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第一章 出立
第七話 一面の花畑
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なし崩し的にセーデルリンドで一泊したオーケビョルンとマルクスは、翌朝早くからディスクゴート平原を北上していた。
昨日は思わぬところで時間を使ってしまった。早く首都まで向かわないと、いろいろな意味で予定が狂う。
そんなものだから一人と一頭は急いでいたが、しかし眼下に広がる平原の景色に目を向けてもいた。
「どこまでも続く平原じゃのう。地平線が見えるほどになだらかな大地とは、新鮮なものじゃな」
「ステーン山脈の内側では、決して見ることのできない景色だからね。君にとっては新鮮だろう」
オーケビョルンが眼下を見下ろしながら言えば、マルクスも彼の首に寄り添いながら頷いた。
真下に広がるディスクゴート平原は、ステーン山脈内側に広がるスヴェードバリ平原とは広さも様相も異なる。スヴェードバリ平原は山由来の岩があちこちに転がり、ごつごつとした風景をしているが、ディスクゴート平原はどこまでもなだらかで、草地と川、そして小麦畑が広がる土地だ。
その開放感あふれる風景に目を細めながら、オーケビョルンはちらと視線を自分の背中に乗るマルクスへと向ける。
「首都エクルンドまでは、こんな景色が続くのかの?」
「そうだね、多少の高低差はあるが、基本的にはこんな具合の地形が広がる。ディスクゴート平原がバーリ公国有数の穀倉地帯と言われる所以だ」
オーケビョルンからの問いかけにマルクスがもう一度頷いて、右手をかざして前方を見た。
一人と一頭の視界には、さらさらと揺れる小麦の穂と、水路に流れる水、そこに反射する光が草原地帯の中に点在する様子が見えている。
ステーン山脈の北側、山脈から離れた場所に広がるディスクゴート平原は季節を問わず日照時間が長いため、穀倉地帯として栄える場所だ。それ故に人の住む街も多い。首都エクルンドが国土の北の端、海沿いにあることも相まって、この平原はバーリ公国民の多くが住んでいた。
その人口の多さも、これだけ住むに適した環境なら納得だ。
「なるほどのう、日当たりのいい平原、水も豊富。農作物を育てるには理想的な環境、というわけじゃな」
「そういうことさ」
首肯しながら空を飛ぶオーケビョルンに、マルクスも笑みを返す。
そうして再びオーケビョルンが前方を向いて、翼をはためかせると。
「ふむー……おっ?」
彼の視界に映ったものに、オーケビョルンが目を見開く。
『それ』がだんだん近づいてくるのを見ながら、老竜は前脚を前方に伸ばして声を上げた。
「マルクス、マルクスや。あれを見ろ、すごいぞ」
「ん? ……おぉー」
オーケビョルンが指さしたものを見るため、彼の首の横から前を見たマルクスも声を上げる。
一人と一頭の視界いっぱいに広がっているのは、一面の花畑だった。
小高い崖から見下ろすような形で設えられた花畑が、地平線の向こうまで続いている。どの花も同じ花で、器のようにすぼまった花弁をぐっと空に突き出している。
赤、黄色、白、ピンク、オレンジ。様々な色の花が咲き乱れていて、とても美しい。
「これは凄い。一面の花畑だ」
「マルクス、この花はなんじゃ? 山の周辺では見たことがない」
花を倒さないようにゆっくり降下し、その花がよく見える場所で留まったオーケビョルンが、首を伸ばして花を見る。長く生きてきた彼とはいえ、自分の住むスヴェドボリ山に無いものは、なかなか知る機会もない。
マルクスが眼鏡を直しながら、空中に留まるオーケビョルンの上で鞄に手を突っ込みつつ言った。
「チューリップだね。たしかにスヴェードバリには咲かない花だ。これがここまでたくさん咲いているということは……」
鞄の中から地図を取り出したマルクスが、じっとそれを見ることしばし。
一分もしないうちに今いる場所を発見した彼は、満面の笑みで声を上げた。
「ああ、やっぱり。オーケビョルン、この花畑がバーリ公国の三大風景の一つ、『シェルストレームの花畑』だ」
「なぬ、もうそんなところまで来ておったか」
友人の言葉に、オーケビョルンは驚きの表情をした。
シェルストレームの花畑は、エクルンドの夜景、ローセンダール岩礁一帯と並び、バーリ公国で最も風光明媚な場所の一つに数えられている。
付近にあるシェルストレーム市によって管理され、実に三十万平方メートルの敷地にびっしりとチューリップが植えられている、ディスクゴート平原の文字通りの花だ。
場所としては、ディスクゴート郡の北端に近い。もうあと数キロメートルも飛べば隣接するソレンソン郡に入る。そうしたら首都のあるエクルンド郡まであと少しだ。
「うん。この調子なら、今夜にはエクルンド郡に入れるだろう」
「おお、ようやくか。思えば結構飛んで来たもんじゃのう」
地図を鞄にしまったマルクスが笑えば、オーケビョルンも嬉しそうに目を細める。
ようやく、ようやくだ。当初の目的地である首都エクルンドに、手が届くところまで来れた。そこから先も旅は続くだろうが、まずは一区切りである。
そんな感慨にふけりながらも、オーケビョルンは眼下のチューリップ畑から目が離せない。
「……ふむ、ふーむ。のう、マルクスや」
「はいはい、何だい」
ぐる、と首を回して背中のマルクスを見ると、彼も彼で何かを察したらしく、苦笑しながら彼の顔を見る。
徐々に、ゆっくりと上昇しながら、オーケビョルンは申し訳なさそうな顔をしつつ友人に告げた。
「書きとうなった、が……この花畑にわしの詩碑を置くと、景観を壊してしまわないかのう」
「あぁ、確かに。それにここは管理された花畑だしね」
彼の言葉にマルクスも頷いた。
ここはシェルストレーム市が管理する、人の手で整備された畑だ。そこにでんと大岩を置くわけにはいかない。それに、畑の周辺に場所を作って詩碑を置いても、誰の目に留まることもない。
詩碑とは目に留まる場所に作ってこそ価値があるのだ。それこそ、この畑を見下ろすために作られた崖の上などに。
再び高度を上げて移動しようとするオーケビョルンに、マルクスは優しく言葉をかけた。
「……よし、オーケビョルン、一度シェルストレームの町まで行ってもらえるかい。市長と管理人に詩碑設置の許可を取って来るよ」
「おお、すまんな。よろしく頼む」
友人の提案に頷くと、オーケビョルンは畑から程近くにあるシェルストレームの町に飛んだ。程近くと言ってもこれだけの広大な畑だ、町の入り口まで飛ぶのに三分はかかる。
友人を降ろし、再び花畑まで引き返してきたオーケビョルンは、花畑傍にある広い空き地に着地し、目の前の風景を睨みながら詩作を始めた。
「んー……そうじゃな。また今回もオースブリンク式がいいかのう。『一面の花。一面のチューリップの花。地平線まで延々と広がるチューリップの花』……」
オースブリンク式は広がりのある光景を表現するのに向いている。このどこまでもチューリップの花が咲き乱れる風景にはぴったりだ。
そこから、ああでもない、こうでもないと言葉を組み合わせては頭をひねるオーケビョルン。考え始めて三十分くらいが経った頃だろうか。
「いや待てよ……ここは『まるで大きな絨毯がシェルストレームの町に広がるように』とじゃな……」
「おーい、オーケビョルン」
彼の頭上から、聞きなれた友人の声がする。それと同時に聞こえてくるのは大きな羽ばたきの音。
オーケビョルンがふ、と頭上を見上げると。
「ん?」
そこには一頭の、瑠璃色をした若いドラゴンが、マルクスを背に乗せて飛んでいた。その両手には石板を抱えている。
いや、飛んでいたのではない。まさに今着陸態勢に入っていた。この場所、自分が腰を下ろしている空き地へと。ドラゴンは徐々にこちらに近づいているではないか。
まずい、このままでは自分が潰される。
慌てて立ち上がり、空き地の端へ寄ると、先程まで自分がいたスペースに、瑠璃色の巨体がゆっくり着地する。
「わわっ」
「お待たせ、無事に許可が貰えたよ。設置する石も用意してもらった」
たたらを踏むオーケビョルンの元へと、瑠璃色のドラゴンから降りたマルクスが笑いながら寄っていく。
友人が無事なことに安堵しながら、彼は友人を連れてきた、その若いドラゴンに目を向けた。
「お、おう……それは何よりじゃ。して、そちらの方は」
オーケビョルンが視線を向けると、瑠璃色の若いドラゴンは身体の向きを変えて自分へと向き直った。そして自身の傍らに石板をどすんと置く。
やはり、若い。年の頃は二百くらいだろうか。鱗も翼もまだまだつやがあり、生気に満ち溢れているのが分かる。角には金属製の輪がはめられており、そこに「シェルストレーム市役所勤務」の文字が刻まれている。
なるほど、市役所職員のドラゴンか。
はたしてそのドラゴンが、オーケビョルンへと恭しく頭を下げる。
「初めまして、オーケビョルン老。シェルストレーム市役所景観保全課の、エンゲルブレクトと申します。この度は詩碑設置のお申し出、ありがとうございます」
エンゲルブレクトと名乗ったそのドラゴンは、マルクスが詩碑設置を申し出てきたことを受け、詩碑にする岩の運搬とマルクスの送迎を担当するため、こうして自ら飛んで来たのだそうだ。
ちなみに詩碑設置の話は二つ返事で了承されたらしい。道理で戻ってくるのが早かったわけである。
「市役所の職員さんじゃったか。これはご丁寧に、ありがとうございますですじゃ」
「こちらこそ。我々景観保全課の課長がオーケビョルン老のファンでして、今回マルクス様からお話をいただいた途端、跳び上がって喜びまして……」
オーケビョルンも頭を下げれば、エンゲルブレクトが首を傾げながら笑う。その課長とやらが大興奮で喜ぶさまが、思い浮かぶようだ。
そうして雑談を交えつつ、刻む作品に話が及ぶと、エンゲルブレクトは大いに驚愕した。既存の作品を詩碑にするかと思いきや、まさかの書き下ろし、未発表作。これは驚くのも当然だろう。
彼の瑠璃色の瞳が興奮でうっすら朱くなりながら、傍らの石板に手をかける。
「詩碑にする岩はこちらをお使いください。設置場所はこちらで指定させていただこうと思いますが、よろしいですか?」
「うむ、構わないのじゃ。ここの管理者はそちらじゃからのう」
若者の言葉にオーケビョルンが頷くと、彼は石板を抱えてゆっくり飛び上がる。オーケビョルンもマルクスを背に乗せて後に続くと、エンゲルブレクトが降り立ったのはやはり、花畑を見下ろせる崖の上だった。
観光客が驚いて場所を開ける中、エンゲルブレクトは石板を崖の根元側、地盤のしっかりしている場所に置いた。土を盛って、岩を盛って地盤を固め、瞬く間に石板を固定すると、彼は老竜の方に向き直る。
「お待たせしました、どうぞ」
「うむ。したらば……」
エンゲルブレクトの言葉に頷いたオーケビョルンは、しかして静かに目を閉じて。
「グォォッ!!」
鋭く短く咆哮を響かせる。そして一瞬の光ののちに、そこにはドラゴンの巨体はなく、人間の老爺に姿を変えたオーケビョルンがいるわけで。
老竜の変化魔法を目の当たりにしたエンゲルブレクトが、周りの観光客同様、驚きに目を大きく見開いていた。
「おぉ……変化の魔法。こんな短い咆哮で為せるとは、さすがです」
「まぁ、何十年と研究を重ねてきたからの。さて……書くとするか」
自信ありげににんまり笑いながら、オーケビョルンは石板の前に立った。こういう場所に詩碑を設置するとあれば、ドラゴンの姿で書くよりは、こちらの方が都合がいい。人々も見やすいだろう。
花崗岩の一枚板に爪を立て、がりがりと表面に爪文字を刻んでいくオーケビョルン。
そして、程なくして。石板の右下に、彼の名前と今日の日付が刻まれた。
「よし。こんなもんでどうかの」
にこやかな笑顔で振り返り、彼はすっと息を吸い込んだ。
そして、朗々と詩歌が響く。
――一面の花。
一面のチューリップの花。
地平線まで延々と広がるチューリップの花。
それはまるで大きな絨毯が、シェルストレームの町に広がるようで。
それはまるで色鮮やかな海が、大地にただただ広がるようで。
この鮮やかさを他の何に例えよう、風に揺れてさざめくこの花を。――
「こんな具合じゃな」
「なるほど、いいじゃないか。シンプルだから情感が伝わりやすい」
にんまり笑ったオーケビョルンに、マルクスも笑みを返しつつ手元の手帳にペンを走らせる。今回はシンプルな分、いつもより文字数が多いから複写にも手間が取られるようだった。
マルクスの隣ではエンゲルブレクトが、感動に瞳を輝かせて両の前脚を持ち上げて合わせている。まるで拝んでいるかのようだ。
「あぁ……オーケビョルン老の詩歌が、この場所に据えられることになるなんて、感激です。これで、『シェルストレームの花畑』はもっと人々を集められる場所になることでしょう」
「うむ、そうなれば幸いなのじゃ。課長さんにも、よろしく伝えておくれ」
その言葉に、恥ずかしそうに頬をかきながらも笑みを返すオーケビョルンだ。
やがてマルクスが詩の複写と訳文の記載を終えると、オーケビョルンは再び咆哮、ドラゴンの姿へと戻った。マルクスを背に乗せて、翼を大きく羽ばたかせる。
「さて、マルクスや。早速次の場所に向かうとしようか」
「ああ、そうだね」
そう言う彼に、マルクスも同意を返す。前回のような足止めを食うわけにはいかないのだ。行動は早くするに限る。
しかして一人と一頭はゆっくり空へと舞い上がり、観光客と一緒にエンゲルブレクトが、それを手を振って見送った。
「ありがとうございます! 道中お気をつけて!」
若いドラゴンの声を後ろに聞きながら、オーケビョルンは北へと進路を取る。目指す首都へ向けて、全速前進だ。
昨日は思わぬところで時間を使ってしまった。早く首都まで向かわないと、いろいろな意味で予定が狂う。
そんなものだから一人と一頭は急いでいたが、しかし眼下に広がる平原の景色に目を向けてもいた。
「どこまでも続く平原じゃのう。地平線が見えるほどになだらかな大地とは、新鮮なものじゃな」
「ステーン山脈の内側では、決して見ることのできない景色だからね。君にとっては新鮮だろう」
オーケビョルンが眼下を見下ろしながら言えば、マルクスも彼の首に寄り添いながら頷いた。
真下に広がるディスクゴート平原は、ステーン山脈内側に広がるスヴェードバリ平原とは広さも様相も異なる。スヴェードバリ平原は山由来の岩があちこちに転がり、ごつごつとした風景をしているが、ディスクゴート平原はどこまでもなだらかで、草地と川、そして小麦畑が広がる土地だ。
その開放感あふれる風景に目を細めながら、オーケビョルンはちらと視線を自分の背中に乗るマルクスへと向ける。
「首都エクルンドまでは、こんな景色が続くのかの?」
「そうだね、多少の高低差はあるが、基本的にはこんな具合の地形が広がる。ディスクゴート平原がバーリ公国有数の穀倉地帯と言われる所以だ」
オーケビョルンからの問いかけにマルクスがもう一度頷いて、右手をかざして前方を見た。
一人と一頭の視界には、さらさらと揺れる小麦の穂と、水路に流れる水、そこに反射する光が草原地帯の中に点在する様子が見えている。
ステーン山脈の北側、山脈から離れた場所に広がるディスクゴート平原は季節を問わず日照時間が長いため、穀倉地帯として栄える場所だ。それ故に人の住む街も多い。首都エクルンドが国土の北の端、海沿いにあることも相まって、この平原はバーリ公国民の多くが住んでいた。
その人口の多さも、これだけ住むに適した環境なら納得だ。
「なるほどのう、日当たりのいい平原、水も豊富。農作物を育てるには理想的な環境、というわけじゃな」
「そういうことさ」
首肯しながら空を飛ぶオーケビョルンに、マルクスも笑みを返す。
そうして再びオーケビョルンが前方を向いて、翼をはためかせると。
「ふむー……おっ?」
彼の視界に映ったものに、オーケビョルンが目を見開く。
『それ』がだんだん近づいてくるのを見ながら、老竜は前脚を前方に伸ばして声を上げた。
「マルクス、マルクスや。あれを見ろ、すごいぞ」
「ん? ……おぉー」
オーケビョルンが指さしたものを見るため、彼の首の横から前を見たマルクスも声を上げる。
一人と一頭の視界いっぱいに広がっているのは、一面の花畑だった。
小高い崖から見下ろすような形で設えられた花畑が、地平線の向こうまで続いている。どの花も同じ花で、器のようにすぼまった花弁をぐっと空に突き出している。
赤、黄色、白、ピンク、オレンジ。様々な色の花が咲き乱れていて、とても美しい。
「これは凄い。一面の花畑だ」
「マルクス、この花はなんじゃ? 山の周辺では見たことがない」
花を倒さないようにゆっくり降下し、その花がよく見える場所で留まったオーケビョルンが、首を伸ばして花を見る。長く生きてきた彼とはいえ、自分の住むスヴェドボリ山に無いものは、なかなか知る機会もない。
マルクスが眼鏡を直しながら、空中に留まるオーケビョルンの上で鞄に手を突っ込みつつ言った。
「チューリップだね。たしかにスヴェードバリには咲かない花だ。これがここまでたくさん咲いているということは……」
鞄の中から地図を取り出したマルクスが、じっとそれを見ることしばし。
一分もしないうちに今いる場所を発見した彼は、満面の笑みで声を上げた。
「ああ、やっぱり。オーケビョルン、この花畑がバーリ公国の三大風景の一つ、『シェルストレームの花畑』だ」
「なぬ、もうそんなところまで来ておったか」
友人の言葉に、オーケビョルンは驚きの表情をした。
シェルストレームの花畑は、エクルンドの夜景、ローセンダール岩礁一帯と並び、バーリ公国で最も風光明媚な場所の一つに数えられている。
付近にあるシェルストレーム市によって管理され、実に三十万平方メートルの敷地にびっしりとチューリップが植えられている、ディスクゴート平原の文字通りの花だ。
場所としては、ディスクゴート郡の北端に近い。もうあと数キロメートルも飛べば隣接するソレンソン郡に入る。そうしたら首都のあるエクルンド郡まであと少しだ。
「うん。この調子なら、今夜にはエクルンド郡に入れるだろう」
「おお、ようやくか。思えば結構飛んで来たもんじゃのう」
地図を鞄にしまったマルクスが笑えば、オーケビョルンも嬉しそうに目を細める。
ようやく、ようやくだ。当初の目的地である首都エクルンドに、手が届くところまで来れた。そこから先も旅は続くだろうが、まずは一区切りである。
そんな感慨にふけりながらも、オーケビョルンは眼下のチューリップ畑から目が離せない。
「……ふむ、ふーむ。のう、マルクスや」
「はいはい、何だい」
ぐる、と首を回して背中のマルクスを見ると、彼も彼で何かを察したらしく、苦笑しながら彼の顔を見る。
徐々に、ゆっくりと上昇しながら、オーケビョルンは申し訳なさそうな顔をしつつ友人に告げた。
「書きとうなった、が……この花畑にわしの詩碑を置くと、景観を壊してしまわないかのう」
「あぁ、確かに。それにここは管理された花畑だしね」
彼の言葉にマルクスも頷いた。
ここはシェルストレーム市が管理する、人の手で整備された畑だ。そこにでんと大岩を置くわけにはいかない。それに、畑の周辺に場所を作って詩碑を置いても、誰の目に留まることもない。
詩碑とは目に留まる場所に作ってこそ価値があるのだ。それこそ、この畑を見下ろすために作られた崖の上などに。
再び高度を上げて移動しようとするオーケビョルンに、マルクスは優しく言葉をかけた。
「……よし、オーケビョルン、一度シェルストレームの町まで行ってもらえるかい。市長と管理人に詩碑設置の許可を取って来るよ」
「おお、すまんな。よろしく頼む」
友人の提案に頷くと、オーケビョルンは畑から程近くにあるシェルストレームの町に飛んだ。程近くと言ってもこれだけの広大な畑だ、町の入り口まで飛ぶのに三分はかかる。
友人を降ろし、再び花畑まで引き返してきたオーケビョルンは、花畑傍にある広い空き地に着地し、目の前の風景を睨みながら詩作を始めた。
「んー……そうじゃな。また今回もオースブリンク式がいいかのう。『一面の花。一面のチューリップの花。地平線まで延々と広がるチューリップの花』……」
オースブリンク式は広がりのある光景を表現するのに向いている。このどこまでもチューリップの花が咲き乱れる風景にはぴったりだ。
そこから、ああでもない、こうでもないと言葉を組み合わせては頭をひねるオーケビョルン。考え始めて三十分くらいが経った頃だろうか。
「いや待てよ……ここは『まるで大きな絨毯がシェルストレームの町に広がるように』とじゃな……」
「おーい、オーケビョルン」
彼の頭上から、聞きなれた友人の声がする。それと同時に聞こえてくるのは大きな羽ばたきの音。
オーケビョルンがふ、と頭上を見上げると。
「ん?」
そこには一頭の、瑠璃色をした若いドラゴンが、マルクスを背に乗せて飛んでいた。その両手には石板を抱えている。
いや、飛んでいたのではない。まさに今着陸態勢に入っていた。この場所、自分が腰を下ろしている空き地へと。ドラゴンは徐々にこちらに近づいているではないか。
まずい、このままでは自分が潰される。
慌てて立ち上がり、空き地の端へ寄ると、先程まで自分がいたスペースに、瑠璃色の巨体がゆっくり着地する。
「わわっ」
「お待たせ、無事に許可が貰えたよ。設置する石も用意してもらった」
たたらを踏むオーケビョルンの元へと、瑠璃色のドラゴンから降りたマルクスが笑いながら寄っていく。
友人が無事なことに安堵しながら、彼は友人を連れてきた、その若いドラゴンに目を向けた。
「お、おう……それは何よりじゃ。して、そちらの方は」
オーケビョルンが視線を向けると、瑠璃色の若いドラゴンは身体の向きを変えて自分へと向き直った。そして自身の傍らに石板をどすんと置く。
やはり、若い。年の頃は二百くらいだろうか。鱗も翼もまだまだつやがあり、生気に満ち溢れているのが分かる。角には金属製の輪がはめられており、そこに「シェルストレーム市役所勤務」の文字が刻まれている。
なるほど、市役所職員のドラゴンか。
はたしてそのドラゴンが、オーケビョルンへと恭しく頭を下げる。
「初めまして、オーケビョルン老。シェルストレーム市役所景観保全課の、エンゲルブレクトと申します。この度は詩碑設置のお申し出、ありがとうございます」
エンゲルブレクトと名乗ったそのドラゴンは、マルクスが詩碑設置を申し出てきたことを受け、詩碑にする岩の運搬とマルクスの送迎を担当するため、こうして自ら飛んで来たのだそうだ。
ちなみに詩碑設置の話は二つ返事で了承されたらしい。道理で戻ってくるのが早かったわけである。
「市役所の職員さんじゃったか。これはご丁寧に、ありがとうございますですじゃ」
「こちらこそ。我々景観保全課の課長がオーケビョルン老のファンでして、今回マルクス様からお話をいただいた途端、跳び上がって喜びまして……」
オーケビョルンも頭を下げれば、エンゲルブレクトが首を傾げながら笑う。その課長とやらが大興奮で喜ぶさまが、思い浮かぶようだ。
そうして雑談を交えつつ、刻む作品に話が及ぶと、エンゲルブレクトは大いに驚愕した。既存の作品を詩碑にするかと思いきや、まさかの書き下ろし、未発表作。これは驚くのも当然だろう。
彼の瑠璃色の瞳が興奮でうっすら朱くなりながら、傍らの石板に手をかける。
「詩碑にする岩はこちらをお使いください。設置場所はこちらで指定させていただこうと思いますが、よろしいですか?」
「うむ、構わないのじゃ。ここの管理者はそちらじゃからのう」
若者の言葉にオーケビョルンが頷くと、彼は石板を抱えてゆっくり飛び上がる。オーケビョルンもマルクスを背に乗せて後に続くと、エンゲルブレクトが降り立ったのはやはり、花畑を見下ろせる崖の上だった。
観光客が驚いて場所を開ける中、エンゲルブレクトは石板を崖の根元側、地盤のしっかりしている場所に置いた。土を盛って、岩を盛って地盤を固め、瞬く間に石板を固定すると、彼は老竜の方に向き直る。
「お待たせしました、どうぞ」
「うむ。したらば……」
エンゲルブレクトの言葉に頷いたオーケビョルンは、しかして静かに目を閉じて。
「グォォッ!!」
鋭く短く咆哮を響かせる。そして一瞬の光ののちに、そこにはドラゴンの巨体はなく、人間の老爺に姿を変えたオーケビョルンがいるわけで。
老竜の変化魔法を目の当たりにしたエンゲルブレクトが、周りの観光客同様、驚きに目を大きく見開いていた。
「おぉ……変化の魔法。こんな短い咆哮で為せるとは、さすがです」
「まぁ、何十年と研究を重ねてきたからの。さて……書くとするか」
自信ありげににんまり笑いながら、オーケビョルンは石板の前に立った。こういう場所に詩碑を設置するとあれば、ドラゴンの姿で書くよりは、こちらの方が都合がいい。人々も見やすいだろう。
花崗岩の一枚板に爪を立て、がりがりと表面に爪文字を刻んでいくオーケビョルン。
そして、程なくして。石板の右下に、彼の名前と今日の日付が刻まれた。
「よし。こんなもんでどうかの」
にこやかな笑顔で振り返り、彼はすっと息を吸い込んだ。
そして、朗々と詩歌が響く。
――一面の花。
一面のチューリップの花。
地平線まで延々と広がるチューリップの花。
それはまるで大きな絨毯が、シェルストレームの町に広がるようで。
それはまるで色鮮やかな海が、大地にただただ広がるようで。
この鮮やかさを他の何に例えよう、風に揺れてさざめくこの花を。――
「こんな具合じゃな」
「なるほど、いいじゃないか。シンプルだから情感が伝わりやすい」
にんまり笑ったオーケビョルンに、マルクスも笑みを返しつつ手元の手帳にペンを走らせる。今回はシンプルな分、いつもより文字数が多いから複写にも手間が取られるようだった。
マルクスの隣ではエンゲルブレクトが、感動に瞳を輝かせて両の前脚を持ち上げて合わせている。まるで拝んでいるかのようだ。
「あぁ……オーケビョルン老の詩歌が、この場所に据えられることになるなんて、感激です。これで、『シェルストレームの花畑』はもっと人々を集められる場所になることでしょう」
「うむ、そうなれば幸いなのじゃ。課長さんにも、よろしく伝えておくれ」
その言葉に、恥ずかしそうに頬をかきながらも笑みを返すオーケビョルンだ。
やがてマルクスが詩の複写と訳文の記載を終えると、オーケビョルンは再び咆哮、ドラゴンの姿へと戻った。マルクスを背に乗せて、翼を大きく羽ばたかせる。
「さて、マルクスや。早速次の場所に向かうとしようか」
「ああ、そうだね」
そう言う彼に、マルクスも同意を返す。前回のような足止めを食うわけにはいかないのだ。行動は早くするに限る。
しかして一人と一頭はゆっくり空へと舞い上がり、観光客と一緒にエンゲルブレクトが、それを手を振って見送った。
「ありがとうございます! 道中お気をつけて!」
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