯉が大書されている奇抜な直垂に、様々な色を用いた上で金糸で縁取った鱗模様の袴をまとう
そして顔にはにやついた美形。
佐々木高春。
「君、見ない顔だねえ。最近、ここに来たのかなぁ?」
高春は腰まで届く一片の曇りの無い黒髪をさっと手先で撫でると、にやりと微笑んだ。
(やばい)
高春は秋光の親友だ。とはいえ同じように大月から太郎を捕まえよという命令を受けているのだ。秋光は見逃しても高春は見逃すとは限らない。
それは三郎も同じように察したのだろう。
「佐々木様。こいつは最近雇い入れた下働きですからお気に」
「満寿が怒るからと今日は大人しくしていようと思ったが、なるほどなるほど。天はこの私への褒美をくれたという訳かあ」
高春は紅い房をつけた扇をぱっと広げると、三郎の言葉を無視して、粘着的な眼差しを太郎へ向ける。
「下男にしては、やけに艶めかしい」
その好色そうな眼差しは国隆と重なるが、あちらよりもさらに粘度が強い。
(……もしかして、こいつか。秋光を抱いたのは)
秋光は高春のことを煩わしく思っているようだが、それは腐れ縁特有の遠慮無さが言わせているだけに過ぎないのではないか。気が置けないからこそ、親しいからこそ。
嫉心が満ちていくが、一刻も早く立ち去らなければいけない。
「……し、失礼します」
頭を下げ、そそくさと立ち去ろうとするが、背中に「待て」と声をかけられた。
舌打ちをこらえ、太郎は振り返り、極力笑顔を浮かべる。
「な、何でしょうか。お武家様」
「名は」
「太郎と申します」
「太郎……。おもしろみのない名前だ」
胸中で「放っておけ」と毒づきながら、適当な相づちを打った。
「お前が案内をせよ」
すかさず三郎が言う。
「佐々木様、お戯れは。さあ、部屋へ。殿がお待ちでございます」
しかし高春は「太郎と一緒じゃなければ動かぬ」と馴れ馴れしい上に強情だ。
三郎もここで問答をするのは最早無理(相手が悪すぎる)と判断したのか、「太郎、頼む。殿は奥の私室だ」と譲った。太郎は従う他なかった。
「そうそう。そうでなければ」
高春は口元を扇で隠し、目だけで微笑ませる。
そうして太郎が三郎に代わって案内を務めることになってしまった。
(さっさと終わらせよう)
「お前、どこの生まれだ。両親は?」
高春は二人きりになると話しかけてくる。
「は、はい。山を幾つか越えた村から……野盗に襲われているところを秋光――殿に助けて頂きまして……」
「なるほど。あいつは物好きだからなあ。だが、お前ほど麗しい見目をしていれば私も骨を折ろうと言うもの」
(何て奴だ)
佐々木高春という男は薄情で冷血漢らしい。
私室の前に到着した太郎は膝を折り、声をかける。
「殿、佐々木様をお連れいたしました」
障子戸を開けると、驚いた秋光の視線とぶつかる。
「太郎?」
「失礼するぞぉっ」
高春が入室すると、
「では」
頭を垂れ、立ち去ろうとするのを手首を掴まれたかと思うと、抱き寄せられてしまう。
「なっ、何するんだ……ですか」
思わず地の声が漏れてしまう。
「ここにいろ。のう?」
高春に顎を掴まれ、無理矢理目線を合わせられる。女性のように線が細く柔弱な印象があったが、力は強い。それにただ見た目が女性的という訳ではなく、得も言われぬ凄みをひしひしと感じてしまう。その凄みは太郎を絡めとり、そして見入らせる。美しいものに見取れるということよりもずっと中毒性が――
「今すぐそいつから手を離せ」
秋光の言葉に、太郎ははっと我に返る。高春は秋光ににんまりと笑いかけた。
「おんやぁ? 随分とご執心じゃないか」
「二度は言わんぞ」
「はいはい」
高春は太郎の顎から手を離す。太郎はすぐに高春から距離を取った。
「そう怖がるなよ。戯れだよ」
高春はくつくつと笑うと、秋光に告げる。
「満寿。この男を大月に捧げれば、さぞ今の乱れた心を和ませることが出来るだろうと思うのだけれど」
(こいつっ)
余りな発言に太郎は動揺を隠せない。
「やってみろ」
(秋光!?)
秋光の言葉に、太郎は耳を疑った。冗談で言っていたのか高春も驚く。
「良いのかい? 話に聞けば野盗から助け出したそうじゃないか。これほどの見事な戦利品、手に入れようと思って出来るものではないぞ?」
「……お前を殺すまでだ」
秋光はそう眉一つ動かさないままそう平然と言ってのけた。
室内に呼吸が出来ないくらいの緊張感が満ちる。
「ほほほほ!」
そんな中で、高春はいとも簡単に笑いのけた。
「そう怖い顔をするなよ、満寿。冗談冗談。今さらあの男の歓心を買ったところで何の得があるという訳でもない」
「さっさと用件を話して帰れ」
つれねいねえ、と高春は秋光に躙り寄る。そうして左手の長い指先で、秋光の頬をそっと撫でた。まるで愛撫のように見え、太郎を落ち着かなくさせる。嫉心が蘇り、太郎の胸中は強く疼いてしまう。
「そんなことよりどうだい。場所を褥(しとね)に移して今後のことについて話し合うというのは。寝物語は実に心地よいものだよ」
「お前、そんな趣味があったのか」
「僕はただ君を癒やして上げたいというだけさ。満寿、君を癒やせるのは僕だけだ」
「斬られたいのは左腕か」
秋光は刀に手をかけると共に高春の手首を強く掴み、研ぎ澄まされた眼差しで高春を睨む。高春は一切動じた様子もなく艶然と笑う。
「腕の一本を失う代わりに、お前と睦み合えれば僥倖というものだよ」
「あいにくそれだけで済ませる気はない」
「それは残念」
薄ら笑いをたたえながら高春は懐より取り出した書状を突き出す。秋光は高春から目を離さず、ふんだくるように書状を掴み取った。
「状況は」
「押せば転がる者がいれば、返事だけは勇ましい日和見がいる。……やはりあと一押しがどうしても必要だ」
「一押し……」
「誰かが大きな花火を打ち上げれば、流れが変わるかもしれないけれど……孤立無援になって死ぬかもしれない。さてさて、では失礼するとしよう。今日は面白いものが見られて良かったよ」
太郎も立ち上がり、高春に続く。高春は行きとは違って絡んでこようとしなかったが門前で不意に、「今日は面白かったよ。白桜丸」と囁きかけてきた。
太郎は内心取り乱しそうになりながら言葉を紡ぐ。
「……佐々木様。私めは太郎でございます。ただの太郎でございます」
高春は微笑んだ。
「まあそうしておくとしよう。大丈夫。安心するが良い。満寿に嫌われたくないからね、このことを大月に注進するつもりはないよ。だが、お前ほどの大物を取り逃がしたのならあの男の慌てようも分かるというもの……」
ほほほほ、と高春はおつきの者に守られながら去って行った。
正直、太郎は生きた心地がしなかった。
「よお、三郎」
「太郎か。精が出るな」
「これが終わったら弓矢の稽古に付き合ってくれよ」
「いや、俺は」
三郎が振り返ると、角を曲がってやってくるもう一人の男と鉢合わせた。
「おやあぁーん」
頭上から振ってきた猫撫で声に、太郎ははっとした。
男は白地に墨で描かれた大きな鯉が大書されている奇抜な直垂に、様々な色を用いた上で金糸で縁取った鱗模様の袴をまとう
そして顔にはにやついた美形。
佐々木高春。
「君、見ない顔だねえ。最近、ここに来たのかなぁ?」
高春は腰まで届く一片の曇りの無い黒髪をさっと手先で撫でると、にやりと微笑んだ。
(やばい)
高春は秋光の親友だ。とはいえ同じように大月から太郎を捕まえよという命令を受けているのだ。秋光は見逃しても高春は見逃すとは限らない。
それは三郎も同じように察したのだろう。
「佐々木様。こいつは最近雇い入れた下働きですからお気に」
「満寿が怒るからと今日は大人しくしていようと思ったが、なるほどなるほど。天はこの私への褒美をくれたという訳かあ」
高春は紅い房をつけた扇をぱっと広げると、三郎の言葉を無視して、粘着的な眼差しを太郎へ向ける。
「下男にしては、やけに艶めかしい」
その好色そうな眼差しは国隆と重なるが、あちらよりもさらに粘度が強い。
(……もしかして、こいつか。秋光を抱いたのは)
秋光は高春のことを煩わしく思っているようだが、それは腐れ縁特有の遠慮無さが言わせているだけに過ぎないのではないか。気が置けないからこそ、親しいからこそ。
嫉心が満ちていくが、一刻も早く立ち去らなければいけない。
「……し、失礼します」
頭を下げ、そそくさと立ち去ろうとするが、背中に「待て」と声をかけられた。
舌打ちをこらえ、太郎は振り返り、極力笑顔を浮かべる。
「な、何でしょうか。お武家様」
「名は」
「太郎と申します」
「太郎……。おもしろみのない名前だ」
胸中で「放っておけ」と毒づきながら、適当な相づちを打った。
「お前が案内をせよ」
すかさず三郎が言う。
「佐々木様、お戯れは。さあ、部屋へ。殿がお待ちでございます」
しかし高春は「太郎と一緒じゃなければ動かぬ」と馴れ馴れしい上に強情だ。
三郎もここで問答をするのは最早無理(相手が悪すぎる)と判断したのか、「太郎、頼む。殿は奥の私室だ」と譲った。太郎は従う他なかった。
「そうそう。そうでなければ」
高春は口元を扇で隠し、目だけで微笑ませる。
そうして太郎が三郎に代わって案内を務めることになってしまった。
(さっさと終わらせよう)
「お前、どこの生まれだ。両親は?」
高春は二人きりになると話しかけてくる。
「は、はい。山を幾つか越えた村から……野盗に襲われているところを秋光――殿に助けて頂きまして……」
「なるほど。あいつは物好きだからなあ。だが、お前ほど麗しい見目をしていれば私も骨を折ろうと言うもの」
(何て奴だ)
佐々木高春という男は薄情で冷血漢らしい。
私室の前に到着した太郎は膝を折り、声をかける。
「殿、佐々木様をお連れいたしました」
障子戸を開けると、驚いた秋光の視線とぶつかる。
「太郎?」
「失礼するぞぉっ」
高春が入室すると、
「では」
頭を垂れ、立ち去ろうとするのを手首を掴まれたかと思うと、抱き寄せられてしまう。
「なっ、何するんだ……ですか」
思わず地の声が漏れてしまう。
「ここにいろ。のう?」
高春に顎を掴まれ、無理矢理目線を合わせられる。女性のように線が細く柔弱な印象があったが、力は強い。それにただ見た目が女性的という訳ではなく、得も言われぬ凄みをひしひしと感じてしまう。その凄みは太郎を絡めとり、そして見入らせる。美しいものに見取れるということよりもずっと中毒性が――
「今すぐそいつから手を離せ」
秋光の言葉に、太郎ははっと我に返る。高春は秋光ににんまりと笑いかけた。
「おんやぁ? 随分とご執心じゃないか」
「二度は言わんぞ」
「はいはい」
高春は太郎の顎から手を離す。太郎はすぐに高春から距離を取った。
「そう怖がるなよ。戯れだよ」
高春はくつくつと笑うと、秋光に告げる。
「満寿。この男を大月に捧げれば、さぞ今の乱れた心を和ませることが出来るだろうと思うのだけれど」
(こいつっ)
余りな発言に太郎は動揺を隠せない。
「やってみろ」
(秋光!?)
秋光の言葉に、太郎は耳を疑った。冗談で言っていたのか高春も驚く。
「良いのかい? 話に聞けば野盗から助け出したそうじゃないか。これほどの見事な戦利品、手に入れようと思って出来るものではないぞ?」
「……お前を殺すまでだ」
秋光はそう眉一つ動かさないままそう平然と言ってのけた。
室内に呼吸が出来ないくらいの緊張感が満ちる。
「ほほほほ!」
そんな中で、高春はいとも簡単に笑いのけた。
「そう怖い顔をするなよ、満寿。冗談冗談。今さらあの男の歓心を買ったところで何の得があるという訳でもない」
「さっさと用件を話して帰れ」
つれねいねえ、と高春は秋光に躙り寄る。そうして左手の長い指先で、秋光の頬をそっと撫でた。まるで愛撫のように見え、太郎を落ち着かなくさせる。嫉心が蘇り、太郎の胸中は強く疼いてしまう。
「そんなことよりどうだい。場所を褥(しとね)に移して今後のことについて話し合うというのは。寝物語は実に心地よいものだよ」
「お前、そんな趣味があったのか」
「僕はただ君を癒やして上げたいというだけさ。満寿、君を癒やせるのは僕だけだ」
「斬られたいのは左腕か」
秋光は刀に手をかけると共に高春の手首を強く掴み、研ぎ澄まされた眼差しで高春を睨む。高春は一切動じた様子もなく艶然と笑う。
「腕の一本を失う代わりに、お前と睦み合えれば僥倖というものだよ」
「あいにくそれだけで済ませる気はない」
「それは残念」
薄ら笑いをたたえながら高春は懐より取り出した書状を突き出す。秋光は高春から目を離さず、ふんだくるように書状を掴み取った。
「状況は」
「押せば転がる者がいれば、返事だけは勇ましい日和見がいる。……やはりあと一押しがどうしても必要だ」
「一押し……」
「誰かが大きな花火を打ち上げれば、流れが変わるかもしれないけれど……孤立無援になって死ぬかもしれない。さてさて、では失礼するとしよう。今日は面白いものが見られて良かったよ」
太郎も立ち上がり、高春に続く。高春は行きとは違って絡んでこようとしなかったが門前で不意に、「今日は面白かったよ。白桜丸」と囁きかけてきた。
太郎は内心取り乱しそうになりながら言葉を紡ぐ。
「……佐々木様。私めは太郎でございます。ただの太郎でございます」
高春は微笑んだ。
「まあそうしておくとしよう。大丈夫。安心するが良い。満寿に嫌われたくないからね、このことを大月に注進するつもりはないよ。だが、お前ほどの大物を取り逃がしたのならあの男の慌てようも分かるというもの……」
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