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洋館 編
4:館での生活
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「ナニコレおいしーっ」
イングリットは朝食に舌鼓を打つ。
館の一階にある食堂でのことだ。
並べられた食事は新鮮玉子の目玉焼きに、ロールパン、野菜サラダに、肉のスープというシンプルなものだったが、どれも文句なしの味だった。
「お粗末さまです」
壁際に立っているロシェルは頭を下げる。
「やっぱりロシェルの料理は最高。お嫁さんにしたいくらいっ」
「そんなぁ……」
恥ずかしそうに頬を染める。
「ロシェルの食事は獣人族の中でも指折りだからな」
「……マクヴェス、凄い料理ね……」
並の男よりもずっと食べるイングリットだが、さすがに朝から肉の塊は食べる気にはなれない。
それに、ここのところ、ベッドでの生活が長く続いている。
さすがにおいしさに釣られて食べてばかりだと、体型が崩れてきそうで怖い。
「イングリット様も、お肉、召し上がられますか?」
「ううん、いいよ、私は……夕食で……」
「イングリット、体調のほうは?」
マクヴェスたちに命を助けられてから一週間が経とうとしていた。
順調に怪我は回復し、食事も部屋ではなく、こうして場所を移動してとれるようになっていた。
「二人のおかげでだいぶいいわ。……本当にありがとう」
「順調で何よりだ」
「ね、毎日私を診みてくれてるおじいさん先生も、獣人族?」
思い浮かべるのは、まるまるっと太った老医師だ。ふさふさの眉で目が隠れているのがトレードマークとロシェルは言っていた。
「ああ。ダンドム先生は信頼できるし、口も硬い。昔は王の主治医だったんだ」
「あの人は、何の動物なの」
「クマだ」
「クマぁ」
おもわずうっとりとした声を漏らし、虚空を見てしまう。
たしかに思い返してみると、指がまるっとしている。
(本物のクマがそうなのかよくわかんないけど……。
あのおじいちゃん先生まで、マクヴェスと一緒にもふもふできたらなぁ。おじいちゃんだから、さすがに毛並みの良さは期待できないほど……でも、おじいちゃんはおじいちゃんで別の良さがあるものねっ)
親にだまってこっそり近所の老犬を撫で撫でしたことがあった。
子どもになで回されているというのに、まるで何事もないかのように泰然自若としているさまに痺れたことをはっきり覚えている。
「イングリット……?」
「あ、はい」
「大丈夫か? 今、なんだか、目の焦点が……」
「平易。ちょっとぼーっとしちゃっただけだから」
「お体の調子がお悪いのですか。先生に連絡を……」
飛び出そうとするロシェルを何とか制し、なんとか事なきを得た。
「それじゃ、先に失礼する。イングリット、何かあれば、ロシェルに遠慮なく言ってくれ」
「分かった、ありがとう」
マクヴェスを見送る。
ロシェルは早速、空いたお皿を片付けはじめる。
「手伝うわ」
自分の皿を重ね、ひょいと持ちあげる。
「いえ、そんな……。イングリット様はお休みになってください」
「そう言ってくれるのはありがたいけど、さすがに食っちゃ寝しすぎちゃったというか……。手伝わせて」
「ですが、それでは殿下に叱られて……」
「大丈夫。マクヴェスに何か言われたら、私がちゃんと言うから」
台所の炊事場に皿をもっていき、手早く洗うロシェルの横で、皿の水気を拭くのを担当する。
これくらいなら、新人騎士時代、先輩たちへのまかない料理作りのときにも経験している。
「ロシェルは大変ね」
「?」
ロシェルは不思議そうに小首をかしげる。
「こーんなおっきな、お屋敷をたった一人で管理してるだなんて」
「もう馴れました。かれこれ、十年は殿下にはご奉公しておりますので」
「十年……? えっと、ロシェルはいくつ? あ、都市の数え方は人間と同じ?」
「具体的には違いますが、今は人間に直すと、二十歳です」
「ってことは、ロシェルはお姉さんね。私は十七だから」
「左様ですか」
「マクヴェスはいくつなの?」
「二十五歳にあらされます」
「へえ……。マクヴェスって童顔なのね。そんなに歳が変わらないと思ってたけど。
話は戻るけど、十歳からご奉公なんて大変ね」
「両親も同じつとめをしておりました。殿下の母上様のお世話を……。そして私はこうして、今、殿下のおそばに」
「代々なんて、年期があるなぁ」
「こんなことくらいしか出来ませんので」
「いや、そんな謙遜しちゃ駄目よ。だって、あーんなおいしいお料理をお茶の子さいさいって感じって作っちゃうんだから。
もっと胸を張って、『私、料理の達人ですからっ(キリッ)』とか言っちゃってもいいと思うけど」
ロシェルは一瞬きょとんとして、それからこらえきれないように吹き出す。
「ん?」
「面白いことを仰られるんですね」
目の端に浮かんだ涙をロシェルはそっと拭う。
「そう?」
「はい。そんなことを言われたのははじめてです」
「でも、ロシェルみたいに掃除も料理も気配りもできる使用人がいたら私は自慢しちゃうかな。きっと、マクヴェスも同じだと思う。口には出さないだけで」
「そうでしょうか」
「そうさ。じゃなかったら、こーんな広い屋敷、ロシェル一人に任せるわけない」
「今は三人ですね」
「そうそう。だから、私もさ、いろいろ、家の手伝いをするから気兼ねなく言って」
「ですが、イングリット様はお客様ですから……」
「先生にだってすこしくらいは動けって言われたわ。料理は大鍋に具材をテキトーに切って、ぶっこんで味噌で煮る、とかなら大丈夫。ベッドメイキングは出来るし、力仕事はもちろん任せて」
イングリットは冗談めかして力こぶをつくるような仕草をする。
「そうですか? ……では、お言葉にあまえてよろしゅうございますか?」
「甘えて、甘えて、どんどんねっ」
「では、薪束まきたばを持ってきていただけますか」
「おやすいご用よっ」
「薪は館の裏手に積んでありますから」
「ついでに、薪も割っちゃう?」
「……では、お願いします。私はその間に雑事を終わらせます……」
「了解」
ビシッと敬礼すると、イングリットは早速、勝手口から裏手へ回る。
「へえ、厩舎きゅうしゃまであるんだ」
イングリットを興味深そうに馬たちをじっと見つめる。
「私はイングリット。ちょっとこちらでご厄介になっているものです。よろしくお願いします」
「…………」
「…………」
(あれ? この子たちは獣人ってわけじゃあ……ないんだ)
なんだか、区別が難しいと頭を悩ませつつ、薪割りを早速、開始する。
鉈なたを手に、木を一本一本、斬っていく。
気持ちの良い音が、周囲の静寂に包まれた空間で反響する。
これも新人騎士時代に嫌というほどやったものだ。
(やっぱり腕の筋肉がだいぶ落ちちゃってる……)
女の身空で一番大変なのが筋肉の管理だ。
だいの男でも涙目になり、息も絶え絶えになるようなトレーニングを毎日やって、どうにかこうにか補える、という感じだったのに。
(その代わり、だいぶ、いらないお荷物ぜいにくが)
横っ腹をつねり、はぁぁぁぁ……と溜息。
とかなんとか色々考えつつも黙々と仕事をこなす。
(よし、これでとりあえず、全部、割り終わったわね)
「ふぅー、暑い。こんなことで息があがっちゃうなんて」
シャツの襟首をぱたぱたとさせつつ、汗を拭う。
薪束を二セット抱えて台所へ運ぶと、ちょうど、ロシェルがティーセットを運ぼうというところだった。
「終わったわよ」
「ありがとうございます。それじゃあ、これ、マクヴェス様のところへ運んでいただいてよろしいですか?」
「あーごめん、私、お茶とかうまく淹いれられない思う……」
「大丈夫です。もう準備はしてありますから。こちらにあるレモンスライスやミルクはマクヴェス様がご自分で気分に合わせてお入れになるだけですから」
「よ、よし」
「そんな力まなくても大丈夫ですよ」
和やかに微笑むロシェルに見送られ、トレイを手に、慎重な足取りで階段を上がっていく。
(綺麗なティーセットね)
うっすらと青みを帯びた白磁に、金色の縁取りがされているだけというシンプルなデザインながら、落ち着いた雰囲気が気に入った。
この屋敷は全三階建てで、マクヴェスの部屋は三階の南部分に面している。ちなみに、イングリットも三階だ。
二階も三階も同じような造りになっているから、扉についているプレートをちゃんと確認しなければならない。
(ここね)
扉をノックする。すぐに「はい」とマクヴェスの声が返ってきた。
「マクヴェス? お茶をお持ってきたわ」
「え、……イングリット……? ああ、入って……」
扉を開き、こぼすなこぼすなと念じるように胸の内でつぶやき、どうにかこうにかトレイをテーブルの上に無事に軟着陸させることに成功した。
部屋は広々とした応接間。そこの真ん中に置かれた重厚感のあるテーブルと椅子のセットの一つに腰かけ、マクヴェスは書き物をしているようだった。
あとは、小皿にもられたスライスレモンと、壺に入ったクリーム、そしてティーカップを運んでいけば、任務完了ミッションコンプリート。
「どうして、イングリットが……?」
「いつまでも寝ているばかりじゃ身体がうずうずしちゃうんで、ロシェルに手伝いできることはないかって聞いたの」
「そうか。それじゃあ、お茶を一緒につきあってくれ」
場所をダイニングにでも置くような大きなテーブルに場所を移す。
「なら、ロシェルも」
「いや、ロシェルは今頃、昼食を作りつつ、夕食の下ごしらえ中だろう」
「えー……まだ日があんなに高いのに?」
「ほんとうにロシェルはいつ休んでるのかって思うよ。俺は、そこまで念入りにしなくてもいい、二人しか住んでいないんだからって言っても、なかなか聞かなくて。
いつお客様が来るか分からないんですから、どんな部屋も常に万全の状態にしておかなければって……。
今回、イングリットによってその準備の成果が遺憾なく発揮されたんだよ」
「完璧主義……なのね」
(あー、じゃ、私が手伝ったの、あんまり良くなかったかなぁ)
「でも、二人だけならもっと小さいところに住めばいいんじゃない? それか、たくさん使用人をおくとか」
イングリットはマクヴェスと向かいあうような席に座ると、紅茶の渋い味が苦手だから、ミルクをカップへどばどば注いだ。
「ここは父が母に与えた館なんだよ。俺もここでずっと過ごしてきたから愛着があって」
「あ、そうだったんだ、ごめんなさい……。無神経なこと言っちゃって」
「いや、そう思うのは当然さ。だって時々、俺も自分の部屋を間違えたりするからね」
「分かる、その気持ち。今もプレートとにらめっこしちゃったわ」
「だろう? まあ、使用人を増やさないのは、なんだか、見知らぬ人間にあちこちいじられるのが嫌だからなんだ。その点、ロシェルは親の時代から世話をしてくれたからね、気心がしれてる。まあ、そのせいでロシェルへの負担が大きくなっているんだけど」
こうして話していると、すっかり、彼が目を合わせようとしないことも自然に受け入れられるようになった。
ロシェルも同じように振る舞うから、主従は似る、ということか。
確か、父の従者も、父のクセである顎を触る仕草がうつって、主従そろって顎をモミモミしているのを見ると間が抜けていると母が言っていたことを思い出す。
「どうしたんだ?」
不意に笑ったイングリートをマクヴェスが不思議そうに見つめる。
「ううん、ちょっと思いだし笑い……」
「そう……か」
マクヴェスはそれから不意に黙り、かすかに細めた視線を向けてくる。
(あ)
きっとはじめてかもしれず、目が合った。
しかしすぐに逸らされてしまう。
「すまない、今は書き物の途中だったんだ」
「あ、ごめんなさい、邪魔しちゃって」
「いや、いい。お茶、楽しかったよ」
「うん、私も……」
さっきよりも、他人行儀な笑顔になったように見えるのは、気のせいだろうか……。
イングリッドは部屋を出た。
(ちょっと調子にのってあーだこーだ言い過ぎちゃったかな……)
イングリットは朝食に舌鼓を打つ。
館の一階にある食堂でのことだ。
並べられた食事は新鮮玉子の目玉焼きに、ロールパン、野菜サラダに、肉のスープというシンプルなものだったが、どれも文句なしの味だった。
「お粗末さまです」
壁際に立っているロシェルは頭を下げる。
「やっぱりロシェルの料理は最高。お嫁さんにしたいくらいっ」
「そんなぁ……」
恥ずかしそうに頬を染める。
「ロシェルの食事は獣人族の中でも指折りだからな」
「……マクヴェス、凄い料理ね……」
並の男よりもずっと食べるイングリットだが、さすがに朝から肉の塊は食べる気にはなれない。
それに、ここのところ、ベッドでの生活が長く続いている。
さすがにおいしさに釣られて食べてばかりだと、体型が崩れてきそうで怖い。
「イングリット様も、お肉、召し上がられますか?」
「ううん、いいよ、私は……夕食で……」
「イングリット、体調のほうは?」
マクヴェスたちに命を助けられてから一週間が経とうとしていた。
順調に怪我は回復し、食事も部屋ではなく、こうして場所を移動してとれるようになっていた。
「二人のおかげでだいぶいいわ。……本当にありがとう」
「順調で何よりだ」
「ね、毎日私を診みてくれてるおじいさん先生も、獣人族?」
思い浮かべるのは、まるまるっと太った老医師だ。ふさふさの眉で目が隠れているのがトレードマークとロシェルは言っていた。
「ああ。ダンドム先生は信頼できるし、口も硬い。昔は王の主治医だったんだ」
「あの人は、何の動物なの」
「クマだ」
「クマぁ」
おもわずうっとりとした声を漏らし、虚空を見てしまう。
たしかに思い返してみると、指がまるっとしている。
(本物のクマがそうなのかよくわかんないけど……。
あのおじいちゃん先生まで、マクヴェスと一緒にもふもふできたらなぁ。おじいちゃんだから、さすがに毛並みの良さは期待できないほど……でも、おじいちゃんはおじいちゃんで別の良さがあるものねっ)
親にだまってこっそり近所の老犬を撫で撫でしたことがあった。
子どもになで回されているというのに、まるで何事もないかのように泰然自若としているさまに痺れたことをはっきり覚えている。
「イングリット……?」
「あ、はい」
「大丈夫か? 今、なんだか、目の焦点が……」
「平易。ちょっとぼーっとしちゃっただけだから」
「お体の調子がお悪いのですか。先生に連絡を……」
飛び出そうとするロシェルを何とか制し、なんとか事なきを得た。
「それじゃ、先に失礼する。イングリット、何かあれば、ロシェルに遠慮なく言ってくれ」
「分かった、ありがとう」
マクヴェスを見送る。
ロシェルは早速、空いたお皿を片付けはじめる。
「手伝うわ」
自分の皿を重ね、ひょいと持ちあげる。
「いえ、そんな……。イングリット様はお休みになってください」
「そう言ってくれるのはありがたいけど、さすがに食っちゃ寝しすぎちゃったというか……。手伝わせて」
「ですが、それでは殿下に叱られて……」
「大丈夫。マクヴェスに何か言われたら、私がちゃんと言うから」
台所の炊事場に皿をもっていき、手早く洗うロシェルの横で、皿の水気を拭くのを担当する。
これくらいなら、新人騎士時代、先輩たちへのまかない料理作りのときにも経験している。
「ロシェルは大変ね」
「?」
ロシェルは不思議そうに小首をかしげる。
「こーんなおっきな、お屋敷をたった一人で管理してるだなんて」
「もう馴れました。かれこれ、十年は殿下にはご奉公しておりますので」
「十年……? えっと、ロシェルはいくつ? あ、都市の数え方は人間と同じ?」
「具体的には違いますが、今は人間に直すと、二十歳です」
「ってことは、ロシェルはお姉さんね。私は十七だから」
「左様ですか」
「マクヴェスはいくつなの?」
「二十五歳にあらされます」
「へえ……。マクヴェスって童顔なのね。そんなに歳が変わらないと思ってたけど。
話は戻るけど、十歳からご奉公なんて大変ね」
「両親も同じつとめをしておりました。殿下の母上様のお世話を……。そして私はこうして、今、殿下のおそばに」
「代々なんて、年期があるなぁ」
「こんなことくらいしか出来ませんので」
「いや、そんな謙遜しちゃ駄目よ。だって、あーんなおいしいお料理をお茶の子さいさいって感じって作っちゃうんだから。
もっと胸を張って、『私、料理の達人ですからっ(キリッ)』とか言っちゃってもいいと思うけど」
ロシェルは一瞬きょとんとして、それからこらえきれないように吹き出す。
「ん?」
「面白いことを仰られるんですね」
目の端に浮かんだ涙をロシェルはそっと拭う。
「そう?」
「はい。そんなことを言われたのははじめてです」
「でも、ロシェルみたいに掃除も料理も気配りもできる使用人がいたら私は自慢しちゃうかな。きっと、マクヴェスも同じだと思う。口には出さないだけで」
「そうでしょうか」
「そうさ。じゃなかったら、こーんな広い屋敷、ロシェル一人に任せるわけない」
「今は三人ですね」
「そうそう。だから、私もさ、いろいろ、家の手伝いをするから気兼ねなく言って」
「ですが、イングリット様はお客様ですから……」
「先生にだってすこしくらいは動けって言われたわ。料理は大鍋に具材をテキトーに切って、ぶっこんで味噌で煮る、とかなら大丈夫。ベッドメイキングは出来るし、力仕事はもちろん任せて」
イングリットは冗談めかして力こぶをつくるような仕草をする。
「そうですか? ……では、お言葉にあまえてよろしゅうございますか?」
「甘えて、甘えて、どんどんねっ」
「では、薪束まきたばを持ってきていただけますか」
「おやすいご用よっ」
「薪は館の裏手に積んでありますから」
「ついでに、薪も割っちゃう?」
「……では、お願いします。私はその間に雑事を終わらせます……」
「了解」
ビシッと敬礼すると、イングリットは早速、勝手口から裏手へ回る。
「へえ、厩舎きゅうしゃまであるんだ」
イングリットを興味深そうに馬たちをじっと見つめる。
「私はイングリット。ちょっとこちらでご厄介になっているものです。よろしくお願いします」
「…………」
「…………」
(あれ? この子たちは獣人ってわけじゃあ……ないんだ)
なんだか、区別が難しいと頭を悩ませつつ、薪割りを早速、開始する。
鉈なたを手に、木を一本一本、斬っていく。
気持ちの良い音が、周囲の静寂に包まれた空間で反響する。
これも新人騎士時代に嫌というほどやったものだ。
(やっぱり腕の筋肉がだいぶ落ちちゃってる……)
女の身空で一番大変なのが筋肉の管理だ。
だいの男でも涙目になり、息も絶え絶えになるようなトレーニングを毎日やって、どうにかこうにか補える、という感じだったのに。
(その代わり、だいぶ、いらないお荷物ぜいにくが)
横っ腹をつねり、はぁぁぁぁ……と溜息。
とかなんとか色々考えつつも黙々と仕事をこなす。
(よし、これでとりあえず、全部、割り終わったわね)
「ふぅー、暑い。こんなことで息があがっちゃうなんて」
シャツの襟首をぱたぱたとさせつつ、汗を拭う。
薪束を二セット抱えて台所へ運ぶと、ちょうど、ロシェルがティーセットを運ぼうというところだった。
「終わったわよ」
「ありがとうございます。それじゃあ、これ、マクヴェス様のところへ運んでいただいてよろしいですか?」
「あーごめん、私、お茶とかうまく淹いれられない思う……」
「大丈夫です。もう準備はしてありますから。こちらにあるレモンスライスやミルクはマクヴェス様がご自分で気分に合わせてお入れになるだけですから」
「よ、よし」
「そんな力まなくても大丈夫ですよ」
和やかに微笑むロシェルに見送られ、トレイを手に、慎重な足取りで階段を上がっていく。
(綺麗なティーセットね)
うっすらと青みを帯びた白磁に、金色の縁取りがされているだけというシンプルなデザインながら、落ち着いた雰囲気が気に入った。
この屋敷は全三階建てで、マクヴェスの部屋は三階の南部分に面している。ちなみに、イングリットも三階だ。
二階も三階も同じような造りになっているから、扉についているプレートをちゃんと確認しなければならない。
(ここね)
扉をノックする。すぐに「はい」とマクヴェスの声が返ってきた。
「マクヴェス? お茶をお持ってきたわ」
「え、……イングリット……? ああ、入って……」
扉を開き、こぼすなこぼすなと念じるように胸の内でつぶやき、どうにかこうにかトレイをテーブルの上に無事に軟着陸させることに成功した。
部屋は広々とした応接間。そこの真ん中に置かれた重厚感のあるテーブルと椅子のセットの一つに腰かけ、マクヴェスは書き物をしているようだった。
あとは、小皿にもられたスライスレモンと、壺に入ったクリーム、そしてティーカップを運んでいけば、任務完了ミッションコンプリート。
「どうして、イングリットが……?」
「いつまでも寝ているばかりじゃ身体がうずうずしちゃうんで、ロシェルに手伝いできることはないかって聞いたの」
「そうか。それじゃあ、お茶を一緒につきあってくれ」
場所をダイニングにでも置くような大きなテーブルに場所を移す。
「なら、ロシェルも」
「いや、ロシェルは今頃、昼食を作りつつ、夕食の下ごしらえ中だろう」
「えー……まだ日があんなに高いのに?」
「ほんとうにロシェルはいつ休んでるのかって思うよ。俺は、そこまで念入りにしなくてもいい、二人しか住んでいないんだからって言っても、なかなか聞かなくて。
いつお客様が来るか分からないんですから、どんな部屋も常に万全の状態にしておかなければって……。
今回、イングリットによってその準備の成果が遺憾なく発揮されたんだよ」
「完璧主義……なのね」
(あー、じゃ、私が手伝ったの、あんまり良くなかったかなぁ)
「でも、二人だけならもっと小さいところに住めばいいんじゃない? それか、たくさん使用人をおくとか」
イングリットはマクヴェスと向かいあうような席に座ると、紅茶の渋い味が苦手だから、ミルクをカップへどばどば注いだ。
「ここは父が母に与えた館なんだよ。俺もここでずっと過ごしてきたから愛着があって」
「あ、そうだったんだ、ごめんなさい……。無神経なこと言っちゃって」
「いや、そう思うのは当然さ。だって時々、俺も自分の部屋を間違えたりするからね」
「分かる、その気持ち。今もプレートとにらめっこしちゃったわ」
「だろう? まあ、使用人を増やさないのは、なんだか、見知らぬ人間にあちこちいじられるのが嫌だからなんだ。その点、ロシェルは親の時代から世話をしてくれたからね、気心がしれてる。まあ、そのせいでロシェルへの負担が大きくなっているんだけど」
こうして話していると、すっかり、彼が目を合わせようとしないことも自然に受け入れられるようになった。
ロシェルも同じように振る舞うから、主従は似る、ということか。
確か、父の従者も、父のクセである顎を触る仕草がうつって、主従そろって顎をモミモミしているのを見ると間が抜けていると母が言っていたことを思い出す。
「どうしたんだ?」
不意に笑ったイングリートをマクヴェスが不思議そうに見つめる。
「ううん、ちょっと思いだし笑い……」
「そう……か」
マクヴェスはそれから不意に黙り、かすかに細めた視線を向けてくる。
(あ)
きっとはじめてかもしれず、目が合った。
しかしすぐに逸らされてしまう。
「すまない、今は書き物の途中だったんだ」
「あ、ごめんなさい、邪魔しちゃって」
「いや、いい。お茶、楽しかったよ」
「うん、私も……」
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