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しおりを挟むまだ五つの頃に引き合わされてから十数年、婚約者であるこの男──悲しいことにこの国の王となる彼が馬鹿であることはリシアも重々承知していた。しかしここまで手の施しようのない馬鹿だったと誰が想像できただろう。
「リシア・ルーベルク!お前はその身分を振り翳し私の恋人であるマリアンヌ・レイス男爵令嬢に数々の非道な行いをした!そのような女は私にもこの国の王妃にもふさわしくはない、お前には今日をもって婚約破棄と国外追放を言い渡す!」
シンと静まり返った会場で誰もがホールの中心に立つ私たちを見つめている。今起こっていることが信じられないのだろう、誰も声を出せそうになかった。それは私も同じことである。
何も言わないのを肯定とみなしたのか、王太子は勝ち誇った顔で自らの腕に抱きついている女の腰に手を回しキスをした。
「マリアンヌ、この性悪女とはこれで縁が切れた。──私はここで其方と病めるときも健やかなるときも死ぬときも共にあると、女神ルードべギアに誓おう。次の王妃はマリアンヌだ!」
一方的な婚約破棄と勝手な男爵令嬢との婚約。この茶番が行われているのは他国からの来賓もいる、建国祭のパーティーでのことだった。
まさかこのような場で我が国の恥を晒すとは考えもしなかったリシアだったが、彼女が何か言うよりも先に国王の怒声がホールに響いた。
「この愚か者がッ!!!!!」
びりびりと震えるようなその声音に、こんな茶番に巻き込まれた被害者ともいえるリシアですら膝をつきそうになる程の恐怖を感じる。
「ちっ、父上……?」
「誰ぞこの二人を連れて行け!今すぐに!」
「な、何故ですか!?ここから追い出されるべきはその女であり……!」
まだ戯言を喚いている王太子を無視して玉座から腰を上げた国王はリシアの前まで足を運んだ。
「ルーベルク嬢、これは一体……」
「国王陛下……」
つい先ほど挨拶に赴いたばかりだった。あの愚息をどうか頼むと眉を下げたこの方に善処いたしますと苦笑したのは数分前の話だ。
「私にも何が何だか。レイス男爵家のご令嬢と親しくあられるのは知っていましたが……」
まさかこのような場で誰も認めていない婚約破棄を一方的に言い渡し、あげくに私を王妃としてふさわしくないと言いながら男爵令嬢と婚約し次の王妃だと宣言するとは。
……あの方はよもや、私との婚約がなければ自分が王太子の座についていることができないと、まさか理解していなかったのかしら?
「本当に申し訳ない」
「陛下、どうかおやめください。ただ……私もあまり事態を把握できておりませんので、今夜は下がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
もちろんだと頷いた国王にほっと息を吐いて礼を尽くしその場を後にする。痛いほどの視線は彼の婚約者となった時から嫌というほど味わってきたけれど、どうやらそれも今夜で終わりのようだ。
人の視線から逃れるように帰宅のための馬車に乗り込んだリシアは動き出したのを確認してからなんとか保っていたポーカーフェイスを崩した。
(っ……やっとだわ……!)
やっとあの馬鹿との縁が切れた。そしてやっとこの国からも離れる口実ができた。
あの馬鹿と婚約してから私はことごとく不自由というものを味わいながら生きてきた。他の令嬢の婚約者はあれほどまともなのにどうして私ばかりが辛い思いをしなければならないのか、ほしくもない王妃の座につくための血を吐くような努力をしなければならないのか。
あまりにも馬鹿だったから結婚前になにかやらかすだろうとは思っていたが、思ったよりも馬鹿だったせいで想像以上にやらかしてくれた。
「あぁ疲れた……」
ひとまず今夜はゆっくり眠ろう。明日になればきっと王城から何らかの連絡が入り、ことの顛末を聞いた父が怒りに狂いながら呼び出しに応じるだろう。そんなことを考えながらリシアは邸宅につくなり寝室へ直行した。
その翌日のことである。いつも通りに目が覚めながらももう少しだけゆっくり眠ろうと二度寝を決めた彼女のもとに、専属のメイドであるアンシアが駆け込んできた。
「お嬢様!!」
「……なぁにアン、騒がしいわ」
「大変です!」
どうせ昨日のことで何かあったのだろう。あとで聞くからとあくびをした彼女に、メイドは声を張り上げた。
「大変なんです!王太子殿下が殺人の容疑で憲兵に逮捕されたと……!」
「……なんですって?」
穏やかではないその話に眉を寄せて起き上がる。
「あの剣もまともに持てない王太子殿下が殺人?」
真っ赤な顔で小鹿のようにプルプルと立っていた姿を思い出して顔を歪める。あの腰に差した剣がよくできた赤ん坊でも持てるだろうおもちゃだと知る者は一体どれほどいるだろうか。
「それが昨夜、二人は陛下に下がるよう命じられた後に城を抜け出したそうで……」
「……」
「今朝になってマリアンヌ・レイス男爵令嬢が遺体となって川へ浮かんでいたそうなんです!目撃者が言うには、橋の上で王太子殿下と思われる男から突き落とされたとかなんとか……!お嬢様はまだ正式に婚約解消の手続きが済んでいませんから……その、事情聴取の連絡が先ほど入ったようなんです……」
言い難そうに下を向く彼女は悪くないのに大きなため息を吐いてしまう。
今日はせっかくの休みだし、私の人生を翳らせていた元凶の男との縁は切れそうだし、ゆっくりと休めそうだったのに。
「わかったわ、支度します……」
最後の最後まで迷惑をかけてくる王太子に昨夜せめて平手打ちでもしてやればよかったと、リシアは渋々身体を起こしたのだった。
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