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洋館 編

10:恋愛参観(補講編)

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 デートの翌日。

 フォルスは「急用が入った」と言って、さっさと帰ってしまったとロシェルが言っていた。

 恋愛ごっこの目的は無事に果たせた――のだが。

 イングリットは午後、いつものようにロシェルの手伝いにいこうと台所へ向かう途中も、ずっと上の空だった。

 原因はもちろん、マクヴェスからの告白だった。

“きみが好きだ”

“俺は、絶対にそいつよりもきみを幸せにできる”

 マクヴェスの言っている、『そいつ』が一体誰のことなのかは心当たりはないが、あんなことを言われたのは人生ではじめてだった。

 思い出すだけで頭が爆発して、血が沸騰してしまいそうだった。

(ど、どうしよう)

 マクヴェスには恩があるし、彼は男としても申し分ない。

 しかし、自分のような粗忽者そこつものが彼の心を手に入れてしまっても良いものか、二の足を踏んでしまうことは確かだった。

 ここ最近、彼が書斎にとじこもってしまうから話だってあまりする機会がなかったくらいだ。

 まさか彼がイングリットを愛しているなんてことは考えもしなかった。

(あ、愛する……)

 考えるだけでまたもや頬が熱くなる。

 何か病気にでもかかってしまったみたいに。

「イングリット様、どうかされましたか?」

 台所で支度をしているロシェルが、聞いてくる。

「あ、いや、その……」

「はい?」

 ロシェルはかわいらしく小首をかしげる。

(そうだ、私にはこんな女の子らしい仕草なんてできるわけもない……)

 これまでずっと一途に男を目指して生きてきたのだ。

 しかし相談できるのは彼女しかいない。

 イングリットはすがりつくような心地で、告白されたことを打ち明ける。

「存じております」

「なんで!?」

 イングリット目を見開いた。

「マクヴェス様からお聞きいたしました。イングリット様は思い人であると。お客様以上のもてなしをするようにと」

 これが獣人族の慣習なのだろうか……。

「まだ、返事してないんだけど……」

「ですが、すでに殿下がああ仰せになられている以上、お客様以上ということでございますから」

「……でも、マクヴェスがあんな気持ちにだったなんて知らなかったんだよ……。だって、ここんところ、ずーっとまともに話してなかったし……」

「それはきっと、イングリット様がようやく殿下にお心を開かれたからではないでしょうか……? 殿下は打ち明ける機会をずっとうかがっておられたのかもしれません」

「心を……?」

 それは意外すぎる言葉だった。

 これまで自分はマクヴェスに対して心を閉ざしていたことなんてなかった。

「私、マクヴェスに対してそんなによそよそしかった……?」

「目を」

「目?」

「ずっと目を合わせていらっしゃられたではないですか」

「そうだけど……それが、何なの」

「あれでは我々にとって、心を許していないという証なのでございます」

「そうなの!?」

「やはりご存じはありませんでしたか……」

「全然ご存じない……」

 それで合点がいった。

 マクヴェスやロシェルがどうして目を合わせてくれなかったのか。

 フォルスだけがやたらと目の奥をのぞき込むような仕草をしたのか。

「……ずっと変だなって思ってたんだ」

 そう、ぼやくように独りごちた。

「ですが、最近、イングリット様はマクヴェス様とほとんどあわされていませんでしたから」

「あ、あれは……」

 マクヴェスのことを見ると、身も心もどうにかなってしまいそうだったからだ。

 デートのことでそれが加速したのだ。

「イングリット様、今朝より浮かない顔をされていたようですが……もしかして、殿下の告白のせい、なのですか」

「あ、いや、せい、だなんてことはないんだ!
ただ……私……、これまで心の機微とは離れたところで、雑に育ってきたもんだから、こ、告白……っていうのは、はじめてなんだ。
だから……ど、どうしたらいいのか分からなくて」

 おかげで、今朝、マクヴェスからの挨拶にまともにこたえられず、ダッシュで逃げてしまったり、彼の姿を見つけると、身体が勝手に近場の部屋に飛び込んで息を詰めたり、失礼極まりない態度をとりまくってしまったのだ。

「……イングリット様は殿下のこと、お嫌い、なのですか……?」

「違う違う、そんなことは絶対にないよ! 人としては尊敬できるし友人としては好きなのはわかるよ。でも、愛しているって聞かれると……どうかはよく、分からない……」

 これまでそんな気持ちをもつ余裕などなかった。

 騎士になるために精進し、騎士になってからも精進を続けた。

 精進精進また精進……。

 思えば、よくここまでやってこれたなとこれまでの短い人生を振り返っても思ってしまう。

 生まれ変わってもう一度、同じことをしろと言われても無事にこなせるか分からない。

 それくらいの一点突破、しゃかりきな人生だった。

「殿下は従者としての欲目よくめを差し引いても、素敵な方だと思います」

「それは、分かるよ。フォルスと会って、それを再認識した」

 おそらくロシェルも含めて、獣人族として人間とまじわろうとする少数派……。

「それに、殿下とイングリット様のお二人が並んでたたれていると、とても画になるとおもいます。是非、お二人の肖像を玄関大広間に飾りたく存じます。
柔らかなお顔の殿下と、凜として清純な勁つよさをもちあわせたイングリット様……。艶やかですねえ。もうそれだけで興奮してしまいます……!」

 ロシェルは陶然とした顔つきでつぶやく。

「……あ、ありがと……?」

 なにかしら趣味の一端が垣間見えたような。

「いえいえ。
ですから、あとはイングリット様が殿下を愛してくださるかどうか……だと思います」

「…………そう、だよね」

 結局はそれにつきるのだ。

「ロシェル、何か手伝いは……」

「未来の奥方様になられるかもしれない方にそんなことはさせられません」

「奥方!?」

 きっぱりと言われてしまった。

(……まあ、そういうとは思ってた、けど……奥方様、だなんて……)

 イングリットは大人しく踵を返して部屋に戻る。

(……愛、か)

 書き物机には、図書室から借りてきた恋愛小説をうずたかくなっている。

 その高さと圧倒されるような存在感に溜息を漏らした。

 それはとても悩ましく、どこか艶めかしくあった。 

(急に言われても……)

 マクヴェスは、答えが出るまでずっと待つと言ってくれた。

 しかしそれに甘えるわけにはいかないとも思う。

 何かしらの答えを出さなくちゃ。

(知恵熱、でそう……)

 お姫様でもつかうような紗うすぎぬのかかった天蓋てんがい付きのベッドに仰向けの姿勢のままダイブする。

 毎日、ロシェルが換かえてくれるシーツからは、遠い日向ひなたのかおりがかすかにした。

 剣術でだってこんなに悩んだことはない。

 第一、体力を限界まで削って訓練に励み、終われば、精も根も尽き果てて意識を失うように眠り、翌日にはけろりとしている。

 そこに悩むなどということなど差し挟む余地はなかったし、仮にあっても眠っているうちにすべてどっかへ吹っ飛んでしまう。

 ――さすがは単細胞なゴリラ女だな!

 騎士候補生時代、同窓生から相談され、自分のことを話したら、こんな答えが返ってきたことがあった。

(……あのときは、回し蹴りしてやったけど、合ってたかも……)

「あー、もう! こんなの、ぜんぜんらしくないっ!」

 自分に活を入れる意味でも雄叫びをあげ、勢いで跳ね起きると、部屋を飛び出し、駆けた。

 部屋でうじうじ、悶々《もんもん》と考えているなんてどうかしている。

 行動こそ、自分の本分ほんぶんではないのか?

 マクヴェスの部屋までくると、ほとんど勢いでノックした。

「イングリット?」

 まるで討ち入りにでもやってきたと言わんばかりの気迫を全身からたちのぼらせるイングリットに、マクヴェスは驚いたようにまばたきをした。

「少し、いい……?」

「もちろん。さあ」

 すでに部屋にとびこんでおいて、許可も何もないが、マクヴェスはうなずいて席に促してくれる。

 すでにその時点で、イングリットはベッドから跳ね起きた時の勢いを完全に失ってはいたが、ここで引けないと叱咤する。

「あ、ありがとう」

「お茶は?」

「いや」

「それで……?」

 マクヴェスはにっこりと笑い、迎えてくれる。

 この笑顔が、イングリットの心臓を鷲づかみにし、狂おしい気持ちにさせる元凶。

 これまでそこから逃げていた。

 それでも、いつだって、イングリットは立ちはだかるものに立ち向かってきた。

 女性への偏見や嫉妬、自分よりも数段優れた剣の使い手……。

「……っ」

 膝にのせた手をぎゅっと握り、拳にする。

「マクヴェス、一つ、聞かせて欲しんだけど。
どうして、私を好きになったの……?」

 不意な質問に、一瞬だが、マクヴェスは驚いたようだったが、

「そうか、それを話していなかったか。
俺はきみが、戦場で戦うのを見ていた。
ほとんど一人きりで敵の集団に切り込んでいる姿を、ね……。その姿を俺は美しいと思った。仲間が殺されているにもかかわらず。
だからきみが倒れた時、すぐに駆けつけられたんだ。
……そして、ここできみと過ごした時間、きみはこれまで会ったことのない女性だと分かった。だから好きになった」

「……物珍しさで好きになったのか」

「怒ったか?」

 イングリットは首を横に振った。

「正直なことが聞きたかったから……。
しかし私はあなたの同胞を何人も……」

「それはお互い様だ。
それを踏まえても、こうして供に歩みたいと思えた。
俺はイングリット……きみのすべてが愛おしい。すべてを俺のものにしたい。たとえ、誰を敵に回した田としても」

(どうしてマクヴェスはこんな……)

 こんな簡単に、あっさりと、自分の気持ちを口に出せるんだ。

 それもイングリットを窒息させるか、顔の火照りでのぼせてしまいそうな言葉を。

 これは婉曲な、暗殺ではないのか、とも錯覚しそうになってしまう。

「わ、私なりに、お前のことを考えた。
……しかし私はたぶん、お前が私を知っているように、まだお前のことを分かっていないと思う。
だから…………もう少し、時間が欲しい」

 イングリット頭を下げた。

 誠実に思いを伝えてくれた相手への、申し訳なさで、いっぱいになりながら。

「すまない、こんなことを……。失望させちゃった……?」

「いや、今はそれでいい。無論、二つ返事を期待したわけじゃない。
少なくとも、前向きに考えてくれると思っていいのか……?」

 片膝をついたマクヴェスはそっと手を取られる。

 イングリットより体温は低く感じられた。いや、イングリットが今、最高潮に熱すぎるのかもしれない。

(だ、だって、こんなの……)

 他の男にこんなに優しく触られたことなんてなかった。

「……た、たぶん」

「それが聞けただけで、俺は満足だ」

 マクヴェスは優しげに笑ってくれると、つられるようにイングリットも花びらのような口元をかすかにだが、ほころばせる。

「あ、それから一つ、誤解をといておきたいんだけど」

「誤解?」

「私に思い人がいると言ってたけど、私には本当にそんな相手はいない。私はこれまで男として育ってきたんだ。そんな相手など作る余裕などなかった」

「そう、なのか?」

 マクヴェスのそれまで自信満々だった瞳がぎこちない揺れを見せた。

「どうして、そう思ったのかは分からないけど……」

「ファミール」

 マクヴェスは言葉をかぶせるように口にした。

「……ファミール……?」

「そうだ、きみが言っていた。あの時……洞窟で……譫言うわごとのようだったが、無自覚に漏れる言葉だからこそ本音だ」

 すると、イングリットは思わず吹き出す。

「?」

「……ファミールは、ぬいぐるみだよ。私が小さい頃にもっていた、犬の。……とっても大切にしていたんだ」

「ほ、本当に……ぬいぐるみ、か?」

「もちろん」

「……そう、だったのか」

 そうか、そうか……とマクヴェスは繰り返すと、思わずという風に吹き出した。

 その表情のなかに安堵の色があるように見えたのは、気のせい、だろうか……。
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