お笑い共和国

お話の世界

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芸人共和国 短いver.

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小さなライブハウスの客席は、まだ薄暗く、ざわめきが絶えなかった。無名の黒幕コンビ――二人は、誰も知らない名前のままステージに立っていた。

「今回のネタはどうする?」黒幕コンビのAが小声で相方に問いかける。

「そうだ、頭を叩くのはどうだろう?」Bがにやりと笑う。

Aは手元のメモを指さしながら答える。「楽しそうにやることで、叩かれると相手は嬉しいんだ、みんなに広められる」

二人は息を合わせて、ボケとツッコミの動きを確認する。ボケが大げさに叩かれ、ツッコミも満面の笑みでリアクションする。

観客は最初、ぽかんとした表情を浮かべた。なにが起こるのか、誰も理解できずにいた。しかし、二人の楽しそうな様子が目の前にあると、次第に笑いがこぼれ出す。小さな笑い声が、やがて会場全体に広がった。

叩かれることが面白いことだと、自然と観客の心に刷り込まれる。理不尽であっても楽しければ受け入れられる――そんな小さな芽が、この夜、静かに芽吹いたのだった。

数日後、小さな街で、ライブのネタを真似した事件が報告された。子どもたちがふざけて互いに頭を叩き合い、軽い怪我を負ったのだ。

ニュースが報じると、黒幕コンビは小さなライブハウスの片隅で肩を揺らして笑った。

ライブハウスの外で噂を聞きつけた観客の一人が、二人に声をかける。「これって、黒幕コンビさんのネタのせいじゃあ…?」

黒幕コンビは顔を見合わせて、にこりと笑った。

「そんなことあるわけないですよ」Aが肩をすくめながら言う。
Bも楽しげに手を振る。「僕たち、関わってないですからね。」

観客はその場を離れる。まだ無名の二人に、責任を問うような力はなく、騒動は過ぎ去った。

黒幕コンビは、頭を叩くネタだけでなく、怒り芸や体を張るネタにも挑戦していった。ステージの上では観客を笑わせ、表向きは無邪気に騒ぐ。

しかし、裏では二人の笑みはほくそ笑みに変わっていた。

「これをやれば、怒る人が増えるな」Aがつぶやく。
「体を張れば、みんなも無理やり同じことをさせられる。面白いじゃないか」Bもにやりと笑う。

小さなライブハウスで積み重ねた経験と観客の反応は、二人の計算通りに社会に少しずつ影響を及ぼしていく。ネタの成功と、観客の反応――それは二人にとって、ただの笑いではなく、未来の力の証明でもあった。

年月が経つにつれ、無名だった黒幕コンビは大御所芸人へと成長する。表向きの華やかな舞台裏で、二人は密かに理不尽を楽しむ文化を計算し、少しずつ社会に影響力を持っていった。

ある日、黒幕コンビはテレビ局の社長室に呼ばれた。
社長は少し緊張した面持ちで二人を迎える。

「今日はどんな提案ですか?」社長が尋ねると、Aはにこりと笑った。
「簡単です、社長。芸人をたくさん雇用して、その芸人たちに安い給料で働かせるんです」

Bも楽しげに付け加える。「そうすれば、舞台も番組も増えますし、局としての利益もぐんと上がります。もちろん、面白いことをやってくれれば観客も喜びますしね」

社長は眉をひそめるが、二人の軽やかな説明と、楽しげな笑顔の前では反論できない。
「なるほど……それなら番組数も増やせそうですね」

二人は心の中で、にやりと笑った。
「これで俺たちの影響力がもっと伸びる」Aが思う。
Bも同意する。「そう、舞台も番組も、そして観客も――すべて手中に収めていける」

こうして、無名だった頃の計算が、メディアを巻き込む形で現実になり始めた。

ある日、黒幕コンビは楽屋で次の企画を相談していた。
「よし、次はテレビでドッキリをやろうか」Aが提案する。
Bはにやりと笑いながら頷く。「いいね。見た目はただの笑いでも、裏ではこれをやれば、人々が『悪いこと』の境界を見失うって寸法さ」

二人は密かにほくそ笑む。
「これで、誰もが何をしても許されるのかもしれない、って思うだろうな」Aがつぶやく。
Bも同意する。「表向きは楽しげなドッキリ、でも裏では視聴者の価値観を少しずつ狂わせる――面白いじゃないか」

ドッキリの放送後、テレビ局のスタッフはクレーム対応に追われていた。
「どうしてこんなことが……」と、真面目に対応するスタッフたちの顔には疲労が色濃く刻まれている。

だが、無名だった頃から計算高く動いてきた黒幕コンビは、笑顔のまま軽やかに声をかける。
「いやあ、それは自己責任ってやつですよ。僕たちは放送しただけで、何も悪いことはしていませんから」Aがにっこりと言う。
「視聴者が勝手に受け取って実行しただけです」

Bも続ける。「高い給料をもらってる割には、仕事できないんじゃないですか? これならスタッフ全員、芸人でもいいんじゃない?」

スタッフは唖然とし、言葉を失う。
しかし、二人の楽しげな笑顔の前では、反論の余地など微塵もない。

社長室での提案が功を奏し、人件費削減の名の下に、テレビ局のスタッフはほとんど姿を消した。代わりに、芸人ばかりが局内を占めるようになった。誰もが笑いの力を使い、番組制作に参加するようになったのだ。

ある日のトーク番組。黒幕コンビはスタジオで、楽しげに画策していた。

「さて、今日は少し面白い嘘をたくさん盛り込もうか」Aが笑顔で言う。
Bも笑いながら頷く。「これを信じても、自己責任だから、視聴者が悪い。信じたバカどもを逆に俺らが笑ってやろうぜ」

二人は巧みに話題を操作する。
「この銘柄に投資したら売れるんだって!」Aが得意げに話すと、Bは「みんなも投資したくなるだろうね」と楽しげに煽る。スタジオは笑いに包まれ、視聴者は次々と情報に乗せられていった。

ニュースでは、投資で失敗する人が増えたことが報じられる。しかし、番組を通じて作られた笑いの空気は、責任を誰も追及できないほど軽やかだった。視聴者が勝手に信じて動いただけ――黒幕コンビの計算通りに、現実は少しずつ操作されていたのだ。

ニュースで投資トラブルの件が報じられ、社長は眉をひそめた。
「これは…さすがにおかしいのではないか」と、真剣な面持ちで黒幕コンビに声をかける。

だが、局内を見渡せば、ほとんどのスタッフは芸人だった。
彼らは笑いながら、社長に向かって口々に言う。
「社長、そんな心配しても仕方ないですよ~」「これくらい、楽しんで見てくださいよ」

黒幕コンビはにやりと笑う。
「社長、今の局の状況を見てください。芸人の方が数が多いんです。正直、あなたよりも、私たちのほうが社長に向いているかもしれませんね」

言葉は柔らかいが、その眼差しには圧力が込められていた。
社長は反論しようとするが、芸人たちの笑顔と空気に押され、言葉は喉に詰まった。
局の権力構造は、いつの間にか逆転していた。

黒幕コンビは心の中でほくそ笑む。
「ふふ、こうして僕たちが舞台も番組も、そして局そのものまで掌握していく――すべて計算通りだ」

黒幕コンビは、勢力拡大のために他のテレビ局にも手を伸ばし始めた。
「ここにも芸人を送り込めば、笑いの支配力が増す」Aがつぶやく。
Bも同意する。「舞台も番組も、局も――少しずつ、すべて掌握していけるな」

ニュースが流れると、政治家が国民のために懸命に仕事をしている様子が報じられた。
黒幕コンビはテレビの前で眉をひそめ、ムカついたように言う。
「ふん、政治家が真面目に仕事してる? 面白くも何ともない」

二人は社員の芸人たちを呼び集めた。
「よし、この政治家、仕事ができないみたいなクレームを送るんだ。君たちにはお金を払うからな」
芸人たちはニヤリと笑い、指示通りクレームを送る。

年月が経つにつれ、黒幕コンビの影響力はテレビ局の枠を超え、ついには政治の世界にも及んだ。
彼らは自らの派閥を「芸人共産党」と名付け、少しずつ議席を増やしていく。

やがて政権を握ると、国全体が彼らの舞台と化した。テレビでは芸人の話題ばかりが流れ、ニュースも芸人、広告も芸人。政治の報道も、経済の解説も、すべて芸人の視点で編集されるようになった。

街の人々は当初、違和感を覚えたが、日々の生活の中でそれが当たり前になっていく。
「これも国の決めたことだから仕方ない」
誰もがそう思い込む中で、芸人共産党の影響力は確実に、そして静かに拡大していった。

黒幕コンビは、政権掌握後も楽しげに笑うだけだった。
「ほら、舞台もテレビも、そして政治も――すべて俺たちのものだ」Aがつぶやく。
Bも頷く。「笑いの力で、社会を丸ごと掌握する。面白いじゃないか」

こうして、無名だった頃の小さな計算は、国全体を覆う大きな力として現実になった。

芸人共産党が政権を握った国では、当然ながら法律や裁判も、芸人たちの影響下に置かれるようになった。

ある日、人気芸人が重大な犯罪で逮捕され、裁判にかけられることになった。ニュースは大騒ぎになったが、国民の多くは「芸人が何かやらかしたのか」と半ば楽しむかのように眺めていた。

しかし、総理大臣はもちろん芸人である。黒幕コンビは政権内で影響力を発揮し、裁判所に圧力をかける。
「無罪にしろ。これも笑いの一環だ」
と総理大臣が公言するや、裁判所は従わざるを得なかった。

さらに彼らはこう考える。
「裁判所に正義なんて求めても無駄だ。ならば、全員を芸人に置き換えればいい」

検察も同様に、一般の法律家ではなく、芸人たちで構成することになった。
法廷でのやり取りは、もはやコントのようなものになる。

芸人総理大臣が政権を握り続ける中、表向きは民主主義の体裁を保っていたものの、次第に独裁制への転向が決定される。黒幕コンビをはじめとする大御所芸人たちは、政治的権力を完全に掌握することを望んだのだ。

「よし、国の名前も変えよう」Aが楽しげに宣言する。
Bもにやりと笑う。「芸人共和国――これで我々の意志が国全体に反映される」

法律も芸人たちが独自に作り、理不尽極まりない内容が並ぶ。罰則もおかしなものが多く、国民は次第に混乱しながらも従わざるを得なくなる。

賃金制度も独自の理屈で設定された。
「下っ端芸人がこれだけ低い給料で頑張ってるんだから、国民も同じくらいでいいだろう」
こうして国民の賃金は、大御所芸人や中堅芸人よりもさらに低く、一律で決められることになった。

街中の看板には「笑って働け、我慢も美徳!」というスローガンが掲げられ、日常生活のあらゆる場面でお笑い芸人の価値観が押し付けられるようになった。

芸人共和国――笑いを表向きに、理不尽と支配を裏で。黒幕コンビはその中心で、楽しげにほくそ笑んでいた。

スタジオの照明が眩しく光る。カメラが通りすがりの男性に寄る。
「さあ、今日のドッキリ企画は…こちらの勇敢な市民の方です!」

突然、複数の芸人が男性を囲む。笑い声と派手な効果音が鳴り響く。
パンチ、押し倒す、引きずる――動きはコミカルに大げさだが、現実には暴力そのものだ。

最後に芸人の一人がカメラに向かって言う。
「まあまあ、みんな悪いんだぜ。俺たちも悪いし、お前も悪い。だから警察に言うなよ、ね?」

男性はうつむき、震える声で呟く。
「…俺も…悪いんだ…」

スタジオは爆笑。

テレビのチャンネルを切り替えると、そこにはお笑い界の大御所が鎮座していた。
札束をうちわのように扇ぎながら、笑みを浮かべる。

「ほらほら、みんな!仕事しないから、ちゃんと努力しないから、いけないんです!」
言葉は厳しいが、周囲の芸人たちは金の匂いに酔うように目を輝かせる。

近くにいた若手芸人に向かって、大御所は指を差す。
「靴磨きしろ!」
芸人はためらいなく、靴を磨く。すると大御所はポケットから札束を一枚、床に落とす。

「ほら、やるだけでお金がもらえるんですよ!」
笑い声がスタジオに響く。観客も「面白い」と思うのか、拍手が湧く。

「なのに、あなたたちは仕事してないのが丸わかりじゃないですか」と大御所は怒り気味に言う

札束は空中でひらりと舞い、まるで力の象徴のように輝く。

市民たちはテレビを消して、怒り集まる。
「もう黙って見ているだけじゃだめだ…!」

「民主主義の力で変えるんだ!」
声が広場に響く。通行人も近所の人も、次第に輪に加わる。

市民たちは決意した。
「芸人の横暴を止める法律や方針を作ってくれる人を、私たちの手で選ぼう!」

選挙の期日が近づくにつれ、人々は候補者の政策を一つひとつ比べた。議会で芸人たちの影響力を制限できる人物に、自分たちの声を託すことを誓う。

街頭演説では、普段は目立たない普通の市民がマイクを握った。
「私たちの力で、理不尽な横暴を許さない国にしましょう!」
通りすがりの人々も足を止め、拍手を送る。小さな希望の波が、街に静かに広がっていく。

投票日、会場には長い列ができた。
一人ひとりが慎重に、一票を投じる。市民たちの心には、久しぶりの手応えがあった。
そして、ついに開票の結果が発表される。

「市民の声が政治を動かした!これで、芸人たちの好き勝手は終わりだ!」

広場には歓声があがり、希望に満ちたざわめきが広がる。数字に注目し、集計結果に期待を込める市民たち。だが、その期待は、あっけなく裏切られた。

演説もしていない芸人たちにだけ票が入っていたのだ。
「え…?私たちの票は…?」
ざわめきは次第に不安に変わり、やがて広場を重苦しい沈黙が包む。

スタジオのスクリーンでは、大御所芸人がカメラに向かって満面の笑みを浮かべた。
「民主主義って素晴らしい!みんなの意見が伝わるんですね!」

他の芸人たちも頷き、観客も笑う。
一方で、市民の努力は全く反映されず、操作された“民主主義”の中で芸人たちだけが権力を楽しむ。

広場で集まっていた市民たちは唖然とし、希望と怒りが入り混じる。
「これが、俺たちの力で変えた結果…?」
しかし、テレビでは楽しげな笑い声と共に、芸人たちの支配が続いていく。

広場で呆然と立ち尽くす市民たちをよそに、テレビのスタジオではいつも通りの笑い声が響いていた。
「ほらほら、人手不足なんだから、移民を入れましょうよ!」
大御所芸人がカメラに向かって言うと、他の芸人たちも続ける。

だが、政治家もまた芸人だった。スーツの下には派手な衣装を忍ばせ、演説の一言一言がコントのように誇張される。
「治安の悪い地域からたくさん受け入れよう。犯罪が横行している国がいいですね」
スタジオは笑いに包まれる。芸人である政治家たちは、数字や理屈ではなく、芸人としての人気と影響力で政策を決めるのだ。

テレビでは、芸人政治家たちが次々と政策を提言する。移民も、経済も、教育も、すべてが“笑いの論理”で決まる。

そして、学校では、勉強の時間はほとんどなくなり、授業は笑いの研究だけに費やされる。算数や歴史、理科の教科書は燃やされ、代わりに「どうやったら面白く笑わせられるか」「笑いで権力を握る方法」が教えられる。

教室に並ぶ子どもたちは、笑いの演習に必死だ。教師もまた芸人政治家に従い、笑いの技術やコントの作法を叩き込む。失敗すれば叱責ではなく、スタジオ収録のように大げさに笑われる。

経済政策も同様だ。数字や効率は二の次。面白ければ通る、退屈なら廃案。企業もまた、利益よりも笑いのインパクトを競う。市民は、生きるために働くのではなく、笑いの舞台の中で生かされる存在となる。

この国では、笑いこそが唯一の正義であり、唯一の学びであり、唯一の価値基準だった。

まりと理世がその国にやってくると、街の空気はどこか沈んでいた。人々はボロボロの服をまとい、肩を落とし、足取りも重い。テレビの光だけが薄暗い部屋を照らしている。

画面の中では芸人政治家たちが陽気に笑い、次々と政策を発表している。移民の数、教育の内容、経済の方向――すべてが“笑いの論理”で決まる。

国民は画面を見つめながら、「面白い…」と口をつぐむように呟く。だが、声と表情はまったく一致していない。口元は微かに動くものの、目は虚ろで、笑いの感情はそこにはない。笑っているのは体だけで、心はすっかりすり減っていた。

まりが、一人の国民に静かに問いかけた。
「どうしたんですか?」

国民の目は、虚ろで乾いていた。肩を落とし、声もかすれ気味だ。
「この国は……もう終わりなんです……」と、震える声で答える。

「民主主義でも、変えられないんです……」
言葉は小さく、でも重く響いた。「だから……どうしようもないんです……」

目を細め、かすかに笑うように唇を動かす。
「私たちは……ただ、みんなで我慢して生きるしかないんです……」

まりと理世は国民にさらに詳しく事情を尋ねた。
「一体、何があったんですか?」

国民は肩を落とし、言葉を絞り出す。
「最初は……ただのお笑い番組でした。でも、芸人たちがテレビを完全に支配してしまったんです。」

目の奥には深い絶望が漂う。
「その後、彼らは政治団体を作り、独裁政治団体――『芸人共産党』――を立ち上げました。司法もすべて掌握されてしまって……誰も彼らに逆らえないんです。」

まりと理世は息を呑む。

「彼らは……人を殺しても、『お笑いでした』と言えば許される。なのに、普通の市民、ボランティアをして優しく生きる人たちは、裏の顔があるかもしれない、という理由で不当に逮捕されます。そして……死刑の判決を受け、牢屋に入れられるんです。」

まりと理世はさらに耳を澄ませた。
「法律も芸人に都合よく変えられているんですか?」

国民はうなずく。
「はい……テレビで放送される内容を、笑わなければいけないんです。笑いポイントで笑わなければ逮捕される。…でも、これは全部私たち国民のせいなんです。私たちが動かず、政治の力で芸人を変えないから……今のままが続いているんです。」

まりは眉をひそめる。
「でも……これは、独裁ですよね?」

国民は俯き、声を潜める。
「はい……でも……民主主義なんです……」

理世は言葉を飲み込む。耳にしたその矛盾が、まるでお笑いのネタのように、無理やり笑いを強制される現実を象徴していた。

まりと理世が歩く街角の小さな食料品店。
並んでいるのは、奇妙でグロテスクな食べ物ばかりだった。虫や見たこともない食材――国民が普段食べるようなパンや野菜はほとんど姿を消していた。

まりが店員に尋ねる。
「どうして、こんな食べ物ばかりなんですか?」

店員は肩を落とし、遠い目で答えた。
「ある日、テレビで大御所芸人が若手芸人にゲテモノを食べさせていたんです。そのとき、大御所がひとこと……『そうだ、食糧危機だと嘘を言って、国民みんなに食べさせよう』と。『若手芸人がこんなに頑張ってるんだから、庶民たちも我慢して食べさせればいいんだ』と……」

理世は息をのむ。
「それで……?」

店員は俯き、無力そうに続ける。
「その日以来、国の食べ物はほとんどゲテモノだけになってしまいました……。私たち庶民は、ただ我慢して食べるしかないんです。」

まりと理世は顔を見合わせた。
笑うべき場面で笑い、我慢すべきところで我慢する――その“笑いの論理”が、この国の食卓までも支配していたのだ。

「こんなのおかしいよ。」

「うん、行動を起こそう!」

まりと理世は、国を変えたい一心で芸人事務所やテレビ局へ向かった。
入口の扉を押し開けると、そこには無数のカメラと明るいライトが煌めき、にこやかに振る舞う芸人たちがいた。

突然、理世の目の前に何かが飛んできた。石――いや、石のように見えるものだった。それは理世にぶつかり、思わず手で避けた瞬間、芸人の一人が声をあげる。
「痛い!こ、こいつら暴力をふるった!」

たちまち、事務所の外から制服姿の警察官が雪崩れ込んできた。
銃を構える者もいれば、手錠を用意する者もいる。
まりと理世はその輪に閉じ込められた。

「ちょっと待ってください!私たちは何もしていません!」
理世が必死に叫ぶが、芸人たちは芝居がかった笑顔を浮かべ、カメラの前で大げさに騒ぐ。

「ほら見ろ!暴力をふるったぞ!」「国民に危害を加える奴らだ!」

観客のように配置された芸人スタッフまでが、打ち合わせたかのように笑い声を重ねた。

そのとき――まりの瞳が鋭く光る。
「……仕方ない。理世、芸人たちについてどう思う?」

理世は奥歯を噛みしめ、低く吐き出した。
「……怒りが、わいてる。どうしようもなく。」

「私も同じ。」まりは頷き、声を落とした。
「じゃあ……これを標本調査としよう。二人の怒りを標本にして、全体に影響を与えるの。」

次の瞬間――。

空気が震えた。
見えない波が広がるように、警官たちの表情にじわじわと変化が訪れる。
最初は眉がわずかにひそめられ、やがて唇が歪み、拳が震え始めた。

「な……なんだ、この感情は……?」
一人の警官が額を押さえる。

次々と警官たちの心に、理世とまりの「芸人に対する怒り」が流れ込んでいく。
それは標本調査のように、小さな二人の感情から全体を推定し、拡散し、膨張していった。

「おい……なぜ俺たちは、こいつら芸人を守ってるんだ?」
「……そうだ、俺たちもずっと心の奥で思ってたんだ。あいつらは……おかしい!」

芸人たちはまだ気づかずに笑っていた。だがその笑い声は、警官たちの怒号にかき消されていく。

まりは静かに理世の手を握った。
「……標本は広がった。これで、流れは変わる。」

怒りの波は、警官だけにとどまらなかった。
街中へ、家々へ、そしてテレビの前に座る国民の心へ――まりと理世の「標本調査」は広がり続けた。

「……そうだ、もう我慢なんてできない!」
「笑えと命じられて、笑わされるなんて……もう終わりだ!」

国民たちが立ち上がった。
それは一人の叫びから始まり、次第に群衆のうねりへと変わっていく。
人々は壊れかけたプラカードを手にし、声を張り上げ、芸人政治家たちの本拠地を包囲した。

芸人たちはカメラの前で必死に笑いを繰り返す。
「皆さん落ち着いて!これはコントですよ!冗談なんです!」
だが、その笑い声は誰の心にも届かなかった。

警察はついに手錠を持ち出し、芸人たちを次々と拘束していった。
「やめろ!俺たちは人気者なんだぞ!」
「お笑いでしたって言えば許されるはずだ!」

必死の抵抗もむなしく、怒りに団結した国民の前では、その虚しい言葉は風に消えた。

やがて判決は下った。
芸人共産党の幹部たちは全員逮捕され、絶海の孤島へと流刑に処される。
そこにはテレビも、観客も、笑い声も存在しない。
ただ潮騒だけが、彼らの虚ろな笑いを飲み込んでいった。

街には静けさが戻り、人々は互いに顔を見合わせる。
長い間強制されていた「作り笑い」は消え、本物の安堵の表情が、少しずつ広がっていった。

まりは理世に小さく囁いた。
「……やっと、この国は取り戻せたんだね。」


不当に逮捕され、牢屋に押し込まれていたボランティアや善良な市民たちは、次々と解放された。
やつれた顔に陽の光が差し込み、涙を浮かべながら外に出る彼らを、人々は拍手で迎えた。
「ありがとう……やっと自由になれた……!」
人々は互いに抱き合い、ようやく訪れた解放の時を噛みしめた。

一方その頃――。

絶海の孤島に送られた芸人たちの間では、異様な空気が漂っていた。
誰もが地位を失い、拍手も歓声もない。
静かな波の音だけが響く中、芸人たちは次第に互いを睨み合うようになった。

「お前のせいでこうなったんだ!」
「いや、あのとき黙ってれば俺たちは捕まらなかった!」

鬱憤と怒りは渦を巻き、やがて矛先は一つの標的に集まった。
――大御所芸人たち。

「全部あんたらのせいだろ!」
「“お笑いでした”って言えば何でも許されるなんて言い出したのは、あんたらじゃないか!」
「俺たちを操って、責任は全部こっちに押し付けやがって!」

孤島の中で始まった黒幕探しは、やがて“大御所芸人黒幕コンビ”に怒りを集中させる。
大御所たちは必死に笑いでごまかそうとする。
「冗談だよ!みんな仲良くしよう!これもネタだって!」
だが、もう誰も笑わなかった。

押し寄せる怒号と憎悪の視線。
その場には、かつてステージの中央に立っていた者たちの、哀れな末路が広がっていった。

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