夫はマウンテンパーカーを欲しがる

成木沢 遥

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 カーテンも閉めていないので、部屋の中には外の信号の光が微かに入ってくる程度。ほぼ真っ暗だ。
 帰宅した夫が電気を点けた。
 時計を見ると、もう夜の七時になっていた。こんなに寝てしまったのか……死んだように寝るってこういうことなのか。
 私は自分でも呆れた。

「何だよ、こんなところで寝て。カーテンも閉めずに」

 夫はテーブルの上に、一個数十円の駄菓子を置く。
 そのままソファーに座って「あー、負けちゃったなー」と続けて呟いた。

「なにこれ? 駄菓子?」
「ん? ああ。パチンコの余り玉で交換したんだ。二千円の負け」

 寝起きの私でも、耳を疑う発言だった。
 パチンコ? 二千円の負け? 今日は結婚記念日なのに? 

 私はしばらく黙った後に、一応聞いてみた。
 呆れた表情を作って、「今日何の日かわかってる?」と。

「あれ……何の日だっけ? っていうか、今日って何日だ?」

 ……驚きで声も出なかった。
 私はリビングの真ん中で、足がフローリングに埋まってしまったのではないかと思うほどに、立ち尽くす。
 思考停止している私に向かって、夫は「腹減ったなー」と悪気なく笑った。

 その瞬間、今まで夫と過ごしてきた時間が、全くの無駄に思えてしまった。
 バカらしくなって、やる気がなくなって、何かが切れたように頭が真っ白になる。

「もういいわ」
「え、何が?」
「あなたと結婚したことが間違いだった。今まで何にも良いことなんてなかったし」
「そんなに怒ることないだろ」
「もう、やってられないわよ」

 そう吐き捨てて、エプロンを床に叩きつけた。そのまま家を飛び出す。

 怒っている私の背中に、夫は「どこ行くんだよ?」と聞いてきた。
 私は足を止める気を見せずに、そのまま少し肌寒い夜の外に飛び出した。

 真っ白な頭の中、特に脳ミソも働かない。

 もういい。どうにでもなれ。
 私はまた、自転車に飛び乗った。
 適当に、知っている道を漕ぐことにする。

 ドライブしながら頭を冷やすとか、頭を整理するとかは聞いたことあるけど、まさかサイクリングでそれをするとは。
 いつもの商店街を、さっきとは違ってゆっくり通った。
 オシャレなアウトドアショップのウインドウに、夫が欲しがっていたマウンテンパーカーが展示されている。

 それを見て、また無性にムカついた。
 あのマウンテンパーカー、五万円もするじゃない。
 意外と高い値段だったのが鼻につく。

 夫は、私の気持ちなんて何にもわかってくれていない……。
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