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第五章 桃園の謀
炎
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月の見えない闇の中。
時代から取り残されて朽ちようとした砦は、巨人が蹲るような不気味な存在感を放っていた。
泰風はそこに忍び込んでいた。
すでに外で見張りをしていた二人の黒ずくめを、打ち倒した。
一人は闇から忍び寄って気道を締めて気絶させ、さらにもう一人は腹に拳を叩きつけ、伸したのだ。
泰風は壁を這《は》い上がり、身を低くして、暗闇から敵の動向を窺う。
耳が痛くなるほどの静けさが満ちていたが、かすかに騒がしくなった。
(侵入に気付いたか)
わざと目立つところに、気絶させた二人を置いていた。
相手側に動きがあれば、旬果たちの居場所を特定できる手がかりになると考えたからだ。
三人はまだ恐らく生きているはずだ。
なぜなら、まだ兵士たちは厳重にここを守っていたからだ。とうに処分したのならば、ただちにここを去るはず。
(だから、旬果様はまだ生きておられる)
泰風は自分に言い聞かせるよう、胸の内で思う。
気配が近づく。泰風は飛び出す。虚を突かれたのは、二人の黒ずくめ。一人の顎に掌底を叩き込み、もう一人のこめかみに上段蹴りを浴びせ、昏倒させた。
そして素早く駆ける。闇の中に篝火の火の粉が舞い上がった。
足音に耳を澄ませる。
もし地下に旬果たちが囚われていれば、そこにある程度の人数を割くはず。
しかし気になる足音はなかった。
(……旬果様は最上階か)
そう思い定めた時。
「賊よ、出てこいっ!」
大音声が響き渡った。
その声には嫌というほど聞き覚えがあった。
泰風が廊下を抜ければ、闇に包まれた空が見えた。どうやら砦の最上階に出たらしかった。道は真っ直ぐに伸び、その先に砦の隊長の住まいとして造られたと思しき、平屋の居館があった。
が、泰風と居館の間には、鋼の鎧に身を包んだ男が立っていた。
「……仁傑将軍」
仁傑はにやりと笑う。
「賊はお前だったか……。魁夷ごときが忠臣面で、単身乗り込んで来たのか?」
「旬果様を返して頂きたいっ」
「断る! 皇后の座は妹のものだっ! 再び洪家は興隆するっ!」
仁傑が剣を抜く――刹那、泰風は背後に気配を感じ取る。
振り向きざまに剣を抜き、忍び寄っていた二人の黒ずくめを斬り伏せた。
次の瞬間。仁傑が地を蹴って肉迫、剣を振るう。
間一髪の所で受け止めれば、目の前で火花が散った。
※※※※※
旬果は洪周を見る。
彼女に声をかけているが一瞥もされず、すでに声は嗄れかけていた。
劉麗と慧星は精も根も尽き果て、何もかも諦めてしまったかのように身動ぎ一つしない。
と、初めて洪周が旬果を見た。その腕には、褐色の壺を抱えていた。
旬果の目の前で、壺の中身をぶちまけ始める。
むっとする嫌な匂いが鼻をつく。油だ。
旬果は身動《みじろ》ぐ。
「洪周! やめてっ!」
「……もし、あなたが皇后候補でなかったら……。何度もそう思ったわ。そうだったら、私達は本当の友達になれたのにって……」
無表情のまま、壺をさらに二つ中身を開けた。
油の異臭に、ぐったりしていた劉麗と慧星もさすがに顔を起こす。
洪周はゆっくりとした足取りで出入り口の扉に向かうと、その傍にあった手燭を取る。
「さようなら」
旬果は身を乗り出す。
「洪周――――!!」
手燭が手から離れる。火種が油の撒かれた床に落ちれば、紅蓮の炎がまるで生き物のように床をあっという間に呑《の》み込んでいく。
洪周は、足早に部屋を出て行く。
身が竦むような炎はたちまち、旬果達の逃げ場を塞ぐ。
その光景が過去の情景と重なる。
激しい恐怖に縛られ、旬果は炎に魅入られたように呼吸すら忘れてしまう。
その間にも大人の背よりも高くなった火柱が屋根を食らい、湧きあがった黒煙が視界をふさぐ。
激しく噎せ返り、涙で視界が滲んだ。
(泰風……!)
時代から取り残されて朽ちようとした砦は、巨人が蹲るような不気味な存在感を放っていた。
泰風はそこに忍び込んでいた。
すでに外で見張りをしていた二人の黒ずくめを、打ち倒した。
一人は闇から忍び寄って気道を締めて気絶させ、さらにもう一人は腹に拳を叩きつけ、伸したのだ。
泰風は壁を這《は》い上がり、身を低くして、暗闇から敵の動向を窺う。
耳が痛くなるほどの静けさが満ちていたが、かすかに騒がしくなった。
(侵入に気付いたか)
わざと目立つところに、気絶させた二人を置いていた。
相手側に動きがあれば、旬果たちの居場所を特定できる手がかりになると考えたからだ。
三人はまだ恐らく生きているはずだ。
なぜなら、まだ兵士たちは厳重にここを守っていたからだ。とうに処分したのならば、ただちにここを去るはず。
(だから、旬果様はまだ生きておられる)
泰風は自分に言い聞かせるよう、胸の内で思う。
気配が近づく。泰風は飛び出す。虚を突かれたのは、二人の黒ずくめ。一人の顎に掌底を叩き込み、もう一人のこめかみに上段蹴りを浴びせ、昏倒させた。
そして素早く駆ける。闇の中に篝火の火の粉が舞い上がった。
足音に耳を澄ませる。
もし地下に旬果たちが囚われていれば、そこにある程度の人数を割くはず。
しかし気になる足音はなかった。
(……旬果様は最上階か)
そう思い定めた時。
「賊よ、出てこいっ!」
大音声が響き渡った。
その声には嫌というほど聞き覚えがあった。
泰風が廊下を抜ければ、闇に包まれた空が見えた。どうやら砦の最上階に出たらしかった。道は真っ直ぐに伸び、その先に砦の隊長の住まいとして造られたと思しき、平屋の居館があった。
が、泰風と居館の間には、鋼の鎧に身を包んだ男が立っていた。
「……仁傑将軍」
仁傑はにやりと笑う。
「賊はお前だったか……。魁夷ごときが忠臣面で、単身乗り込んで来たのか?」
「旬果様を返して頂きたいっ」
「断る! 皇后の座は妹のものだっ! 再び洪家は興隆するっ!」
仁傑が剣を抜く――刹那、泰風は背後に気配を感じ取る。
振り向きざまに剣を抜き、忍び寄っていた二人の黒ずくめを斬り伏せた。
次の瞬間。仁傑が地を蹴って肉迫、剣を振るう。
間一髪の所で受け止めれば、目の前で火花が散った。
※※※※※
旬果は洪周を見る。
彼女に声をかけているが一瞥もされず、すでに声は嗄れかけていた。
劉麗と慧星は精も根も尽き果て、何もかも諦めてしまったかのように身動ぎ一つしない。
と、初めて洪周が旬果を見た。その腕には、褐色の壺を抱えていた。
旬果の目の前で、壺の中身をぶちまけ始める。
むっとする嫌な匂いが鼻をつく。油だ。
旬果は身動《みじろ》ぐ。
「洪周! やめてっ!」
「……もし、あなたが皇后候補でなかったら……。何度もそう思ったわ。そうだったら、私達は本当の友達になれたのにって……」
無表情のまま、壺をさらに二つ中身を開けた。
油の異臭に、ぐったりしていた劉麗と慧星もさすがに顔を起こす。
洪周はゆっくりとした足取りで出入り口の扉に向かうと、その傍にあった手燭を取る。
「さようなら」
旬果は身を乗り出す。
「洪周――――!!」
手燭が手から離れる。火種が油の撒かれた床に落ちれば、紅蓮の炎がまるで生き物のように床をあっという間に呑《の》み込んでいく。
洪周は、足早に部屋を出て行く。
身が竦むような炎はたちまち、旬果達の逃げ場を塞ぐ。
その光景が過去の情景と重なる。
激しい恐怖に縛られ、旬果は炎に魅入られたように呼吸すら忘れてしまう。
その間にも大人の背よりも高くなった火柱が屋根を食らい、湧きあがった黒煙が視界をふさぐ。
激しく噎せ返り、涙で視界が滲んだ。
(泰風……!)
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