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第五章 桃園の謀
囚われの旬果
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旬果は目を瞬《またた》かせる。
一体あれからどれだけの時間が過ぎたのか。
数刻しか経っていないのか、それとも一日、それ以上か――。
劉麗は茫然とし、慧星はさっきまで泣いていたが、泣き疲れてぐったりしていた。
(洪周がこんなことをするなんて……)
それも、このことを随分と前から計画していたのだろう。その為に、旬果を巻き込むまいと警告し続けていた。
(こんなことまでして皇后になりたいの……?)
しかし幾ら何でも彼女一人で、ここまで大それたことが出来るはずがない。
洪周の背後には、他の誰かがいる。
旬果はそれを確信していた。
(……きっと泰風が助けに来てくれるはず。今だってきっと、私のことを探してくれてるわ)
泰風の姿を思い浮かべれば、萎えそうな心も奮い立つ。
旬果は劉麗たちへ近づく。
「二人とも。大丈夫?」
劉麗はやつれた表情を向ける。さすがに披露とやつれの色が、濃く滲んでいた。
「……大丈夫な訳ないでしょう。私たち、殺されるのよ」
慧星は呟く。
「お腹がすいたし、喉も渇きましたわ……」
旬果は言う。
「大丈夫。きっと泰風が助けに来てくれるから」
劉麗は眉をしかめた。
「泰風? それって魁夷の?」
「ええ。すごく頼りに……」
しかしそれに対する二人の反応は、驚きと呆れの入り交じったものだった。
劉麗が言う。
「あなた。魁夷を信じてるなんて、気でもおかしくなったの?」
慧星は頷く。
「そうですわ。魁夷如きに、何が出来ると?」
旬果は思わず二人を睨めば、劉麗たちはたじろぐ。
「今こうして私たちを苦しめているのは魁夷じゃない。同じ人間なのよ。だったら魁夷のことだって、信じても良いんじゃない?」
しかし二人は口ごもりはするものの、納得はしていないようだった。
旬果は小さく息を吐いた。
「とにかく、やれることをしましょう」
劉麗は旬果を見つめる。
「――ねえ、あなた。洪周と親しかったわよね。あなたもあの女の仲間なんじゃないの。私たちを殺して、皇后の位を奪おうと二人で結託して……」
「そんな訳ないでしょう。見て分からないの。私もあなた達と一緒につかまってるじゃない」
慧星がにらんできた。
「そうやって、仲間みたいなことを主張するとますます怪しいですわ」
旬果は天を仰ぎたくなる。
(こいつら、この期に及んで何言ってる訳!?)
その時、ギィッ……と軋む音をたてて、扉が開く。室内が橙色の灯りに照らし出される。
黒ずくめの男が二人、手燭を手に部屋に入ってきたのだ。そしてもう片方の手には、剥き身の短刀。
旬果たちは身を強張らせた。
「……っ!」
いざという時に喉が締まり、旬果はうまく声が出せない。
だが短刀は旬果を傷つけず、両足首を縛っている縄を切る。
続いて劉麗と慧星の足の縛めも同様に切った。
劉麗は前のめりになる。
「た、助けてっ! 私を助けて下さったら、お金も官位も思いのままよっ!」
しかし黒ずくめの男たちは、鼻で笑う。
「付いてこい」
慧星が涙ながらに訴える。
「お願いですわ。このことは誰にも言いませんから、どうかお助けを……!」
黒ずくめは短刀を、慧星に突きつける。
「ここで死にたいのかっ」
「ひっ」
黒ずくめの男たちに前後を挟まれる形で、前から旬果、劉麗、慧星という順番で、部屋を出された。廊下の壁には狭間が等間隔に配されて、台座には松明がかけられている。
挾間の向こうの景色は夜の帳《とばり》が下り、篝火《かがりび》が爆ぜる音以外、何も聞こえない。
何度か階段を上がり、幾つかの廊下を抜けた。
(どんどん上へ上がっている……)
旬果は必死に情報を集めようとしていた。
狭間からの景色を見る限り、ここは森の中。計画的に旬果達を誘拐したとはいえ、それほど遠くまで運ばれたということはないだろう。旬果たちを捜索する為の兵が出されているだろうから、街道を行けば追っ手に見つかりかねないし、移動途中に旬果たちが目覚めて暴れたら面倒だ。
旬果は頭の中で、意識を失ってからそれほど経っていないだろうと考えた。
それから都から離れていないだろう、とも。
やがて平屋の建物が目の前に現れる。
(建物の中に建物……?)
先頭を行っていた黒ずくめが戸を開ける。
室内は旬果たちが閉じ込められていた部屋と同じような大きさだが、物が少ない分、広く見える。そこに二人の人物がいた。
一人は洪周であり、もう一人は兄の洪仁傑。
劉麗が叫ぶ。
「将軍! あ、あなた……っ!?」
黒ずくめの男が「黙れ!」と怒鳴るが、仁傑はそれを制した。
劉麗は仁傑に、躙り寄る。
「あ、あなた、陛下の厚恩を無下にして……こんな卑劣なことをして、あなた達兄妹はもうお終いよ!」
旬果は、叫ぶ劉麗に不安を掻き立てられた。
(馬鹿! 刺激してどうするのよ!)
黙っている仁傑に唾を吐きかけんばかりの勢いで、劉麗が睨み付けた。
「何とか言ったら――」
その時、パンッと乾いた音が弾ければ、劉麗が石畳に勢い良く倒れ込んだ。
仁傑が頬を張ったのだ。劉麗の頬が真っ赤になる。
仁傑が冷たい眼差しで、劉麗を見下ろす。
「うるさい女だ」
劉麗へのやりようを目の当たりにし、慧星は跪く。
「お願い。殺さないで……。助けて。将軍、お願いですわ!」
仁傑は無感動に慧星を一瞥し、次いで旬果を見る。
「お前は、何か言いたいことがあるか?」
仁傑の目を旬果は見返し、それから洪周と視線を重ねた。
「こんなことしても無駄よ。きっと泰風が助けにきてくれる」
仁傑は鼻で笑う。
「無駄だな。捜索の命を受けているのは私だ。お前たちはここで死ぬ。そして洪周が、皇后として即位する」
仁傑は笑みを浮かべ、洪周を見る。
皇后になる、そう兄から語りかけられた洪周は無表情で、決してそのことを手放して喜んでいるようではない――旬果にはそう見えた。
仁傑は腰の剣を抜く。
「さっさと済ませよう。――私が賊の元へ飛び込んだ時には、生き残りは洪周のみ。時既に遅く、残りは無残な最期を遂げていた……」
劉麗と慧星は二人して身を寄せ合い、震える。
旬果は仁傑の前に踏み出す。
「待ちなさいよっ」
仁傑は眉をひそめた。
「何だ? お前が先か?」
「……」
前に出たとはいえ、旬果の身体は恐怖に竦んで言葉が続かない。
「兄さん――」
洪周が声を上げたその時、扉が勢い良く開く。
現れたのは黒ずくめの男。男は片膝をつく。
仁傑は目を向ける。
「何事だ」
「将軍。侵入者ですっ! 外を守っていた者がやられて……」
仁傑は鞘に剣を戻す。
「ついてこい」
仁傑は黒ずくめ達を率いて、部屋を出ようとする。その直前、妹を振り返る。
「――洪周。俺たちの戻りが遅ければ、こいつらのことは頼んだぞ」
かすかに身を小刻みに戦慄かせた洪周は、小さく頷く。
「……分かった」
そして仁傑が部屋から出て行けば、旬果は腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。
一体あれからどれだけの時間が過ぎたのか。
数刻しか経っていないのか、それとも一日、それ以上か――。
劉麗は茫然とし、慧星はさっきまで泣いていたが、泣き疲れてぐったりしていた。
(洪周がこんなことをするなんて……)
それも、このことを随分と前から計画していたのだろう。その為に、旬果を巻き込むまいと警告し続けていた。
(こんなことまでして皇后になりたいの……?)
しかし幾ら何でも彼女一人で、ここまで大それたことが出来るはずがない。
洪周の背後には、他の誰かがいる。
旬果はそれを確信していた。
(……きっと泰風が助けに来てくれるはず。今だってきっと、私のことを探してくれてるわ)
泰風の姿を思い浮かべれば、萎えそうな心も奮い立つ。
旬果は劉麗たちへ近づく。
「二人とも。大丈夫?」
劉麗はやつれた表情を向ける。さすがに披露とやつれの色が、濃く滲んでいた。
「……大丈夫な訳ないでしょう。私たち、殺されるのよ」
慧星は呟く。
「お腹がすいたし、喉も渇きましたわ……」
旬果は言う。
「大丈夫。きっと泰風が助けに来てくれるから」
劉麗は眉をしかめた。
「泰風? それって魁夷の?」
「ええ。すごく頼りに……」
しかしそれに対する二人の反応は、驚きと呆れの入り交じったものだった。
劉麗が言う。
「あなた。魁夷を信じてるなんて、気でもおかしくなったの?」
慧星は頷く。
「そうですわ。魁夷如きに、何が出来ると?」
旬果は思わず二人を睨めば、劉麗たちはたじろぐ。
「今こうして私たちを苦しめているのは魁夷じゃない。同じ人間なのよ。だったら魁夷のことだって、信じても良いんじゃない?」
しかし二人は口ごもりはするものの、納得はしていないようだった。
旬果は小さく息を吐いた。
「とにかく、やれることをしましょう」
劉麗は旬果を見つめる。
「――ねえ、あなた。洪周と親しかったわよね。あなたもあの女の仲間なんじゃないの。私たちを殺して、皇后の位を奪おうと二人で結託して……」
「そんな訳ないでしょう。見て分からないの。私もあなた達と一緒につかまってるじゃない」
慧星がにらんできた。
「そうやって、仲間みたいなことを主張するとますます怪しいですわ」
旬果は天を仰ぎたくなる。
(こいつら、この期に及んで何言ってる訳!?)
その時、ギィッ……と軋む音をたてて、扉が開く。室内が橙色の灯りに照らし出される。
黒ずくめの男が二人、手燭を手に部屋に入ってきたのだ。そしてもう片方の手には、剥き身の短刀。
旬果たちは身を強張らせた。
「……っ!」
いざという時に喉が締まり、旬果はうまく声が出せない。
だが短刀は旬果を傷つけず、両足首を縛っている縄を切る。
続いて劉麗と慧星の足の縛めも同様に切った。
劉麗は前のめりになる。
「た、助けてっ! 私を助けて下さったら、お金も官位も思いのままよっ!」
しかし黒ずくめの男たちは、鼻で笑う。
「付いてこい」
慧星が涙ながらに訴える。
「お願いですわ。このことは誰にも言いませんから、どうかお助けを……!」
黒ずくめは短刀を、慧星に突きつける。
「ここで死にたいのかっ」
「ひっ」
黒ずくめの男たちに前後を挟まれる形で、前から旬果、劉麗、慧星という順番で、部屋を出された。廊下の壁には狭間が等間隔に配されて、台座には松明がかけられている。
挾間の向こうの景色は夜の帳《とばり》が下り、篝火《かがりび》が爆ぜる音以外、何も聞こえない。
何度か階段を上がり、幾つかの廊下を抜けた。
(どんどん上へ上がっている……)
旬果は必死に情報を集めようとしていた。
狭間からの景色を見る限り、ここは森の中。計画的に旬果達を誘拐したとはいえ、それほど遠くまで運ばれたということはないだろう。旬果たちを捜索する為の兵が出されているだろうから、街道を行けば追っ手に見つかりかねないし、移動途中に旬果たちが目覚めて暴れたら面倒だ。
旬果は頭の中で、意識を失ってからそれほど経っていないだろうと考えた。
それから都から離れていないだろう、とも。
やがて平屋の建物が目の前に現れる。
(建物の中に建物……?)
先頭を行っていた黒ずくめが戸を開ける。
室内は旬果たちが閉じ込められていた部屋と同じような大きさだが、物が少ない分、広く見える。そこに二人の人物がいた。
一人は洪周であり、もう一人は兄の洪仁傑。
劉麗が叫ぶ。
「将軍! あ、あなた……っ!?」
黒ずくめの男が「黙れ!」と怒鳴るが、仁傑はそれを制した。
劉麗は仁傑に、躙り寄る。
「あ、あなた、陛下の厚恩を無下にして……こんな卑劣なことをして、あなた達兄妹はもうお終いよ!」
旬果は、叫ぶ劉麗に不安を掻き立てられた。
(馬鹿! 刺激してどうするのよ!)
黙っている仁傑に唾を吐きかけんばかりの勢いで、劉麗が睨み付けた。
「何とか言ったら――」
その時、パンッと乾いた音が弾ければ、劉麗が石畳に勢い良く倒れ込んだ。
仁傑が頬を張ったのだ。劉麗の頬が真っ赤になる。
仁傑が冷たい眼差しで、劉麗を見下ろす。
「うるさい女だ」
劉麗へのやりようを目の当たりにし、慧星は跪く。
「お願い。殺さないで……。助けて。将軍、お願いですわ!」
仁傑は無感動に慧星を一瞥し、次いで旬果を見る。
「お前は、何か言いたいことがあるか?」
仁傑の目を旬果は見返し、それから洪周と視線を重ねた。
「こんなことしても無駄よ。きっと泰風が助けにきてくれる」
仁傑は鼻で笑う。
「無駄だな。捜索の命を受けているのは私だ。お前たちはここで死ぬ。そして洪周が、皇后として即位する」
仁傑は笑みを浮かべ、洪周を見る。
皇后になる、そう兄から語りかけられた洪周は無表情で、決してそのことを手放して喜んでいるようではない――旬果にはそう見えた。
仁傑は腰の剣を抜く。
「さっさと済ませよう。――私が賊の元へ飛び込んだ時には、生き残りは洪周のみ。時既に遅く、残りは無残な最期を遂げていた……」
劉麗と慧星は二人して身を寄せ合い、震える。
旬果は仁傑の前に踏み出す。
「待ちなさいよっ」
仁傑は眉をひそめた。
「何だ? お前が先か?」
「……」
前に出たとはいえ、旬果の身体は恐怖に竦んで言葉が続かない。
「兄さん――」
洪周が声を上げたその時、扉が勢い良く開く。
現れたのは黒ずくめの男。男は片膝をつく。
仁傑は目を向ける。
「何事だ」
「将軍。侵入者ですっ! 外を守っていた者がやられて……」
仁傑は鞘に剣を戻す。
「ついてこい」
仁傑は黒ずくめ達を率いて、部屋を出ようとする。その直前、妹を振り返る。
「――洪周。俺たちの戻りが遅ければ、こいつらのことは頼んだぞ」
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